第460話 調理実習② ~ケバブ試食会~
家庭科室の中に、スパイスと肉と野菜の甘い香りが広がっている。
グリルの熱気が残っているせいか室内の空気も少し熱を帯びている。
とはいえ、部員達の熱が一番入っているのは、今から試食するケバブだろう。
「よーし、全員分完成したね。それじゃあ食べよっ! いただきまーす!」
部長である奏が声をかけると、部員皆が『いただきます』と言って、嬉しそうにケバブへと手を伸ばす。
各自で皿にピタパンをのせ、家庭科室のそれぞれの調理台の前の椅子に、グループごとに座っていく。
怜も自分の分を持って席へと向かうと、横から桜彩がタオルを差し出してくれた。
「お疲れさま。凄く手際よかったよ。ちょっと汗かいちゃってるからこれで拭いて」
「ありがと。まあ、練習だからな。……でも桜彩にそう言ってもらえると、ちょっと報われる感じするな」
からかうように笑ってみせると、桜彩の耳がかすかに赤くなる。
「うん……。あ、ちょ、ちょっと待ってね」
桜彩が差し出したタオルを取ろうとすると、慌てて桜彩が手を引っ込めた。
どういうことかと困惑する怜だが、すぐに桜彩がタオルを怜の額へと当ててくれた。
そのままゆっくりと額の上を動かされ、くすぐったさで少し震えてしまう。
「汗、拭いてあげるね」
「ん……、ありがと」
「あ、ちょっと動かないで」
「と言われてもな……」
自分で拭く分にはどうということはないのだが、こうして他人に拭かれると、そのくすぐったさからつい反応してしまう。
「むぅ……、だったら……!」
「わっ……!」
次の瞬間、桜彩がタオルを大きく広げ、それで怜の頭全体を包む。
そのまま抱きしめられるように、桜彩の方へと引き寄せられた。
そして桜彩は後ろへと回って怜の頭をホールドしたまま拭いていく。
「ほら。じっとしててね」
「あ、ああ…………」
後頭部に桜彩の柔らかな胸部が押し付けられて、汗を拭いてもらうどころではない。
しかし頭部は桜彩に完全にホールドされている為に逃げられない。
「ふふっ。ごしごし……。ほら、綺麗になった」
「あ、ありがとな……」
恥ずかしさで桜彩から目を離してそうお礼を言う。
「ねえ、いちゃつくのはそのくらいにしといて、早く食べようよ……」
「蕾華の言う通りだぞ。もうちょっと周り注意しろって」
「「え…………?」」
親友二人の声に周囲を見渡せば、家庭科室内の視線を二人占め。
生暖かいいくつもの視線が降り注がれる。
「はぁー、あのきょーかんがこうまでぶっ壊れるとはねぇ」
「ほんとほんと。去年なんかは『女子なんて興味ないぜ』みたいなノリだったのに」
「クーちゃんの方も全然クールじゃないし」
と呆れたように話す皆の声。
それを聞いて、怜と桜彩は顔を真っ赤にしてしまう。
「ねね、美都ちゃん。あれどう思う?」
「そ、そうですね……。一応、周囲の目のあるところではもう少し自重して下さると嬉しいのですが……」
「ねえ。仮にも振られた二人のいる場所でねえ」
「あ、あはは……」
奏の言葉に乾いた笑いを浮かべる美都。
とはいえ奏も美都も怜と桜彩の関係についてはもう普通に受け入れてくれたし、改めて二人に関係を伝えた時には祝福もしてくれたのだが。
「と、とにかく早く食べろっての! ほら、冷めるぞ!」
「あー、きょーかんごまかしたーっ!」
「黙れ宮前」
恥ずかしさから話題を逸らそうとしたのだが、それさえも奏にからかわれてしまう。
とはいえこのままではせっかくの作りたてのケバブが冷める事にもなるので、皆は改めてケバブの方へと向き直った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それじゃあ改めていただきます」
時間が立って少しばかり冷めてしまったが、とはいえまだピタパンは熱を持っており、中の肉も湯気を上げている。
そしてそっと一口。
予想通りに良い感じに完成したケバブはとても美味しい。
「うん、美味しい」
「だね。幸せだよ」
桜彩と共に笑い合う。
そして自分のケバブサンドを桜彩の方へと差し出す。
「ほら、こっちの味付けも食べてみろって」
今回のケバブはトマトソースとホワイトソースの二種類を提供する予定だ。
今怜が食べているのはトマトソースの方であり、桜彩の方はホワイトソースだ。
「え、良いの?」
「熱いから気を付けてな」
そう言うと同時に、怜はふぅっと息を吹きかけて表面の熱気を和らげた。
「あーん」
「……ありがとね。あーん」
桜彩は静かに身を乗り出して、怜の手からケバブを一口かじる。
一瞬の後、思わず目を細めた。
「ん……美味しい。こっちも美味しいね」
「だろ? そっちもくれるか?」
「うん。ふーっ、はいあーん」
「あーん」
桜彩の差し出してくれたケバブを一口。
先ほどとは違ってクリーミーな味付けが口の中に広がる。
「うん。二種類用意したのは当たりだったな」
「だね。もしかしたら、二種類とも気になって買ってくれるかもしれないし」
「ああ。文化祭は二日に渡ってだから、一日目と二日目でそれぞれ買ってくれるかもしれないな」
この味なら当日の売れ行きは問題ないだろう。
「あ、ほら。ソース付いちゃってるぞ」
そう言って怜は桜彩の口元のソースをティッシュで軽く拭う。
「ありがと。でも、怜もだよ」
当たり前の方に今度は桜彩が口元のソースを拭いてくれる。
「ねえ、言った傍から『あーん』っていちゃついてるのはどうかと思うよ」
「無意識にそういうことするからなあ」
目の前の親友が呆れながら、ケバブを口にする。
桜彩の耳の先は真っ赤に染まってしまい、怜としても余計に気恥ずかしくなる。
「で、でもでも、さすがにキスで拭うとかはしてないし……」
「っておい、桜彩!」
「え……あ…………!」
失言に気付いた桜彩が慌てて口元に手を当てるが、もはや手遅れ。
今の発言はしっかりと親友の耳に届いていた。
「……普段からそういうことやってんだ」
「……感覚バグってるよなあ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方で、別のテーブルでは家庭科部員達が夢中で食べていた。
「お肉柔らかい! なんでこんなにジューシーなの?」
「ソース少な目でもいけるよね! 肉自体がマジで美味しい!」
「なるほどー。下味が染み込んでるね!」
紙皿の上にソースをこぼしながら、嬉しそうに頬張りながら食べている。
「私、これにチーズとかトッピングしたいかも」
「いいね! でも文化祭だとコストとか時間とかあるから……」
「そっか、そういうのも考えないとだね」
「あ、でもまだケバブのお肉とか残ってるよね。試してみよっか」
「賛成! きょーかん、お肉の残りって食べてオッケー!?」
「……いいぞ。ただ、食べたい奴皆で分けろよ」
当然ながら、おかわりは全員が立候補した。
食べながらも文化祭の話題が飛び交い、部室のあちこちで小さな輪ができていた。
怜はそうした声を聞きながら、自分の隣で黙々と味わう桜彩の横顔をそっと盗み見る。
長い睫毛が伏せられ、幸せそうにかすかに笑っている。
(これなら、文化祭当日も上手くいきそうだな)
心の中でそう呟き、怜も改めて自分のケバブにかぶりついた。




