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7)緊急座談会@【黄金の環】

ご無沙汰いたしております。

さて、第6回目のエピソードは、再び「Messenger」のリクエストより。懐かしい名前とともにあれやこれやの裏話が聞ける……かもしれません。それではどうぞ。

緊急座談会@【ザラトーイェ(黄金の)カリツォー()

 「執事たちは見た! ~主家に関するマル秘報告会議~」


出席者 以下敬称略

 ―フリッツ・リピンスキー(シビリークス家 家令兼執事)

 ―スロヴォダン・ゲルテン(ナユーグ家 家令兼執事)

 ―サットゥーカ・キシニョフ(ザパドニーク家 家令兼執事)

 ―ティム・リポーヴ(ボストークニ家 家令兼執事)

 ―老ザミャーチン・スタリコーフ(ズィンメル家 家令)



 * * * * *



 ――ええ、ッホン………本日はお忙しい中、ここ【ザラトーイェ(黄金の)カリツォー()】にお集まり頂き、まことにありがとうございます。さて、今回、こうして皆様にお越しいただいたわけでございますが………。


「その前にようございますか?」

 川の水が滔々と下流に向かって気持ち良さげに流れゆく中、不意に突き出した小石に予期せぬさざ波が立ちあがり、不愉快な飛沫が上がるかの如く、長い指が一本、視界を塞ぐように巨大化して現れた。

「何か問題でも?」

 人好きのする笑みを刷いた学者風の男を前に背筋を伸ばし慇懃な所作で一人用のひじ掛け椅子に座った初老の男は、火山層から細い噴煙が勢いよく噴き出すかの如く小さく鼻から息を吐き出した。

「ええ。大ありですよ。一体全体これはどういうことでしょうか?」

 一人がもっともらしく疑問を呈せば、その男の傍、並んだ椅子から等間隔に伸びた白っぽかったり胡麻塩だったりする頭部が四つ、同意を示すように揺れた。

「―――と申されますと?」

 一人、立ち上がったまま気分よく演説を()とうとしていた男は小首を傾げた。染色されていない生成り色のシャツとズボンにゆったりとした黒っぽい袖なしの長衣(チュニック)を重ね、その上から長いカフタンのような上着を羽織っている。合わせを留める釦用の組み紐が胸元にだらりと垂れ下がり、今にも取れそうになっていた。

 そう。それはまるで術師のような格好であった。服の色合いはひどく地味だ。くすんだ青とも灰色とも黒とも思える衣――光りの加減でそのように見えた――は、そのまま闇にまぎれてしまえるかの如く。にこやかな仮面が張り付いたような笑みを浮かべる男は、どこか不気味ですらあった。


 そこで初老の男は小さく咳払いをした。

(わたくし)は、本日、我が主人よりこちらに伺うようにとの命を受けて参りました」

 背筋をぴんと伸ばした初老の男が、そう言って周囲に座る男たちを見やれば、同じように黒い上下に身を包んだ男たちが、一糸乱れず一斉に首を縦に振った。その様子は糸の付いた精巧な操り人形のようにも見えた。

「ええ。ですから。よろしいではございませんか。皆様はお屋敷の御主人の御意向でこちらにいらしてくださっているのですから。なんの問題がありましょうや」

 術師風の衣をまとう男はにっこりとほほ笑む。落ちた沈黙に、空気にピシリと亀裂が入った音がした。

 堂々巡りをしそうなやり取りに、これまで表情を微塵も崩さずに澄ました顔をしていた初老の男の眉がほんのわずかに震えたのは気の所為ではないだろう。



 ここは、スタルゴラドの【ツァーリ()】まします王都【スタリーツァ】の街中にあるとあるカフェの一室である。上流階級ご用達であるこのような店には、大概、秘密の会合や人目を忍ぶ密会に使えるような贅を凝らした個室が用意されている。

 そのうちの一室に五人の男たちが集められていた。年齢層はかなり高い。五人のうち二人は初老の域と思われる辺りで、残る二人は誰が見ても老齢と思う頃合い、そして最後に背中が曲がり杖を使っているかなりの御老体。皆、人生の酸いも甘いも知り尽くした円熟期をとうに過ぎた燻銀の男たち――とでもいえば理解が早いだろうか。ああ、勿論、皆、現役である。己が職務に高い矜持を持ち、まだまだ若い者には負けないという気概を持っている男たちだ。

