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9)ツバサ ヲ クダサイ

今回もMessenger で頂きましたリクエストから。

本編よりも未来のお話になりますので、ご注意ください。


 先の尖った白い翼が、すーいすいとくすんだ蒼穹を呑気に切り結びながら進んでいた。強弱を付けて吹き込むこの時期の風は気紛れだ。あちらから吹いたかと思うとふいに止んで、悪戯を仕掛けるように別の方角から鼻先を擽る。

 ―ほら、こっち。できるもんなら捕まえてみな。

 高らかな笑い声が、草はらを舐めるように響き渡り、掠れた調子外れの口笛が木々の梢を揺らす。風の精は無邪気だ。無垢な子供のように。こうして触れる万物と一日中戯れる。


 そしてここにも。精霊たちに負けないくらい元気一杯に駆けまわる幼子が一人。

ダヴァーイ(ほら)! ダヴァーイ(ほら)! ビィストレェーイェ(はやく)! レチィー プリャーマ ヴ ニェーバ!(おそらまでとんでゆけぇ)」


 男の子の甲高い声が風に乗って遠くまで響いていた。悪戯好きの風の精は、白い羽を押し上げたかと思うと、すとんとその上に座る。そして幼子と同じ歓声を掠れた囁きに乗せていた。耳を澄ますと聞こえてくるかもしれない。男の子の息継ぎに混じる愉快な笑い声が。

 ふらりふわりと宙を漂う白い羽。それを見上げながら子犬のようにコロコロと小さな男の子が駆けまわり、時に奇声を上げて飛び跳ねた。

 やがて白い歪な羽は、骨休めの為に地上へと降り立つ。ふわりと枯れた下草の上に着地したかと思うと泥だらけの小さな手がその羽を摘んだ。

「マーマー! もぉーいっかーい!」

 眩しい程の煌めきが柔らかな日差しと共に降り注ぐ。幼子はくすんだ白いシャツから伸びる両手を翼のように広げ、疎らに生えた下草の上を鳥のように飛び立った。

 その行く先は、母親の胸の中だろうか。


 * * *


 この日、王都スタリーツァにあるシビリークス家の庭先は、賑やかなことになっていた。毎年恒例の武芸大会に合わせて、ホールムスクから遥々三男坊のユルスナールが妻のリョウと息子のリュスファハーンを連れて里帰りをしていたからだ。

 季節は冬の終わり。遥か北方の峻厳な山々から吹き下ろされる風が、柔らかな春の日差しに包まれて、仄かな温もりを運んでくるのももうすぐだろう。


 この日は朝から快晴で、風も弱く、燦々と降り注ぐ日差しの下、母親と息子が庭先に出てのんびりとお茶の時間を過ごしていた。

 母親は長く伸ばした癖のない黒髪を緩く束ね、貴族の奥方としては型破りの動きやすさを重視した異国風の服を着ていた。ズボンとシャツの上に丈の長い袖なし(チュニック)を重ね、太い柔らかな帯で腰回りを結ぶ。まだ寒さが残るのでその上からゆったりとした上着を羽織っていた。だが、良く近づいてみれば、その衣はとても肌触りがよく光沢に富んだ上等なものであることが分かるだろう。ごわごわとした洗いざらしの作業着とは明らかに違う。色は控え目な青灰色と生成りで、裾の方には野の草花をあしらった細かい刺繍が縁を彩るように巡っていた。


 お茶のカップとお茶菓子の乗った木の器をテーブルの端に避けて、リョウはペンを手にどうやら手紙を書いているようだ。無事スタリーツァに着いたことをホールムスクで留守を預かる第七の兵士たちに宛てているのか、それとも普段から交流のあるスフミ村の術師リューバに定期連絡を入れているのか。もしかしたら王都に入る前に訪れたプラミィーシュレで今年も世話になった鍛冶職人のカマールとその妻ソーニャにお礼の手紙を書いているのかもしれない。


 インク壺の蓋を開けて時折ペン先にインクを染み込ませながら、シュッシュと小気味良い音が紙の上を滑る。くすんだ飾り気のない紙の上には几帳面な文字が流れるように連なっていた。

 その手がふと止まる。途中まで書いて綴りを間違えたのか、それとも内容が気に食わなかったのか、骨張った小さな手から伸びる指が紙を摘むと、インクを乾かすようにひらひらと振ってからそれを脇に退けた。

