第18話 黄道十二宮
淡い金色とパステルブルーの色彩が、
無機質な病院の壁の中で、ひっそりと輝いている。
「……ミュシャだ」
思わず声が漏れる。
「美紗ちゃんが、生活の中のアートっていいなと思ったきっかけ……」
僕は、初めて彼女と会った日にした会話を、思い出していた。
「きれいだよね」
隣を歩いていた看護師さんが、
僕の視線を追って微笑んだ。
僕は絵の前に立ち尽くし、
ガラス越しの光に包まれた美紗ちゃんの横顔を思い出した。
彼女が語っていた「ミュシャの芯の強さ」や「優しさ」を、
この絵の中にしっかり感じた気がした。
僕は持ってきた手紙と小さなガラス細工を病棟受付に預け、ロビーに戻った。
窓際に座り、ガラス越しに見える海をぼんやり眺める。
ここで彼女は、毎日どんな気持ちで空と海を見ているのだろう。
会えないけれど、同じ空気の中にいる――
それだけで、少しだけ心が温かくなった。
僕はふと、ソファの向こうに見覚えのある背中を見つけた。
黒いジャケットに、落ち着いた雰囲気の年上の男性――美紗ちゃんのマネージャー、黒田さんだった。
「こんにちは」と声をかけると、黒田さんは一瞬驚いたように振り返り、「ああ、君か」と、すぐに柔らかい表情になった。
「よかったら、少し話さないか」と誘われ、僕たちは病院の中の食堂へ向かった。
食堂では、窓際の席が空いていた。
カウンターで日替わり定食を注文した。今日はとんかつ定食らしい。トレイを持って席に着く。
「すまないね。面会できるはずだったんだが」
「いえ。美紗ちゃん、悪いんですか?」
「そのようだね」
それきり少し無言になって、目の前の食事を口に運ぶばかりになった。
途中で僕は、顔を上げた。
「……あの、マネージャーさんっていうのは、なにかタレント活動をしてるってことですか?」
「どこか事務所に入ってるとかじゃないよ。俺も、個人的にやってるだけだし。僕は、彼女の動画を編集したり、企業からの連絡を返したりしてる雑用係」
「もともとお知り合いだったんですか」
「いや。街で可愛い子だなって声かけたのが、美紗。でも軽くあしらわれて。しつこく歩きながら声かけてやっと連絡先交換できたの」
「え……」
「引いていいよ。あ、一応言っとくけど、結婚前ね。彼女大人びてたからさ。まさか中学生なんて思わなくて」
「はぁ」
「でも、びっくりした。こんな可愛い女の子なのに、病気で学校にもろくに行けてないって知って。それで純粋に、力になりたいって思ったの。それだけのおじさん」
「ナンパだったんだ……」
「はは、そう。せっかく来てくれたのに、美紗の顔も見れずおじさんの話ばかりでごめんね」
「いえ。あの、制作したのも渡せて、ほっとしました」
本音だった。
「でも――対面できないほどってことは、なにか緊急で手術とかするんですか?」
「いや、逆だよ。手術はまだできないみたい。数値が高すぎて、リスクがあるって。もし手術中に発作が起きたら、心臓が止まるかもしれないそうだ」
僕は言葉をなくした。
「美紗のことで、なにか知りたいことは? 人魚じゃないのは、知ってると思うけど」
「えっ……」
僕は、目の前のとんかつ定食を見つめながら、また少し考えて言った。
「美紗ちゃんって、食べ物何が好きで何が嫌いとかは知ってますか?」
僕が尋ねると、黒田さんは少し考えてから笑った。
「うーん、あの子、グリーンピースが好きじゃない。給食のグリーンピースご飯は絶対残してたって言ってた。もしかしたら豆全般かも?」
「そうなんですか? ラトビアで豆が美味しかったって話してました」
「へぇ、それは俺聞いてないな」
マネージャーが肩をすくめて笑った。
僕はどこかちょっと優越感を覚えたが、それは出ないように心掛けた。
「あぁ。あと、苦手ってわけじゃないけど」
男は少し真剣なトーンで話し始めた。
「昆布は食べられないみたい」
「え、昆布ですか?」
「うん。だから、味噌汁も飲めない。バセドウ病だと、ヨウ素の制限があるから」
「ヨウ素……」
僕は初めて知った。
「海藻とかダメ。調味料にも多く入ってる。和食は意外と気をつかうんだよね。
でも、あの子、工夫して食べられるものを見つけるのが上手いんだ」
食堂の窓から見える海を眺めながら、
僕は美紗ちゃんのことを、今までより少しだけ深く知れた気がした。
それで帰り道、病気について調べていた。
夜遅くまで寝ずに、ずっと調べていた。




