第7話 クールさんと洋菓子店へ① ~男女で洋菓子店を訪れるのはデートですか?~
帰りの途に就く二人の空気は仲良く、とまでは言わないものの、学内での無言に近い状態よりは多少改善されていた。
談笑とまではいかないが、学園について簡単に話をしながらの帰り道、怜の目にとある店が映し出された。
(そういえば、そろそろ在庫が切れそうだったな。ついでに買っていければいいけど)
家の在庫の量を頭に思い浮かべて歩きながら思案する。
そして隣を歩く桜彩に確認をする。
「渡良瀬、自分から荷物持ちするって言っておいてなんだけど、ちょっと俺の買い物に付き合ってもらってもいいか?」
「はい。むしろ私が手伝っていただいているわけですからそのくらいは」
「そうか、ありがとう」
その返事を聞いた怜は、目的の店の前で足を止める。
店には『リュミエール』という店名が掲げられており、ガラス戸からは中の様子が見てとれる。
「ここは洋菓子店ですか?」
中の様子を見てそう尋ねる桜彩に怜は首を縦に振る。
「洋菓子店ってか洋菓子兼茶葉のお店」
「買い物というのはここですか?」
「ああ。茶葉の残りが少なくなってきたから追加をな」
そう言ってガラス戸を開けるとドアに付けられたアンティークのベルが心地よい音を奏でていく。
その音を耳で楽しみながら店内に入ると桜彩は中の光景に目を輝かせる。
「素敵な内装ですね。明るくて広くて、飾ってある調度品もこの店の雰囲気に合っていて……」
そう言いながら店内を見回す桜彩を観察していると、カウンターの奥から店員の女性が出て来た。
年齢の方は怜達よりも少し上、二十台も半ばといったところだ。
「いらっしゃいませー。ってあら、怜君じゃない。ずいぶん見なかったわねー。久しぶり」
その店員が怜の姿を見て親し気に話しかけてくる。
「望さん、お久しぶりです。と言っても一週間程度じゃないですかね?」
「あら、そんなもんだっけ?」
春休みの最後の方に訪れたので、怜の言う通りまだ一週間と経っていない。
怜のツッコミを望と呼ばれた店員はけろりとして受け流す。
そんな会話をしていると、望が怜の後ろにいた桜彩に気が付いて目を丸くする。
そしてニヤニヤとした目を怜に向けて小声で問いかけてくる。
「あらあらあら? 彼女さんとデート?」
「違います。クラスメイトです。ここへはついでにお茶を買いに来ただけです。ウバとアッサムを五十グラムずついただけますか?」
「はいはーい。ウバとアッサムを五十グラムずつですね。少々お待ちください」
そう言いながら手早く茶葉を用意してくれる。
この店ではイートインコーナーも併設されている為、ここにあるお茶をそのまま店内で飲むことも出来る。
またレジの下にあるショーケースには、定番のショートケーキをはじめとしてガトーショコラやモンブラン等の有名どころから名前の分からないような物までが並んでおり、こちらも当然店内で食べることが出来る。
「いやー、でも本当に彼女さんじゃあないの?」
「違いますよ」
お茶を計りながら桜彩の方をちらちらと見て望が小声で尋ねてくるが、怜は淡々と言葉を返す。
一方の桜彩は二人から少し離れた場所で店内を見回しており、二人の会話が聞こえている様子はない。
「でも怜君が女の子を連れて来るなんて滅多にないじゃない。来るとしても瑠華や蕾華《その妹》でしょ? それに一緒に洋菓子店に来るって一般的にはデートって言うわよ」
「望さんは自分がデートする相手を見つけて下さい」
「む……手痛い返しがきたわね」
望は瑠華の学生時代の友人であり、怜がこの店を知るきっかけとなったのもその縁だ。
また望も瑠華同様に彼氏はおらず、その点でも二人は意気投合している。
互いに傷を舐め合っていると言えなくもないが、もちろん怜としてはそんなことを口に出す勇気はない。
「色々あって荷物持ちのついでに寄っただけですよ。それに俺は茶葉を買いに来たわけであって、お茶しに来たわけじゃないですからね」
正確には違うのだが、あえて面倒な説明をするよりもこの程度の簡潔な説明で済ませてしまった方が良い。
怜の返答に望はうんうんと頷きながら
