第478話 植物園② ~クリスマスの花々~
ヒヤシンスとシクラメンの花壇を後にして、二人は温室の奥へと足を進めた。
通路の先にはこの季節の為の特別な花々が集う『クリスマスコーナー』が広がっている。
そこにはまさにこの日にふさわしい名前を持つ花々があった。
クリスマスローズ。
淡い白、薄紅、青みがかった紫。
花びらはどれも透き通るように薄く、柔らかい光を受けて淡く輝いている。
まるで雪明かりに照らされた小さなランプのようで、静かに、凛として咲いていた。
花芯の淡い黄緑が白い花弁の中でほのかに光を放ち、控えめな美しさ。
桜彩は足を止めて、花の前で小さく息を呑む。
「凄い存在感があるね」
桜彩が小さく息を呑んで、両手を胸の前でそっと合わせる。
目の前の花々を見つめるその瞳が、まるで光を宿したようにきらめいていた。
「こんなに優しい色なのに、ちゃんと主張がある。なんだか不思議」
「ここは温室だけどさ、クリスマスローズって、冬の寒さの中でも咲くんだよな」
怜が呟くと、桜彩は頷いて少し顔を上げる。
そして花の前でしゃがみ込み、顔を近づけてじっと見つめる。
「うん。寒い時期に咲くのに、こんなに落ち着いた雰囲気があるんだね」
「派手じゃないのに、ちゃんと綺麗。……なんか、優しい花だな」
怜は頷きながら、その横顔を見つめる。
桜彩の頬に光が反射して、花の白さと重なって見えた。
「花言葉は『私の心を慰めて』とか『希望』だって」
「希望……」
桜彩は小さくつぶやき、指先でそっと花の縁に触れた。
その仕草に怜の胸の奥が静かに温かくなる。
「桜彩っぽいかもな」
「え? どうして?」
「なんか、見てると落ち着くし。寒い季節でもそばにいるだけで安心する感じがする」
「……もう、そんなこと言って」
桜彩は照れたように笑い、立ち上がると怜の腕を軽く小突く。
だが、頬の赤みはそのままだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
クリスマスローズの一角を抜けると、少し奥まった場所に色鮮やかな花々が並ぶスペースがあった。
そこには、白や桃色、赤、オレンジといった彩り豊かなクリスマスカクタスが棚いっぱいに咲き誇っていた。
低めの棚に整然と並んだ鉢から肉厚な茎が枝分かれし、先端に羽のような花を咲かせている。
「うわぁ……、こっちは一気に明るいね」
桜彩が思わず声を上げ、顔をほころばせた。
その頬に映る花の色が、ほんのりと温室の光に染まって見える。
「わぁ……綺麗だな……」
怜も思わず声を漏らした。
淡い光を透かす花びらが幾重にも重なり、赤や桃色、白、オレンジ、どれも少しずつ違う色合いで存在感を主張している。
茎の先から垂れ下がる花が風に揺れるたび、光が反射してきらきらと輝く。
「ほんとだ。さっきのクリスマスローズが『静かな冬』なら、こっちは『陽だまりの冬』って感じだな」
「ふふっ、良い表現だね。確かに見てるだけでちょっと元気出るかも」
怜は一輪の花に目をやった。
先端が細く尖った花びらが幾重にも重なり、まるで星が開いたように広がっている。
「これ、全部同じ花なんだよね?」
桜彩が感心したように呟くと、怜は優しく頷いた。
「ああ。シャコバサボテンって言って、冬に咲くサボテンって書いてあるな。寒い季節でもちゃんと花を咲かせるって」
「サボテンなのに寒いのに咲くって……」
「驚きだよな」
「うん。私、サボテンって暑い所のイメージしかなかったし」
そう言って、桜彩はそっと指先で花びらに触れる。
「冬でも明るくて、頑張って咲いてる感じが桜彩に似てる」
「もう……そういうこと急に言うの、ずるいよ……」
照れたように唇を尖らせながらも、桜彩の頬はほんのり赤く染まっている。
怜は笑って、その頭を軽く撫でた。
周囲には他の来園者の足音もするのに、まるで世界が二人だけになったように静かだった。
「ねえ、怜。この花の花言葉、『つむじまがり』とか『一時の美』なんだって」
「へぇ……ちょっと意外だな」
「でもね、最近は『愛を継ぐ』って意味もあるらしいよ」
「『愛を継ぐ』か……。それも素敵だな」
「うん。凄く素敵……」
桜彩はそう言って、怜の腕に軽く寄りかかる。
怜も自然に彼女の手を包み込み、静かに握り返した。
温室の明かりが頬を照らし、クリスマスカクタスの赤が桜彩の横顔に柔らかく映える。
怜は笑いながら桜彩の頭をそっと撫で、軽く肩を寄せる。