 この五人には、共通項があった。それは、それぞれが由緒正しい名家の家令や執事として、その内向きの一切合財を取り締まる職に就いているということだ。家令や執事というものは専ら屋敷での采配を振るう職業であるから、ここに集まる執事同士が顔見知りであるかどうかというのは今、この時点では判じ難いが、この男たちが仕える主の方は、この国の名家で古くから交流がある為、主経由や屋敷同士の交流の中でその向こうに透かし見える相手の人となりについての噂や同じ家令・執事としての手腕を聞き及んでいる可能性はあると言えるだろう。

 互いを認める空気。よく似た色の連帯感のようなものが、五人の男たちを緩く、そう糸遊のような見えない糸で繋いでいた。


 老齢の為に腰が曲がり杖を握りしめている一番年嵩の男が、白い口髭の下、小さく笑って片手を振った。

「まぁまぁフリッツ。そうカッカせんでもええじゃろうて。わしらがここに(つど)うたのもそこな御人の差し金じゃろうて。のう、お若いの?」

 御老体の問いに男が微笑み返した。

 その横で、真っ白な豊かな髪を綺麗に撫で付けた男が、勿体ぶったように頷いた。

「まぁ、そういう訳ですな。其々お屋敷からの命でこちらに赴いているのですから」

「仕事の内というものですかな」

 別の一人も神妙に合槌を打った。

 そこで、それまで黙っていた一番若そうな――と言っても白髪交じりに目尻の皺が沢山刻まれていて――峻厳な山の頂きのような潔さを持つ男が纏めるように口を開いた。

「それで、貴方は何を始めようというのですか?」

 ―――我々をこのような所に呼び出して。

 五対の不信感の滲んだ瞳が、相対する仮面のように張り付いた青白んだ笑みを見た。


 男は、集まった注目に笑みを深めてから伸びあがる鳩のように慇懃に胸を逸らした。態とらしく咳払いなんぞをしてみせる。

「では、改めまして。わたくしはしがない風来坊でございまして、各地を気の向くまま、風の吹くままに渡り歩いております旅の者でございます。ひょんなことからこの国の風俗に興味を持ちまして、その延長でこちらの国で一般的な職業を調べておりました所、家令や執事という人々にお話しをお聞きしたいと思うようになりました次第でございまして。知り合いの伝手を頼りまして――ああ、このことについてはどうか御内密にお願いしますよ――この度、皆々さまに御足労頂くことになった訳でございます」

 行儀よく腰を下ろした五人の男たちの内、一番端に座る白髪交じりの灰色の髪を後ろですっきりと一つにまとめた男が、神経質そうに眉を顰めれば、その隣の男は変わり映えのない表情に片方の眉を器用に跳ね上げた。それから真ん中に座る腰の曲がった老人はなにやら愉快そうにホッホと笑い、その隣は一人合点が行かぬような顔をして、最後の一人は関心がなさそうに視線を窓の外へと向けた。

「非常に簡単なことでございますよ」

 そのような五人の男たちをざっと見渡して、【トゥルーバ(ラッパ)】のようになった黒っぽい長衣の長い袖を翻しながら術師風の男が薄笑いを浮かべた。

「皆様が普段どのようなお仕事をなさっているのか、お話しをお聞かせいただきたいのですよ」

 ―――ね、簡単なことでございましょう?

 一番端に座る名家シビリークス家の家令兼執事であるフリッツ・リピンスキーは、疑わしげな眼で男を見やった。

「いやですねぇ。そんな風にご覧にならないでくださいよ。やましいことはこれぽっちもございません。ええ、ほんの学術的興味というやつですよ」

「そのようなことを聞いてどうするのです? 其々の家の内情はみだりに口にできるものではございませんよ」

「ええ。ぺらぺらと話すわけにはいかぬものです」

 渋い顔をした老齢の男たちを前に相手はへらりとした温い笑みを浮かべた。

「いえ。わたくしの郷里(くに)には、こちらのような組織だった職種といいますか、制度がないものですからね。いや、似たようなものはございますんですよ? ですが、こちらのように身分制度がはっきりとはしておりませんので。ですからまぁ、参考にしてみたいと思ったまでなのです。なにもこと細かに御主人の御様子をお聞かせ願いたいと申しているのではございません。あくまでも一般的な例でございますなぁ。みなさま方が、普段、どのようなことをお仕事とされているのか、ついでにその業務での御苦労やお屋敷の御様子などをちらりとですね。ええ、何でも結構です。お話しできる範囲で、ざっくばらんに自由に語り合って頂ければと思いましてね。その中から僭越ながらわたくしの眼から見て興味深い情報を抜き出しまして、また質問等、精査させていただきとう存じます」

