エベレスト探索:2日目
翌朝、朝食を取り身だしなみを整えて簡易休憩室を出る。昨夜の吹雪から打って変わって空は晴れ渡っている。日光が雪に反射して輝いている。実に清々しい朝だ。
「おはようございます、ラクパさん」
「おや、武縄さん、おはようございます」
「今日もよろしく頼みます」
「もちろんです。なにしろ今日はあのメンルン氷河にいくんですから。険しい道かもしれませんが、頑張ってついてきてくださいね」
「お手柔らかにお願いしますね」
程なくして、全員外に出揃った。朝8時30分、俺たちはメンルン氷河を目指して出発した。ラクパさんの言っていた通り、やはりエベレストの地は険しいものだった。昨日の探索で普段使わないような筋肉を使ったせいで、筋肉痛が残っている。冬美以外の面々もそんな険しい顔をしている。冬美はやはり自慢の筋肉のおかげなのか、涼しい顔をして過ごしている。俺も筋肉をつけねばならない。
メンルン氷河まではかなり遠い。着くのは午後2時過ぎになるだろう、とのことだ。その道中でもイエティやその痕跡がないかできる限り見渡して確かめる。だが、視界に入るのは一面の銀世界。いや、時々岩場があるから一面ではないが、とにかく全く痕跡が見当たらない。
イエティも吹雪いていて視界の悪い時は出歩かないのだろうか?それとも、単に吹雪で痕跡が全て消えてしまっているだけなのか?疑問は尽きない。
俺は少し気になっていたことをラクパさんに聞いてみることにした。
「ラクパさん、このエベレストって普通の動物とかって生息してるんですか?クマとかウサギとかそういうの」
「実は色々生息してるんですよ。ここまで標高が高いとそこまで多くはありませんが、我々の基地周辺なら結構います。サルとかツキノワグマとかレッサーパンダとか」
「なるほど。ということは、仮にイエティが肉食、あるいは雑食だったとして、エサはそれなりに確保できると?」
「おそらく、できるはずです。植物も森林限界まではちゃんと生えてますし」
そうなると、さらなる疑問が湧き出てくる。なぜイエティはエサが豊富な基地周辺にとどまらず、この標高が高い地域にも出現しているのか?あまりにも非効率的な行動だ。生物としては明らかに異常。なにか理由があるのだろうか。
現状、考えられる仮説はいくつかある。まず、そもそもイエティではないというもの。これは、可能性がかなり低い仮説だ。イエティのような姿になれる超能力者がこの山を徘徊しているということ。だが、当然これには特にメリットがなさそうなので、とりあえず除外。
次に考えられるのが、エベレストに集まる信仰の力を得ること。これも、非科学的な理由に見えるかもしれないが、小惑星衝突後から信仰の力が具現化することはよくあった。2178年エルサレム怒りの日、2245年北欧ラグナロク、この他にも宗教や神話の信仰に基づいた小規模な事件が多発している。
そして、ここエベレストも信仰の対象になっている。いわゆる、山岳信仰という奴だ。山には信仰の力が集まり、それを引き寄せられて妖怪は集まる。弥三郎婆や窫窳もそうだったように。おそらく、イエティもこの山のどこかに溜まる信仰の力を探し求めているのかもしれない。信仰の力は食事よりも遥かに莫大なエネルギーを得ることができるからだ。
いずれにせよ、イエティの目的も行先も分からない以上、今は地道に探すしかない。イエティが言葉を話せるなら、是非とも目的を聞いてみたいものだ。無理だろうけど。
お昼の12時、俺たちは一旦休憩を取ることにした。各々が簡易休憩室に入り、30分間の休憩をする。俺は餅を食べながらエベレスト、そしてヒマラヤの山岳信仰について調べてみた。まず、ヒマラヤ山脈は古くから中国、ネパール、インドの民族の信仰の対象になっている。チベット仏教が1番わかりやすい例だろう。それはわかるのだが、問題はエベレスト。やはり絶大な信仰を集めていたようだ。ネパールの言葉で、この山は「サガルマータ」と呼ばれているのだが、これは世界の頂上という意味。そして、有名な「チョモランマ」という言葉は「世界の母神」という意味。どちらも世界の頂点として圧倒的な信仰を集めていた事がわかる。「この世の頂点」。周辺の民族だけからの信仰であったとしても、その称号には大きな意味と力が込められているのは間違いない。やはり、イエティの目的はその信仰の力を取り込むことなのだろうか。知能が低かろうと、それだけの莫大なエネルギーには嫌でも気付くはずだ。
