第399話 恋人同士で始まる日常
午前六時半過ぎ、怜は自宅のベッドの上で目を覚ます。
普段よりも一時間程度遅い起床時刻。
目覚ましもセットしていなかったので、旅の疲れも出たのかいつもよりも長く眠ってしまった。
普段の起床後の日課では、伸びをして身支度を済ませた後、桜彩と共にジョギングへと向かう。
しかし今日に限ってはその日課から外れることになるだろう。
胸の上に乗っている、というかしがみついているというか、そういった感触を感じる。
その感触の正体の方へとゆっくりと顔を向けると、年相応のあどけない少女の穏やかな寝顔が目に映る。
「くぅ…………」
穏やかな寝息をたてながら、甘えるようにくっついている桜彩。
「ふふっ……」
嬉しそうな笑みが顔に浮かんでいる。
「ははっ……」
それを見た怜の顔にも笑みが浮かぶ。
先日までの『言葉では定義できない自分達だけの特別な関係』に加えて『恋人』となった。
しがみついている手に、自分の手をそっと添える。
(恋人……。俺の、彼女…………)
このシチュエーション自体は昨日も経験しているのだが、旅行中という非日常の時とは違い、日常に戻って来た今はまた別の感動が押し寄せてくる。
「桜彩」
「ん……」
空いている方の手をそっと差し出して頭を撫でると、桜彩も無意識に手を重ねてくる。
しばらくそのままでいると桜彩の瞼がゆっくりと開き、とろんとした目を向けてくる。
「怜、おはよ……」
「ああ。桜彩、おはよう」
嬉しそうな笑みを浮かべながら朝の挨拶をしてくれる桜彩に怜も笑みを浮かべておはようと返す。
「えへへ。なんだかいいよね、こういうの。怜の部屋で目を覚まして、何よりも早く怜を見て」
「俺も。起きたら桜彩がいて、そしておはようって言って」
「うん。まあ今日は特別だけどね」
「そうだな。さすがに毎日はな」
あくまでも今回のお泊まりは特別。
高校生の男女である自分達が頻繁に相手の部屋に泊まるわけにはいかない。
「もどかしいけどね」
「まあ、将来にとっておくか」
「うん。将来にね……あ、え、えっと、しょ、将来って……」
「え……あ…………」
桜彩と共に一緒のベッドで起きて、おはようという将来を想像してしまい、それがつい口に出てしまった。
しかしそれが意味するところは――
「あ、そ、その、そう言う意味じゃ――いや、うん。まだ先かもしれないけど」
そう言う意味じゃない、と言おうとしたのだが、そのごまかしはしてはいけない。
しっかりと桜彩を見つめてそう言葉を告げると、桜彩は一瞬驚いた後で嬉しそうにはにかむ。
「……うん。私も楽しみにしてる」
「まだ充分先かもしれないけどさ。でも、その時はちゃんと言うから」
「……うん。私から言っちゃうかもしれないけどね」
「告白の時みたいに同時かもしれないぞ」
「えへへ。それも素敵だね」
その将来について、まだずっと先の、しかし必ず訪れるであろう将来を考えながら二人はゆっくりと体を起こす。
ようやく恋人になった二人。
恋人として過ごしていく日常が今日から始まっていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝の身支度を終えた後、桜彩は一度自室へと戻ることとなる。
何しろ今着用しているのは薄手の猫耳パジャマ。
怜としてはとても可愛らしくとてもよく似合っていると思うのだが、とはいえそれで一日過ごすのは桜彩としても微妙だろう。
「それじゃあ一旦お別れだな」
「うん」
またすぐに会うことができるとはいえ、そのわずかな間だけでも離れるのが寂しい。
「そ、そう言えばさ、桜彩はよく眠れたか?」
まだ離れたくなくて、どうでもいいことを聞いてしまう。
「うん……。えへへ、良い夢見れたからね」
うっすらと赤くなった頬ではにかみながら告げてくる。
「どんな夢?」
「え……? ええっと……内緒……」
夢の内容を聞くと、幸せそうだった桜彩が少しばかり慌てながら視線を逸らす。
そんな桜彩の反応に、怜はむぅ、と唸ってしまう。
「なんか、そう言われると気になるな」