 そう言って男はうやむやな状況のまま、集まった錚々たる顔触れの家令、執事たちを見渡した。



 その時、室内に小さなノックがして、大きな茶器を乗せたワゴンを押したカフェの給士がやって来た。ワゴンの上にはこの国特有のお茶には欠かせない湯沸かし器である【サマヴァール】が鎮座し、堂々たる面持ちで金色(こんじき)の光りを放っていた。

「ああ。お茶の用意が出来たようですね」

 小さく頷いた術師風の男の合図に給士の男は手慣れた様子で老齢の男たちが座るテーブルに茶器を並べて行った。

 五人の男たちは、半ば釈然としないながらも無言のまま互いの顔を見交わせたのだが、その内の一人、ザパドニーク家の家令兼執事であるサットゥーカ・キシニョフが、カフェの給士の手付きを見咎めたことにより、その疑惑は表面上うやむやになってしまった。

「おやおや、きみ、そのようにするものではありませんよ。これでは茶器の位置がずれてしまいます。こう、この柄の所が真正面に来ないでしょう?」

 やや神経質そうな硬い声が微かな茶器の摩擦音に混じった。

 これぞ身に付いた職業病というやつだろう。キシニョフは、若い給士の手付きが気に食わなくて気になって仕方がなかったのだ。日頃から若い使用人たちの教育をしているということもあってついつい口を挟まずにはいられなかった。

「もっと背筋を伸ばして。ええ、そうです、そうして手をすっと出せば、綺麗に収まるでしょう? ええ。そうです。大変よろしい」

 熟練(ヴェテラン)の指導者の顔をした満足そうな頷きに、

「ご教授ありがとうございます」

 このカフェの給士(ウェイター)の中でも割と新米の部類であった若者は、いやな顔をせずに尊敬と憧憬が入り混じったような瞳で澄ました顔をした老齢の男を見た。

 どうやら先にこの懇談会を企画した術師風の男から伝説の男たちが集まると聞いていたのかもしれない。カフェの給士たちにとって、名家に仕える家令や執事たちは、いわば雲の上の名人、かつ仕事のお手本というか見習うべき模範で、中でもこの国の軍部でも西を守護する名家である【ザパドニーク】家は、その作法が厳格でかつ優雅との呼び声高く、当代の当主であるイェレヴァン・ザパドニークは、その洗練された佇まいが最も美しいことで有名だった。

「さすがキシニョフ殿ですね」

「なにせザパドニーク家直伝ですからねぇ」

 繊細な口髭を指先で摘むように撫でたキシニョフを横目に、代々軍部で南の方角を守護する【ナユーグ】家に仕えるスロヴォダン・ゲルテンと同じく北を守護する【シビリークス】家の家令兼執事であるフリッツ・リピンスキーが訳知り顔で囁き合った。その斜向かいで東を守護する名家であるボストークニ家の家令ティム・リポーヴが我関せずというように澄ました顔をしていた。


 その後もキシニョフは、若き給士の監督を行い、重箱の隅をつつくような――それでも執事としては必須の――駄目出しをしつつ、集まった男たち全てのお茶を淹れさせた。

 そして、各々が惚れ惚れするような洗練された所作で喉を湿らせた所で、思い出したように最長老のザミャーチン老がザパドニーク家の家令キシニョフを見た。

「そうじゃ、イェレヴァン殿はお変わりないかのう?」

「ええ。お陰さまで」

「そうかそうか」

 そつなく微笑んだキシニョフに真っ白な眉毛の下から御老体が目を糸のように細めた。

 最長老のザミャーチン・スタリコーフは、名家であるズィンメル家の家令で、今は、息子のザミャーチンが執事をしている。ザミャーチン翁は、一応家令の肩書ではあるが、実質財産管理などの細かい仕事は、息子であるザミャーチンの方が兼任していた。息子に同じ名前を付けたので、紛らわしく無いようにこちらの御老体を老ザミャーチンもしくはザミャーチン翁と呼び、息子の方は、その名前を指小形にしたザームカとかザーミカ、ザミャーシュカ、ザミャーチカなどと呼ばれたりしている。息子といってもいい年なので幼子のような呼び名ではなく、ザミャーチンと呼んで欲しいというのが本人のたっての希望であったりするのだが、それはここでは重要ではないので省くことにしよう。余談だが、ズィンメル家の二人のお嬢さまのうち、姉の方がシビリークス家に嫁いでいるのでこの両家は縁戚関係にあり、日頃から家族ぐるみで交流を密にしている。



