第461話 調理実習③ ~焼き菓子の試食~
ケバブを食べ終えた家庭科室内だが、まだ肉やスパイスの煽りが漂っている。
調理器具などを洗い終えた頃にはその香りもほとんど消え去り、代わりに室内にはバターと砂糖の焼き菓子ならではの甘やかな香りが漂う。
各机の上にずらりと並べられた皿には、クッキー、マドレーヌ、マフィン、そして切り分けられたパウンドケーキが並んでいた。
そしてお茶を淹れたカップと共に、今度はお茶会、もとい焼き菓子の試食が始まる。
「うわあ、美味しそう!」
「こうしてみると種類もたくさんですね」
「それに綺麗ーっ」
部員達が並んだ焼き菓子を見て、口々に感想を述べる。
チョコチップ入りのもの、抹茶パウダーを混ぜ込んだもの、アーモンドスライスを散らしたものなど種類豊富で、見ているだけで心が弾む。
ちなみに怜は、先日作ったデッドフィンガークッキーを入れようかとも一瞬考えたのだが、見た目がグロテスクの為に文化祭で売るにはマイナスであると即座に考えを改めた。
「さあて、それじゃあ食べようか」
奏の言葉に皆が思い思いに手を伸ばし、口に入れる。
怜がチラリと隣を見ると、桜彩が真剣な表情でどの焼き菓子に手を伸ばそうか迷っているようだった。
「まず普通のプレーンから食べるか」
怜が軽く笑いながら声をかける。
「うん。まずはオーソドックスなのだよね」
「だな」
さっそくマドレーヌを一つ取って、皆と同じように一口食べる。
とたんに焼き菓子特有の甘みが口の中に広がった。
「ん、上出来」
「うん。美味しいね」
桜彩も笑顔で頷き、そして紙コップのお茶を飲む。
リュミエールで売っている物や怜が自室で本格的に作る物に比べれば味は落ちるが、それでも普通に美味しい。
「それじゃあ次はパウンドケーキにするか」
「うん。あ、私抹茶食べたい!」
「オッケー」
パウンドケーキへと手を伸ばし、小さく切り取る。
断面からは柔らかな生地がのぞき、抹茶の緑の色合いが鮮やかだ。
「ありがと。これも美味しそうだね」
そう言いながらフォークを刺して一口。
再び桜彩が恍惚とした表情を浮かべる。
「美味し~い! パウンドケーキ、重たくなくて、ふわっとしてる」
「だろ? これなら文化祭でも人気出そうだな」
これならば売り物としても問題はないだろう。
目の前の親友二人も、それぞれ美味しそうに食べている。
「うん。クッキーも美味いぞ」
「ほんとほんと。これホットケーキミックスの簡易レシピだって信じられないくらい」
四人でそんな会話をしていると、隣のテーブルから声が上がった。
「あたしはこのチョコチップクッキーだな! ザクザクしてて最高!」
「あんたは甘いものならなんでも美味しいって言うんだから……」
「いいじゃん別に」
「でも、この抹茶も負けてないよ。しっとりしてて、甘さがちょうどいい」
「え、ちょっとちょうだい!」
「はいはい。じゃあ、そっちのクッキーもちょうだいね」
他の部員達にも好評のようで、皿の上からどんどん焼き菓子が消えていく。
正直、この年代の女子達がケバブをおかわりし、焼き菓子を心行くまで食べるのはどうなのだろうか。
体重に影響が出るのを怖がったりするのが普通だと思うのだが。
一瞬そんなことを考えたが、この中でも健啖家である隣の彼女と目の前の親友の姿を見て、まあ別に気にすることはないかと思い直す。
というか、そもそもそれは今更だ。
そんなことを思っていると、目の前に一年生がやって来る。
「きょーかん先輩。私、この前自宅でこのレシピ試してみたんですけど、こんなにふわふわにならなかったんです。何かコツみたいなのってあるんですか?」
「バターと砂糖をしっかり混ぜて、空気を抱え込むのがポイントだ。泡立てが甘いと生地が重くなっちゃうからな」
