第410話 ウサギの出産① ~出産の立ち合い~
新キャラではないですが、一応再度簡単に紹介を
藤崎 幸也 (ふじさき ゆきや):獣医 陸翔の幼稚園のウサギ達やバスカー、クッキー、ケットを定期的に診てくれている 第335話にて一度だけ登場
この日、怜と桜彩は陸翔の両親の経営する虹夢幼稚園に訪れていてた。
と言っても本日は幼稚園も夏休みとなっており、子供達との触れ合いの予定はない。
そんな中、陸翔と蕾華を含めた四人で飼育小屋へと足を向ける。
本日の目的は、幼稚園で飼っているウサギの出産だ。
「今日くらいからってことだよな?」
「ああ。出産前の行動はもうしてたから、今日くらいが目安だって藤崎先生が言ってたぞ」
ということは獣医からのお墨付きと言うこと。
「で、どんな感じだ?」
「やっぱ産まれる直前っぽいんだけど」
幼稚園の一室、冷房の効いたそこに設置されている飼育小屋では、数羽のウサギが生活している。
小屋を指差す陸翔に倣って怜も中を覗き込む。
中では母ウサギが横になり、いつもよりも大きめの息をしていた。
「夏の出産だからな。大事ないと良いけど」
「ああ、そうだな」
ウサギの繁殖期は本来は春である。
とはいえ年間を通して繁殖が可能で、夏でも出産することもある。
ただし、夏の暑さはウサギにとってストレスになる。
夏の暑さはウサギにとって熱中症のリスクを高め、四十度を超えると痙攣などの症状が出ることもある。
それ故に、飼育小屋は暑さ管理にかなり気を遣って出産しやすい環境を整えていた。
「早く産まれないかな」
「うん。気になっちゃうよね」
蕾華と桜彩も飼育小屋の中を見ながら期待に胸をそわそわとさせている。
「まあ落ち着けって。俺達人間側が緊張し過ぎってのも良くないけどな」
そんな二人を落ち着けようと怜が優しく声をかける。
すると隣の桜彩が苦笑しながら口を開いた。
「うーん……。でも、無理かも。さっきからドキドキしてお腹すいた気がする」
「それ、緊張じゃなくて桜彩が食いしん坊なんじゃ……」
「あーっ、怜、今食うルって思ったでしょ!」
む、と目を吊り上げて睨む桜彩。
ペンとスケッチブックを置いて、ずいっと詰め寄って来る。
「いや、食うルなんて思ってないって!」
「嘘! 絶対に思ったーっ!」
「それは桜彩が気にしすぎ!」
「そんなことない! むーっ、お仕置きだ!」
言うが早いか、桜彩が手を伸ばして体をくすぐってくる。
「ぎゃはははっ! やめて! 桜彩、誤解だって!」
「このっ! このっ! 反省しなさい!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それを見て呆れる親友二人。
「なんだかこの二人を見てたら緊張が薄れてきたかも」
「本人達は必死なんだろうけど、いちゃついてるだけだしな。なあ、バスカー?」
「バウ……」
隣に座るバスカーに陸翔が問いかけると、バスカーも呆れたように返事をする。
「バスカーもお腹すいてたりして」
「じゃあ産まれたら、赤ちゃんウサギと一緒にご飯タイムだな」
「えっ、それ癒しすぎる」
陸翔が隣に佇むバスカーへと声を掛けると、そうだとばかりにバスカーも声を上げる。
ウサギと仲の良いバスカーも気になるのだろう。
「まあ、案ずるより産むが易しとも言うしな」
「本来の言葉通りの意味だな」
「まあ、確かにね」
「そうだね。アタシ達には待つしかないよね」
「そうだな。動物はそういうのに敏感だから、緊張が伝わっちまうかも。だよな、バスカー?」
「バウッ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そのまま四人とバスカーで、幼稚園の中の飼育小屋が見える位置で待機する。
「まだかな、まだかな」
「そう焦るなって」
「でもーっ!」
出産が待ち遠しい蕾華を陸翔がなだめる。
一方で桜彩は飼育小屋の中にいるウサギの絵を描いていた。
「しっかし本当に上手だよな」
「ふふっ、ありがと」
鉛筆のみで描かれたウサギだが、それぞれに特徴が出ておりとても上手に描けている。
絵の中のウサギなのに、本当に出産しそうなくらいだ。
「わあっ、本当に可愛い! サーヤ、凄いね」
「だよなあ。あ、それじゃあ産まれた後の赤ちゃんウサギもスケッチするか?」
「うんっ。もちろん」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ウサギの出産を待っていると、次第に辺りが暗くなってくる。