「そう言えば、フリッツ、シビリークスでは目出度くもユルスナール坊ちゃまが嫁取りをなさったとか。遅ればせながら御喜び申し上げる。いやはや、これで旦那さまも肩の荷が下りなさったことじゃろう。のう?」

「はい。それはもう。素晴らしいお式でございましたよ。ズィンメル家の皆さまからも過分な程のお祝いを頂きました」

「ほうほう。わしもその花嫁御寮の御尊顔を拝したかったものじゃわい。冥途の土産にのう。まるで【夜の精】の如きであったと聞いたが、まことか?」

「ええ。それは勿論でございますよ。本当にお可愛らしい方でございますから」

 ここでシビリークス家のリピンスキーの代わりに、何故か南のナユーグ家のゲルテンが身を乗り出した。

「やや、スロヴォダン、お前さんは、やけに訳知りではないか」

 ザミャーチン翁の視線に豊かな白髪を綺麗に撫で付けたゲルテンは、少し得意げに微笑んだ。

「あの方は、オリベルト殿の【ムーザ(芸術の女神)】でございますからね。わたくしどものお屋敷にも何度かお越しいただいたことがございまして、わたくしもご挨拶をさせていただきましたのです」

「例の同好会と言うやつですな?」

 それまで関心がなさそうに茶器の中身を啜っていた東のボストークニ家の家令ティム・リポーヴが初めて発言者であるゲルテンの方を見れば、柔らかな物腰の老執事は穏やかに微笑んだ。

「ええ。さようでございます。そう言えば、そちらの先代さまも例の同好会名簿に名を連ねていらっしゃいましたものね」

「ええ。当代の旦那さまは全くそういった手合いにはご興味が御有りではございませんが、先代さまはお好きでしてね。わたくしも若い頃は色々とお話しをお聞きしたものです。そしてやれ『あそこの生地を手配しろ』ですとか、【ホールムスク】経由で入る遠い異国の『飾り釦を手に入れろ』とか、無茶な振り方をされたものでございますからね。わたくしも微力ながら色々と手を尽くした訳でございます。今となってはほろ苦くも懐かしい思いでではございますがね」

 そう言ってどこか遠い目をしたティム・リポーヴに、ゲルテンが同情するように合槌を打った。

「ええ。本当に。そのご苦労、御心痛はお察し申し上げますよ。オリベルト殿は旦那さまの弟御でございますから、必ずしもわたくしが専属でお仕えする訳ではございませんが、まぁ似たようなものでございますからねぇ」

 結局は回り回って、執事であるゲルテンの元に依頼の話しが来るので大変だと言いたいのだろう。しみじみとしたその述懐に東のリポーヴは、当時の苦労を思い出しているのか、高い鼻の脇に細かい皺を寄せて頷いていた。


「そう言えば、旦那さまの少し風変わりな趣味というお話では、西のイェレヴァン殿に勝る御方はあられぬでしょうね」

 不意に北のリピンスキーが面白味のない無表情の中にもどこか悪戯っぽい色をその瞳に乗せて、優雅に茶器を傾けていた西のキシニョフを流し見た。

 キシニョフはちらりと横目でリピンスキーを見た。そして目を瞬かせた後、さも勿体ぶったように口を開いた。

「そうでございましょうか。殿方が美しい女性(にょしょう)に目が無いのはいつの世も同じでございましょう。別段、うちの旦那さまに限ったことではございません。ねぇ、そうでございましょう?」

 そう言ってキシニョフは周囲の同業者たちの顔をぐるりと見渡した。そこでキシニョフは薄らと微笑を浮かべた。

「ただ、うちの旦那さまは、他の殿方よりもほんの少しだけお心が広く、またお優しく、細やかなお心使いをされる方なので、女性の方が放っておかないのでございましょう。なによりも生まれ持ってのあの美貌でございますからね。みなさまも【微笑みの貴公子】という二つ名を御存じでございましょう? お若い時から社交界では【氷の微笑の貴公子】と呼ばれた北のファーガス殿と人気を二分する花形でございましたし。その点では、全く罪作りな御方と申し上げてもよろしいのではないかと僭越ながら拝察いたしますがね」