「なるほど、これからに期待ってわけね。応援するわよ」
「馬鹿なこと言ってないで仕事に集中して下さい。光さんに怒られますよ」
「大丈夫よ。今は他にお客さんいないから……痛っ!」
そんなことを話していると、奥から男性が現れる。
服装は白を基調としたシンプルなデザインで、首元にスカーフが巻かれている。
いわゆるパティシエの服だ。
そしてその男性が後ろから望の頭をはたいた。
思わず頭を抱えてうずくまる望。
「だからと言って適当な接客しても良いわけじゃないだろうが」
そう言って男性は痛がっている望から視線を外して怜の方を見て頭を下げる。
「久しぶりだな、怜。こいつが馬鹿なことを言ったみたいで悪い」
「いえ、大丈夫ですよ。お久しぶりです、光さん」
そう怜も頭を下げる。
この人がこのリュミエールのパティシエだ。
基本的に無口で必要なこと以外はあまり話さない職人気質なタイプである。
「今日はお茶を買いに来たのか?」
「はい。ウバとアッサムを」
「そうか。……っとそうだ。怜、今ちょっと時間はあるか?」
「時間ですか?」
そう言いながら怜は桜彩の方を一瞬見る。
怜だけなら特に問題はないのだが、自分から桜彩の荷物持ちをすると言っておいて桜彩を待たせてしまうのはさすがに悪い。
だが桜彩も特に急いでいるわけではないようで、問題はないと返事をしてくれる。
「それなら頼みがある。ちょっと趣味で作った物があるから食べて感想を聞かせてくれないか?」
「もしかして新作ですか? それなら是非!」
桜彩に問題がない為、怜も顔を輝かせて嬉しそうに二つ返事で引き受ける。
光の作るスイーツは怜にとっても絶品であり、それを試食出来るのは役得だ。
怜の返事に光は少し表情を緩めて
「それじゃあ持ってくるから座って待っててくれ」
そう言って奥の厨房へと下がって行った。
「それじゃあ二人共、こちらへどうぞ」
叩かれたショックからいつの間にか復帰していた望が怜と桜彩をテーブルへと案内する。
その後を怜は店内の様子を興味深そうに見回している桜彩と付いて行く。
そして案内された席に座ると、正面に座った桜彩が不思議そうな表情で問いかけてくる。
「この店の方とずいぶんと親し気に話されていましたが、こちらのお店にはよく来られるのですか?」
「よく来るというか、知り合いの伝手で不定期でアルバイトをしてるから」
「アルバイト……ですか?」
桜彩が目を大きく見開いて驚いたような表情を浮かべる。
それに対して怜も苦笑して説明を続ける。
「ああ。俺がこういった店で働くのはやっぱり意外か?」
「え……ええっと、すみません。あまりイメージが出来ませんでした」
ごまかすわけでも無く、少し申し訳なさそうな表情で桜彩が謝ってくる。
桜彩のその正直な感想にまあそうだろうなと自分でも思う。
そもそも怜としても、瑠華の紹介でなければこの店でアルバイトしようなどとは夢にも思わなかっただろう。
「ウチの担任とさっきの女の人が学生時代の友人でな。色々あってここを紹介されたんだ」
「なるほど……そうなのですね」
納得がいったという感じで桜彩が呟く。
「そうなのよ。怜君が働いてくれて助かったわ。またいつでも働きに来てくれていいからね」
お茶とケーキを載せたトレーを持って戻って来た望が補足する。
「あ、そうだ、自己紹介がまだだったわね。私は野畑望。さっきの不愛想なのがウチのパティシエの野畑光。兄妹でこのお店をやってるんだ」
テーブルへケーキを置いて桜彩に笑いかけながら自己紹介をする望。
基本的に笑顔を崩さずにフランクに接することが出来るのは望の長所だと怜も思う。
「あ、渡良瀬桜彩です。よろしくお願いします」
望の挨拶に桜彩も頭を下げて挨拶を返す。
こちらは望と違って初対面の相手に対して緊張気味だ。
それでも見た目は教室での姿と同じでクール系なのだが。
「誰が不愛想だ、誰が」
すると光の方もテーブルまでやって来て桜彩に軽く頭を下げる。
「お兄ちゃんに決まってるでしょ? もうちょっと愛想良くしても良いじゃない」
「俺は接客担当じゃないからこれで良いんだよ」
