4)ようこそ【黄金の環】へ!
お待たせいたしました。第三話目のエピソードは、「Messenger」の方で頂いていたリクエストを元にしました。今回はどんな話が飛び出すでしょうか。それではどうぞ♪
くすんだ銅色の緻密な草花紋様の縁に囲まれた楕円形の鏡の中には、別世界の友人が立っています。私と瓜二つの顔立ちに背丈も身幅も同じ。寸分の狂いなく再現されたもう一人の友人に私が今朝も同じように微笑みかけると、鏡の中の片割れは少し得意そうに口の端を吊り上げました。ふむ。今朝も気分よく目覚めることが出来たようですね。私も向こうの私も。悪い夢にうなされたりしなかったようで何より。あちらの血色の良い顔色を見て、私は一人ほくそ笑みました。片割れとは、もう何十年という付き合いの長い関係です。今ではほんの僅かな皺や微かな視線の動きだけで、私は【彼】の心が手に取るように理解できるのですから。
それから私は、少々軽やかな気分で確認すべき事項を改めてゆくことにしました。この共同作業もここ15年近く変わらずに繰り返されている非常に重要な儀式の一つです。
髪型よし。後ろに撫で付けられた灰色がかった髪は、若い頃に比べればコシが減り、量も少なくはなりましたが、窓硝子から差し込む日差しにまだ艶やかにほんのりと照りを返しています。どうやらトゥヴェルツカヤ通りでも評判のとある術師が手掛けた養毛剤入りの整髪料は、噂に違わずその効果を発揮しているようですね。素晴らしい。これはいい買い物をしました。ええ。本当に。偶には、コンドラチェフ殿の与太話も信じてみるものです。ああ、コンドラチェフ殿というのは、お店の常連でしてね。御想像通り御髪の方が少々淋しくなっているお方なのですが、恰幅のいい朗らかな御老体で、お若い女性を同伴されてよくお越しになります。とても饒舌な方で顔見知りを捕まえてはのべつ幕なしに少ししわがれた声でお話しになるのです。その話題の中に例の術師の話があったと言う訳です。ええ。私が直接勧められた訳ではないのですが、似たようなものではありませんか。コンドラチェフ殿はいつも演説を打っている気分で、あちらから見れば私もその聴衆の一人というところなんですから。そういうお客様同士の会話の断片をついうっかり耳に入れてしまうのは、私の悪い癖ですね。でもこうして偶に有益なことがあるのです。
それはともかく。私は小さな瓶に入った整髪料を視界の隅に認めながら、丁寧にもう一度全体を梳った後、櫛を【ジィレェート】の内側のポケットにしまいました。
口髭よし。形よく切り揃えられている口ひげは、今や私を認識する重要な一要素になっていると言っても良いでしょう。この仕事に就いたばかりの頃は、少しでも大人として認められたいと背伸びをしまして―ええ、よくあることですね―そのような少年染みた憧憬から私は口の下にだけ髭を生やし始めたのですが、今ではすっかり馴染んでしまって、もう髭を失くした顔を想像できないくらいです。
それから私は入念に鏡の中に映る片割れの顔を観察しました。向こうの私もきっと同じ気分に違いありません。ここからがまさに重要、正念場なんです。一人ではできない作業をこうして二人で行うことで、私はあちらの私と密かに連帯している気分を味わうのです。あちらの私は私に話しかけてはくれませんが、私の言いたいことを実によく理解してくれるのです。そして目で雄弁に語りかけてくれます。おい、きみ。そこの首に薄らと見える引っかき傷はどうしたんだ? ああ、これですか。裏の家で飼われている【コーシュカ】に挨拶をしたら、どうも機嫌が悪かったらしくて、引っ掛かれてしまったんですよ。こんな具合にね。
目やにもありませんね。目の端にうっかり黄色いものが付いていたら、何とも恥ずかしいですからね。それにこれも非常に重要ですが、鼻毛も出ていません。
私は満足した気分で寄せていた顔を戻すと姿見から少し離れた所に立ちました。今度はなるべく全身が映るように後ろに下がります。そして、全体のバランスと他におかしな所がないかを確かめるのです。糊の効いた白いシャツは、【ウチューグ】の折り目正しく、パリッとして染み一つ無いものです。黒い【ジィレェート】に合わせた小さな黒い【ガールストク】は、喉元を真一文字に横切ります。何と言ってもこれが曲がっていたらお話しになりませんから。
一連の作業が済むと姿見に映るもう一人の私は、勿体ぶったように頷きました。あちらの私は少し堅苦しいところがあるのです。ですが、それも向こうの私の愛すべき個性の一つだと思っています。
今日も中々の男前ですね。私もキミも。ええ、自信を持っていいと思いますよ。私はそっと心の中で丸い鏡の中に映るもう一人の私に話しかけました。
ああ、それから。最後の確認がありました。一番気を付けなくてはならないのは、何と言っても【手】ですね。指の先、爪の先まできちんと清潔に保っていなければなりません。爪は短く切り揃え、垢などが入っていては論外です。ささくれだってあってはなりません。手というのはよく見られているものなんです。特に私のような仕事に従事する者にとっては。