 その隣ではもうすぐ三つになる息子のリューシャが鉛筆を手にテーブルの上で何やら書いていた。いや。描いていたといった方が良いかもしれない。何でも母親がやることを真似したいお年頃なのだ。テーブルの上に持参した紙と筆記用具を並べた所で、「リューもやるぅ」と言って、早速母親の隣に陣取った。リョウの手元にはリューシャ専用の使い古しの紙が用意してあり、反故になったものの裏を使い小さな鉛筆で遊ぶのだ。そうして最初は大人しく波線やらぐるぐるを描いていたのだが、やがて飽きてしまったようで。

「ねぇ、ママー」

 今度は母親にちょっかいを出し始めた。

「ん? どうしたの、リューシャ」

 リョウは手を止めて息子の方を見下ろした。

「ぐるぐるー」

「あら、上手に描けたわね。ぐるぐるはなぁに?」

「しっぽー」

「尻尾?」

「そう」

 新しい紙をもう一枚紙挟み(パープカ)から取り出して、リョウは再びペンを手に取っていた。椅子に上がったリューシャにインク壺を悪戯されないようにテーブルの上、小さな手が届く範囲から遠ざけておく。リューシャは今や腕白の盛り。この日も汚れてもいいようにと洗いざらしの柔らかな―といえば聞こえがいいが、要は着倒してくたくたになった―シャツとズボンにチョッキを重ね、足元は長靴(ブーツ)ではなく母親と同じ平たい靴を履いていた。服の色は基本的に生成り色だ。万が一、外で怪我をしても出血がすぐに分かるように。そんな母親の気配りが反映されている。


「リューシャ、寒くはない?」

「へいきー」

 リューシャは言葉を話し始めるのは少し遅かったが、おしゃべりをするようになってからの上達は早かった。耳から入る様々な音を驚く程の勢いで吸収してゆくので、今では第七の兵士たち―リューシャ曰く、おっきいにいちゃたち―から、女性が思わず眉を顰めてしまうようなろくでもない言葉を聞きかじって教わってしまうというのが、最近の悩みの種でもある―というのは余談だが。

 リューシャは自らの傑作を誇らしげに母親に見せた。そこにはとんがった三角が三つと横に伸びた棒とそこから派生した枯れ枝のような長いものが四本、そして、ぐるぐると丸まった形が二つ。

 リョウは息子が何を描いたのか当ててみた。

「カッパとラムダ?」

「そう!」

 庭先をものすごい速さで駆けまわっていたシビリークス家の番犬、カッパとラムダの二頭が、遠くからぴくりと反応して、テーブルまで飛んで来た。

『よばったか?』

『呼んだか?』

 双子の兄弟の二重音声にリョウは二頭の背中を代わる代わる撫でながら笑った。

「リューシャがね、カッパとラムダの姿を絵に描いたんですって」

 どんな反応をするだろうかと興味津々に見守れば、テーブルの縁に前脚をかけて立ち上がった二頭は幼子の手の内を覗き込むと、互いに目配せをし合いながら微妙な顔をした。

『ひょろひょろだの』

『どちらが儂じゃ?』

『男前な方がそれがしだな』

『いづれも同じこと』

「こっちがねぇ、カッパ。で、こっちがラムダ」

 リョウと同じく素養を引き継いだのか、獣の言葉を理解するリューシャが満面の笑みで答えれば、

『そうか』

『ふむ』

 二頭は、言葉少なに頷いた。

 そのまま興味が逸れたのかテーブルから離れた二頭を今度はリューシャが追いかけた。


 不意にリョウは口元を緩めた。そして何を思ったのか、ペンを置いて反故になった紙を一枚取り出すと形を吟味してから折って、端を慎重に破り、それから何かを折り始めた。

 そうして出来上がったのは、小さな紙飛行機だった。

 リョウは椅子から立ち上がると勢いよく飛び跳ねる二頭の後ろを駆けて行く小さな背中に呼び掛けた。

アウー(ねぇ~)! リュ~シェンカ~! ヴォット(ほーら) パスマトリィー(見てごらん)!」

 リョウの手から放たれたのは、小さな翼だった。インク染みが不器用にうねるくすんだ紙が、空中を滑るように羽ばたき風に乗った。

「ママー!?」

 まるで奇術師のように母親の手から滑り出た小さな鳥に、びっくりしたリューシャは素っ頓狂な声を上げて走り寄って来た。

「うわぁ! なぁにそれ? ママ、とりのおともだち?」

 小さな首を目一杯後ろに傾けて葉っぱのような手を伸ばせば、

「ふふふ。どうかしら。よーく見てごらん」

 母はくすくすと笑う。

「とんでるー」

 小さな染みだらけの羽は、初飛行に挑戦した後、最後にふわりと舞いあがってから、ゆっくりと地面に落ちた。

 リューシャは知っている小鳥とも違う、その摩訶不思議なイキモノを手に取ると、じっと観察した。そして、ひらめくものがあったのか、ぴょんと飛び跳ねるようにしてリョウの膝辺りに突進してきた。

