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第3話 アルフォンス・ミュシャと美紗

 彼女は名乗ったあと、スマホを取り出す。そのロック画面には、見覚えのある柔らかな曲線と、幻想的な女性の横顔が浮かんでいて、僕は「あれって……」と思った。


 彼女は、スマホでガラス体験予約受付完了の画面を見せてくれた。


 白磁のように透き通った肌に、目が青い。カラコンだろうか? 手足がすらりと長く、背筋を伸ばして立つ姿は、まるでモデルのようだった。

 背は高く、男の僕には及ばないが、160センチちょっとありそうで、女の子としては少し高身長な方だ。鼻筋もすっと高く、横顔はどこか異国の肖像画を思わせた。


 首筋にかかる、黒くぱつっと切り揃えられた髪。首元には鮮やかなオレンジと赤色のスカーフを巻いている。

 それが、すっごく似合っていた。


 僕は急いで持っていたスマホをポケットにしまい、慌てて「来訪記録だけするので、そこにかけて少しお待ちください」と言った。


 彼女は、棚に飾られたじいちゃんの植物の蔓が巻かれたような花瓶の作品に目を輝かせ「綺麗……」 と呟いた。


 僕は呆然と彼女の姿を見つめた。


 この工房はすぐ隣の温泉旅館で「ガラス体験」が紹介されていて、お客さんの大体が家族連れかカップルだ。


 一人で来られる方もいるけれど、その時はもう少し大人の方が多い。

 旅館から送客の場合は、名前と人数、年代を伝えられる。


 まさか、予約者が同い年くらいの人だとは思っていなかった。


 それもこんなに可愛い人だなんて。

 じいちゃんがいない工房で、女性と二人きりになるなんてこんな状況は初めてだった。


 彼女がスマホを取り出す。

 やっぱり、ロック画面がミュシャだ。

「あ、あの。それ……アルフォンス・ミュシャ?」

 僕が思わず声を上げると、「はい。好きなんです」と美紗ちゃんぱっと顔を明るくした。



「あの。僕も展覧会、先月行きました」

「本当? 私も行った! 『黄道十二宮』。これ、ミュシャの中でも一番好きな作品なの」

「そうなんだ。僕も『四季』のシリーズとか」

「いいよね。色も線も、全部が流れるみたいに柔らかくて」

 美紗ちゃんはスマホを大事そうに握りしめながら、深く頷いて言った。


 正直、そこまで詳しくはないけれど、頭のなかの知識を総動員して会話していく。

 共通の話題があるということが嬉しくて、展覧会、行っていてよかったと平凡に思った。


「あと、ミュシャって女性をすごく美しく描くけど、ただ理想的な美女じゃなくて。どこか強さとか、優しさとか、そういう内面的な魅力も強く感じるんです。見てると、自分も頑張ろうって思える」