 滔々と主人擁護の台詞を口にしたキシニョフに周りの男たちは微妙な心持のままに似非笑いのような顔をした。

「さすがキシニョフ殿。旦那さまへの愛はいつも深くあられますこと」

 東のリポーヴがこう言えば、

「全く、感涙に咽び泣きそうですな」

 南のゲルテンが涙の跡などとうに枯れた瞳を瞬かせて上着のポケットから白い【プラトーチク(ハンカチ)】を取り出す仕草をし、

「ええ。本当に。ですが、殿方の愛情表現の基準を、西(ザパドニーク)を標準とするのは、些か乱暴ではないかとわたくしは思いますがね」

 北のリピンスキーが、すっきりと鳥の尻尾のように細く束ねた髪を揺らした。その横で、ザミャーチン翁は一人愉快そうな笑みを浮かべながら白くなった顎ひげを撫でていた。

「ええ。ですから、奥方さまの気苦労が絶えぬということですよ」

 止めを刺すようにリポーヴが皮肉っぽく口の端を吊り上げた。


 代々西のザパドニーク家は、大の女好きで社交界でも浮名の絶えない男たちばかりがひしめいていることで有名だった。当代のイェレヴァンもその血筋に漏れず、若い頃から華々しい噂の絶えない男であった。美貌の持ち主とは言え、このような家に嫁いだ奥方はさぞかし心の休まる時がないのだろうと普通であれば同情したくなる所だが、この奥方さまというのも一筋縄ではいかない中々に豪胆なお人であられた。お若い頃は、それなりに夫の浮気を心配し、眠れない夜を過ごしたこともあったと聞き及んではいるが、今では寛容なことに夫の女遊びを認めている風であるのだ。勿論、正妻である奥方を一番に愛し、羽目を外さない程度であればという注釈が付くが。この辺りの事情は、この界隈ではよく聞こえていた。


 さて、ここでザパドニーク家にお仕えして早六十余年。主一筋のキシニョフはどうするだろうかと窺えば、先程と変わらぬ澄ました顔をして優雅に茶器を傾けていた。そして喉を潤した後、余裕たっぷりの薄笑いさえ浮かべながら徐に口を開いた。

「その辺りは全くもって心配無用です。旦那さまと奥方さまの互いをお慈しみになる深い愛情はまさに本物でございますから。奥方さまは旦那さまのお遊びを寛大なるお心を持ってお認めになっているのでございます。なにせ【遊び】でございますから。しかも、この関係は短期間の間にポッと狐火のように生まれたものではございません。これまでの長期に渡る夫婦生活の中で、長い年月をかけて熟成し育まれてきた信頼関係なのですから、そんじょそこらの揺さぶり――そうですねぇ、例えば新たな愛人疑惑でしょうかね――くらいでは揺るがないのでございますよ。お若い時はそれなりに御苦労もあったんでございますよ。勿論ですとも。ええ。今でもわたくしが忘れられずに覚えておりますのは、【赤の恋文事件】と【緑の靴事件】でございますが、あの時はわたくしもまだ若輩者であったということもあるのですが、本当にどんな修羅場が待ち構えているのかと恐々と生きた心地がしなかったものです。当時は、わたくしの父が家令をしておりまして――わたくしは執事見習い的な立場でございましたね――その辺りのことで少なからず頭を悩ませておりました。ですが、そのような危機的状況を旦那さま方は見事乗り越えられ、そしてお二人の間の絆を更に深めることになったのですから、【災い転じて福と成る】と言いましょうか。まさにそのような感じでございました」

 そこで言葉を区切ると笑みを更に深めた。

「ですから。我がザパドニーク家に不安の種はございません。お屋敷の未来は安泰でございます」

「ほう。まぁ、お前さんのイェレヴァン殿贔屓は今に始まったことではないからのう。あそこの御長男イーゴリ殿は、御父上を反面教師になさったのか清廉潔白を絵に描いたようなお人であられるし、奥方との間に女の子を御一人もうけられておられる。家としては後継ぎである嫡男の誕生を望まれるのじゃろうが、奥方はまだお若いし、そのあたりは時が解決してくれようか。まぁ心配はいらんじゃろうて」

