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第36話 僕の見た夢

 夢を見た。いつもの、いなくなってしまう美紗ちゃんとは違う夢だった。


 美紗ちゃんが亡くなったと知らされた日のことを、僕は今も鮮明に覚えている。


 工房の窓から差し込む陽の光が、ガラスの花びらに反射して部屋中に小さな虹を散らしていた。

 その虹が、あの日だけはやけに冷たく見えた。


 現実はあまりにも重く、僕はしばらくのあいだ、まともに眠ることも食事をすることもできなかった。

 夜になると、工房の隅で膝を抱えてただひたすらに美紗ちゃんのことを思い出していた。


 やがて、現実から逃げるように、僕は想像の中で美紗ちゃんと旅に出るようになった。


 行き先は、彼女が「いつか行きたい」と言っていた北欧の港町――オーレスン。


 本やネットで見た写真をつなぎ合わせて、

 僕は勝手にその町を頭の中で作り上げた。



 朝、窓を開けると、潮風がカーテンを揺らす。

 港にはカモメが舞い、カラフルな木造の家々が、石畳の道に並んでいる。


 美紗ちゃんは、白いワンピースにオレンジ色のスカーフを巻いて、僕の隣を歩いている。


「あの家、お菓子みたい」


 美紗ちゃんが指をさして無邪気に笑う。

 黄色や水色、ピンクの壁が、朝の光のなかで鮮やかに浮かび上がる。


「ほんとだ。どこに住んでも、毎日が楽しくなりそうだね」


 僕もつられて笑った。


 二人で港の市場を歩く。

 魚屋のおじさんが、にこにことサーモンの切り身を差し出す。


「うーん。ノルウェー語、全然わかんないや」

 美紗ちゃんが苦笑いする。

 僕も「トゥーセンタック(どうもありがとう)」とだけ覚えた単語を口にして、ジェスチャーでなんとか意思疎通を図るけどうまくいかなくて、二人で顔を見合わせて笑い合った。


 カフェに入ると、窓の外には青い海と、遠くに雪をかぶった山が見える。


 美紗ちゃんはホットチョコレートを両手で包み、

「こうやって、ただおしゃべりしてるだけで幸せだね」

 と、静かに言う。


「うん。ただ、笑ってるだけでいい。何もしなくていい。そこにいてくれるだけでいい」

 僕はそう答える。

 現実の世界では、もう二度と聞けないはずの美紗ちゃんの声が想像の中ではすぐ隣で響いている。


 夕方になると、港町の灯りがひとつずつ点り始める。


 石畳の道を歩きながら、

「このまま、どこまでも歩いていけそうだね」

 美紗ちゃんが言う。

「うん。どこまでも、君と一緒にいるよ」

 僕は答える。


 もちろん、すべては夢の中。頭で作った想像の世界だ。


 オーレスンの空気も、潮の匂いも、

 カラフルな家並みも、

 本当はどんなものなのか、行ったことのない僕にはわからない。


 それでも、

「ただ笑っているだけでいい」


 という感覚だけは、

 本当の気持ちだった。



 現実に戻ると、自分の部屋の窓からも見えるのはいつもの温泉街の景色だ。

 

 けれど、ガラスの花びらに反射する光のなかに、僕は今も、オーレスンの港町で美紗ちゃんと並んで歩く自分をそっと重ねてしまう。


 美紗ちゃん。

 君と一緒に過ごした時間も、君が夢見た未来も。

 全部、僕の中でキラキラと輝いているよ。


 たとえそれが、

 現実じゃなくても――


 君がもう、ここにいなくても。



「……おい、起きろ」


 じいちゃんの声でふと目を開けると、


 工房の窓から差し込む朝日が、床に散らばったガラス片をきらきらと光らせていた。布団の中から、天井のシミが見えた。


 じいちゃんははガラス吹きの道具を片手に立っていた。工具の錆びた部分が朝日に照らされ、ぼんやりと輝いている。


 布団の中でもう一度ぐっと目を閉じる。

 美紗ちゃんが祭りの屋台で飴細工を選んでいた姿が浮かぶ。


 あの時、彼女は本当に来るつもりだった。

 約束を破ろうなんて、思ってなかった。

 そんなつもりじゃ、なかった。


「……みんな、わざとじゃなかったのかも」


 声に出した自分の言葉に驚く。じいちゃんは無言で工具を磨き続け、その音がリズムを刻む。


 窓の外では、温泉街の女性が隣の家に味噌樽を届けているのが見えた。「はい、今日もどうもね」という声が風に乗って聞こえる。


 僕はゆっくりと布団から起き上がった。足がふらつく。


 長期間動かしていない筋肉は少し動かしづらかった。テキパキ動くじいちゃんよりずっと、今の僕は老人のような動きをしていた。


 鏡に映った自分の顔はひどかった。顔色も悪い。ひげはぼうぼうに生え、目はくぼんでいた。

「……空の上から、美紗ちゃんがこの惨めな姿見てたら、笑われるかもな」


 そのとき、リビングにあるじいちゃんが作った味噌汁の湯気が、まだかすかに立っているのに気付いた。

 椀を手に取る。ワカサギの身がふっくらと浮かんでいた。一口含むと、出汁の優しい味が舌に広がる。


「……美味しい」


 じいちゃんの肩がわずかに震えた。何も言わなかった。でも、工具を磨く手が止まり、深い皺の刻まれた顔がほんの少し緩んだ気がした。




 その夜、僕は久しぶりにガラス工房の火を入れた。炎がゆらめく中、赤く輝くガラス塊を吹き竿で回す。


 工房でのオンライン授業を受けることにした。基本ミュートで参加するので、音がうるさく迷惑になることもないだろう。


 工房の片隅にノートパソコンを置く。僕はエプロン姿のまま、オンライン体験入学の画面を開いた。


 画面の向こうには、同じように不安そうな顔の生徒たちが四角い画面の中にたくさん並んでいた。

「時間になるまで画面オンでお待ちください。自由に挨拶などはしてくださいね」の画面が大きく表示されている。

 ミュートボタンを外してみる。


「こんにちは、はじめまして」


 緊張で声が震えたけれど、次々と他の生徒が「よろしくお願いします」と感じよく返してくれた。


「自分、北海道です。皆さんはどこですか?」


 一人がそう言い、次々と答え始めた。みんな各地から参加していた。この学校は、通学の必要がない。完全にオンラインで高校卒業の認定がもらえるというスクールだった。


 ガラス工房の空気と、パソコンの向こうの世界各地。それがリアルタイムでこんなに繋がっているのが、なんだか不思議な感じがする。


「それ、エプロン? 今、何してるとこですか? どこ?」「あ、工房なんです。場所は箱根です」「工房?」「コーボーって何?」マイクをオフにしていたほかの人もマイクをオンにして入ってきた。


 授業が始まるとき、ふと窓の外を見ると、じいちゃんが工房の前で手を振っていた。

 手を振るなんて、普段のじいちゃんじゃ見たことのない動きなのに。

 なんだか、面白くなってしまった。僕は小さく手を振り返す。


「少しずつでいい。ここからまた、新しい自分を始めてみよう」

 そう思いながら、僕は画面の中の新しい仲間たちに、小さく「よろしく」と呟いた。


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