第424話 両家顔合わせ② ~報告後の団欒~
笑い声が絶えない団欒の中で、テーブルの上のお茶もすっかりぬるくなっていた。
ふと、舞が湯飲みを置いて、若葉の顔をじっと見つめた。
「……あの、失礼ですがが、若葉さん」
やや遠慮がちに、けれど確かな確信を含んだ声に、首をかしげる若葉。
「はい?」
「もしかして……、新城若葉さん、ではありませんか?」
その言葉に、一瞬場の空気がぴたりと止まる。
その指摘に若葉は照れくさそうに苦笑しながら首を縦に振る。
「はい。私の旧姓は新城で間違いありません。最近はあまり頻繁ではありませんけれど、月に一度くらい、情報番組でコメントをさせていただいてます」
「やはりそうでしたか! 料理番組や情報番組で、何度もお見かけしていて……。こうしてご本人にお会いできるとは!」
驚きに満ちた舞の声に、宗也がお茶をひと口すする。
「本人ですよ。昔から変わらない。家でも、テレビと同じ口調で味の解説をしてますから」
舞は目を丸くしつつ、驚きと同時にどこか腑に落ちたような表情を浮かべる。
「それでは怜さんの料理が上手なのも納得ですね」
「いえいえ、家ではそんな立派な姿は見せてないんですけどね……」
若葉は照れくさそうに肩をすくめたが、その表情には誇らしさもにじんでいた。
「強制はしなかったのですが、美玖も怜も自然と料理に興味を持ってくれて、今では私よりずっと研究熱心です」
「本当に……。葉月はともかく桜彩はすっかり影響受けています。昨夜に話した時も、毎日の晩ご飯をどう作るかって話題ばかりで」
怜と桜彩は顔を見合わせ、小さく笑う。
「そういえば……この前、お味噌の違いを教えてもらったって話してたよね、桜彩」
「あ……うん。味がぜんぜん違うって教えてもらって。実際に飲み比べてみたら、本当にびっくりした……」
「へえ、それはなかなかいいレッスンを受けたわねえ。あ、そうだ。今度葉月もやってみる?」
美玖がにやりと笑い、手を伸ばして葉月の肩を軽くつつく。
「わ、私は遠慮しておくかな……」
「あなたも桜彩を見習ってもっと料理の練習をしなさい」
舞の言葉に葉月はバツが悪そうに顔を背ける。
若葉もそのやり取りを微笑ましそうに見つめながら、ふと柔らかな声で言った。
「桜彩さんの感覚はとても鋭いですね。味を素直に言葉にできる人は、料理も上手になりますよ」
「……そうなの?」
桜彩がこそりと袖を引いて、小さな声で問いかけてくる。
「ああ。誰かに伝える為に味を考えるってのも大事だな。現に桜彩は凄い早さで上達してるし」
「……ありがと」
怜の言葉に、桜彩は顔を赤くして照れてしまう。
「……ほんとうに、良い関係だなあ」
「親としても、ありがたい限りです」
宗也と空も柔らかく笑う。
「そういえば、桜彩さんの絵は舞さんから教わった物と伺いましたが」
若葉が何気ない調子で問いかける。
「はい。私はイラストを描く仕事をしていますので、その影響もあって、幼い頃から葉月と桜彩は良く絵を描いていました」
控えめにそう答えた舞に、若葉が目を丸くする。
「まあ、イラスト……! いったいどのような物を?」
「書籍の装画が多いです。児童書や料理本のカバーを中心に……。他には企業の販促物に使われるようなものや、メッセージアプリに使うアイコンなども少し」
「そうなのですか。あの、もしよろしければタイトル等をお伺いしても?」
若葉の言葉に、舞は少し恥ずかしそうに頬を掻く。
それを見た怜は、そんなところも桜彩と似ているな、などと思ってしまう。
「あの『風とスープの日々』や『木漏れ日のレシピ帳』などで表紙を描かせていただきました」
「まあっ!」
若葉の声が急に高まり、興奮した様子で手を鳴らす。
まるで宝物を見つけたかのように目を輝かせながら、舞に向けて身を乗り出す。
「私、本棚に並べて飾ってるくらい好きなんです、あのシリーズ。暖かくて繊細で、それでいてちょっと幻想的で……。ページをめくる手がふわっと軽くなるような……」
舞は一瞬ぽかんとしたが、すぐに目を瞬かせて笑った。
「ありがとうございます。もう何年も前ですけれど……」
「私、もう何度も手に取っているのですが、表紙を見る度に手を止めて見入ってしまって――」