「ママー! かみ? リューがおえかきしゅたやつ?」

 幼子の声は、抑えきれない興奮に沸き立っていた。

「せいかーい」

 母親は柔らかく笑うと幼子の頬を突いた。

「おそらをとんだよ! どうやったの? ねぇ、マーマシャ、もぉいっかい。もっかい、やって」

「いいわよ」

 せがんだ息子の手から再び紙飛行機を手に取るとリョウは風の方向を確認しながら、空に解き放った。


「これはねぇ、そうねぇ、名前をつけるなら…【サマリョート】かしら」

 自分で(サマ)飛ぶモノ(リョート)―この国の言葉で作るならば、そんな名前だろうか。

「サァマァ…リィョート?」

「そう、紙でできた(ブマージュヌィ)サマリョート(空を飛ぶモノ)】」

 こちらの世界には、飛行機という言葉がない。空を自由に飛ぶことが出来るのは、大きな翼を持った鳥たちだけで、人が空を飛ぶ手段も概念もないのだ。

「サマリョート!!」

 初めて耳にする言葉は、リューシャにもとても新鮮で不思議なものに聞こえたようだ。それに気に入ったようだ。

「サマリョート、サァマァリョォート。サマリョート」

 繰り返し節を付けるように歌いながら、小さな白い翼を追って黒い頭髪が飛び跳ねる。その後をまたカッパとラムダの二頭が白くて長い尻尾を揺らしながらついて行った。


 リョウは再び椅子に座ると書き損じの紙をもう少し取り出して、飛行機を折っていった。今度は少し羽を折り畳んでみたり、角度をずらしたりしてみる。そして出来上がると少し離れた所にいるリューシャの方へ飛ばして行った。

「リューもやるう!」

 何でも真似をしたいお年頃。今度は母と同じく、自分でも紙飛行機を作ってみたくなったようで、椅子によじ登ったので、リョウはリューシャを自分の膝の上に乗せて、小さな手を取りながら、一緒によれよれとした黒いミミズが走る紙を折っていった。




 昼下がりの庭先に小さなお客が現れたのは、ちょうど親子の共同作業が終わった頃だった。シビリークス家に長年使える侍女兼乳母兼術師のポリーナが、ふくよかな丸顔を綻ばせながらやってきたのだが、白い前掛け(エプロン)を付けた豊かな臀部の後ろから小さな女の子が飛び出してきたのだ。柔らかな茶色い髪に大きな白いリボンを結んでいる。

 珍しい客人にリョウは嬉しそうに微笑んだ。

「まぁ、マリエッタ 。いらっしゃい」

「こんにちは。おばさま」

 小さな淑女(レディー)は膝丈のスカートの裾をちょいと摘むと軽く膝を折った。父親に良く似た細面の顔立ちに、母親似の下がり気味の眦が可愛らしい女の子は、もうすぐ五つになるというナユーグ家の御息女。ドーリンとマルガリータの間の子供である。


 ポリーナが少し離れた所に置かれた【サマヴァール】のテーブルでお茶の用意をしている間、小さなお客さまに空いている席を勧めていると、母屋の方から庭先を回り込むようにして、見知った顔がゆっくりと近づいてくるのが見えた。

 リョウはリューシャを椅子に座らせて立ち上がった。

「こんにちは。オリベルトのおじさま」

 ドーリンの叔父、南の将軍であるオリベルト・ナユーグが、腕に包みのようなものを抱えてやってきた。

「ああ、リョウ、久し振りだな。元気そうでなによりだ。おや、去年より美しさに磨きがかかったんじゃないか? こう頬がふっくらして。見違えるようだぞ?」

 すこし大げさな社交辞令のお世辞をリョウはさらりと流した。

「まぁ、おじさまったら、去年より老けたと仰るんですか?」

「まさか! 我らがムーザ(女神)が、益々麗しく健やかであることを嬉しく思うよ」

 相変わらずの調子で歯の浮くような台詞を堂々と口にされて、リョウはいまだに慣れない気恥かしさを苦笑で誤魔化した。

 ふとオリベルトはテーブルの上に点々と広がる不思議な形をした紙のようなものを目に留めた。

「なんだそれは?」

 リューシャはリョウが立ち上がった時に椅子の上から下りて、自分で作った自信作を手に試行飛行をしようと走っていった。少し先で立ち止まって母親が見せてくれたように飛行機を飛ばしてみようとするのだが、力任せに腕を振る所為か何度やっても上手く行かない。