それで話はおしまいとばかりに光は怜と桜彩の方を向く。
「これが試作品だ。別に気張った感想でなくてもいい。ただ美味いか美味くないかだけでもな」
テーブルの上に並べられた二種類ずつ計四つのケーキを差してそうぶっきらぼうに告げられる。
「あの、これは……?」
一方で桜彩は自らの目の前に置かれたケーキに戸惑っている。
そんな桜彩に対して望は笑いながら
「この状況で怜君だけに試食してもらうなんて酷いことしないわよ。遠慮しないで食べて食べて。あなたも感想を聞かせてくれたら嬉しいな」
「ありがとうございます。それではいただきます」
「うん。それじゃあごゆっくり」
そう言って望と光はカウンターの方へと戻って行く。
それを見送って
「それじゃあいただこうか」
「あ、はい。あの、光瀬さん。これ、写真に撮っても良いのでしょうか?」
「ああ。このお店はそういうのは禁止じゃないからな。記念に撮っても問題無いぞ」
「ありがとうございます。それでは撮りますね」
そう言って桜彩はスマホを取り出してカメラを起動させるとテーブルの上に向ける。
テーブルの上にはフルーツタルトとチョコレートケーキが二つずつ、そして透明なガラスに花の装飾が施されたアンティークのティーポットとティーカップ。
「凄く素敵です」
そう言いながら写真を撮る桜彩の目は、学校での姿からは想像も出来ないほど輝いている。
そう思っていると、ふと桜彩のスマホのカメラが自分の方を向いて、一瞬遅れてスマートフォンからシャッター音が聞こえてくる。
「……ん? 今、俺が写ってない?」
桜彩のカメラの角度から見ると、今のはテーブルの上ではなく怜本人に向いていたように思える。
その怜の指摘に桜彩ははっとして
「あ、ご、ごめんなさい。姉と来た時に写真を撮ったりしているので」
申し訳なさそうに桜彩が謝ってくる。
つい癖で一緒に食べる相手を撮ってしまったということだろう。
「本当にごめんなさい」
「いや、別に気にしなくてもいいぞ」
そこまで謝られると、むしろ怜にとっても少しばかり居心地が悪い。
「お姉さんとは仲が良いんだ」
「はい。私のことをとても大切にしてくれています。今回も私が一人暮らしをする際に、心配だから自分も一緒に住むと最後まで主張していました。ただ姉はここから遠くの大学に通っている為、さすがにそれは出来なかったのですが」
「そうか。俺も大学生の姉さんがいるんだけど、たまに様子を見に来てくれるんだ」
「光瀬さんもお姉さんと仲が良いのですね」
「…………ん、まあ、な」
桜彩のその言葉に怜の言葉が一瞬詰まる。
それを疑問に思ったのか、桜彩が申し訳なさそうに尋ねてくる。
「あ、もしかして何か事情がおありですか?」
「あ、いや、そういう事じゃない。ただあの姉さんはかなり傍若無人でな……。まあ、俺のことを心配してくれてるのは間違いないし、姉弟の仲も普通に良いんだけど」
最近会っていない姉のことを思い出す。
実際にあの姉は姉さんというよりは姉様という感じで、かなり怜も苦労させられた。
とはいえ本当に怜が嫌なことはそもそもやらないし、細かいところで気に掛けてくれたり助けてくれたりもしてくれている。
そんな意味で怜は姉に頭が上がらない。
「そうなのですか。それなら良かったです」
怜に対して変なことを言ったのではないと分かって再び笑顔を見せる桜彩。
「あ、それで光瀬さん、こちらの写真をどうしましょう?」
スマホの画面を怜に向けて今しがた撮ったばかりの写真を見せてくる。
そこにはテーブルの上に置かれた二種類のケーキとティーセット、そして怜の姿がばっちりと写っていた。
「まあ、俺は別に気にしないし、渡良瀬の好きにしてくれたらいいぞ」
その言葉に桜彩は少し考えこんで
「……そうですか。それならせっかくの記念ということで、このままにさせていただきますね」
「ああ」
出会ってからまだ短い期間しか接していないが、桜彩ならこの写真を変に使用しないだろうという安心感はある。
(しかし俺の写真なんて記念になるのかな?)
改めてテーブルの上の写真を撮り直す桜彩を見ながら怜はそんなことを考えた。