おや。私の職業をご存じない? そんな御冗談を。おや、そうでしたか。私としたことが、まだ自己紹介が済んでいませんでしたか。これは失礼。では、改めまして。わたくしの名は……。おや。別に名乗らなくてもいいと仰いますんですか。そうですか。ですがまぁ、良いじゃないですか。もし、あなたが私をお呼びになりたい時にはどうするんですか。いささか不便ではありませんかね。職業名で呼ぶから問題ない? それでは余りにも味気なくはありませんか。これだけ私はあなたに自分の秘密を打ち明けているのですから。
ええ。分かっておりますとも。では、そうですね。私のことは【ユンケル】とでもお呼びください。ええ、勿論。本名ではありません。私の【ここ】での通り名のようなものです。ご存じのように【カーメル・ユンケル】のことですよ。私の祖父のまた祖父がその昔、スタルゴラド騎士団に所属しておりました頃に【カーメル・ユンケル】の地位を拝命したのですよ。私の家は元々庶民でしたから、当時はそれはそれは大出世をしたと近所でも話題になりましてね。今でも語り継がれているくらいなんです。ええ。その後は、我が一族では軍部に籍を置いた者はおりませんでね。宮殿が管轄する外郭団体の下級官吏として役所勤めをしたりと、専ら文官のような仕事に就いていました。ええ。私の父もそのような下級官吏でした。今は職を辞して、のんびりと趣味の石集めに没頭しておりますがね。あれですよ。術師が加工する原石を集めているんです。私の家系には素養がある者はいないはずで、父も勿論そのような片鱗を欠片程も持ち合わせてはいないはずなのですが、灰色や黒をした原石―私にしてみれば単なる石っころですが―に心惹かれるようでせっせと蒐集しているんです。その為に小さな棚を自分で拵えて、自室の書斎の壁一面に置いてあるんです。
そのようなことはいいから早く進めてくれですって? また、お客様も中々にせっかちですねぇ。はいはい、分かっておりますとも。
では改めまして。ウォホン。私は、御存じのようにこの王都【スタリーツァ】でも評判のカフェ【ザラトーイェ・カリツォー】で働く給士でございます。この界隈で職に就いている皆さんと同じように数えで15の年にこの店に奉公に出まして、使い走りの下男から始めたんです。ここは王都でも一番の目抜き通りにある由緒ある立派な店です。そんな店に私が勤め口を得ることができたのも、この【カーメル・ユンケル】にまで上り詰めた祖父の祖父のお陰なんです。要するに繋がりがあったということですね。そんなことはいいから本題に戻れと? ええ。分かっておりますとも。ええ、どこまでお話し致しましたっけ。ああ、そうでした。私が朝起きてから、念入りに身支度をするという所でしたね。
私は、朝一番に入店いたしますと開店の為の準備に取り掛かります。テーブルクロスに染みがないことを確認し、万が一汚れが見つかった場合は即取り替えます。テーブルや椅子の配置を整え、店内の床や地面にゴミが落ちていないことを見てゆきます。それはもう隅から隅までです。私はここで働く誰よりも早く店に入るのですよ。このカフェの経営者と店長である責任者の次、五人いる給士たちの中で、私が給士頭を拝命しておりますから。他に厨房には3人の料理人がおりまして、私が店内の掃除をしている時分には既に着替えを済ませて今日一日使うことになる道具類の手入れをしています。
そうこうするうちに他の給士をしている同僚も顔を出し、厨房の裏口からはその日に使う作りたての【マースラ】やら搾りたての【マラコー】や果物などの食材が運び込まれ、使い走りの下男たちも混じって、途端に店内が静かなる活気に満ちることになるのです。
そして、私は店の中でも一番奥まった所にある厨房へと繋がる入り口付近に置かれた【サマヴァール】の準備に取り掛かります。この【サマヴァール】は【トゥーラ】―御承知のようにここから南西方面の街道を三日ばかり行った所にある街ですね―の職人に特注した大きくて見事な一級品です。水をせっせと汲んで運ぶのは下働きの下男に任せるのですが―力仕事は苦手なものでしてね―水を入れる段階で、周囲に飛び散ら去らないようにと私が監督するのです。
はい? 今、なんと仰いましたか? 【サマヴァール】が何であるかと説明して欲しいと? 御冗談でしょう。この国で【サマヴァール】を知らないってことがあるものですか。貴賎を問わず、どこの家庭にも必ず一つはあるものでしょうから。日常の必需品です。異国の、風習が違う人々にも分かるようにということですか。おや、旅行記を書かれているのですか。成る程、あちらこちらを旅して回っておられるのですね。そうですか。するとお客様ご自身も出身は違う所ですか。ですから【サマヴァール】が興味深いということですね。そういうことでしたら、ええ、よろしいでしょう。