「なるほど。ありがとうございます」
説明を聞いた一年生は何度も頷き、席に戻ると実際にフォークで断面を観察して感心していた。
すると桜彩がニコニコとしながら囁いてくる。
「怜って教えるの上手だよね。ちゃんと相手に合わせてさ」
「いや、そんな大したことじゃないさ。たださ、俺が説明したことで相手が成長してくれるとやっぱり嬉しいな。特に桜彩は凄い勢いで成長してるし」
「ふふっ、ありがと。そういうところ、好きだよ」
桜彩はそう言うと、そっと皿から抹茶マドレーヌを手に取って差し出してくる。
「はい、あーん」
「……あーん」
怜は一瞬言葉を詰まらせながらも、差し出されたそれを口にする。
柔らかい生地の中に抹茶のほろ苦さが広がり、甘みと合わさってとても美味しい。
「……今、自然に惚気たよね」
「その後自然にいちゃついたよな」
「普通に好きって言ってるよね」
「人前でな」
目の前の親友二人は、当然のごとき聞き逃すことはなかったのだが。
他の部員達もそれぞれ試食を楽しんでいる。
焼き菓子の味や食感について感想を言い合い、文化祭での未来について楽しく語り合っている。
「やっぱりクッキーは量が作れるのが強みだよね」
「でも、見た目マドレーヌの方が映えるかも」
「パウンドケーキは切り分ける手間があるけど、でもこの中だと高級感あるよね」
甘い香りに包まれた家庭科室が、まるで小さなカフェのように。
そんな皆を見ながら、怜は紙コップのお茶を一口すする。
隣を見ると、桜彩が丁寧にパウンドケーキを切り分け、上品に口へ運んでいる。
そんないつも通りの桜彩が愛おしく思えて、思わず笑みをこぼす怜。
「どうかしたの?」
桜彩が首を傾げて問いかける。
「いや……。桜彩って本当に美味しそうに食べるなって」
「もう……」
桜彩は少し頬を赤らめながらも、笑みを浮かべて再びフォークを口に運んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
やがて机の上から一つ残らず焼き菓子が消える。
片付けを終えて外を見ると、もう夕方に差しかかっている。
「よーし! それじゃあ終わり!」
奏が声を上げると皆が立ち上がる。
奏は皆を見渡して、いつも通りテンション高く笑顔で口を開いた。
「今日はみんな、本当にお疲れさまーっ! ケバブも焼き菓子も充分に文化祭で出せるレベルになってると思うよ」
奏の言葉に部員達の間から歓声が上がる。
笑顔で頷き合い、本番に向けて頑張ろう、との言葉が聞こえてくる。
「でもね、これはあくまで練習だから。本番は今日以上に大変になるはず。お客さんを待たせない工夫とか、言うまでもなく食中毒なんて絶対ダメ!」
喜んでいた皆の表情が真剣さを帯びていく。
そんな部員達に対し、奏はニッと笑って言葉を続ける。
「だけどさ、ウチらならできるって信じてる。今日の雰囲気ならきっと大丈夫。本番もこの調子で絶対に成功させよう!」
最後の言葉と同時に奏は力強く拳を握った。
「よーし、それじゃあ最後は皆で! 絶対に成功させるぞーっ!」
「「「「「おーっ!」」」」
全員の声が重なり合い、家庭科室に響き渡る。
桜彩も目を輝かせて頷きながら、小さく拳を胸の前で握っている。
その仕草があまりに可愛らしくて、怜は思わず笑みがこぼれた。
「……どうしたの?」
首を傾げる桜彩。
「いや、桜彩もやる気満々だなって思ってさ」
「うんっ。当たり前だよ」
その言葉に、怜もゆっくりと頷く。
「文化祭、きっと楽しくなるな」
「うん……みんなと一緒だし、それに怜と一緒だから」
そして視線を合わせ、控えめながらも甘い笑みを交わした。
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