伊夜日子の鬼女
早速の指令にはいささか驚いたが、文句を垂れても仕方が無い。とりあえず聞くことにする。依然として書類に目を通している早川上官は顔も上げずに淡々と任務の概要を説明を始める。
「今回、君にはニイガタ行政区ヤヒコ地区に行ってもらう。内容は妖怪の討伐だ。対象は弥三郎婆、またの名を『伊夜日子の鬼女』。昨夜、ヤヒコ地区に住む一家に弥三郎婆が襲撃し子どもが誘拐され、今朝ほとんどが白骨化した遺体となって発見された。弥三郎婆は吹雪の晩に現れるという。今晩も吹雪になるとみられるため、また新たな犠牲者が出る恐れがある。そうなる前に弥三郎婆を討伐してくれ。以上だ。質問は?」
なるほど、この冬の時期になるとこの行政区で稀に報告される妖怪だ。どの地域でも似たような伝承はあるし、そこまで珍しくもなく、難しくもない。だが、問題はそこでは無い。
「弥三郎婆に関する質問はありません。しかし、今回の任務はまさか私の単独任務なんですか?私の相方は?どこに行ったんです?」
「ああ、彼のことか。彼なら今インフルエンザで倒れているよ。昨日連絡があったんでな。薬は投与してもらったらしいからすぐに復帰できるだろうが、今日は間に合わなかったそうだ」
勘弁して欲しい。いや、多分1人でも勝てる相手ではある。ではあるのだが、単独任務はいささか面倒だ。索敵、避難誘導、そして後処理、全てを1人でこなすことを考えると恐ろしい。
「せめて、他の隊員を助っ人として呼ぶことはできませんか?」
「それも考えたが、残念ながら全員別の任務やらパトロールやら当直やらで手が離せないんだよ。もちろん、それは私も例外では無い。1人で行ってきてくれ」
「そんな殺生な・・・」
俺が肩を落とすと、早川上官は顔を上げ微笑みながら告げた。
「お前なら1人でやれるだろう?それだけの実力はあるはずだ。それとも、なんだ。怖いのかい?」
「違いますよ。休み明けからいきなりのハードワークに軽く絶望しただけです。行ってきますよ、1人でね」
文句は溢れてくるが、グッと蓋をする。既に人が死んでいるためこれ以上グダグダ言ってられない。とにかく、現場であるヤヒコ地区へと向かうことにした。
雪が降り始める前に電車に乗ることができた。電車が止まってしまったら車で向かわねばならない。車は家の近くの駐車場にあるのだが、今日はそこまで戻る気力は無かった。電車に揺られながら念のためかき集めてきた資料を確認する。
弥三郎婆、1812年に出版された「北越奇談」という随筆集にも記載されている妖怪。吹雪の晩に風に乗ってやって来て、人をさらって食うとされている。親の言うことを聞かずに夜更かしする子どもをさらうと語られる地域もあることから、もともとは子どもの躾のために作られた話であると考えられている。
そして、目的地であるヤヒコ地区、小惑星衝突前は弥彦村と呼ばれていた場所とも深い関わりがある。「北越奇談」によると、弥三郎婆は彌彦神社の鍛冶の棟梁であった家の当主の母だったが、大工との争いに負け、悔しさのあまりに餓死してしまい鬼になったという。その後、徳の高い僧侶に出会った結果、改心し天女として祀られた。
そんな経緯がありながら、今も人々を襲う妖怪として出現しているということは、おそらく最後の改心した話はそこまで世間に浸透せず恐ろしい話の部分だけ人々に伝わった結果なのだろう。ある科学者は妖怪に関して、人々の恐怖が小惑星の何らかの力によって具現化した生物なのではないか、という仮説を発表しそれが有力視されている。このことからも、俺の推測は正しいはずだ。
そんなことを考えているうちに、電車はヤヒコ駅に到着した。かつて彌彦神社と温泉で栄えたこの地域は、小惑星衝突による地殻変動で温泉が出なくなってからは観光客の数はかなり減ってしまい、今では熱心に神社に参拝する客向けの店とそれを営む人々の家が残るだけとなっている。それでも、わざわざ独立した地域として残しているのは、彌彦神社、そしてその御神体である弥彦山に強い力があるため徹底した管理をするためだと噂されている。
弥三郎婆のターゲットは子どもでほぼ間違いない。俺はこの地域に残る子どもがいる家の近くで張り込みをすることにした。子どもがいる家は2軒あるのだが、幸いにも隣同士だったため、見張りは1人でも問題はなかった。
日が暮れていくにつれ、雪がだんだんと降り始め風も強くなってきた。いつ弥三郎婆が出てきてもおかしくはない。防寒具を着たままではろくに戦えないため、支給品のストレージ付き腕時計から万能戦闘服を取り出し装着した。
吹雪は夜が更けて行くにつれどんどん強くなる。万能戦闘服のおかげで全く寒くないが、視界はどうやっても悪くなっていく一方だった。辛うじて周囲の物の形や家の明かりは確認することができた。よく目を凝らしていると、1軒の家の明かりは完全に消えているのに対し、もう一方は2階の一部だけ明かりがついていることに気付いた。嫌な予感がした。もう一度言うが、俺の悪い予感は必ず当たる。
そのとき、吹雪の中に大きな影が見えた。山からナニカが風に乗って明かりのついた窓に向かってくる。弥三郎婆だ。そう確信した俺はすぐに右手から縄を発射する。追い風に乗った縄はスピードをどんどん増していき、弥三郎婆の足を捕まえた。そして、すぐに弥三郎婆を引き寄せて地面に叩きつける。
戦闘開始だ。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
次回から戦闘が始まります。またお読みいただけると嬉しいです。
以下、今回のお話で公介が使ったアイテムの簡単な解説です。
ストレージ付き腕時計
物を12個まで腕時計が作り出す空間に収納できる。見た目は普通のアナログ時計で、ベルトは革か金属を選べる。公介は金属のベルトにしている。装着者の脳波を読み取るため、番号や取り出したい物を念じるだけで取り出せる。1~6番までは怪防隊が支給した物で固定で収納されていて、7~12番には各個人が必要なものを収納できる。
万能戦闘服
どんな空間、天候でも快適に生存可能になる戦闘服。防弾や防刃加工が施されている。その他にも、身を守るための機能が備わっている。見た目は一般的なサバゲーや狩猟に使われる衣装とほぼ同じ。街中で着ると少し浮くくらいのイメージ。
ストレージ付き腕時計には1番として収納されている。ストレージ付き腕時計から取り出したとき、そのとき着ていた服と戦闘服が入れ替わるようにして装着されるため、服を脱ぎ着する必要はない。逆も同じ。