第二章 焔の災厄
人物紹介 其ノ参
法印 葛 (39歳)
《ホウイン・カズラ》
貉の父。厳格で油断がない性格で、実戦経験が豊富。法印家の次期当主の座を狙っている。
術で筋力を強化して、建物の屋根の上を跳躍しながら、妖気の流れてくる方へ向かう水華。
近づくにつれ、妖気が鋭さを増して、ピリピリと肌で感じ取れる。
だが、おかしい。
自分の速度以上に、妖気が近付いている。
(…これは……あっちが近付いてきてるのか?)
なら、狙いは自分の可能性が高い。
普通なら、抵抗力の少ない従人(※普通の人)を狙うハズだが、強い妖怪は、強い力を求め、高い霊力を持つ人間を喰らうモノもいる。
「……ならば…」
と、水華は進路を変えた。
案の定、妖怪もこちらへ来る。
町を外れ、山の梺にある神社に着地した。
妖怪がたどり着くまで、あと一分ほどか……
「単身での戦いは、あまり得意ではないのですが……贅沢言ってはいけませんね」
―…―…
「……なんだ?」
役所勤務の中、同じ異変を葛も感じ取っていた。
妖気……しかし、何かおかしなモノが、微かに混じっている。
この微量の気配に気付いたのは、優秀な熟練者である葛だからだろう。
恐らく、貉や水華……他の霊能者で気づいた者は少ない。
「どうした…葛」
今の声は部屋の奥に座っている初老の男だ。
荘厳な顔立ちにヒゲを蓄え、葛以上に厳格な目付きは自信に満ちている。着ているスーツも高級ブランドのモノだ。
梶木 慧斗。法印家を抱える国会議員である。
「町の外れ……西の山の方角から強い妖気を感じます」
「そんなもの他のヤツに任せておけ。貴様はワシを護っておればよい」
危険が迫っているにも関わらず、慧斗は即座に言い放つ。
「何のための法印家だ。貴様以外にも、霊能者はいるだろう?貴様の手駒で対処すればよい」
葛は無表情を保ちながら、心の中で舌打ちした。
(……素人め)
妖怪退治はそんなに甘くない。
だが、この男に逆らう事はできない。
「……では、そのように」
葛はそう言うと、携帯を取り出して連絡を取った。
―…―…
「……来た」
神社の一角。
水華は空を見上げた。
黒い影が風を流れるようにやってくる。
「……ホゥ」
妖怪は水華の姿を認めると、感嘆した声を上げて、地面に着地した。
妖怪は犬の姿をしていた。しかし、その身体は四肢一本が水華の身長に達するほど巨大である。
水華は、ギリッと歯噛みする。
「炎を喰らう者……禍斗か…」
呟いた瞬間、ブワッと、犬の灼熱の妖気の奔流が空気を裂いた。
咄嗟に障壁を築き、妖気を遮断する。
「六花・封縛!」
水華は右手で刀印を結び、地面を通じて霊力で縛り付けようとした。
…が、妖怪はいきり立ち、咆哮と共に妖気を拡散させ呪縛術を霧散させた。
「…!!?」
自分の術を容易く破られた事に驚愕する水華。
その隙を突くように、妖怪は牙を紅く輝かせて口を開けた。
「っ!」
「カァッ!」
妖怪の口内から紅い閃光がほとばしった。
反射的に左へ跳んでかわす水華。しかし、その隙を妖怪は見逃さない。
グワリと顋を開いて、水華を喰らおうとする。
「鳳仙花・風破!」
地面に転がりながらも、ポケットから呪符を取り出し、襲いかかってくる妖怪に風の刃を多方向に放つ。
術が妖怪の顔面に直撃し、ひるんだ隙に、水華は距離を取って体勢を建て直せた。
だが、今の一撃は、大して効いてるように見えない。
水華は攻撃のための術式は得意ではない。
得意である呪縛や結界が破られてる地点で、もはや打つ手は少ない。
(……相手は火の性を持ってますから、水の術式なら勝機はあるかもしれませんが…)
それも、あまり望めない。
先ほど破られた『六花・封縛』は水の縛魔術だ。
つまり水の術でも、生半可な術では破られる。
(…なら、強力な術を使うまで!)