「リュー坊のやつ、何をやっているんだ?」

 怪訝な顔をしてたっぷりとした髭の顎部分を摩ったオリベルトにリョウは目を細めてその理由を教えた。

「子供の頃の遊びです。こうやって紙を折って…………」

 リョウはテーブルの上で途中になっていた紙飛行機を完成させると、悪戯っぽい顔をしてオリベルトを仰ぎ見た。

「いいですか。見ててくださいね。こうするんです」

 そう言ってふわりと腕を上空へと伸ばして、手にしていた斑模様の翼を放つ。小さなインクの染みだらけの紙が、鳥に変化したようにオリベルトには見えた。

ウラー(うわーい)!」

 自分の方に向かって飛んでくる紙飛行機にリューシャが喜びの雄叫びを上げた。そして、小さな頭上を通り過ぎた白い翼を追って走り出すと、その後をカッパとラムダも嬉々としてついて行く。

「これは驚いた」

 感嘆の声を上げたオリベルトにリョウは少しだけ得意そうな顔をした。

「ふふふ」

「風を捕まえるのか。まるで生きているようだな」

 オリベルトは庭の方に向かうと興味引かれたように腰を折って地面に落ちた翼の名残を拾った。

「こう…か?」

 そして、リョウがやったように真似てみるが、投げる際に力を入れ過ぎたようでどうも上手く行かない。

 ひゅんと地面に突き刺さるように落下した紙飛行機を見て、オリベルトは首を傾げた。

「あれ、おかしいな」

「ゆっくり、風にふわっと乗せるような感じで飛ばすんです。そっと力を抜いてください」

「どれ、もう一度」

 助言を受けて再挑戦すれば、さすが武人だ。勘が良いのか、オリベルトが放った紙飛行機は滑らかに風に乗った。まるで翼を広げ、自らの意思で飛んでいるように真っ直ぐ飛ぶ。

「こいつはすごい」

 上手く行ったのが嬉しかったのか、オリベルトは無邪気な顔をして笑った。そうして暫くその頼りない軌道を目で追った。

「空を飛んでみたいものだな。なぁ?」

 ―鳥のように自由に。

遥か上空から見下ろしたこの大地は、どのように見えるだろうか。

「ええ。そうですね」

 鳥のように翼をはばたかせて大空を飛び回りたいというのは、大地に縛られた人の願望なのかもしれない。あちらもこちらも大差のない願い。空に強烈な憧れを抱いた人々の中には、お手製の大きな羽を背負って高い所から飛び降り、命を落とした男たちもいた。


「ほーら、リュー!」

 庭先に散らばった無数の鳥たちを拾いながらオリベルトがリューシャに向けてその翼を飛ばしていた。リューシャは大喜びで、自分も頻りに真似をする。

「いいか、こうするんだぞ」

 オリベルトはリューシャの傍に来るとその腕に幼子を抱き上げて、束の間の命を吹き込まれた小鳥を放った。

 どうやら男同士、意気投合をしたようである。無邪気に笑う二人を微笑ましく思いながら眺めていると、リョウの上着の裾をそっと引く手があった。

「おばさま、お茶が入りましたって」

 可愛らしいお誘いにリョウはにっこりと微笑んで、毎年会う度に大きくなるマリエッタに子供の成長は早いものだと思いながら、ふとあることを思い付いた。

「そうだ、マリーにも教えてあげるわね」

 ―いい。見ていてね。

 リョウはテーブルの上に散らばっていた反故を数枚手に取り、正方形に形を整えてから、思い付く限りのものを折っていった。まずは定番の【つる】から。

「こういうのもあるの」

 小さな掌の上に黒いインク模様の入った小振りの【つる】が乗せられた。この国ではどんな鳥に当たるだろうか。首がすっと長くて踊りが上手な気品ある鳥。そう。【ジュラーヴリ】だろうか。それとも【 ツァープリャ(アオサギ)】か。色のついた紙であったならばもっと綺麗になるのかもしれないが、この国では紙は無駄に出来ない貴重なものだ。そう言えば、以前知り合いになったサリダルムンドの青年が手ずから漉いたという見事な紙―サリダルムンドの特産品であるとのことだ―を送ってくれていたのだが、あれは季節の花や木の葉などが散らされた特別なもので、美しくて勿体ないので使えずに大事にしまってある。

