第449話 焦らずに、同じ気持ちになるまでは
桜彩の言葉に怜の頭が揺すぶられる。
これでも年頃の男子。
他のクラスメイトのように、性欲というものは存在する。
こうして桜彩への恋愛感情を自覚して、そして恋人同士になった今、それについて考えたことはある。
水着姿を見たり、身体に日焼け止めを塗ったりした時などは、胸の奥から込み上げる熱を押さえるのが大変だった。
桜彩に対する恋心、日々のやり取りで育まれた愛情。
そして、桜彩を求める性的な欲求。
「私は、怜になら……」
その言葉が怜の心臓を打ち抜く。
桜彩が見つめてられて、ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
その雰囲気はいつも以上に『女性』を感じさせる。
「桜彩……」
「怜……」
桜彩の瞳に宿る揺るぎない決意を感じる。
怜はその真剣な眼差しに胸が熱くなっていく。
桜彩のことを想うだけで胸が締めつけられ、体の奥から抑えきれない衝動が湧き上がってくる。
「桜彩……」
怜はゆっくりと息を吐き、心の内を言葉にする。
「俺は桜彩のことを、もっと特別な存在として、近くに感じたいって、そういう気持ちも持っている」
口に出した声は少し震えていたが、迷いはなかった。
愛情だけではなく、桜彩に対する性的な欲求があることも認めて伝える。
「怜……」
「それに……」
怜は桜彩の瞳を真っ直ぐに見つめたまま続きを口にする。
「桜彩が、こんなふうに俺のことを想ってくれてるのは、本当に嬉しい」
その言葉緊張したのか、桜彩がびくりと震え、顔がより赤くなった。
「怜……。私は怜となら……」
怜はそっと手を伸ばし、桜彩の手を取る。
二人の指が絡み合う。
「無理はしないで。ゆっくりでいいから」
優しく微笑んで、桜彩の不安を和らげようとする。
「ありがとう、怜……」
桜彩は頷き、覚悟を決めたように怜を見つめ返す。
確かな愛情と信頼で繋がっているのを感じる。
怜ゆっくりと桜彩の肩に手を回すと、桜彩も自然に身を預けてくる。
そのまま互いの目を見つめ合い、甘く柔らかなキスを交わす。
「桜彩……。良いんだな?」
最後の確認。
それを告げると、桜彩は少しの沈黙の後、ゆっくりと答えた。
「怜の為なら、私は……」
「…………桜彩?」
その言葉を聞いた瞬間、怜は動きを止め、深く息をついた。
一度深呼吸をして桜彩を見つめる。
そして、抱きしめていた腕を解き、桜彩の手を強く握る。
「怜……?」
このまま先へと進むと思っていたのだろう。
怜の行動に桜彩は驚いて、戸惑った表情を浮かべる。
そんな桜彩に、怜は穏やかな声で、胸の内を口にする。
「桜彩……ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいよ。凄く嬉しい」
「え……? う、うん…………」
怜の言葉に桜彩はきょとんとしたままコクリと頷く。
「はっきり言うけどさ、俺だって男だし、桜彩とそういうことをしたいって思ったこともある」
「うん…………」
「今、桜彩から口にしてくれて嬉しかった。でもさ……」
怜は一度言葉を区切って、桜彩をしっかりと見据えた。
「桜彩が自分もそういうことをしたいって思ってくれたんなら、俺も先に進めたと思う。でも、ただ俺の為だけにそうしてくれるなら、それは違うと思うんだ」
穏やかな声で、優しさと真剣さを混ぜて口にする。
先ほど桜彩は『怜の為なら』と口にした。
それはつまり、自分でそういうことをしたいと思っているわけではなく、それはあくまで怜の為の――
「さっきさ、桜彩が『怜の為なら』って言ってくれたのは俺も嬉しかったよ。でもさ、俺は二人共同じ思いを持ってからしたいんだ。『相手の為』じゃなくて、ちゃんと自分でもそういうことをしたいって思ってくれてからじゃないと。二人が心からそう思えるからこそ、はじめて意味のあることだと思うんだ」
桜彩は少し戸惑いながら、しかし真剣な眼差しで怜を見つめ返した。