夏とはいえもうこれ以上待つのは良くないだろう。
「もう遅い時間だし、怜とさやっちは帰るか?」
「そうだな。残念だけど」
「うん。あ、でも二人だけで大丈夫なの? もしかしたら徹夜になるかもだし」
「あ、それは大丈夫。ウサギの出産は基本的にオレ達人間の手は必要ないし」
「えっ、そうなの?」
陸翔の答えに桜彩が軽く驚く。
陸翔の言う通り、ウサギの出産に人の手が介入する必要はない。
だからこそ幼稚園を経営する陸翔の両親も時々様子を見に来るが、四人のように付きっ切りで側にいるわけではない。
「っていうか、むしろ人の手が介入する方が良くないしな」
「ああ。陸翔の言う通り、ウサギってのは安産が多いんだ。数十分で何羽も産むし、へその緒も自分で嚙み切るから」
この辺りは怜もいろいろと調べた。
インターネットを使ったり、幸也に話を聞いたりして、万全の状態で出産に立ち会う為に。
「まあ、出産に立ち会えないのは残念だけど、俺達はそろそろお暇するよ」
「うん。それじゃあね、蕾華さん、陸翔さん」
「ああ。またな。産まれたら知らせるから」
「じゃあね、二人共……って、あっ!」
怜と桜彩が立ち上がって帰ろうとしたところで、蕾華が声を上げる。
視線の先を追うと、小屋の中で母ウサギが落ち着かない様子で巣に入ったり出たりを繰り返していた。
前足で藁をかき分け、時折自分の毛を口にくわえて運び、巣を何度も整えている。
「これってもしかして……?」
「そろそろ、かも……」
冷房が効いているはずなのに、どこか空気がぴんと張りつめる。
バスカーでさえ、音を立てることなく陸翔の足元で静かに伏せていた。
やがて、母ウサギは巣に潜りこむと、くるりと体を丸め、その場から動かなくなる。
「出産、だよな……?」
「見てみるか?」
「もちろん」
もし出産となれば帰るどころではない。
四人揃って小屋の元へと駆けつける。
母ウサギは小屋の中で丸まったまま動いていない。
どうやら本当にお産が始まったようだ。
「凄く緊張するよ……」
心配そうに桜彩が呟く。
「大丈夫。ちゃんと見てるから」
そう言って、怜は隣に立つ桜彩の手にそっと触れた。
いつものように繋ぐのではなく、優しく包み込むように掌を添える。
桜彩が一瞬、きょとんとしてから頬を染めた。
「いきなり触るなんて、びっくりするよ……」
「緊張してるの、顔に出てたから。な?」
「そ、それは……そう、だけどさ……」
照れくさそうに視線を逸らす桜彩。
けれど、手は逃げずに、むしろ怜の指を小さく握り返してきた。
「じゃあ……こうしてる間は、ちょっとだけ緊張、忘れていい?」
「うん。俺もそうしてたい」
まるで、ウサギの静かな鼓動に合わせるように、ふたりの間に柔らかな空気が流れる。
「……なんか、変だね」
「何が?」
「こんな状況なのに、手を繋ぐだけで、ちょっとドキドキしてる」
「俺は、桜彩と一緒ならどこでもドキドキしてるけど」
「うん……私もだよ」
耳まで真っ赤なまま手を握り返してくれる。
少しだけ指を絡めてくる仕草が可愛くて、怜も笑みをこぼした。
「あっ、見て……!」
巣箱を覗いていた桜彩が小さく声を上げる。
怜達三人も桜彩の横から巣箱を覗き込む。
巣箱の奥で母ウサギ身じろぎし、わずかに踏ん張るような姿勢を取る。
やがて、藁の隙間から、小さな鳴き声と共に、小さな赤い塊が生まれ落ちた。
「……!」
声にならないほどの感動が怜の胸を打つ。
ほんの手のひらにも満たない、小さな命。
しかし、新たな命の誕生の目撃だ。
「凄い……生まれた……!」
感激に声を震わせる桜彩。
怜はそんな隣に立つ桜彩の手をそっと握る。
桜彩は驚いたようにこちらを見て、恥ずかしそうに笑い、でも手を離さなかった。
母ウサギは子ウサギの身体を舌で優しく舐めていく。
濡れた産毛が乾いていくその様子を、四人で息をひそめて見つめ続ける。
やがて、二羽目。三羽目。
新しい命が、次々と目の前に産まれてくる。
「……なんか、泣きそう」
「分かる。こんなに静かなのに、心の中はざわざわしてる感じだ」
ぽつりとつぶやく蕾華に陸翔も同意する。
「良い調子だな。このまま無事に終われば良いけど」
「そうだな」
まだ気を抜けない。
そう思って出産を見守り続けていたのだが――
「おい、五羽目が出てこないぞ!」
陸翔の焦った声が室内に響き渡った。
次回投稿は月曜日を予定しています