【サマヴァール】というのはですね。簡単に言ってしまえば卓上で利用する【湯沸かし器】です。大きさは様々なものがありますが、この店にあるものは大人一人が一抱えしても余るくらいの大きな物で、お湯がたっぷりと沸かせます。どうです? 黄金色に輝いて、装飾も見事な物でしょう? これを綺麗に磨くのも私たち給士の仕事なんですよ。この内部に丸い筒状の空洞がありましてね、そこに強力な熱を発することのできる発熱石を入れておくのです。うちの場合は、大量の湯を沸かさなければならないので、この発熱石もとある術師に特別に注文を出して加工処理を行ってもらったものです。家庭用の大きさのものではごく一般に出回っている発熱石で十分ですよ。大抵は、この上に乗せて置く茶器もありましてね。ポットにお茶の葉を人数分よりも大目に入れて、【サマヴァール】で沸かした湯を注いで―ああ、ちゃんとこちら側に蛇口が付いていて、お湯を注げるようになっているんです。ほら、ご覧になれますでしょう? その茶器をこの上に乗せて置くといつまでも温かいお茶が飲めるという訳です。よく考えた物でしょう? ここに暮らす我々は、こうして温かいお茶を飲みながら、長いことおしゃべりに興じたりするのが特に好きなんです。ですからこの店でも同じような形式を採用しているのです。
私が給士として働くこの店は、御覧のようにこの王都でも指折りの人気店です。客層と致しましては、上品な紳士淑女が多いでしょうか。この国の貴族の方々がご自宅のサロンの延長として街中に出て来た時にこちらを休憩に利用されたり。お年を召した方からお若い方まで幅広い年齢層の方々に御贔屓頂いております。勿論一般の方々もいらっしゃいますけれど、皆綺麗に着飾って御洒落を楽しんでいらっしゃる方ばかりですね。ええ、ですからここの空気は華やかな匂いが致しますでしょう? このようにうちはいつも大勢のお客様で賑わっております。ええ。本当に有り難いことです。
この店が開店するのは、朝の、ちょうどここからですと北東の方角、あの高台の向こうに見える、ええ、そうです、あの大きくて荘厳な白亜の建物です、あの神殿で、礼拝の時間を知らせる為の鐘が鳴らされるのですが、その鐘の音を遠く聞いてから、開店の扉を開けることが常です。ご存じでしょうが、あの神殿は、この王都よりもずっと古くからこの場に存在したとされている歴史ある建物でしてね。あの中では大勢の神官たちが暮らし、この国の民が信仰する慈愛と先読みの女神である【リュークス】を祀っているのですよ。ええ。勿論、私も【リュークス】に祈りを捧げておりますよ。良いことが合った時には感謝を。嫌なことがあったり、何かに失敗したときは……その…これ以上は言わなくてもお分かりになりますね。
ここは、国王である【ツァーリ】がまします宮殿から真っ直ぐに伸びた目抜き通りに面した一等地です。街中の雑踏に耳を傾ければ、石畳の上を行き交う馬車の輪立ちの音。通りを歩く男女の意気揚々とした足音。軽やかな話声も聞こえてくるでしょう。治安維持の為に街の見回りをする騎士団の兵士たちが威風堂々と歩く姿も垣間見られるでしょう。
ここは宮殿に近い区画の為、周辺には役所関連の建物も多く、わりかし静かな界隈ですが、もう少し南の方、そうですねぇ、【ファンタンカ】がある先の方へ行けば、【ルィナク】の立つ雑多で賑やかな商業区画がある辺りに出まして、そこでは荷台一杯に様々な商品を積み込んだ商人たちの馬車が、のんびりガラガラと音を立てて通り過ぎるのが見られます。野菜や果物を乗せた車。古道具を積んだ車。籠一杯に花を乗せた車。獣を乗せた車。小麦を積んだ荷車。もう少し暖かくなれば、通りの辻では、黒パンを発効させて作った清涼飲料である【クヴァス】売りが立ったりするのですよ。脇の横町を覗けば【スカモーロフ】が流しの楽師が奏でる曲に合わせて踊っていたり。人だかりがある箇所を覗けば、そういう余興にもぶつかることでしょう。
「そちらの焼き菓子をお気に召して頂けたようですね」
私は、これまで話し相手をしていたお客様の所へお茶のお代りを持って行った時に、話ついでにこのお店で評判になっている焼き菓子の皿を勧めてみました。その方は甘いものもいける口のようでして、小さく頷くと早速手をお伸ばしになりました。骨張った枯れ枝のような指が丸みを帯びた黄金色を摘みます。そして、ぺろりと皿に乗った焼きたての菓子二つを平らげて、お茶を飲むと満足そうに息を吐き出しました。
白いものが混じり始めた初老のお客様は特に表情を変えませんでしたが、長い間この商売に就いている私には、その方がとてもその焼き菓子を気に入って下さったことが分かりました。この方は、私の父親の世代と同じく、男が甘いものを好むことを公言することを良しとしない方なのでしょう。
「お代りはいかがですか?」
もう一皿どうでしょうかと尋ねた私にその方は、とんでもないとでも言うように目を少し見開いて、それから口の端に皺を寄せてお笑いになりました。すると右の尖った犬歯が白く唇の合間から覗いて、その客人を少年のように悪戯っぽく見せたのです。私は何だかとても嬉しくなってしまいました。こういうお客様とのささやかな遣り取りに私は仕事の遣り甲斐と人生の幸福を感じてしまうのです。
もうその頃には、店内は多くの老若男女で賑わっておりました。敷地は広く、大小様々なテーブル席がございますが、その殆どが目にも華やかな色鮮やかなドレスで埋まっておりました。そしてそれらの隣には、そっと明るい色を引き締めるように落ち着いた黒や濃紺などの上着とズボンを身に着けた男性の姿が。特に大通りに面したテラス席は一番の人気で、街路樹の【トーポリ】の木が、細やかな影を作り、直ぐそばの石畳の道に木漏れ日が遊ぶように踊っています。
