第466話 茶道体験
「ふう、楽しかったね」
「ああ。久しぶりにやってみたけど、案外楽しめたな」
書道部の会場を出て、二人で廊下を歩きながら感想を話し合う。
そのまま次はどこに行こうかと辺りを見回す。
壁にはさまざまなポスターや飾り付けが並び、そんな中、ふと目に入ったのは茶道部の看板だった。
『茶道体験 二百円』
小さな立て札に可愛らしい文字でそう書かれている。
桜彩の方を見ると、期待に満ちたように目が輝いていた。
「ねえ、怜。寄ってみようよ。ちょっと興味あるんだ」
「賛成。茶道ってやったことないし、楽しそうだ」
すると中から一人の学生が出て来た。
相手の方も怜に気付き、あれ、と言った表情で視線を交わす。
「よう、光瀬」
「ああ、葉山か。そう言えば茶道部だったよな」
昨年のクラスメイトで、怜ともそこそこ話す友人だ。
とはいえクラスが違ってからは、あまり話す機会もなかったが。
そんな葉山が怜の隣の桜彩へとチラリと視線を向ける。
当然ながら怜と桜彩は手を繋いだまま。
「彼女できたんだってな? おめでとう」
「おう、ありがと。やっぱ知ってるよな」
「そりゃあな。お前もそっちの彼女もウチの学年ではそこそこに有名だし」
葉山の言葉に桜彩は恥ずかしそうに俯いてしまう。
怜は一年生の頃から成績優秀(他色々)で有名だったし、桜彩もクール系美人で成績優秀な転入生として、他のクラスにも話題になった。
であれば、付き合っているということがバレていてもおかしくはないだろう。
「えっと、初めまして。渡良瀬です」
「俺は葉山。そっかそっか、二人とも幸せにな。それでさ、二人共、茶道体験やってかないか?」
「実はそうしようと思ってたんだよ」
「はい。お願いします」
「よっしゃ、案内するぜ」
葉山に案内されて室内へ足を踏み入れた。
室内は廊下のざわめきとは違い落ち着いた空気が漂っている。
窓際から柔らかい光が差し込み、畳の上に座布団が整然と並んでいる。
既に数人の茶道部員が準備をしており、各自が茶碗や茶せんを並べて忙しそうに動いている。
中には今年のクラスメイトや、葉山と同じく昨年のクラスメイトの姿も見受けられる。
「お二人様ご案内でーす」
代金を払って靴を脱ぎ、案内されるままに座布団へと座る。
室内の雰囲気に少しばかり圧倒されそうだ。
隣の桜彩も緊張した表情で部員達を見ている。
すると何人かの部員がこちらの方へと来て、笑顔で説明が始まった。
「まあ固くならないで。茶道体験って言ってもそんな厳格なもんじゃなく、ただお菓子食べてお茶飲むだけだしさ」
「そうそう。部員じゃないんだから細かいルールなんて気にしないで良いって」
「クーちゃん、緊張しなくても大丈夫だからね」
その説明に桜彩が胸を撫で下ろす。
茶道ということで多少堅苦しい感じを予想していたのだが、それであれば怜としても安心だ。
「それじゃあ私が主客、最初のお客をやるから。二人は私の真似をする感じで大丈夫だよ」
「分かった」
「分かりました」
二人で頷くと、目の前に和菓子、小さな練り切りが置かれた。
練り切りは葉っぱを模して上品に形作られている。
桜彩は思わず目を輝かせ、それを見て怜も自然に笑みが浮かんでしまう。
「菓子をいただくときは、まず懐紙を広げてください。右手で箸、左手で懐紙を支えると安定します」
部員の手本を見ながら指先で懐紙を膝の上に広げ、菓子切りを手に取る。
器から一つ菓子を懐紙に移し、そっと香りをかぐ。
上品な甘い香りがふわりと漂い、思わず小さく息を漏らす。
怜も同じように懐紙を広げ、菓子の香りを楽しんだ。
「ではいただきましょう」
練り切りを小さく切り分け、口元へ運ぶ。
口に入れるとしっとりした舌触りと上品な甘みが広がり、自然と表情が緩む。
隣の桜彩も美味しそうな表情を浮かべており、視線が合うと二人で笑みを浮かべる。
