第425話 両家顔合わせ③ ~進路の報告と、忘れていた進路調査表~
「その件だけど……。実は、二人で将来、獣医を目指そうって話をしたんだ」
怜が進路について語ると、二人に視線が静かに集まる。
その視線を受けて、怜と桜彩はその理由を口にする。
「……きっかけは、この前陸翔の実家の幼稚園で飼っているウサギの出産を手伝ったんだ」
「その時、出産が上手にいかなくて……。それで、ウサギを助ける為に色々と頑張ったの」
「八年前は死んでしまったウサギ達を抱えたまま何もできなかった。今回は助けることができたけど、自分達だけじゃ何もできなくて。だから……今度こそ、自分の手で救えるようになりたいなって」
「あの時の命の輝き。もし私も、誰かの命を救える手になれたら……それって、凄いことだなって」
怜はそっとテーブルの下で桜彩の指を握り直す。
「命が生まれる現場に立ち会って……。ただ可愛いだけじゃなくて、命の重さと向き合う時間があって」
「動物の命を支える仕事をしたいと思ったの。それが本気の願いになって……だから、二人で獣医学部を目指そうって」
部屋に、しんとした空気が降りた。
しばらくの沈黙のあと、舞がふわりと笑った。
「なるほどね……それは、軽い気持ちでは選べない道ね」
「うん。簡単じゃないことも分かってる。でも、本気なの」
桜彩の声は真っ直ぐで、どこまでも静かだった。
それが単なる思い付きではなく、充分に考えた結果による答えだということを伝えるには充分なほどに。
「受験勉強はこれから本格的にだけど、お互い支え合いながら……必ず、夢を叶えたいと思っています」
真剣な目で目の前の両親を見て宣言する。
その言葉に、四人はふっと目を細めた。
「……なんだか、少し大人になったような気がするわね」
「ええ。少し見ないうちに……」
そう言って若葉が笑みを浮かべると、隣に座っていた美玖が肩をすくめた。
「ほんとほんと。弟がそんな風に誰かと夢を語るようになるなんて、ちょっと泣きそう」
「そうね。私も妹がそんな道を選ぶなんて思ってもいなかったけど。でも応援するわよ」
感慨深そうに顔を合わせるシスターズ。
「そうか。真剣に考えたんならそれでいい。学費の方も心配はいらない。私も応援するよ」
「うん。それだけきちんと考えているのならな」
宗也と空も頷いてくれる。
皆の言葉に自然と頬がゆるむ。
隣を見ると、桜彩も肩の荷が下りたのか小さく息を吐いた。
「それじゃあ、進路調査票にそう書いておくよ」
そう言って怜は、夏休み前に配られた進路調査票を自室から持って来る。
「せっかくだし、今日記入しちゃおうかな」
何の迷いもなく第一希望の欄に『獣医学部』と書き込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
桜彩は隣の怜の迷いのないペン先の動きを肩越しから覗き込む。
「桜彩も後で書きなさいよね」
「……う、うん。あ、私もこっちに持って来てるんだ」
進路について両親を説得する為に、色々と鞄に資料を入れて持ってきた。
そしてその鞄の中には進路希望調査票も入っている。
自分の鞄をごそごそと探り、折りたたまれた進路調査票を取り出した。
しかし、紙を広げた瞬間――その手がぴたりと止まった。
(あっ……)
氏名欄に記載されているのは『光瀬 桜彩』。
第一希望の欄に記載されているのは『怜の所に永久就職』。
以前書き込んだその内容が目に入って硬直してしまう。
(け、消してなかった! )
顔が急激に熱を持っていく。
自分で見ることはできないが、赤面どころではない、むしろ耳まで真っ赤なのは間違いないだろう。
慌てて調査票を折りたたもうとしたのだが、手を滑らせてソファテーブルの下に落ちてしまう。
慌てて拾おうと身をかがめたのだが、それより先に葉月がそれを手に取った。
「あっ、だめっ、それ返してっ!」
「え?」
慌てて手を伸ばして取り返そうとするが、葉月の動きは素早く、既に調査票をテーブルの中央に置いていた。
怜を含めた七人の視線がそれに集中してしまう。
「第一志望が怜さんの所へ永久就職?」
「えっ、第一希望でそれ!? 本気じゃん!」
すかさず反応する舞と葉月。
「いやいやちょっと待って。ほら、名前の所も!」
「あらあら」
それに気が付いた美玖と若葉も微笑ましそうにそれを眺める。
「ほう。そこまで考えていたのか」
「怜。良い人を見つけたな」
空と宗也もニコニコとした目を向けてくる。
「…………ッ!」
隣では怜が真っ赤な顔のまま、ピクリとも動かず固まっていた。
そこに書かれていた『光瀬 桜彩』、『怜の所に永久就職』という文字を、何度も目でなぞるように見つめたまま、固体のように。
「あの、俺も……それは、うん……」
なにか言いかけたようだが、口から出たのはただのかすれた音だった。
桜彩はテーブルに崩れ落ちてしまう。
恥ずかしさで身動きもできず、鞄を抱えて膝を抱える。
「う…………うううううううぅ~っ!!」
口から出るのはうめき声。
もう何も考えることができない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方で怜は、桜彩の進路調査票を見て固まってしまう。
(い、いや、う、嬉しいんだけど、これは……)
もちろんそう描いてくれることは嬉しいことに変わりはない。
しかし、今この場にいるのは怜と桜彩だけではない。
ある意味陸翔と蕾華に見られた方がマシだっただろう。
「いや~これはいい思い出になるねぇ……。怜、どう? 嬉しかったでしょ?」
美玖が肩を揺らしながら怜に囁いてくる。
「…………」
真っ赤なまま、怜は無言で小さく頷いた。
「わああああああ!! 見なかったことにしてえええ!!」
隣ではある意味いつも通りにいっぱいいっぱいになった桜彩が顔を隠して呻いている。
見なかったことにしてと言われても、それはもちろん無理なのだが。
「でも、いいんじゃない? 夢があるってことは、それだけ未来にちゃんと向き合ってるってことよ」
「うんうん。しかも、凄く可愛い夢ね」
若葉と舞は頷いて、優しく微笑を向けてくる。
その視線は怜に何か言ってやれ、と訴えているようだ。
「……ありがとな」
「……え?」
桜彩の声は小さく、かすれていた。
だが怜はゆっくりと頷く。
「そうやって、俺のことを想ってくれてたの、すごく嬉しかった」
「…………っ」
握られた手に力が込められる。
だがまだ、桜彩の顔は上がらない。
そんな桜彩の手を怜もぎゅっと握り返す。
「恥ずかしくなんてないよ。俺の夢にも、ずっと桜彩がいるから」
そう告げると、桜彩は思わず顔を上げた。
柔らかく、優しく、少し照れたような笑みを浮かべて。
「ッ……! もう、ずるいよ……」
ようやく言葉を返せた桜彩は、ぎゅっと怜の手を握り返す。
頬にはまだ赤みが残っていたけれど、その表情には確かな笑顔が戻っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そんな二人のやり取りを、六人は優しく見守っていた。
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