第6話 やっぱり、海なんだ
翌日、僕は工房に来た美紗ちゃんを見て、まず「本当に来た」なんて感動してしまった。
女性と約束をして、それが果たされるなんてことは人生で初めてだった。
けれどそんなふうに意識するのは気持ち悪いし、絶対に本人には伝わらないように振る舞おうと心掛けた。
今日の美紗ちゃんは、白のコットンブラウスは、ふんわりとした袖と控えめなフリルがついている。ボトムスは、ネイビーのフレアスカートだ。それにオレンジ色のスカーフ。爽やかで、品があって、親しみやすかった。
僕は紙とペンを取り出して、美紗ちゃんの前に置いた。
「じゃあ、まずは吹きガラスのデザイン画を……」
「いや、直感でいいや」
「えぇ……?」
思い切りのいい性格なのか。美紗ちゃんの発言は、まだ彼女のことを知らない僕にはちょっと意外だった。
「インスピレーションを大事にしてるのだ」
「のだ?」
「変?」
「いえ、すみません……声に出てた」
「あははっ」
やっぱり、この子は僕の頭を読んでいるのか?
変なことは考えないようにしよう、と思った。
無理かもしれないけど。
「ねえ、こんなのどうかな?」
突然背後から声がして、僕は飛び上がりそうになった。
美紗ちゃんが、青と水色のガラス片を掌に乗せて、わくわくした様子で聞いてくる。
「夏の海みたいなグラデーションにしたいなと思って」
やっぱり、海なんだ。
「いいと思う。すごく美紗ちゃんっぽい」
僕の頭のなかで、美紗ちゃんのブルーの瞳から、彼女は海のイメージだと思っていた。
美紗ちゃん頬を染め、少し照れたように笑った。
僕は、じいちゃんに聞かれてから気になっていた違和感を伝えてみた。
「……ねえ、美紗ちゃんって、学生?」
思い切って聞いてみると、彼女は少しだけ視線を落として、
「うん。でも、学校には、あまり行けていないんだ」と小さく笑った。
窓から差し込む光が、彼女のまつ毛を金色に染める。
「友達とは……SNSでしか話せてない」
僕の胸の奥で、冷えたガラスが割れる音がした。
同じだ、と思った。僕も、教室に居場所がなくて、
ここに逃げてきた身だったから。
「そっか……僕もだ」
ポケットに隠した左手が、汗でべとつく。
なんでこの子が?
同時に、疑問が湧く。
でも、いろいろと詮索されたり聞かれるのが嫌な僕のように、美紗ちゃんだって、聞かれたくないこともあるだろう。
「私の学校、今修学旅行でシンガポールに行ってるの」
そう言って、ほんの少しだけ寂しそうに笑う。
「三日間だけだけど。みんなが海外に行ってる間、私もどこかに行きたいなって思って。親に話して、ここに来た」
彼女の声が、ガラスの粒みたいにきらきらと響く。
「みんなみたいに、夏休みの思い出も作れなかったから」
美紗ちゃんがビーズを手のひらで転がしながら、ぽつりと続けた。
「家族で温泉旅行のほうがいいよ、全然さ」と僕が下手な励ましをしたせいか、彼女は「そうだよね……」と曖昧に微笑んだ。
その表情に少し翳があるように見えた気がしたのは、気のせいだろうか。
「……じゃあさ。よかったら、一緒に本当の夏の思い出を作ろう」
僕は思わずそう言っていた。
「本当の夏?」
「うん。ここでしか作れない思い出。それをガラスに閉じ込めようよ」
彼女が「うん」とはにかんで頷いたとき、
僕の胸の奥で、何かが静かにほどけていく気がした。