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隣に越してきたクールさんの世話を焼いたら、実は甘えたがりな彼女との甘々な半同棲生活が始まった【第九章 アフターストーリー(秋)】  作者: バランスやじろべー
第八章後編 二人の両親

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第428話 合鍵

 両家族が泊まっていた日々は、まるで夢のように賑やかで楽しく、そして少しだけ緊張感に満ちていた。

 だがその夢にも、終わりはやってくる。

 日曜日の午後、アパートのエントランスには旅行鞄と紙袋を持ったそれぞれの家族の姿があった。

 美玖と葉月も軽く伸びをしながら玄関の外へと視線を向けている。


「じゃあ、また。困ったことがあったら、すぐに連絡して」


 若葉そう言いながら怜の肩をぽんと叩いた。

 宗也も隣で頷きながら目を細める。


「ありがとう、いろいろ」


 怜は少しだけ照れくさそうに笑って、若葉の手からスーツケースを受け取ると車の後部座席に静かに積み込んだ。

 少し離れた場所では、桜彩が舞と空に挟まれるように立っていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 若葉は桜彩の頬をそっと両手で包み、名残惜しそうに微笑む。


「本当に……良かったわね。あんなに素敵な子で」


「……うん。凄く優しいの。私も安心してる」


「ふふ、じゃあこれからも、ちゃんと大事にしなさいね。お互いに」


 その言葉に、桜彩の耳がほんのり赤く染まる。

 後ろでは葉月クスクスと笑っていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 やがて車のエンジンがかかる。

 両家族はそれぞれの車に乗り込みながら、最後まで何度も後ろを振り返って手を振っていた。

 怜と桜彩も、それにしっかりと応える。

 じきに手を振る腕が下りていく。

 エンジン音が遠ざかっていき、すぐに聞こえなくなった。

 風が吹き、どこか遠くで蝉の声が細く続いている。


「……行っちゃったな」


「うん。でも、なんか……寂しくはないよ」


「ああ。俺もだ」


 見上げた空は、少しだけ秋の色を帯びていた。

 そこには確かに新しい季節の始まりを感じさせる、優しい余韻があった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 夕方の光が差し込むリビングで、二人で向かい合って座る。

 冷房の効いたリビングは涼しく、両親が出発する前に淹れた紅茶はもうすっかりぬるくなっている。

 一拍の沈黙。

 そして――


「あのさ――」


「ねえ――」


 声が重なる。

 顔を見合わせて、二人で小さく笑った。


「先に言っていいよ」


「ううん。怜から言って」


 お互いに譲り合い、そして再び笑い合う。


「それじゃあ」


「一緒に」


 二人でまるで打ち合わせたかのように、そっとポケットに手を伸ばし――同時に、小さな鍵を差し出した。


 カチ、と。


 机の上に、それぞれの鍵が並んで置かれる。


「「これって――」」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 前日の夕方、窓から差し込む日差しにより辺りが橙色に染まる。