そう考え、呪符を数枚取り出して構える。
それに応じて、妖怪も灼熱の火炎を纏って突進してきた。
「六花豊穣・渦流壁!」
予定通り水の術で障壁を築く。
妖気が頭から障壁に激突し、壁を食い破るように押し付けてくるが、全力で築いた障壁は、そう易々と破られない。
「六花・封縛……縛、縛、縛っ!」
障壁に突っ込む妖怪に、強い念を込めた縛魔術を三重に放つ。
水気の網に縫い止められた妖怪は、妖気を身体から撒き散らし、呪縛を振りほどこうともがく。
「世に満ちたる水の精霊……その水は全てを浄化し、清に還元する…」
結界術と縛魔術で動きを封じ込めたところで、さらに強力な術を放つための真言を紡ぐ。
「…水は黒、黒は夜、夜は空……今ひと度、月光の力を借りて除災の星定めにて圧伏せよ」
この術は、水華の使う水の術式では最強の術だ。
だが、全身全霊を込めて叩き落とさなければ成功しない。
だから、渾身の力で振り絞って叫んだ。
「…水仙花・精進烈破!」
その瞬間、空を覆う雲が竜巻のように渦巻いて一点に集約し、一本の水の槍と化して妖怪を貫いた。
「ガアァァァァァァァァァァァァァァァァ…!!」
巨大な質量の槍に貫かれ、妖怪は絶叫した。
怒り狂った怒号の咆哮。
だが、妖怪が術に呑み込まれたのも一瞬。
身体から灼熱の妖気が爆散し、纏わりついた水気を、その灼熱で乾かした。
(……まずいですね)
今の術で、水華は力を使いきった。
それでなくとも、強力な術を連発して、身体に無理が生じている。
わずかに残った霊力を肉体強化に廻し、動かない身体にムチを打つ。
満身創痍の水華に、犬の妖怪は牙を剥いた。
「己ェ小娘…」今にも飛びかかってきそうな勢いで、睨め付けてきた。
「…あら、人の言葉を話せますか」
「黙レ!コノ禍斗ニ、ヨクモ傷ヲォ!」
荒い息遣いで吠える妖怪、禍斗。
今の術は確実に効いてる。
だが致命傷には及ばない。
水華の術の威力が足りなかったのだ。
「我ニ刃向カッタ事ヲソノ命ヲモッテ購エ!」
「く……!」
牙を立てて飛びかかる禍斗に、
その時だ。
林の中から、人影が飛び出した。
「…せぁっ!」
「ヌゥ…!」
襲撃者が振り下ろす刀を、禍斗は炎の障壁を築いて受け止め、妖気を爆散させて弾き返す。
襲撃者は空中で回転して、水華と禍斗の間に入るような位置に着地した。
呪言を刻まれた刀。
うなじの辺りで括った不揃いな黒髪が、風に遊ばれて宙で揺れている。
襲撃者の姿を認めた水華は、肩をすくめた。
「……良いタイミングで現れますね。貉」
「…たまたまだ。タイミングを図って登場するほどバカはやらねぇよ」
背を向けたまま、首だけ動かして言う。
そして、禍斗の方を見据える。
「……禍斗か。確か、中国の古来の、火を喰らい火災を撒き散らす犬妖。随分大物が現れたな」
「…何者ダ?」
牙を剥いて、臨戦体勢で構える禍斗が低い声で答える。
「…こいつの兄貴みたいなモンだ」
「従兄弟です。いい加減な表現はやめてください」
間髪入れずに言い放つ水華。
「……ソウカ。ナラバ貴様モ術師ダナ。喰ロウテヤル」
「俺はともかく、水華を喰うのはやめておけ。腹を壊すぞ」
「…心配ナイ。胃ハ丈夫ナ方ダ」
「なんの話をしてるのですか!」
水華のツッコミに近い絶叫を無視し、貉と禍斗が同時に動く。
「燃エヨ…」