休憩を終え、俺たちは再び外に出た。まだ空は晴れ渡っている。安心して探索を続けられそうだ。一面の雪、雪、岩、雪。気が遠くなりそうだ。歩いても歩いても似たような景色ばかりだ。本当に進んでいるのかわからなくなる。体力も精神もどんどん削り取られる。それでも、冬美は余裕そうに見える。よほどイエティに会いたいらしい。
─────先輩たち、そしてマイちゃんはかなり疲弊しているみたいだけど、アタシにはまだまだ余裕がある。体力的に余裕があるのはもちろんだけど、やっぱり精神的な余裕が大きい。イエティに会える、それだけでアタシはいくらでも歩ける。
アタシがイエティのことを知ったのは小学生のときだ。学校の図書館で読んだ世界の都市伝説やUMAをまとめた本に書いてあった。当時、武術を学びはじめたばかりのアタシにとって、ビッグフットやイエティといった大きな類人猿の化け物は、1つの目標になった。武術を極め、超能力も極め、コイツらと戦って倒したい、と。
それからの特訓は、ひたすらイエティたちを倒すことを考えてやってきた。ヤツらのことを考えたら、どんなに辛い修行も耐えられた。どんな目にあっても立ち上がれた。類人猿UMAに対するアタシの感情は、一種の恋心に近いものだったと今にして思う。
そのときの修行と比べれば、そして修行をはじめる前の辛い日常と比べれば、今の登山なんてたいしたものでは無い。むしろ、イエティと戦えるという高揚感でアタシの気力は無限に湧き出てくる。
そんな中、氷河まであと少しのところまで来たときだった。アタシたちは大きな足跡を発見した。昨日見つけたどんな足跡よりもハッキリと残っていた。
「先輩、これって・・・」
「間違いない。イエティの足跡だな。それも、かなり新しい」
「山の上からルンメン氷河の方に向かってるって感じッスね」
「みたいだな。とりあえず急ぐか。まだ居るかもしれない」
やっと、やっと、やっと明確な痕跡を発見できた!こんなに嬉しいことはない!ようやくイエティと戦えるんだ!アタシのこれまでの武術の、人生の全てをぶつけることができる!それを成し遂げたとき、アタシの新たな人生が始まるんだ!
先輩たちも終わりが見えてきて気力が復活したのか、足取りが軽くなる。イエティの足跡を追ってアタシたちはひたすら歩き続ける。すると、足跡は途中で氷河への道から別の方向に逸れた。山を降りるように足跡は続いている。
「氷河が目的地じゃあない・・・?」
「基地周辺に行くのか、それとも別のなにかがあるのか・・・とにかく行ってみましょう」
氷河が目的地、理由がないように見えて実は合理的だったりする。氷河はこの雪山における貴重な水源。水を求めて水源に向かうのは動物として自然なこと。でも、氷河が目的ではないとなると、考えられるのは3つ。1つは食料。基地周辺に向かって食料を確保するのだろうか。2つ目は住処に帰ること。どこかにイエティが暮らす洞窟や山小屋があるのだろうか?そして、3つ目は信仰の力が集まる場所、いわゆる「神域」のようなものを発見したこと。それを突き止めたからそこに向かったのかもしれない。
大きな足跡をひたすら追いかけると、アタシたちは洞窟のような大きな穴にたどり着いた。武縄先輩は地形データを見ながらラクパさんに問いかける。
「ラクパさん、こんなところに洞窟なんてあったんですか?我々の地形データに載ってないんですが」
「いえ、なかったはずです。長いことエベレストで仕事をしてますが、見たことも聞いたこともない」
「ということは、イエティ出現に伴ってできた洞ということか?」
怪異の出現とともに地形が変化したという話は決して珍しくない。洞窟の前で足跡が途切れていることからも、ここがイエティの住処、あるいは隠れ家ということなんだろう。それとも、神域なのだろうか?いずれにせよ、出て行った足跡もないし、まだこの中に・・・
やっと・・・イエティに会える!
今回もお読み頂きありがとうございます。
最近、ちょっと迷走しがちでしたが、どうにか軌道修正できそうです。
これからもよろしくお願いいたします




