第八十九話 深海より静かに
その夜、ヒカリ荘に波の音が響いた。
「海か……?」とヒカルが耳をすませる。
ドアを開けると、しんと静かな気配の中にひとり立っていた。
長いマントをひるがえし、濃いブルーの瞳で空を見上げていたのは――
「……カイ。久しぶり」
海王星のカイだった。
「来てくれたんだ」とサンが顔を出す。
カイはゆっくりとうなずき、ぽつり。
「たまには、地上の風もいい」
その声は波のように柔らかく、深く、遠くから響いてきた。
リビングに集まった皆が、少しだけ緊張しながら耳を傾ける。
「どうしても静けさが恋しくてね」
「ヒカリ荘は、わりと賑やかだぞ」とトキオが笑う。
「でも、ここは“言葉がうるさくない”んだ」
ルナがうなずく。
「静かな夜って、“無言”じゃなくて、“思いが溶けてる時間”って気がする」
「そう」とカイ。「深海と似てる。声は届きにくくても、気配はちゃんと伝わる」
ミラが目を丸くした。
「カイって、なんか詩人っぽい!」
「宇宙って、詩みたいなものだから」
それきり、誰も何も言わなかった。
でも、不思議と会話は続いている気がした。
カイが窓の外を見ながら、ぽつりとつぶやいた。
「……遠い場所で、僕の光を見ている誰かがいるかもしれない」
ヒカルがそっと言葉を返す。
「いるよ。ぼくら、みんなそうだもん」
「光は遅くて、だからこそ尊い」
「そして静かに届くんだよな」とサンが微笑む。
その夜、ヒカリ荘は静かだった。
星たちは何も言わず、ただ隣にいた。
そして、深い夜の中で――
カイの瞳が、まるで深海のように、優しく光っていた。