「あ、それわかる。線は柔らかいけど、決して弱そうじゃない。自由で、芯が強い感じがするよね」

 僕も思わず頷いた。

 気づけば僕らは敬語が外れて、まるで以前から気の知れた友人のような口調で話していた。


「今の時間だと、なにができるの?」

「あぁ、時間的に吹きガラス体験以外だったら、なんでもできるよ」

 美紗ちゃんのブルーの瞳がいっそう輝きを増した。


 僕に向けられたものではないのはわかっているけれど、ドキッとした。


 きっと、この子の青い瞳で見つめられて、なにも感じない人なんていない。

 そんなふうに思うくらい、吸い込まれるような瞳だった。


 僕はサンプルを用いながら、工房の体験メニューを説明する。

「できるのは、とんぼ玉、万華鏡、オルゴールのデコレーション。とんぼ玉はバーナーでガラス棒を溶かして、丸い玉を作るんだ。それをストラップやペンダントにできるよ」


「ふむふむ。小さくて持ち運べるのはいいなぁ」


「色や模様も自分で選べるから、最近は推しの色でオリジナルアクセサリー作る人もいるよ。推しがいたらそれもおすすめ」

「なるほどぉ」


「万華鏡づくりは、こんなふうにビー玉やビーズを筒の先に入れて、まわりは好きな和紙や布でデコレーションできる。世界に一つだけの万華鏡ができるんだよ」


「わあ、楽しそう。小さいころ万華鏡が好きだったの。いろんな模様が見えるのが楽しくて」と美紗ちゃんが微笑む。

 見本の万華鏡を手渡すと、美紗ちゃんはのぞいて「わぁ」と小さく声を漏らした。

「綺麗。懐かしいな。ずっと、ずっと見てた」


 きっと、彼女の目は美しいものを見るためにあるのだろう。

 僕は、次の万華鏡を渡した。


「こっちのも綺麗だよ。あっちを見てみて」


「わぁ、本当。これ、好き」


 手でくるくると万華鏡を回転させながら、しばらく楽しんでいる彼女の姿を、僕は見ていた。


 首にスカーフをする同年代の女性なんて、これまで見たことなかったけど、すごく素敵なものなんだなと思った。なんの模様だろうか? なんだか高級そうなスカーフだということだけはわかった。


 学校にいた女子たちも、一軍の子たちも、休みの日はこういう格好とかするものなのだろうか?

 少し考えた。でも、どっちも僕の人生には関わることのない人だったから、想像もつかなかった。


「これは?」

 万華鏡を下ろし、店内のサンプルを見ていた彼女が振り向いてそう聞いた。


「あぁ、それはオルゴール。好きな曲を選んで、いろんなパーツでデコレーションできるよ。曲は20種類以上から選べて、完成したらすぐ持ち帰れる」

「オルゴールもいいなぁ。どれにしようか迷っちゃいそう。鳴らしてもいい?」

「うん」

 そう言って、僕はオルゴールを逆さにして、底にある小さなネジを回した。ネジがくるくると回り始める。

 流れ出したのは、星に願いを。


「“ベツレヘムの星“……」

「え?」

 この曲は、星に願いをという曲だった。

 美紗ちゃんは、「この曲、好きなの」とどこか切なそうな笑顔を浮かべた。


「幼いころ、お母さんが寝る前によくオルゴールを鳴らしてくれていたの。それがこの曲だった。私、いつの間にかこの曲を聴かないと眠れなくなってて……」


 彼女はオルゴールをそっと撫でる。

 その細い指先の動きは絹を撫でるように優しく、美しかった。


「これだったら、どんなデコレーションにしようかな」

「ミュシャの“月と星“って作品、知ってる?」

「もちろん! 「月」「宵の明星」「北極星」「明けの明星」からなる連作でしょ? あれも好き。あのなかだと……北極星が一番好みかな」

「それみたいなの、どうかな」

「いい! 北極星の女性が頭にしている髪飾りみたいなのつけたい。星の形のガラスパーツとかあるのかな? それでデコレーションできたら……ありだなぁ」


 イメージしているのだろう。彼女はうっとりと目をとじた。

 そして、僕の方を見つめ、「ねぇ、変なこと聞いてもいい?」と聞いてくる。


「えっ……。なに?」

 僕はちょっと身構えた。相当難しい技術の装飾をしたいと言われたら、正直僕なんかには何もできない。


「もし願いがひとつだけ叶うなら、何をお願いする?」


「へ?」

 なんだか、拍子抜けしてしまった。

「えっと……」と僕は詰まってしまう。

 彼女は「あははっ。なんでもない。あれ、今日はできないのはなんだっけ?」と笑った。


 そのお茶目に微笑んだ横顔が、淡い光に照らされて、どこか遠くを見ているようだった。


「あぁ、吹きガラス体験は、溶けたガラスを鉄の筒に巻き取って、息を吹き込んで膨らませるんだ。コップや一輪挿しが作れる。色ガラスを使って模様も入れられるよ」

「えっ、私、やってみたい! ガラスを吹くなんて初めて!」

「もし明日も時間が大丈夫だったら、できるよ」

「わかった。来るね」


 来るんだ。


 明日もこの子に会えるのか。


 僕は喉が渇いたのを感じた。


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