体に馴染んだ【タレールカ】小脇に抱えて店内を見回した所で、新しいお客様が御来店されたのが見えました。この通りを挟んで少し行った所には、小さな劇場が幾つかございまして、芝居や演奏会、詩の朗読会などの催しが毎日のように開かれております。あちらも支配人の趣味の良さが評判を呼んで中々の賑わいで、そちらで束の間の夢の世界を旅された方々は、舞台が跳ねた後、興奮冷めやらぬまま、私どもの店になだれ込んで来るというのが、お決まりの流れのようなものになっております。そして、ここでお茶に焼き菓子を摘みながら気の置けない御友人たちと芸術談義に耽るのです。
先程御来店した四人組のお嬢さま方も劇場帰りの方たちでした。店内を見渡して、来客に気が付いたのは私が一番早いようでしたので、私が新たなお客様をお迎えに上がることに致しました。
お客様は、二人組のお若い殿方でした。私はそのお二人に見覚えがありました。背の高い柔和な面立ちをした方と小柄で線の細い、まるで少年のような方です。このお二人連れは以前もこちらにお越し下さったことがございまして、この線の細い方が非常に特徴的な顔立ちと雰囲気をしておりましたので、私の記憶に残っていたのです。カフェの給士という客商売でございますから、できるだけお越しいただいたお客様のお顔は覚えるようにしております。同じ給士仲間にやたらとこの国の【上つ方】―要するに貴族や宮殿にお勤めで然るべき地位にいらっしゃるようなお偉い方々ですね―の事情に通じている者がおりまして、私たち仲間に粗相がないようにとこっそり教えてくれたりするのです。その同僚の頭の中には、この国の錚々たる顔触れが名鑑のようにずらりと入っているのです。しかも名前と顔が一致していると言うのですから、見上げたものです。これぞまさしく客商売の僕、給士の鏡ですね。
「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」
前回の来店を仄めかしながら、丁寧に一礼した私にお二方は柔らかく微笑まれました。
「テラス席にちょうど空きがございますが、いかが致しましょう?」
私の問い掛けに背の高いお方が、お連れさまの方を見ました。お連れさまは少し逡巡するような形で小首を傾げましたが、すぐに頷かれましたので、私は心得まして席へと御案内させて頂いたのです。
注文を受けて厨房の方へ戻った私に例の情報通の同僚が忍び足で近づいて来ました。そして、私に次のようなことをこっそり耳打ちしました。
「今、御来店の二人連れ。例の噂の方ですね」
「噂?」
私は同僚が仄めかしたことが分からずに目の端で相手の顔を透かし見ました。そこには今にも含み笑いをしそうなほどに目を輝かせた…と言っても、それは私ぐらいにしか分からないのかもしれませんが、面白味のない若者の顔があります。どうやらこの同僚はいち早く、私がまだ知らない情報を…と言ってもその実、私が得る情報の殆どはこの同僚が情報源なのですが、どこからか入手してきたようですね。
私は注文が入ったお茶を用意しながら、視界の向こうテラス席にゆったりと寛ぐ例の二人組を見ました。
その二人組は私の目から見ても非常に特徴的でした。ここ20年近くこの界隈ではそれこそ大勢のお客様に応対している私が言うのですから間違いありません。お一方は、明るい茶色の髪を首の後ろで緩く一つに束ね、その先を肩口に流しておいでです。お優しい顔立ちをした品のある殿方で、一目で貴族であることがその佇まいから伺えます。今日は一段とおめかしをしておいでのようですね。こちらにお越しになる時はゆったりとした着心地のよさそうな落ち着いた色合いのお召物を着ていらっしゃることが多いのですが、今日は少しパリッとした感じですっきりとした線の濃紺の上下に白いシャツは光沢のあるもので、首元には同系色のネッカチーフが。そしてその上にさり気なく、その方の瞳と同じ色合いの菫を象ったピンブローチがあしらわれておりました。そして、腰元にはいつものように一振りの長剣が、その方の柔らかな空気を引き締めるのに一役買っています。あちらにある劇場でお芝居を観に行かれた帰りなのかもしれません。
その隣にいらっしゃるもう一方は、当店にお越しいただくのは、私の記憶が正しければ四回目だと思うのですが、前回はその、とても印象の異なるお召物でしたので、私にも実は定かではないのです。ですが、まぁこちらに初めていらした時と今日は随分と装いが違っておりました。前回はどこにでもいるような少し旅支度を匂わせる地味な服装でしたが、今日はどうでしょう、まるでどこかの両家の御子息のように見えるではありませんか。ほんの少し緑かかったくすんだ青灰色の上着は、その方の華奢な体の線に沿うようにシングルではなくフロックコートのようにダブルのお仕立てで、とても涼やかで凛とした印象を与えておりました。腰元には短剣を収めたベルトが回り、その脇には小さな革袋を加工した入れ物が下がっておりまして、その二つはどうもお召物と比べるとちぐはぐな感じを醸し出しているのですが、その辺りのことは私がとやかく言う必要はないでしょう。その方は、癖の無い黒髪を後ろで一つに束ねています。その御髪が艶やかで見事なこと。照りつける日差しにまるで孔雀石のような深い緑色を内包しているのですから。それが滅多にお目に書かれない色合いで、私の記憶に刻まれていたのです。また、その方はその顔立ちも少々珍しい感じでした。全体的に、何と言いますか、薄っぺらいと言いますか、こじんまりとしていると言いますか。西にある隣国のキルメクのその遥か西方に鼻が低い民が暮らしているというのは、博識な常連客から聞いたことがございますが、きっとその方にも異国の血が混じっているのかもしれません。