 こうして、花や兜、帆掛け舟などがリョウの手から生み出されて行った。

「うわぁ、すごい」

 驚きに目を見開いたマリエッタは食い入るようにリョウの指先とその不可思議な動きを見つめていた。折り紙なんて子供の頃に少し遊んだくらいで、リョウ自身は得意な方ではなかった。虫を捕まえたり外を駆けまわるのが大好きなおてんば娘だった。この性格は見事に息子のリューシャに受け継がれているだろう。うろ覚えでもなんとか幾つかのものを折ってみた。

「やってみる?」

 真剣にリョウの手元を見つめる幼子の顔を覗き込むように尋ねてみれば、マリエッタははにかみながらも頷いた。この小さな淑女(レディー)は恥ずかしがり屋の大人しい性質で、やんちゃで怖いもの知らずのリューシャとは正反対。引っ込み思案な所もあるが、割と自己主張ははっきりとしているのだ。

 それから、ポリーナがお茶のお代わりを淹れてくれる傍で、ささやかな折り紙教室が開かれた。



 いつの間にか、テーブルの上には沢山のツルが出来上がっていた。これを千羽折って、病に冒された友人の治癒を祈願したり、様々な願掛けをする為にみんなで協力して折った千羽鶴の思い出を懐かしく思い出した。

 リョウは折り終えたツルを摘んで羽を広げると、下の穴から息を吹き込んで胴体部分を膨らませた。

「ワタシの故郷(くに)ではね。この【ジュラーヴリ】を千羽折って神さまに捧げるとお願いを叶えてもらえるという言い伝えがあるの」

「ジュラーヴリ?」

 手を止めたマリエッタにリョウは柔らかく微笑んだ。

「そう。似ていない? それともツァープリャ(アオサギ)の方かしら」

「うーん?」

「マリーシャは見たことない? お首のながーい大きな鳥。踊りが上手で脚が細くて、気取った貴婦人みたいな歩き方をするの」

「ううん。知らない」

「そう。じゃぁ、大きくなったら出会うことがあるかもしれないわね」


 近くで上がった歓声に振り向けば、オリベルトがリューシャに紙飛行機の飛ばし方を教えている所だった。オリベルトは完璧にコツを覚えたようだ。そして今度はより長く、遠くに飛ばしてみようと腕を大きく横に振る。そうやって見事風を捕まえた斑模様の繊細な小鳥を、リューシャは再び子犬のように追いかけ回した。

 無我夢中で天を仰ぐ幼子は、向こうからやってきた大人たちに気が付かずにぶつかった。

「う…わぁ」

 そこには父親のユルスナールが立っていた。珍しくドーリンを伴って。

 ユルスナールは反動で尻餅をついたリューシャを立たせた。

「ほら、リュー、走る時は前を向いていないと転げるぞ」

「パーパシャ、おかえりなしゃい!」

「ああ、ただいま」

 リューシャは元気よく挨拶をするとすぐさまオリベルトが飛ばした紙飛行機を追って駆け出した。


 二人の男たちは庭先で繰り広げられている光景に目を瞬かせた。あちらこちらに白い…というよりも黒ずんだ紙のようなものが散らばり、リューシャはいつもの如く泥だらけ。それはまぁ別段気にすることではないのだが、珍しいのはナユーグ家のオリベルトが高らかに笑い声を上げ、その周りをカッパとラムダの二頭が飛び跳ねるように駆けまわっていることだ。


