第四十九話 “あれ”って何?
ヒカリ荘のリビング。朝。
「……で、あれ、どこいった?」
サンが冷蔵庫を開けながら、眉をひそめた。
「あれ、って何?」とヒカル。
「だから“あれ”だよ、“あれ”! 昨日ここにあったやつ!」
ミラが紅茶を飲みながらつぶやく。
「“あれ”って、いつも思い出せないから“あれ”なのよ」
「言語が崩壊してる……」とトキオが呆れる。
「ううん、これは“名もなき記憶”への探求なのよ」とルナ。
「ちがう! 絶対何か入ってたんだってば! この棚の奥のあれ!」
サンがやたら力説するので、全員で棚を開けてみる。
――何もない。
ヒカルがメモを見ながら言う。
「昨日の冷蔵庫の在庫記録を見ると、プリンが一個あったはずだね」
「それだーっ!! あれ=プリンだった!!」
「“あれ”じゃ伝わるかーい!」と全員からツッコミ。
ミラが静かに指さす。
「……その容器、ルナの足元にあるわよ」
全員の視線が集まる。
ルナが紅茶のカップを置き、目を伏せながら言った。
「……満月明けだったから……少しだけ甘いものが欲しくて」
「満月って何でも許されるわけじゃないからね!?」とトキオ。
ヒカルがそっと紙に書き足した。
“プリンは名称で呼ぶこと。あれ、は禁止。”
サンは未練たっぷりに言った。
「でも、あれって、あれだよな……。言葉にできないから、余計に食べたくなるんだよ……」
ルナは微笑んで返した。
「じゃあ次は、“名前のない美味しさ”を用意しておくわ」
その日から、ヒカリ荘の冷蔵庫には「これは“あれ”です」と書かれた謎のスイーツが並ぶことになった。