 ザミャーチン翁がキシニョフの発言を補強するように的確な分析をしたところで、北のリピンスキーが静かに茶を喫しながら口を開いた。

「そうなりますと御次男のブコバルさまへの風当たりは強くなりますでしょうね。ユルスナール坊ちゃまも南のドーリンさまも無事身をお固めになったわけでございますから」

 それに東のリポーヴが神妙に合槌を打った。

「そういうことであれば、うちのレオニード坊ちゃまもそうでございますねぇ。まぁ御次男であられますから、そこまで厳格ではございませんが。何せユルスナールさまが奥方をお迎えになられましたからねぇ。内心は穏やかではございませんでしょう」

 リポーヴは、そこで微かに眉間に皺を寄せた。次男のレオニードが昔から抱いている北の三男坊ユルスナールへの屈折した敵愾心を案じているのだろう。


 その後、流れとして東西南北の方位を守護する武門の誉れ高き名家の中で、未だ身の振り方を決めかねている独身者(男)たちが話題になった。

「どうです? ブコバル殿の御婚礼に関しては何か進展がございますか?」

 南のゲルテンが西のキシニョフに尋ねれば、主一筋の執事といえどもその息子に対する愛情には些か程度の違いがあるのか、やや諦めたように小さく息を吐き出した。

「まぁ、なるようにしかならないのではないでしょうか」

「では、これといったお話しはないのでございますね」

「御父上に似て万事そつのないお方であられますから、然程心配はしておりませんが」

「ああ。ほれ、この間、見合いの話が出たと言ってたじゃろう。あれはどうなったんじゃ?」

 そこで情報通のザミャーチン翁が杖に両手を置いて少し身を乗り出した。

 その問いにキシニョフは乾いた笑みを浮かべながら片手を小さく振った。

「それが、例の【きまぐれ】が始まってしまいましてね。お仕事の合間に本宅にお戻りになるとの連絡を頂きましたから、旦那さまのお言いつけでお会いになる日程などの段取りも事前に決めておりまして、先方さまの方ともよくよく話し合いが行われてはいたのですが………」

 そこでキシニョフはやや身を乗り出してザミャーチン翁の方を見た。その右手の拳が白い【プラトーチク(ハンカチ)】と共に握り締められているのが、否が応にも目に入った。白い上等そうな衣が小さく震えた。

「当日、まさに、お相手のお嬢さまとお付き添いの奥方さまを乗せた馬車が当家の門を潜ったという時にですよ、あの御方は、【トンずらこきやがって】くれましたんでございますよ! その後は口にするまでもなく」

 ―――ええ、大変でございましたよ。

 教育を受けた執事らしからぬ粗暴な下男風の言葉使いに、色々と裏で手配をしていたキシニョフの気苦労とそれを覆された挙げ句、方々に謝罪やら尻拭いをしなければならなかった苛立ちと腹立たしさが透けて見えて、集まった老執事たちは微苦笑を浮かべ、同情するように合槌を打つしかなかった。用事が、ましてや見合いが土壇場ですっぽかされた時の大変さは同じ内向きを取り仕切る者として容易に想像できるからだ。

 だが、そのような中でもザミャーチン翁の反応は些か違って、ブコバル擁護のものだった。

「ほっほっほっほ。さても愉快。それでこそザパドニークのお血筋と言うものじゃ。己が道は己が手で切り開く。それが代々、西の家訓でありましたな。のう、スロヴォダン? 見てくれは御父上のイェレヴァン殿には全く似ておらなんだが、その気質はそっくりではあるまいか。これで西は安泰というものじゃ」

「ええ。見方を変えますれば、全く、その通りでございます」

 喉の奥を鳴らして笑った背中の曲がった御老体に、キシニョフも苦笑を浮かべざるを得なかった。それでも自分が仕える主家を愛していることには違いがないようで、キシニョフの顔には満ち足りた充足感のようなものが張り出した二つの頬骨に照りを放っていた。


 そして集まった五人の男たちは、静かに茶器を傾けた。ああ。すっかり忘れそうになっているが、その様子を少し離れた、【サマヴァール(湯沸かし器)】のワゴンの隣に置かれた椅子から眺めているのが、この会合の切掛けを作った術師風の男で、男はなにやら帳面を手に頻りに何事かを書きつけているようだった。