 ―なんだ、この【ベザァブラァージア(カオス)】は。

 ユルスナールとドーリンの二人は目配せをし合うと肩をすくめた。

 夫の帰宅と友人の来訪に気がついたリョウが、テーブルから立ち上がり二人を出迎えた。

「おかえりなさい、ルスラン。それにドーリンさんも。ご無沙汰しております。お元気でしたか?」

「ああ、久しいな、リョウ。その様子だと元気そうで何よりだ」

「ええ、お陰さまで。マルガリータさんもお変わりありませんか?」

「ああ。元気にしている。後で顔を見せてやってくれ。きっと喜ぶ」

「はい。もちろんですとも」

 久し振りの邂逅に付きものの型どおりの簡単な挨拶が済んだ後、

「なにをやっているんだ?」

 ユルスナールが不思議そうに聞いた。

 リョウは口元に手を当ててのんびりと笑った。

「ちょっとした遊びのつもりだったんですが、思った以上に喜んでくれたみたいで」

 その間、ドーリンは先にお邪魔をしていた己が娘マリエッタの方へ歩いて行った。

「パーパ! サマリョート! パーパもとばしてみて!」

 具体的に何をやっているのかともう一度ユルスナールが口を開こうとした矢先、リューシャが小さな手に細長い三角のような形をした紙を持って突進してきた。興奮のままに自分がいかに楽しいかを体一杯伝えようとしている。そしてそれを父親とも共有したいのだろう。

「パーパ、おねがいしましゅ!」

 ごわついた反故を使ったらしい妙な形をした紙を突き出されて、ユルスナールはもの問いたげに妻を見た。

 そこで再びリョウは同じ説明をした。

「これはこうやって」

 ユルスナールの手から紙飛行機を受け取るとリョウは再び小さな翼に束の間の命を吹き込んだ。

 ふわりと風に乗って滑る小鳥にリューシャが父親譲りの瑠璃色の瞳を爛々と輝かせる。

「………ほう」

 目を細めてその軌跡を追っていた所、はしゃぎ過ぎたのか額際にうっすらと汗を浮かべたオリベルトが向こうから大股で歩み寄ってきた。

「リョウ、こいつは単純だが、実に奥が深いぞ。こう羽を折る時の微妙な角度の違いで飛んでいる時間が変わりそうだな」

 オリベルトは大きな声を上げながらテーブルへと行き、すっかり冷めてしまっているお茶を呷るように飲み干した。

 どうやら思いの外、オリベルトの趣味心を刺激してしまったようだ。

「オリベルト殿、いらしていたんですね」

「ああ」

 将軍は帰宅の挨拶をした二人の男たちに悪戯っぽい顔をしてみせるとたっぷりとした髭の合間から白い歯を覗かせて笑った。


「ああ、そうだ。すっかり忘れていた」

 そこで漸くオリベルトは当初の訪問の目的を思い出したようだ。

「リューシャとマリーシャにお揃いのものを作ったんだ。リョウに是非見てもらおうと思ってな。ちょうどいい、着せてみるか?」

 椅子の所に置いていた包みをリョウに差し出した。子供が産まれてからというもの、オリベルトはこうして度々趣味と実益を兼ねた―かどうかは怪しいが―贈り物をしてくれるのだ。

「まぁ、例の同好会ですね? いつもすみません」

 これに関してはリョウも手慣れたもので、笑顔で包みを受け取るとやんちゃな豆鉄砲がどこへ飛んで行ったかと小さな黒い頭部を探した。そして躍起になって紙飛行機を飛ばそうとしているリューシャの姿をみとめたのだが、そこで思わず苦笑を漏らしながらオリベルトを見た。

「今のリューシェンカは泥だらけですから、試着は綺麗になってからですね。折角のものを汚してしまいますから」

 ユルスナールもドーリンもオリベルトの趣味の暴走に関しては、黙認状態だった。いや、最早、誰にも止めることができないだろう。ユルスナールは、ドーリンから将軍が屋敷に懇意にしている仕立屋【アルマーズ】の主人を呼んで、なにやら気味の悪い相談をしていたと聞いていたので、今回もその件だろうと予想していた。

「でもせっかくですから、見せてもらってもいいですか」

 目の前で満面の笑みを浮かべたオリベルトにリョウはここで開封することを期待されていると理解した。

 リョウは、テーブルを片付けてからインクで汚れた手を洗いに母屋の方へ行き、そしてまた戻ってきた。

 その間、新しい客人の為にポリーナがお茶を淹れ、自信作のお茶菓子を勧めており、テーブルではオリベルトとドーリンがすっかり寛いだ顔をして茶器を傾けていた。マリエッタはリョウが折ったツルを手に羽を広げたり、くちばしの角度を微調整したりしている。


 リョウは綺麗になった手で包みを広げた。中に入っていたのは、見覚えのある濃い青色をした衣だった。

「シィーニィエ・マルタの?」

 その昔、プラミィーシュレでユルスナールに初めて作ってもらった【プラーティエ(ドレス)】と同じ産地で染められた生地だった。滑らかな手触りと光沢がある。何よりも夜明け前の一時、幾重にも重なる濃紺の空を溶かして混ぜたような染めの色がシィーニィエ・マルタでのみ生産される独自のものだった。普段は滅多に着る機会がないが、あの時の衣装もまだ大切にとってある。シィーニィエ・マルタの生地は一目で分かる。一般的に流通している薄い色合いの色むらのある青とは全く違う見事な色合いだった。オリベルトは今回も、かなり奮発したようだ。