私は早速準備が整った注文の品を持って、お二方の席へと参りました。背筋をぴんと伸ばし、そうですねぇ、頭の中心に真っ直ぐ天から紐がぶら下がり、それで吊り上げられているような感じとでも言えばいいでしょうか。綺麗な立ち振る舞いは給士の基本ですからね。私は朝の一コマのように、あちらの私が直ぐそばで私の仕事ぶりを監督しているような気持で、頭の先から足の爪先まで神経を張り巡らせるのです。おっと忘れてはいけません。ここで一番気を付けなくてはいけないのは、指の先ですからね。
「お待たせいたしました」
私は恭しく一礼するとテーブルに温かいお茶の入った茶器と焼き菓子の皿を並べて行きました。
私が静かに自分の役目を果たす間、お二方からは次のような会話が漏れ聞こえてきました。
「シーリス、本当に今日はありがとうございました。こちらでお芝居を観るのは初めてでしたが、本当に、とても、面白かったです。なにかもっと気の効いたことが言えればいいんですけれど、まだ気が高ぶっているみたいで、上手く言葉にならなくて。【面白かった】なんて陳腐な言い方しかできないんですけれど……」
劇場での興奮を引き摺っていらっしゃるのか、抑えながらも声を弾ませた黒髪の客人に、
「そうですか。気に入って頂けたようでなにより。お誘いした甲斐がありましたね」
年嵩の青年は、穏やかに微笑みました。
「ああいう催しがこちらにもあるとは思いませんでしたから。なんだかとても驚いたといいますか、新鮮で」
「そうですか。それは良かったです。あの劇場は若手が精力的に活動をしている所でしてね。まだまだ周辺の老舗と比べるとその活動の歴史は浅いのですが、かなり挑戦的で、新しい芸術の可能性を探そうと日夜研究に励んでいる団体だそうです。その為に前衛的だと批判されることもあるようですが、私は面白いと思うんですよ。元々はお隣の【セルツェーリ】が発祥らしいんですけれど、あちらよりもこちらの方が肌に合ったようですね」
「へぇ、お隣の【セルツェーリ】は芸術の盛んな国なんですねぇ。確か音楽もそうでしたよね」
「ええ。そうですね。こちらで今持て囃されているものは、大体あちらで流行したものですから」
「そう言えば、お芝居の中でも音楽を実に効果的に使っていましたよね。ワタシは元々ああいう劇とかに造詣が深い訳ではないのですが、ワタシのような素人の目から見てもとても新鮮に見えましたから」
お二方は私の予想通り劇場帰りのようでした。会話は弾んでおられるようです。
テーブルを整えて【タレールカ】を前に抱えた私に、黒髪の方が『ありがとうございます』と微笑まれました。こうしてお客様からかけて頂ける小さな言葉は、それがどんなにかささやかなものでも私の仕事の原動力でもあります。私もいつもより2割増しで微笑みをお返ししたのは言うまでもないでしょう。
そして私は、見かけはそつのない給士の顔ですが、その内心は意気揚々とお二人の席を離れ、お帰りになったお客様の席を片付けることに致しました。この場所は、沢山のお客様の様々な話声が、さざ波のように聞こえて参ります。通りを歩く人々にとっては雑音の延長にしかない音ですが、私の耳に入って来る会話は全て私にとっては重要な情報源であるのです。それらの断片を瞬時に取捨選択して、私はお客様が今何を求めているのか、次の私の行動を決める気付きのきっかけにするのです。
そうして私が少し離れたテーブルを片づけている間、そのお二人の会話は私の耳に届いて来ました。言っておきますが、別段聞き耳を立てている訳でも、盗み聞きをしている訳でもありません。お二人のお声の質が、ちょうど私には心地よい音域なのです。言い訳がましいでしょうか。
「シーリス。でも本当に良かったんですか?」
「なにがです?」
どこか躊躇いがちに言葉を継いだ黒髪の方にお連れの青年は微笑みを絶やさないまま、鷹揚に首を傾げました。
「だって、この服もそうですけれど、先程の劇場も一等席でしたから。散財させてしまいました」
「何を言っているんですか。これはリョウへのお祝いだと言ったでしょう?」
「ええ。そうですが」
「私からのちょっとした贈り物です」
そこでそのお連れ様は小さく片目を瞑ってみせました。
「本当は婚礼の前にお渡しすることが出来ればよかったんですが、色々と間が悪いことが続いてしまったものですから。ですがまぁ、そのお陰でそれを着たリョウとこうして出掛けることが出来たのですから、私としては実に愉快ですよ」
そして、その方は優雅にお茶に口を付けながら、男性をこのようなことに譬えるのはなんですが、まるで慈愛の女神リュークスの如く優しく微笑まれたのです。
「良く似合っていますよ。ええ、本当に。私の見立ても満更ではないでしょう?」