「ああ、そう言えば、そちらのドーリンさまの奥方、マルガリータさまに瑞祥(ずいしょう)が出たとお聞きしたのですが」

 不意に話題を変えるように北のリピンスキーが南のゲルテンを見た。老獪で熟練の執事の顔には、柔らかい微笑が浮かんでいた。

 ゲルテンは小さく頷くと、そこで声を潜めた。自然と男たちは話を聞き漏らすまいと前傾姿勢を取った。勿論、背筋はピンと伸ばしたまま、時計の長身が傾ぐような塩梅だ。

「ここだけのお話しでございますがね。まだ正式な発表は控えておられるのですが、御懐妊の御様子ということは、奥方さま付きの者から内々に伺っておりますんですよ」

「おやおや」

「それはおめでたい」

「本当に」

「ほうほう」

「ええ。順当に行けば来月辺りには、皆さまにも正式にお知らせすることが出来ると思います」

「そうですか。それではナユーグ家は忙しくなりそうですね」

 北のリピンスキーの相槌に、西のキシニョフが可笑しそうにその手を口元に持って行った。今にもその肩を揺らさんばかりである。

「では、例の弟君が張り切り出すのではございませんか?」

 南の主ヴィクトルの実弟である現南の将軍オリベルトのことだった。以前より服飾関係に並々ならぬ関心をお持ちのお方で、幼子の服を自ら企画し作成する為に、例の【隙間(ニッチ)芸術愛好会】を通じて色々と奔走、いや、暴走するのではないかという予想は、あながち間違っていなかったようだ。

「ええ。実は、こう申すのもなんですが、もう既にお独りで突っ走っておられまして。馴染みの仕立屋や生地屋を通じて赤子用の産着に使う肌触りのよい物をお求めになっておられる有り様で………」

 その甥っ子であるドーリンの顰め面――特に眉間に走る深い皺――とその妻マルガリータの苦笑が目に浮かぶようで、ゲルテンも何とも言えない微妙な笑みを浮かべたのだったが、その想いを振り切るように首を微かに横に振った。

「まぁ、オリベルトさまはよろしいのです。もう末期であることは兄上のヴィクトルさまもお認めになっておられますし、同好会の活動は、取り立てて問題視するほどのことではございませんから。こちらも一風変わった趣味の延長というものでして。人生を豊かに過ごす為のお愉しみの一つという塩梅でございますからね。ええ、実利はございましても実害はございません」

 きっぱりとした口調で、ゲルテンは、悟りの後に得られたアクの抜けた笑みを浮かべて己が屋敷の様子をそうまとめたのだった。

 そうして互いの顔を見交わせた男たちは、ゲルテンの執事の鏡とも称すべき気構えに感心しつつ、小さな笑みをその端に浮かべ合った。それは相互理解の上に成り立つ緩やかな連帯感が熟成される過程でもあった。



「それはそうとザミャーチン殿、そちらのお嬢さまはお変わりありませんか?」

 話の流れを変えるように今度は南のゲルテンが、ズィンメル家に仕える最長老の家令を振り仰いだ。

「アリアルダお嬢さまのことかのう?」

「ええ」

 ズィンメル家には二人の娘御がいて、姉のジィナイーダが北のシビリークス家長兄に嫁いだのは、もう随分と前のことだが、その下の妹が、未婚のまま家にいた。ズィンメル家の当主のラマンには、年の離れた弟がいたが、そちらは最終的な切り札として取っておいて、直系の嫡男がいない代わりに下の娘には専ら婿を迎えるのではという憶測が一時期、社交界では飛び交っていたのだ。だが、その一方で、元々家族ぐるみで仲の良かった北の三男を許嫁にという話が内々であったというのも事実だった。そちらの方は諸事情があって立ち消えになったのはおよそ半年前のこと。折しも下のお嬢さまは適齢期。美しくご成長なされ、社交界でも人気である。娘をこよなく愛する父親のズィンメル殿もお相手選びにかなり力を入れているのではないかという噂も聞こえた。男女ともに貴族の家では――まぁ、そうでなくともだが、未婚の息子や娘の去就は両親の一大事であり、最大の関心事であった。


「アリアルダさまはお元気でございますよ。最近はめっきり娘らしくなりましてのう。幼き頃よりお嬢さまを知るこの老いぼれも、端から拝見しておると妙な具合に胸騒ぎがするほどで」