 滑らかな生地にそっと指を滑らせたリョウは、初めてこの衣を目にした時のことを懐かしく思い出しながら、オリベルトの自信作を広げた。

 マリエッタとお揃いだというリューシャの小さな服を手に取って、その形状に気がついたリョウは、オリベルトの粋な計らいに思わず涙ぐみそうになった。

「おじさま! ……もしかして!」

「ああ、どんな塩梅だ?」

 リョウは感極まったような面持ちでオリベルトを見た。

 下に長く伸びた太い袖、身ごろはやや裾広がりになっているが、長く直線で断たれ、前で重ねて合わせるようになっている。襟元は斜めに切り込まれ、そこは二重になっているのか厚みを増して立ち襟になっていたが、その小さな衣は紛れもない【キモノ】の形をしていた。

「こっちもあるぞ」

 オリベルトが同じ包みの中から取り出したのは、やや太めの帯だった。サッシュのように柔らかな薄い衣を重ねたものではなくて、厚みのあるしっかりとした生地で織られたものだ。

「すごい!」

 リョウは胸元で小さな服を抱き締めると目を輝かせた。

「その分なら合格のようだな」

「合格だなんてとんでもない! ものすごくよくできていますよ」


 この頃にはもうリョウの来歴はオリベルトにも知らされていた。オリベルトはリョウの故郷で身に着けられていた衣装の話にいたく興味を持ったようで、リョウも分かる範囲で様々な質問に答えていた。その時に伝統的な衣装の話をしたのだ。もしかしたら、こちらにも同じような形をした服が作られているかもしれない。こと服飾関係に関しては幅広い知識と趣味への情熱を持つオリベルトならば似たようなものを知っているのかもしれないと。

「で、こっちはマリエッタだ」

 オリベルトはリョウが手にしているものよりもやや大きめの衣を広げて、可愛らしい甥っ子の娘に見せていた。

「どうだ、マリー。リューシャとお揃いだぞ?」

 いつの間にかドーリンの膝の上で教わったツルを折っていたマリエッタは、覚えたばかりの不思議な遊びにすっかり夢中のようで、オリベルトの方を見向きもしなかった。そこでオリベルトは父親のドーリンを見たが、叔父の性格をよく分かっている甥っ子は娘の方に意識を向けているフリをして相手にしてくれない。

 仕方がないのでオリベルトの方が譲歩した。

「マリーシャ、さっきから何を作っているんだ?」

「ジュラーヴリ」

「ジュラーヴリ?」

「そう、おくびがながーいの」

 ツルを折るのは幼子には難しいようだが、マリエッタはゆっくりと時間をかけて几帳面さを窺わせる丁寧さで折り進めて行った。途中分からなくなるとリョウの方を見るので、途中経過をみてやる。そうして覚え始めだが、中々立派なツルを完成させた。

「そしてね、これをこうするの」

 リョウはマリエッタの手を持って折り畳まれた羽を広げると、

「ここに穴が開いているでしょう? 空気を入れて膨らませるの」

 胴体部分を膨らませて形を整えた。

「ほほう。これはまた見事なものだな」

 オリベルトは飛翔する姿の鳥を手に取ってしげしげと観察した。大きな無骨な男の掌の上に乗った折りツルはとても小さく、そして脆く見えた。

 感心したような溜息が無骨な男の口から漏れた。

「よくできている。実に繊細だ」

「子供の頃、女の子はこうやってツルを折って遊んだんです。これを千羽折って胴体を縦に繋げて、神さまに捧げてお願いことをすると願い事が叶うと言われていました。お友だちの病気の治癒を祈願したり、困難なことを克服できますようにとお願いしたり」