 宗也と若葉は荷物をまとめた後、玄関先で一息ついていた。

 明日には帰るという空気が室内に静かに満ちている。

 怜は冷蔵庫から取り出した麦茶を二人に差し出し対面のソファへと腰を下ろす。

 会話は取り留めもなく、天気や移動の話ばかりが行き交っていた。


「……そうだな、怜」


 ふいに宗也が声を低くして言った。

 大切な話がある、雰囲気だけでそれが分かり、怜も姿勢を正す。

 そんな怜の目を宗也は正面から見据えて口を開いた。


「桜彩さんのこと、大切にしてるよな」


「うん。本当に大切だよ」


 それを聞いた宗也は目を細めてふっ、と笑う。

 宗也の隣で聞いていた若葉も微笑んで頷く。

 そんな二人を見て、怜の胸にじんわりとした熱が灯る。

 二人の表情から空気が軽くなったのが分かるが、とはいえ話はそれで終わりではないだろう。


「それなら――」


 宗也はポケットから、小さな銀色の鍵を取り出した。

 キーホルダーや飾りも何もついていない、シンプルな鍵。

 形は怜の部屋の玄関の鍵と、桜彩の部屋の玄関の鍵とそっくり。

 つまりこれは――


「これを桜彩さんに渡してあげなさい。お前の部屋の合鍵だ」


 そう言いながら、合鍵をこちらへと差し出してくる。


「……えっ?」


 思わず受け取った鍵を見つめ、怜は目を丸くする。

 微笑んだまま若葉が宗也の言葉を継いだ。


「ね? もう信頼してるし、なによりあの子もここの暮らしを支えてくれているんでしょ? なら、お互いに行き来できた方が安心だもの」


「でも……、ここは、俺の部屋じゃなくて、元々は……」


 怜は視線を落とし、手の中の合鍵をじっと見つめる。

 ここは怜の部屋ではなく、怜の為に両親が借りてくれた部屋。

 それは勘違いしてはいけない。


「うん。そこをちゃんと分っているのなら構わないよ」


「ええ。自分の部屋じゃなく、私達が借りた部屋。それを分かっていたからこそ、これまで渡さなかったんでしょ?」


「それは、そうだけど……」


 桜彩に合鍵を渡した方が、色々と手間が省けることは怜も理解している。

 しかしこの部屋の本当の主はあくまでも両親。

 だからこそ自分の判断で合鍵を渡すことはしなかった。

 今までもこの部屋の合鍵は、身内を除けば宗也と若葉が信用している竜崎家のみ。

 陸翔と蕾華本人にすら合鍵を渡してはいない。


「だからこそ、いいのよ」


 若葉が優しく言った。


「私達の借りた部屋で、あなた達が一緒に生活してる。そういう関係なんだって、ちゃんと分かってる。だったら……もう一歩、進めて良いんじゃない?」


 宗也もわずかに照れたような笑みでうなずく。


「正式な家族じゃないにしても、今の二人を見てると安心できるんだ。合鍵を預けることくらい、もう問題ないさ」


「父さん、母さん…………」


 胸の奥に、ゆっくりと温かいものが満ちていく。

 怜は手の中の合鍵を大事そうに握りしめ、頷く。


「……うん。ありがとう。ちゃんと、渡すよ」


 二人の顔を見てしっかりと宣言する。

 その声に、宗也と舞は穏やかな表情を見せる。

 別れの時間が近づく中、ほんの少しだけ未来へと踏み出すきっかけを、そっと手渡された瞬間だった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「桜彩」


 リビングの窓辺で荷物の整理をしていた舞に呼ばれる。

 夏の陽が傾き始め、淡く白いカーテン越しに部屋を橙色に染めていた。


「どうしたの、お母さん?」


 声の主に気づいた桜彩は、手元のティーカップをそっと置いて舞の下へと歩み寄る。

 空も静かに舞の横に並び、桜彩の肩に優しく手を添えた。


「ちょっと、これを渡しておきたくてね」


 舞がそっと差し出したのは、小さな鍵だった。

 キーホルダーや飾りも何もついていない、シンプルな鍵。

 形は桜彩の部屋の玄関の鍵と、怜の部屋の玄関の鍵とそっくり。

 つまりこれは――


「うちの、鍵……?」


 一瞬だけ戸惑った桜彩に、空が口を開いた。


「うん。これはこの部屋の合鍵だ。これを怜君に渡しなさい」


 桜彩は大きく息を呑んだ。

 空の目は静かで温かく、舞も笑みを浮かべて頷いている。


「怜さんは、あなたの信じた人でしょう? 私と空さんだってこれ以上ないくらいに信頼しているもの。だったら、鍵を預けるくらい……何の問題もないから」


「もちろん強制じゃないよ。だが、私達は反対しない。むしろね、桜彩が怜君に合鍵を渡す日が来たこと……嬉しいって思ってるんだ」


 二人の言葉に桜彩の胸がじんわりと熱くなっていく。

 震える手を差し出すと、その手の中に空が鍵をそっと置く。

 手の中に置かれたその鍵が、今まで以上に重みのあるものに思えた。


「ありがとう。私、ちゃんと……ちゃんと、考えて渡すから」


 そう言った桜彩の目には、かすかに涙の光が宿っていた。

 空と舞は何も言わず、そっと桜彩の肩に手を置く。


「あなたが選んだ人なら、お母さん達、信じてるから」


 穏やかな午後、一つの小さな鍵が、桜彩の手の中に託された。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「合鍵……」


「だよね……」


 お互いに目を丸くして見つめ合う。

 驚きと、それから照れ笑いがにじんでいた。


「お父さんとお母さんに、怜に渡してって言われたんだ」


「俺も。桜彩に渡してって」


 鍵が二つ、静かに並ぶ。

 銀色の小さなその形は、どちらも相手の生活の中に、更に一歩踏み込む為の物。

 桜彩がそっと手を伸ばして、怜の鍵を受け取る。

 怜もまた同じように、桜彩の鍵を大事に受け取った。


「これで……これからもっと、近くにいられるね」


「そうだな。これまでよりも、もっと……」


 淡い夕光が二人の頬を照らす。

 互いの胸に宿る安心と、喜びと、温かい未来の気配。

 何も言わずに、立ち上がって相手の元へと歩いていく。

 そっと指先が触れる。

 そこに何も言葉はいらなかった。


「「ん…………」」


 唇を触れ合わせ、お互いに微笑み合う。

 鍵の重みが、心と心を優しく繋いでいた。

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