第四話 水面下
「どう思いますか、貉」
「どう、と言われてもなぁ……」
病室を出るなり投げかけた水華の質問に、貉は頭をかいて呟いた。
「あの禍斗に式を下したほどの術者だ。そんな芸当できるヤツ、そうそういると思えねえなぁ」
「身近にいるじゃないですか。法印家の現当主、法印宗次。あの人ならば、禍斗のような強力な妖怪でも式を降ろす事は可能なはずです」
確かに、宗次なら可能だろう。あの老人は、四聖獣の一角、玄武を従える身だ。
その力は紛れもなく本物で、並の妖怪なら片手で百体修祓できる実力はある。
古記に名を刻んでる程度の妖怪でも簡単に式を降ろせるだろう。
「じゃあ、何か? 犯人はあのジジイだってのか?」
「まさか。ただ、あのレベルの妖怪でも式を降す事は可能だと言ってるんです」
「……俺はあのジジイを人間とは認めてねぇけどな」
何せ、四国の大鬼と素手で喧嘩して圧勝したとか、悪霊相手に正座させて三時間説教して霊の方が根を上げたとか、地獄の番犬に勝手に首輪着けて手名付けて冥官に怒られたとか……そんな眉唾な話が絶えないのだ。
「第一、葛様の命を狙う理由はありません。もし身内を疑うなら、法印家次期当主候補でしょう」
水華の言う通り、その方がまだ納得がいく。
もうすぐ本家で、次期当主を決める集会がある。当主の座を狙う誰かが有力候補の一人である葛を狙うなら、動機は十分だ。
だが、貉はそれは無いと考えていた。
貉の知る限り、禍斗に式を降せる程の技量を持った術者はいない。
仮にいたとしたら、葛など敵じゃないくらいに次期候補として頭角を現してる。現状なら間違いなく次期当主になれるだろう。
(まぁ、それが問題なんだよな)
何しろ、今の当主の力が強すぎる。
もしこのまま次期当主が決まれば、宗次と比べられ、法印家の力は衰退するだろう。
宗次の圧力で他の霊能者に睨みを効かせてきた分、敵対する一家や情報通の妖怪からも叩かれる事は目に見える。
「ま、俺には関係ないか」
そこまで考えて、適当な調子で呟いた。
…―――
とあるカラオケルームの一室。
男が二人、場所と不釣り合いなスーツ姿で話し合いをしていた。
「失敗したようだな」
片方の、中年の男が口を開く。
歳は四十歳を過ぎたところだろう。スラッとした長身に彫の深い顔立ちだが眼つきが悪く、常に怒っているように見える。
だが今は、実際に腹を立ててるようだ。
「何のために、わざわざ中国から妖怪を持ってきたと思ってる。本命は愚か、ただの子供に祓われたぞ」
「問題ないよ」
怒気のある声を受け流すような発言は、反対に座る若い男。
清潔感のある髪型に涼しげな風貌を持ち、就職活動の最中のような印象を受けるだろう青年は、中年男とは違い余裕のある笑みを浮かべて、手元のジュースを飲み干しながら言葉を続ける。
「禍斗のヤツは充分やってくれたさ。大家の法印家の連中でも、注意するのはほんの一握りに過ぎない。ある程度実力のある数人を動けなくしておけば、後はなんとかなる」
「だが、次はどうする。禍斗より強力な妖怪となると、あとは…」
「蚣腹だ。ヤツを出そう」
「!?」
青年の発言に、中年男は目を剥いて声を荒げた。
「本気か!? あれは数少ない切り札の一つだぞ!」
「その切り札の中じゃあ一番ゴミ手だろう? 出し惜しみする気もないしなー」
「くっ……」
「それに、忘れたわけじゃないだろ。あの術は一体ずつしか使えないし、お前じゃ小物一匹使役するのがやっとだ。いくらなんでも、雑魚にあの術を使うわけにはいかない。なら、強いヤツを出すしかないだろう」
確かに若い男の言うことは正しい。が、妖怪を集めたのは中年男自身だ。
こうも簡単に蓄えを消費されては、さすがに腹が立つ。
「俺の貯蓄だぞ?」
「でもお前じゃ使えない」
「集めるのにどれだけ苦労したと思ってる!」
「知らないな。だが、この日のために集めてたハズだ。今使わないでいつ使う?」
「それは……」
「決まりだな」
言葉が詰まった地点で、勝敗は決した。
中年男は頭を抱えたくなるが、若い男は気にした様子はなく、ボックスの受話器を手に取り……
「すいませーん。オレンジジュース一つ追加お願いしまーす」
「まだ飲むのか!? 貴様、俺の金銭的な貯蓄まで浪費する気じゃないだろうな!?」
ここのドリンクはフリーだった。