「器用なものだな」

「こうやって遊びに使うようにと様々な紙がありましたね。色とりどりで模様がついたものが。アルマーズのお店にある生地の色見本や柄見本と同じくらいのものが」

「手先が器用なのだな」

 ポリーナが淹れてくれたお茶を優雅に啜っていたドーリンが初めて会話に入ってきた。

「そうかもしれませんね」

 上手な人は様々なものを折ることが出来る。その折り方も驚くほどに種類豊富だ。折り紙を集めた本もあったが、リョウは余り得意でない為、最低限のものしか作れなかった。

 少々不格好な桔梗の花や帆掛け舟を手にしてリョウは苦笑した。

「もっと覚えておけばよかったかもしれませんねぇ。でもワタシはこういうのが苦手で、余り女の子らしい遊びをしなかったものですから」

「どんなことをして遊んでいたんだ?」

 ドーリンがからかうようにリョウを見た。

「もう、どうせ分かっているんじゃないんですか?」

「ん?」

 気の置けない友人からの少し意地悪な問い掛けにリョウは後ろを振り帰り、いまだ大はしゃぎをしている息子の方を見た。

 子供が生まれると大抵、父と母、どちらに似ているかという話題で盛り上がるものだ。そしてもれなく、ユルスナールとリョウの間の一粒種にもその話は及んだ。シビリークスの実家に帰る度にリューシャはユルスナールの子供の時と比べると驚くほど活発でやんちゃだと評されるのだ。片時もじっとしていない。子供の頃のユルスナールは、それなりに外遊びややんちゃなことも悪友たちとしていたようだが、両親の前では貴族の子息としてしっかり教育されていたし、感情が余り面に表れる性質でもなかったので、家族内の印象では比較的大人しく映っていたらしい。乳母のポリーナからしたらまた印象は異なるのかもしれないが、コロコロと表情を変えるリューシャの無邪気さと奔放さ、愛想の良さはユルスナールの子供時代にはあまり見られないものだったようだ。ということはリョウに似ている部分が多いのだろう。

 リョウは自らの子供時代を思い出しながら、何ともいえない顔をしてドーリンを見返したのだが、下がりかけた唇の端は直ぐに笑みに象られた。

「あの子みたいに駆けまわっていましたよ。泥んこ遊びも大好きで、虫を捕まえたり、木登りだってしましたし」

 破れかぶれなのか、今更隠しだてするような仲でもないのか、笑顔で開き直ったリョウに、

「だからか」

「やはりな」

 ここで珍しく叔父と甥子の間で意見が一致した。


 リョウは気にせず再び後方を振り返った。その視線の先には、紙飛行機を飛ばす夫の背中と(くう)に放たれた白い翼を追いかける小さな我が子の姿。どこにでもある日常の微笑ましい一コマが、この時、無性に愛おしく感じられた。

 リョウの視線に気がついたのか、ユルスナールが振り返った。子供の頃の遊びは、こちらの大人たちをも童心に帰らせる威力を持っていたようだ。長い腕が辺りに点々と散らばる斑模様の翼を拾い、不意に悪戯っぽい輝きを息子と同じ色をした瞳に乗せたかと思うと、今度はリョウたちが座るテーブルの方へと放った。

 すぅーと風の流れを上手く捉えた歪な羽が、優雅な飛行を披露しながらこちらに飛んでくる。そして両手を差し出したリョウの手の中に着地した。

 ユルスナールが微笑み、リョウもまた柔らかく笑った。


ウラァー(わーい)! マーマシャ、ちゅかまえたぁ!」

 興奮に目を輝かせて走りだそうとしたリューシャを父親が素早く抱き上げ、母親の待つテーブルの方に向かって歩く。ドーリンの膝の上に乗ったマリエッタは自分が作った折り紙を誇らしげに大人たちに見せ、折り方の講釈を始めていた。この分だと家に帰ったら母親にも教えるに違いない。


 こうして一度断絶されたかに思えた故郷の慣習が、形を変えてこの場所にも受け継がれてゆく。失われたかに思われたリョウの過去は、密やかに未来へと繋がり、根を張る。ささやかな日常を通して。確実に次の世代へと。


 ―ツバサをください。


 空への希求は所が変わっても同じ。いずれ、こちらでも人が空へと羽ばたく手段が生まれるだろうか。そのようなことを頭の片隅で思いながら、リョウは今ある幸せを噛み締めるように目を細めた。



お題は:「王都でリューシャにリョウが紙飛行機を作っていると、ドーリンの娘がやって来て、リョウが2人に故郷の折り紙を教える」というものでした。

リクエストをくださいました雷帝さまへ捧げます。お気に召して下さるとよいのですが。

折角の王都でのお話ということで、ウテナやイリヤ辺りも登場させたかったんですが……挫折しました。

次回はまた本編の方に戻りたいと思います。こちらでも書きたいエピソードは多々あれど、中々書き上げるまでには至っていません。ひそかに温めつつ気長に行こうかと。

ありがとうございました。

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