茶菓子をいただき終えると、部員達は茶碗を手に取り次の段取りを整え始めた。
部員の一人が静かに桜彩の前に茶碗を差し出す。
「まずは茶碗を右手で持ち、左手を添えてください。そして一礼して受け取ります」
桜彩は部員の手元を見ながら、ゆっくりと右手を茶碗にかけ、左手を下から添える。
軽く頭を下げて受け取ると、怜も同じように茶碗を受け取った。
「茶碗の正面を少しずらして、自分の正面に向けます」
葉山の声に従い、桜彩は茶碗をくるりと回し、正面を自分の位置から少し外す。
怜も慣れない手つきながら、丁寧に回す。
部員が茶せんで点てた濃い緑色の抹茶。
そっと香りをかぐと、鮮やかな抹茶の香りがふわりと鼻をくすぐり、思わず息を吸い込む。
「いただきます」
口元に茶碗を運び、軽く口をすぼめて一口。
抹茶の濃厚な苦みと、先ほどの菓子の甘さが舌の上で優しく混ざり合う。
飲み終えると茶碗の縁を懐紙で軽く拭き、元の位置へと置く。
桜彩も少しぎこちなくも丁寧に所作を守る。
怜はその姿を横目で見て、思わず小さく微笑む。
「凛としてるな、桜彩」
「ふふ、怜も上手だよ」
二人は互いに目を合わせ、ほんのり照れた笑みを交わす。
部員達も楽しそうに見守りながら、静かに指導の声をかける。
「茶道体験はこれで終了です。茶碗は軽く両手で持ち、最後に一礼してお礼を伝えましょう」
背筋を伸ばし、深く頭を下げて一礼する。
部員達も微笑みながら頷き、穏やかに応じてくれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
教室の扉を開け廊下に足を踏み出すと、厳かな感じから途端に文化祭のざわめきへと戻される。
まるで今までの出来事が夢の中のように感じられる。
「よう。二人共どうだった?」
表に戻っていた葉山が気になる様子で聞いてきた。
「うん。面白かったぞ」
「はい。普段は体験できない事でしたので、とても興味深かったです」
そう答えると、葉山は嬉しそうに笑う。
「なら良かったよ。この後も楽しんでな」
「ああ、ありがと」
「ありがとうございました」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二人で廊下を歩きながら、先ほどの茶道経験のことを思い出す。
「ねえ、怜。さっきのお茶、すごく美味しかったね」
「ああ……。あの苦味と、菓子の甘みの組み合わせ、絶妙だった。俺は普段和菓子はあまりつくらないし、抹茶を飲むこともないからな」
「そうだね。緑茶やお団子を食べることはあるけど、こういったのはあまりないから良い思い出になったよ」
桜彩は少し嬉しそうに笑い、怜もその横顔を見ながら微笑む。
「桜彩、動きが綺麗だったよ。手元も凛として見えたし、見てて楽しかった」
「ふふ、怜も丁寧で上手だったよ。茶碗を持つ手の動きとか、所作の一つ一つが自然で……。なんだか安心する感じ」
肩がわずかに触れ合い、搦めた指先に微かに力がこもる。
その距離感が、廊下のざわめきの中で不思議と心地よく感じられる。
「ねえ、次もこういう体験したいな」
「二人で一緒なら、どんな体験でも楽しめそうだな」
言葉に自然な笑みが混ざり、互いの視線が一瞬だけ重なる。
文化祭の喧騒の中、二人だけのゆったりした時間が廊下の中で流れる。
「……怜と一緒に来て良かったな」
「俺もだよ」
小さな声で交わされた言葉に、互いの笑みが自然に広がる。
文化祭のパンフレットを開き、互いに顔を寄せ合って覗き込む。
「次はどこに行こうか?」
「えっと……、あそこ。まだ見てないクラスの展示かな」
ふと、桜彩が頭を軽く怜の腕に寄せる。
怜もそっと距離を縮め、二人の歩幅を合わせながら歩きだす。
茶道の静かで落ち着いた体験と文化祭の賑やかさ、そして互いの存在。
心に温かい物を感じたまま、茶道体験の静かな余韻を感じたまま歩いていく。