しばらくの間、二人はただ花を見つめながら、互いの存在をそっと感じていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次に足を止めたのは、温室の奥に設けられたポインセチアのコーナー。
赤や深緑の葉がぎっしりと重なった鮮やかな群れ。
葉の縁には微妙な波打ちがあり、まるで花びらのように柔らかな印象を与えていた。
苞葉の中心に隠れるように咲く小さな黄色の花は、控えめながらも確かに存在感を放ち、赤と緑の鮮やかさを引き立てるように点在している。
花の小さな芯が光を反射し、まるで小さな灯火が苞葉の間で揺れているかのようだった。
「わぁ……本当に鮮やか……」
桜彩は息を漏らし、手のひらを軽く広げて苞葉に触れる。
赤い葉の間にちらりと見える黄色い花を指先で追い、笑みを浮かべた。
「これ、赤いのって花じゃなくて葉っぱなんだよね?」
「うん。遠目には花びらにしか見えないよな。西洋ではこの赤い葉を、キリストの血に見立ててるらしいぞ」
「苞葉の赤が濃くて、でも葉の表面は柔らかくて……」
怜も身をかがめ、葉の一枚一枚を丁寧に見つめる。
「それに、小さな黄色い花……。控えめなのに、赤い葉を引き立ててるな」
「うん。光が当たると赤が際立つ感じがするね」
桜彩は鉢をそっと手に取り、苞葉の厚みや表面のざらりとした質感を確かめる。
怜も隣で同じ鉢を覗き込み、葉の形や花を一つ一つ観察する。
「触ってみると少しざらっとしてるね」
「そうだな。でも力強さを感じる」
二人は同じ鉢に手を添えて、そっと指先を触れ合わせる。
桜彩は小さく息を飲み、怜はその手をそっと握り返した。
「怜、手、冷たくない?」
「大丈夫、桜彩の手が温かいから」
桜彩はにっこりと笑い、握り返す手に力を少しだけ込める。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二人で順番に鉢を手に取り、葉の厚みや花の色の違いを確かめながら歩く。
大きく深紅に染まったもの、小さく淡い赤の苞葉のもの、黄緑が混じる葉のもの、それぞれの個性を楽しむように手に取って比べる。
「こうやって一つ一つ見てると、赤だけど全然単調じゃないんだな」
「うん、同じ赤でも少しずつ違って、見てて飽きないよ」
二人は自然と肩を寄せ合い、手を繋いだままゆっくりと歩く。
鉢の間で立ち止まり花を覗き込むたびに桜彩は小さく笑い、怜もその笑顔に思わず微笑み返す。
「あっ、ここにポインセチアについて書かれてる。えーっと……」
桜彩はポインセチアの説明文へと目を向け、そして
「ふふっ。れーいっ!」
いきなり抱きついてきた。
「うわっ! どうしたんだ?」
怜も桜彩を抱き留めながら聞く。
すると桜彩はふふっ、と笑って説明文へと目を向ける。
「ポインセチアの花言葉」
「花言葉……? えーっと……、『私の心は燃えている』…………」
そこに書かれていた花言葉を読み上げると、桜彩が抱き着いたままにっこりと笑う。
「私の心、燃えてるんだ」
桜彩は怜にぎゅっと抱きついたまま、顔を少し上げてにっこりと笑う。
その表情は恥ずかしさと楽しさが入り混じっているようで、見ているだけで胸が温かくなる。
「俺もだよ」
怜は少し照れながらも、桜彩の背中に手を回し、そっと引き寄せる。
二人の間の距離が更に縮まり、温室の暖かい空気が二人を優しく包む。
「桜彩」
「怜」
二人の目が合い、言葉はもういらない。
怜は両手を桜彩の背中に回し、桜彩も自然に首に腕を回す。
息が少し乱れる中で、互いの顔が更に近づき、やがて唇が触れ合った。
最初は軽く、そっと触れるだけのキスだった。
しかし、桜彩が小さく息を漏らし怜の胸にさらに体を寄せると、怜も応えるように唇を重ね、少し長めにキスを続けた。
「怜、あったかい」
「桜彩も……温かい」
唇を離し、微笑みながら互いの顔を見つめ合う。
桜彩の手が怜の頬に触れ、怜も手をそっと桜彩の髪に回す。
「ねえ、怜……。もっと一緒にいたいな」
「俺もだよ、桜彩」
二人はそのまま肩を寄せ合い、ポインセチアの前に立ったまましばらく静かに時間を過ごす。
小さな黄色い花を囲む赤い苞葉の鮮やかさが、二人の甘い気持ちを更に引き立てているようだった。
「花言葉……ぴったりだね」
「うん。俺達の心も、こんな風に燃えてる気がする」
怜が桜彩の手を握り直すと桜彩は小さく笑い、そっと怜の肩に頭をこつんと押し当てた。