「ふふふ。そうですね」
「オリベルト殿とは違った路線にして正解でしたね」
「そうですね。オリベルトのおじさまのものは、とてもこのような外出着として気軽に着ることはできないですからね。レースやら飾りやらをひっかけやしないかとひやひやしますもの」
どうやらお二方の会話から拝察するに、その年嵩の青年が今お連れ様が身に着けているお召物を贈り物としてお仕立てになったようです。そして、今回、そのお召物を着て劇場にお芝居を観に行かれたようですね。まぁなんと、随分と素敵なことをなさるではありませんか。
さり気なさを装ってちらりと横目にお二人の方角を見た私の視界に青い指輪を着けた華奢な手が入ってまいりました。きらりと光る小さな青い石が右手の薬指を飾っています。私の意識は、妙な所で引っ掛かりを覚えました。あの石は、もしかしなくとも高価な石である【キコウ石】でしょう。しかも精製純度の高い【王】とあだ名される【カローリ】です。術師が扱う鉱石の原石を集めている私の父のコレクションの中にも、【キコウ石】が精製できる原石だというものがありまして。【キコウ石】は流通量の少ない希少価値の高い石ですから、父の買った原石も十中八句眉つばものだろうとは思っているのですが、素養がない私には、その判断が付きかねるのです。そのような高価な石を指輪にして、それを右の薬指に嵌めている。私は驚きとも感嘆ともつかない複雑な思いでその手を見てしまいました。この国の常識では、右手の薬指に指輪を付けているのは既婚者の証です。そして、そこに石が付いている場合、それはお相手の瞳の色を表わしているのです。【キコウ石】を使うということはお相手の女性の瞳は、濃紺か瑠璃色かもしくは深い青色なのでしょう。昔からの伝統的な風習では、専らそういった指輪を嵌めるのは女性の方が圧倒的でしたが、昨今では男性も婚姻の証として着けることが増えています。何よりも一目で相手が既婚者か未婚者であることが分かりますからね。
まだ少年のようにどこかあどけなさの残るお若い方だと思っていた黒髪の方は、既にお相手がいらっしゃるのですね。このような年になっても独り身を通している私のような者には、羨ましい限りです。そこで私はお連れさまの会話に合点がゆきました。要するに年嵩の御友人がその服を贈ったのは婚礼祝いということなのですね。いやはやなんとも麗しい友情ではありませんか。朗らかに会話を楽しまれるお二人の様子はこうして見ていてもとても微笑ましく、実に気持ちのよいものでした。
一人胸をじんわりと温かくさせている間も、お二人の会話は続いていました。
「それにしても、お仕事の方は大丈夫だったんですか?」
以前、ご注文いただいた時と同じ焼き菓子を摘みながら、黒髪の方が苦笑のような笑みをその口元にお刷きになりました。
「勿論、心配はありませんよ。うちには優秀な人材が沢山揃っていますからね。偶にはいいんですよ」
「あはは。ルスランならともかく、あのブコバルが大人しく机に齧りついて仕事をしているなんて思えませんけれど」
「ふふふ。そうですね。でもね、リョウ。やりようはいくらでもあるんですよ?」
そこで年嵩の青年は体を少し前屈みにして、対面に座る黒髪の御友人の方に顔を寄せました。
「なんだと思います?」
そう言ってどこか怪しく口元を綻ばせたのです。なんと言いますか、それは私が知る中でも実にうすら寒い感のある凄味のある笑みでした。思わず私の腕に鳥肌がたってしまったくらいなんですから。ですが、お相手の方は、実に楽しそうにその特徴的な黒い瞳を細めました。どことなく悪戯っぽい顔をして。
何故だか分かりませんが、私は思わずその表情にドキリとしてしまいました。そしてその不可思議な衝動を誤魔化すように手を動かしました。
「ふふふ。荒縄で椅子に縛りつけておくとかですか? ああでも、縄だけでは足りませんね。きっと。特注の重りを付けるくらいでなくては」
「おやおや、それではまるで囚人のようですねぇ」
なんとも物騒なことを仰いましたが、お相手の青年も愉快気に喉の奥を鳴らします。
私は何故か、その会話をそれ以上聞いていられなくなりまして、【タレールカ】を手に早々に厨房内の洗い場の方へ引き下がりました。
そして、下げた茶器を洗い場の係へと渡してから、再び店内の方に出ますと新しくお客様がいらっしゃいました。男性が御一人。その方はこの店の上客でもありました。私も懇意にさせて頂いております。その方は軍部にお勤めの方なのですが、物腰も柔らかく紳士的でとても人好きの方です。そして、何よりも特徴的なのは………。
ほら、御覧になれますでしょう。あの方がこちらにいらっしゃいますとあのように人々の視線が吸い寄せられるように集まるのです。まるで何か目に見えない糸が付いているかのように。これぞまさに万人を魅了する微笑み。ああ、今日、この時、ここにいらした方々は実に幸運ですね。今日も御機嫌麗しく。ええ。殿方にこのような表現を使うのは、本当はちぐはぐで失礼かと思われる方もいらっしゃるとは思うのですが、その方はとてもお美しい方なんです。お綺麗なんです。ほら。黄色い悲鳴のような囁きをあげたご婦人方に向かってその方が柔らかく微笑まれました。その威力といったら。夢の世界から深窓の美女が現れたかのようではありませんか。不可思議などよめきともとれるようなものが、あの方を中心に同心円状に一気に広がって行くのです。私はもうここで、この光景を幾度となく見てきてはいますが、未だに不思議で仕方がありません。そして、ついうっかりその灰色の瞳と目を合わせようものなら、まるで私の魂までもが瞬時に吸い取られてしまいそうな気分になるのです。
