第七十一話 風のない風の日
ヒカリ荘の朝は、いつもより静かだった。
木の葉も揺れず、洗濯物もまったく動かない。
「……今日、空気止まってる?」とサンがつぶやく。
「風がいないのかも」とミラが外を見つめる。
そのとき、廊下の隅からひょっこりと現れた細身の青年がひとり。
「……やあ。ちょっと“吹く気分”になれなくてさ」
“風”だった。
薄いコートをひらりとなびかせながら、肩をすくめて入ってくる。
「いつも元気に吹いてるのに、どうしたの?」とヒカルが声をかけると、
風は、髪をかきあげながらぼそりとつぶやいた。
「たまには止まりたいんだよ、僕だって。ずっと動いてると、自分の音が聞こえなくなるからさ」
「風にも、疲れる日があるのね」とルナが紅茶を差し出した。
「ありがとう……風のくせに“ふわふわしてない”って言われる日もあるけどさ、本当は気分屋なんだ」
「そうだよなあ」とサンがうなずく。「止まってると、“静かで落ち着く”って言われることもあるしな」
ミラがぽつりとつぶやく。
「風がいないと、ちょっと寂しい。でも、無理して吹かなくていいと思うよ」
風は目を細めて笑った。
「ありがとう。……じゃあ今日は、ここで少しだけ寝ててもいい?」
そのまま、ソファに身を沈める風。
音のないヒカリ荘。
窓の外の木々が、風の“おやすみ”を見守っていた。