 ザミャーチン翁は、そう言って上弦の三日月の如き細い目を更に細めた。

「さてもさても。では恋をしておいでなのではございますまいか。恋は女性を格別綺麗にすると申しますからね」

 東のリポーヴがうっとりするような夢見がちな瞳をして語れば、

「では、おめでたい話がきっと近々聞かれますことでしょう」

 南のゲルテンも頬を緩めた。

 若者の婚儀の話は、当事者たちの内情はともかくも、人々を幸せな気分にさせる。概ね独り身を通すことの多い執事や家令たちにとっては、自らが敢えて選択しなかった甘酸っぱくも青臭い過去へと繋がる記憶の鍵であるのかもしれない。だが、ザミャーチン翁を除く四人の男たちはその小さな鍵をそっと飲み込んで、胃で粉々にした後、小腸を通じて吸収された破片は、血流の流れと共に心臓の右心房の底に人知れず蓄積されているのだろう。


 アリアルダが恋破れた相手となった北のシビリークス家の家令兼執事であるリピンスキーは、その間、控えるように沈黙を守っていたのだが、恐らく姉上のジィナイーダから小耳に挟んだかと思しき秘密をそっと風に乗せるように囁いた。

「お嬢さまがお慕いする殿方は、なんでも第四師団に所属しておられるようですね。身元も確かな好青年ということでございますよ」

「ええ。家柄としては釣り合わぬかとは思うんじゃが、ま、婿にでも入ってしまえば、その辺りのことはどうにでもなるからのう。専らわしらはお嬢さまが幸せになるのを影ながら見守ってゆくだけじゃ」

「ええ。さようでございますね」

「ああ、こんな時こそ祝杯を挙げるべきではありませんか!」

 不意に西のキシニョフが良いことを思い付いたとばかりに顔を輝かせた。

「そうですね。それはいい!」

 同意するように東のリポーヴが両手を打ち鳴らせば、南のゲルテンと北のリピンスキーはそっと顔を見交わせ、目配せをし合う。

 そして四人の老執事たちが最長老であるザミャーチンを見やった。その思い付きの是非を問うように。

「ふむ。それもよかろうか」

 真っ白い顎ひげを摘んで引っ張っていた御老体は、それから片手を挙げて、室内の片隅に銅像のように控えていた若き給士の男へ合図した。

「きみ、祝杯の用意を頼みます」

「かしこまりました」

 給士は心得たように静かに一礼して下がり、男たちの求めに応じる為の準備をしに行った。


 そして、並々と果実酒の【ヴィノー(葡萄酒)】が注がれた小振りの銀の盃が六つ、給士が手にした【タレールカ()】の上に乗って持ち込まれた。男たちはそれぞれ盃を手にした。最後に一つ、お盆の上に残った小さな盃は―――それまで脇で帳面片手に男たちの話を聞いていた術師風の男が手にした。

 徐に立ち上がった五人の男たちの輪に、同じく盃を掲げた男が加わった。五人の男たちは、ちらと男を見たが何も言わなかった。

 そして順繰りに恒例の祝杯の音頭が始まった。

「では、我がボストークニ家に栄えあらんことを願って」

「ザパドニーク家の安泰を願って」

「ナユーグ家のより一層の繁栄を願って」

「シビリークス家に幸多からんことを」

「我が主ズィンメル家の発展とアリアルダさまの恋の成就を願って」

 五人の男たちはそれぞれお仕えする主への忠誠を誓い、そのしんがりを術師風の男が受けた。

「それでは、みなみなさまの主家が益々発展することを願い、また、この類稀なる出会いに感謝して………」

「「「「「「乾杯!」」」」」」

 高らかに掲げられた盃が唱和と共に一息に干された。


 こうして始めはどうなることかと思われた緊急座談会は和やかな空気のまま、幕を下ろしたのだった。

 独り、満足そうにほくそ笑む術師風の男を残して。


 ―終わり―


今回は「執事たち(ご高齢のオジサマたち)の枯れた男子会」というリクエストに則りまして、楽しく執筆させていただきました。リクエストを下さいましたなまはげ秋田さまに捧げます。


ブコバルのザパドニーク家の裏話が少し出せたので、個人的にはよかったかなぁと。修羅場であっただろう【赤い恋文事件】と【緑の靴事件】は私も気になって仕方がありません(笑) まぁ、長い目で考えまして、今後の布石になればと思わないでもありませんが、どうなりますやら。


さて。以上で「Messenger」本編の方で頂いていたリクエストは終了です。次回以降、どんな話が飛び出すやら。それではまた。ありがとうございました。

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