ああいけません。私は玄人の給士です。このような所でまごついていてはいけないのです。私は抗いがたい魔力とも呼べるようなそのお姿を意識の外に追いやると、縄を付けて引き締めた精神で、その方を御迎え致しました。
「これはようこそお越しくださいました。インノケンティさま」
やや視線を外しながら恭しく一礼した私にその方は浅く頷きました。
私は、その方に一番相応しい席をご用意する為に店内をざっと見渡しました。同じ給士仲間がテラス席から少し奥まった所にある場所で手を挙げています。ああ、いいですね。あちらへご案内致しましょうか。何かと話題になり注目を浴びてしまう御方ですから、余り端近でなく、ゆったりとお過ごし頂けるように配慮しなければなりません。そう思った私は、その御客様をご案内しようと振り返ったのですが、その方は、何故が店内を思案気に見渡して―その仕草はまるでどなかたお知り合いを探していらっしゃるようでした―そこでとある一方向に注目なさっていたのです。
「インノケンティさま? どうぞ、こちらへ」
声を掛けた私にその方は、視線を外さないままあっさりと御答えになりました。
「あそこにしましょう。知り合いがいますから」
その方が視線を向けた先は、先程、私がご案内したあの二人組の席でした。あのお二方はこちらの喧騒には気が付かずに、和やかに歓談を続けていらっしゃいます。まるで世界はあの方たち御二人の為にあるかのように。
私がそちらに気を取られていたほんの一瞬の間に、新しくいらした御客さまは、すたすたと脇目を振らずにあちらに行ってしまわれました。ああ。私としたことが! 何と言うことでしょう。これではいけません。まずあちらのお二方に相席の御了承を頂く為に御伺いを立てなくては。私は優雅に見える最大の急ぎ足でそちらの席へと向かいました。
私が追いついた頃には、既にお三方での会話が始まっていました。
「おやおや、こんな所で珍しい。奇遇ですねぇ」
「あ、ゲーラさん!」
その方は、空いていた一方の椅子を御自身で引くとまるで当然のように腰を下ろしました。
パッと顔を輝かせた黒髪のお若い方の対面で、お連れの方が渋いお顔をされたのを私は見逃しは致しませんでした。私がお声を掛けようとした所、そのお連れさまに目で制されました。そこで私は大人しく影のように控え、お三方の様子を見守ることにいたしました。
「御二人ともそんなに御洒落をしてどちらへおでかけになったんですか? 御忍びですか? それにしても、よくルスランが首を縦に振ったものですねぇ。リョウは新婚ほやほやの新妻でしょうに」
『うふふふふ』と含むように意味深に笑って、その方は椅子に座る年嵩の青年を流し見ました。
ですが、それを受けたお知り合いと思しき方も負けてはいらっしゃいませんでした。にっこりと、これまた一見人好きのする柔らかい笑みですが、その実、瞳は全く正反対の感情を如実に語っておりますお顔で、
「ゲオルグ、一体、何なんです。折角、楽しくお茶をしていたのに。邪魔をしないでください。突然無粋ではありませんか」
相手の乱入を窘めるようなことを仰いました。
「おや、シーリス。随分な御挨拶ですねぇ。何をそんなにいらいらしているんです? 【メシャーチニィ】でもきたんですか?」
おどけたような声音で、麗しいお方が肩をすくめました。その薄らとした艶やかな唇から聞こえたとんでもない言葉に、余りのことに私は思わず目を見開いて固まってしまいました。ああほら。近くにいた他のお客さま方も思わずお茶を吹き出しそうになっていらっしゃるではありませんか。
「………ゲーラさん」
黒い髪の方が何とも言えない顔をして、麗しいお方に声を掛けました。ですが、その方はにっこりととても威力のある微笑みを浮かべて酷く上機嫌のようです。顎辺りで切り揃えられた淡い金色の癖のない髪がさらりと靡きました。
「ゲーラさんはどうなさったんですか?」
「休憩ですよ。ここは昔から贔屓にしていましてね。息抜きがてらにお茶を飲みにくるんですよ」
「では、お仕事の合間にいらしたんですか? アルセナールから?」
声に驚きが含まれています。それもそうでしょう。宮殿の区画内、西北にある軍の詰め所である【アルセナール】は、ここからはそこそこ離れていますから。態々席を外してお茶をしにくるには些か不便なんです。
「ああ、今日はアルセナールではなくて。少し先の一角に第三の研究室があるんですよ。朝早くからそこに缶詰で、いい加減黴が生えそうになったので」
「そうなんですか」
「ああ、そうだ。ここの焼き菓子は今、ご婦人方の間で大人気なんですよ。もう試されましたか?」
そこで、そのお三方のテーブルを見守っていた私に向けて、その御方が合図をお送りになりましたので、私はそっとそちらに歩み寄りました。