禍斗が口を開き、紅い閃光を吐く。
迫り来る熱線を、刀の一閃で切り裂く。
そこで禍斗が地を蹴った。
貉は咄嗟に頭を低くする。頭上で風を切る音がして、禍斗が通りすぎた。
一瞬でも遅ければ、首が裂かれていただろう。
さらに空中で身体を捻って背後から突進してきた。
「退っ!」
貉の真言が障壁を築く。
禍斗は不可視の壁に阻まれ弾かれる。一転して跳ね起き、犬の身体が素早く駆けた。
キン!と、貉の刀と禍斗の爪がつばぜり合いになる。
「抵抗スルナ、ニンゲン」
「断る!」
問答と同時に、貉は左手で剣印を結んで霊力を、禍斗は口から妖気を放つ。
二つの力が衝突し、爆発が生じた。
「うわぁ…!!」
「グォォ…!!」
両者ともども爆風で吹っ飛ばされた。
木の幹に背をぶつける。
貉は口から血を吐きそうになったが、飲み込んで我慢した。今は気にしてる暇はない。
禍斗の方は地面に転がるも、跳ね起きて、貉に追撃を加えるべく突進した。
それを見た貉は、痛みで身体が動かない状況の中で、薄く笑った。
「やれ、水華!」
貉の叫びに、禍斗は驚愕して足を止めた。
だが遅い。
犬の妖は既に術中だ。
四方からほとばしる甚大な霊力が、禍斗の四肢を絡めとるのがわかった。
「コレハ……!?」
「八卦の封縛陣…」
今まで戦闘の外だった水華が呟く。放たれた術は、先ほどの水華の術の比ではない力で、禍斗の動きを完全に封じた。
「己ェッ!」
ゴゥと禍斗が妖気を爆散させた。
しかし、かけられた術はビクともしない。
「無駄だ…お前じゃこの切り札は破れないよ」
「ナゼダ。コノ術ハアノ女ノ縛魔術ノハズ……コレ程ノ霊力ヲ残シテイルトハ思エン!」
「八卦の術は、霊具を媒介にして陣を介して霊力を増強して発動する……霊力を殆んど使わない」
「霊具ダト……?ソンナガドコニ…」
そこまで言って禍斗はハッと目を剥いた。
貉の口がニヤりと笑う。
「気付いたか。この神社には大量の榊の木が植えられている。榊は神木の代表だ。他にも桃や伽羅、槐など霊力の強い木も植えてある。霊具の媒介には困らないんだよ」
「ヌゥ…」
くぐもるような声で唸り、禍斗は伏せたまま大人しくなった。
それを見計らったように、黒装束を来た人間が数人、禍斗を囲むようにして現れた。
「疾影衆…親父の部下か。なんて都合の良いタイミングで現れやがる」
「……どうやら、出てくるタイミングを見計らって待機してたみたいですね」
「なら加勢しろってんだ…」
舌打ちして、黒装束たちを睨む貉。しかし、彼らは素知らぬ顔で受け流した。
「ご苦労様です、貉様、水華様。あとは我々にお任せを」
「…チッ!良い性格してやがるな、石也!俺達が死にかけたのに、てめぇらは高みの見物か!」
紳士的な態度で言う疾影衆の筆頭・石也に、貉は悪態を吐いた。
他の疾影衆は、黒布マスクで鼻から下が隠れてるが、筆頭の石也だけは顔を露にしてるため、よくわかる。
「あの妖怪は我々では対処できませんよ…ならば足手まといにならないように、としたまでです」
「親父の命令で来たんだろう…!?なのに何も手を出さないのかよ!」
「ですから事後処理を。お二方は帰って疲れを取ってください」
「チッ…」
いつまで立っても会話が不毛なので、貉は大人しく引き下がった。
だが、帰宅直後に、貉達は驚愕する報告を受けた。
『法印葛が、射たれた』と