「でも……それって、怜は……辛くないの?」
そう言いながら、桜彩が視線を下げる。
正直、今までの桜彩とのふれあいで、怜の性的欲求はかなり強くなってしまっている。
それは、桜彩の視線の先が膨らんでいることからも明らかだ。
ためらいがちに問いかけるその声に、怜ははっきりと答える。
「正直に言うとさ……確かに辛くはあるよ。だけどさ、それ以上に桜彩を傷つけてしまうことの方が辛い。桜彩が俺のことを思って無理をしているなら、そんなことは耐えられない。だからさ、桜彩。ゆっくりでも良い。俺達のペースで一歩一歩進んで行こう」
言葉の一つ一つに覚悟を込めて、正直に口にする。
その言葉を聞いた桜彩の目にゆっくりと涙が滲んだ。
声を詰まらせながらも、目に満ちた涙をこぼしていく。
「怜……ありがとう。私はただ……怜のことが大事で、大切で……だからこそ、怜に無理させたくないって思ってたんだ。でも、そうやって私の気持ちをちゃんと考えてくれる怜が、もっと愛しくて……」
握り合った手に力が込められる。
「これからは怜の言う通り、お互いの気持ちを大切にしながら、少しずつ、ゆっくり進んでいけたらいいな」
怜も優しく微笑み返し、そっと桜彩の髪を撫でた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
桜彩が怜の膝から降りて、再び隣に座る。
怜は桜彩の肩に優しく手を回し、二人で微笑み合う。
桜彩は嬉しそうに顔を怜の胸へと押し当てた。
「怜の心臓の音、聞こえるよ。とっても安心できる音……。ずっとこうしていたいなあ……」
怜は少し笑って、桜彩の肩を抱きながら頭を撫でる。
「ずっとこうしていればいいよ」
「……ずっと?」
「ああ」
「嬉しい……」
怜の胸に頭を当てたまま、腕を回して抱きしめてくる。
「……ねえ、手、握っててもいい?」
「もちろん」
頭を撫でる手を下ろし、桜彩へと重ねる。
指先が絡まり、そこからぬくもりが伝わってくる。
「怜……。いつか、同じ気持ちになったら……その時はさ」
「……ああ。その時は、ちゃんと」
その時がいつになるのかは分からない。
だが、二人が同じ気持ちになったら、その時には前へと進んで行く。
「……でもね、私自身、怜に捧げたいって想いがあるのは本当なんだよ」
怜の胸に顔を密着させたまま、上目遣いでそう告げてくる。
その言葉の意味に、怜の心臓が高鳴る。
「……ああ、ありがとう」
大切な人が、一番大切な物を捧げたいと言ってくれる。
それは本当に嬉しい。
「だからさ……、今すぐ、は無理だけど……、その、ちゃんと……………………く、クリスマスまでには心の準備、したいなって思ってるの…………」
「桜彩……。焦らなくてもいいんだぞ」
しかし桜彩は首を横に振る。
「ううん。私のこの、私自身が怜に捧げたいって気持ちとちゃんと向き合いたいの。それに、そんな大切な日に、怜と結ばれたらどんなに幸せなんだろうって思ってるから……」
「……その気持ち、嬉しいよ。桜彩がそう決めたなら、俺はその日まで待ってるから」
「うん、ありがと」
桜彩はふっと微笑んで、そして怜の胸元から顔を離して体を起こす。
隣に座る桜彩と顔を合わせて、そしてゆっくりと顔を近づける。
桜彩の腕が首の後ろに回され、距離がなくなっていく。
吐息が触れ合い、瞳が重なり、そして静かに唇が触れる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
決して急がない。
だが、確かに深まっていく。
クリスマスの灯りに照らされた未来を、二人が同じように夢見ている。
そんな甘く、長く、静かなキスだった。
隣に越してきたクールさん
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すみません
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