「少し軽くつまめるものを見繕ってください。お昼がまだなんです」
「畏まりました」
注文を受けた私がその旨を厨房へと伝えようと踵を返した所で、それまで沈黙を守っていた方が口を開きました。
「………ゲオルグ、まさかとは思いますが、ここに居座る気ですか?」
「いいじゃありませんか。食事は一人で淋しくするよりも大勢で楽しくした方が良いでしょう? ねぇ、リョウ?」
「え、あ、はい。そ…そうですね?」
「リョウ、無理にこの人に合わせなくても良いんですよ。あんまりそのように甘やかしてはいけません。これ以上、調子に乗られるのは敵わないですからねぇ」
お連れ様がかなり辛辣な言葉を刷きましたが、それを向けられた方は痛痒を全く覚えておられないようです。もしかしなくともかなり気心が知れている間柄なのでしょう。
「まぁまぁ、いいじゃありませんか、折角ですから。ああ、御存じですか? こちらは焼き菓子だけでなく、他にも美味しいものが沢山あるんですよ?」
ええ。それは本当です。私も自信を持ってお勧めいたします。この店の料理人は優秀ですから。
「まぁ、そうなんですか。そう言えば、こちらではお茶とお菓子を頂いてばかりでしたね。歩き疲れた時の休憩に使ったりしただけでしたから」
それは実に勿体ない。この店はカフェですが、食事の方にも力を入れているんですよ。お客様は皆舌の肥えた方々ばかりで、刺激を求めておられますから。
「それではいい機会ではありませんか。少し多めに見繕って貰いましょう。ね?」
にっこりと微笑んだ麗人は、こちらを振り返り、恐らくその話が耳に入っていたと思われる私に―その方はちゃんと我々のような給士の本分を御存じなんです―合図をするように頷かれました。ええ、分かっておりますとも。いつものようにお任せで。取っておきのものをご用意させて頂きます。
黒髪のお連れの方も最終的にはお知り合いを受け入れたようでした。肩を一つ竦めて、少々不服ながらも静かに茶器をお傾けになりましたから。
そうするとその場所がとても眩いことに私は気が付きました。そこに集うお三方は其々特徴的な魅力を兼ね備えた方々だということに今更ながらに気付かされたからです。朗らかに談笑するお三方の笑顔は、とてもきらきらと輝いて見えました。まるで目映い光のように。そして、店内の他のお客さまも気になるのか、そちらの方にチラチラと視線を向けておられます。その殆どはやはりご婦人方のもので。中には手にした【ヴェーイェル】をぱたぱたさせながら、秋波のような視線を送っておられるご婦人もいらっしゃいます。男性の常連客も軍部に所属するお二方の組み合わせに珍しいものを見るような視線を送っておられました。ああ、そうなんです。そちらの青年お二人は軍部の方なのですよ。長剣を帯刀しておられますから。このように仕事以外で長剣を佩いている御人の中には、傭兵もおりますが、彼らは服装からして違いますから直ぐに見分けが付くと言う訳です。
それから私は忙しく立ち働きました。厨房の料理人が腕によりをかけて作ったものを件の華やかなテーブルに持って行きます。そこはまさしく三者三様の大輪の花が咲き誇ったような明るくも軽やかな空気に包まれておりました。ええ、私と致しましては目の保養になります。
それが一段落した所で、私は、一番初めにお相手をしていたお客様がお帰りになるのに気が付きました。
「もうお時間ですか?」
声を掛けた私にお年を召されたお客様が鷹揚に微笑まれました。
「ええ。存外楽しい時間を過ごさせてもらいましたよ。お茶も、それからあの焼き菓子も旨かった」
「そうですか。それはようございました」
「ええ。それに面白いものも見られましたからね」
そう言ってその束の間の旅人であるというお方は、意味深に含み笑いをなさいました。
「では、御機嫌よう。機会があればまた来ます」
そう言って颯爽と帰って行かれたそのお客が、去り際、ちらりと後方のあのキラキラとした輝きを放つテーブル席を見たことに私は気が付きませんでした。そして、なにやら満足げに微笑まれたことも。
頂いていたリクエストは、シーリスお母さん、ゲーラお姉さん+リョウで、キラキラ女子会:オリベルト将軍に張り合ったシーリスがリョウにパンツスーツをプレゼント。そしてアルセナールでの仕事をユルスナールやブコバルに押しつけてお忍びでデート。そこに地獄耳のゲーラさんが乱入するという筋書き。これを「糸遊つなぎ」にねじ込む為に、これまで本編でも多々登場したカフェのとあるウェイター視点にしました。思ったより給士の方に力点を置いてしまったので、リクエストのご期待に添えていればいいのですが。取り敢えず一つ消化です。リクエストを下さいました「なまはげ秋田」さま、どうもありがとうございました。
補足:
1)文中で登場した【カーメル・ユンケル】はロシア帝政時代の軍部の一階級なんですが、日本語でどのあたりかを忘れてしまいました。確か将校の方だったような。因みに【ユンケル】はドイツ語から来ている階級称です。
2)【サマヴァール】は【サモワール】のことです。発音に近い形に表記しました。詳しくはブログの方に記事があります。
http://blogs.yahoo.co.jp/kgnsk317/5256462.html