いつになく饒舌に語る若葉の姿に、怜と美玖は驚いた顔で顔を見合わせた。
このような母の姿は本当に珍しい。
「母さん、そんなに好きだったんだ」
「ええ。だって、あれは名作よ。あのカバーと挿絵の優しさがあってこそ、レシピの世界が広がるように思えるくらいに」
若葉の熱弁に、舞もほころぶように笑みを深くした。
「そんなふうに感じてくださる方がいらっしゃると、本当に嬉しいです。……絵って、言葉とはまた違う形で伝わるものなので」
「ええ……。絵の力って、本当に大きいと思います」
絵は言葉とは違う形で伝えてくれる、それは怜も経験がある。
桜彩の絵にも、母親譲りの優しさと温度が宿っている、怜はそれを誰よりも知っていた。
若葉の言葉に怜は横で頷きながら、桜彩の方をちらりと見ると、桜彩は少し照れくさそうに俯いている。
「桜彩も絵が得意で……。先日も桜彩の描いてくれた絵を飾ってみたのですが、とても和むというか……」
「ちょ、ちょっと怜……!」
思わず出たその言葉に、桜彩が恥ずかしそうに小声で抗議する。
とはいえその表情に嬉しさが宿っていることも見て取れる。
そんな姿を見た皆が、優しい視線を向けてくる。
「小さいころから、絵を描くのが好きだったの。でも、最近は別の目標ができて……それもまた、すごく大切なことだと思ってる」
「素敵ですね。好きなことがあるって、本当に幸せなことですもの」
若葉はふんわりと頷き、すっかり打ち解けたように、舞と自然に会話を続けてる。
「そうだ。桜彩、成績の方はどうだ? 前の学校では問題なかったが、転校してから」
空の問いに桜彩はふっ、と笑って答える。
「うん、大丈夫だよ。前期中間テストも問題なかったし」
「そうか。それなら安心だな」
学校が変わったとはいえ桜彩の成績が維持されていることを聞き、空と舞は満足そうに頷く。
「でも、怜に色々と教わったからね。過去のテストの傾向とか、対策集とか」
「そうなの? 怜君、ありがとう」
舞が柔らかな笑みを向けてお礼を言う。
「いえ、私は大したことはしていませんから」
それに対して怜は首を横に振る。
実際に桜彩は怜が教えるまでもなく授業についていけているし、怜がいなくとも充分上位に入っただろう。
「大したことだよ。凄く分かりやすかったもん。だからあれは私だけの力じゃないって」
「そんな事言ったら俺だって桜彩と一緒に勉強してるからさ。俺の成績だって桜彩のおかげってところがあるぞ」
日頃から桜彩と一緒に勉強するようになって、昨年よりも効率が上がった。
それに文系に関しては桜彩の方が理解が深い為、怜が教わることも多々ある。
「そんなことないって。現に怜は去年からずっと順位は一位だったんでしょ?」
「あら、そうなのですか?」
「それは凄いな」
桜彩の言葉に舞と空が思わず目を見開く。
「いえ。ですがやはり桜彩と共に勉強するようになって、私自身も理解が深まっていますし。それに、転入してきたにもかかわらず、私と僅差の二位の桜彩の方が凄いですよ」
「あら、桜彩ちゃんも凄いのね」
「うん。驚いたよ」
今度は若葉と宗也がその事実に驚愕した。
「ちょ、ちょっと……言うほどのことじゃ……」
桜彩が焦ったように手を振る。
「ほんとに、たまたまです。範囲が得意だったのもあるし、それに、怜に助けてもらったおかげですよ……」
「いや、だからそれは桜彩自身の力だって」
「ううん、怜の――」
「はいはい、そのくらいにしておきなさい」
「ええ。二人共凄いってことで良いじゃない。
そこでシスターズが割って入る。
怜と桜彩はお互いに顔を見合わせて、恥ずかしそうに俯いてしまう。
「二人は将来のことをどう考えているんだい? もう高校二年生の夏休みなんだ。目指すべき進路の方も、徐々に決めていかなければいけないだろう?」
「うん。まだ一年以上ある、ではなく、もう一年と少ししかないのだからね。幸いなことに二人共成績は良いみたいだし、選べる道も多いとは思うけど」
宗也と空の言葉に、怜と桜彩は視線を交わして頷き合う。
そう、つい先日話し合った将来の夢。
それについて、ここでしっかりと伝えておきたい。
「その件だけど……。実は、二人で将来、獣医を目指そうって話をしたんだ」