「え、えっとね……」
「桜彩?」
「……怜が、夢の中でキスしてきたの」
「……………………は?」
桜彩の言葉に思わず声が裏返る。
それはつまり、桜彩の夢の中に出てきた自分が桜彩へとキスをしたということで。
「すっごく優しくて、ちゃんと私の目を見て。それで、そっと……」
「ちょ、ちょ、待った……」
桜彩の口から漏れる具体的な内容に、思わず耳を塞ぎそうになってしまう。
夢の中の自分に嫉妬する、なんて滑稽すぎると思う。
だが、桜彩のうっとりとした目を見ていると、つい言葉が漏れた。
「……夢の中の俺、ちょっとズルくないか」
「ふふっ、でもね……本物の怜の方が、ずっと素敵だよ。朝、目が覚めて、夢の中の怜は消えちゃったけど、でも現実にはもっと素敵な怜が側にいてくれて」
「う……」
「それにさ、キスも……昨日の夜、ちゃんと……してくれたし」
今度は怜の方が言葉を失う番だった。
桜彩は恥ずかしそうに目を伏せながら、薄いピンク色の唇を少しだけ尖らせた。
「……だから、もう一回夢の中で会ったら、今度は私からキスするね」
「……じゃあ、現実では?」
「え?」
「現実では……どっちから?」
その問いかけに、桜彩は一瞬きょとんとした顔をして――そして、ふわりと笑った。
「それは…………」
怜の目を見つめながら、そっと踵を上げて爪先立ちになる。
パジャマの猫耳フードを後ろに外して、その顔が全て見えるようになる。
そんな桜彩に怜もそっと顔を寄せ、桜彩の方も目一杯背伸びをし、怜の首へと手を回す。
「「ん……………」」
触れ合う唇と唇。
繋がっている部分から相手の暖かさを強く感じる。
名残惜しさを感じながら唇を離すと、桜彩が真っ赤な顔をして見上げてくる。
「現実では……二人一緒に、だね……」
「ああ。二人一緒に、だな」
どちらかからではなくどちらとも。
こうして二人で一緒のことを考えて、そして触れ合えるような関係になったことが本当に嬉しい。
「……なんか、夢みたいだよな」
ぽつりと呟いた怜に、桜彩も微笑んで頷いた。
「私も……。まだ、ふわふわして夢から覚めてないみたい」
「夢かどうか……ほっぺ、つねっていい?」
「ダメ」
即座に拒否された。
「なんで?」
「だ、だってさ、怜は絶対に私のほっぺた、強く引っ張らないでしょ? だから、今のこの素敵な時間が夢じゃないかって疑っちゃうんだもん…………」
少しイタズラっぽく拗ねながらの桜彩の言葉に怜の心臓がどくりと跳ねる。
正直、このような不意打ちでときめかせてくるのは本当に心臓に悪い。
「む……。桜彩のほっぺた、触りたかったんだけどな」
「え? そうなの?」
「ああ。前に触ったことあるけどさ、すべすべでとても気持ち良いし」
「う、うううぅ~っ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
怜の言葉に桜彩が顔を隠して唸る。
(怜、それはズルいよ。そんなこと言われたら、断れないじゃない……)
大切な恋人に頬を触られたい。
しかし優しくつねられて、今のこの瞬間を夢だなんて思いたくない。
その思いが桜彩の中で葛藤する。
「そ、それじゃあさ、つねるんじゃなく、触るだけなら、ね…………」
折衷案を口にする。
頬を触りたいというのであれば、別につねる必要はない。
これなら自分としても夢だなんて勘違いすることはないし、怜に頬を触ってもらえる。
「分かった。それじゃあ触るぞ」
「う、うんっ……! どうぞっ……!」
覚悟を決めて頬を差し出すと、怜は少しだけ身をかがめて桜彩の頬に手を伸ばし――顔を近づけて頬にキスを落とした。
頬に伝わる唇の感触に、ビクリと体が硬直してしまう。
「……っ……ずるい……」
「ずるくない。触るって言ったけどさ、手で触るなんて言ってないし」
「――ッ!! と、とりあえず、私、着替えてきちゃうね!」
真っ赤になっているであろう顔を両手で覆い隠し、逃げるように自室へと戻って行く。
お揃いのキーホルダーの付いた鍵を鍵穴に挿そうとするが上手にいかず、何度か繰り返してやっと玄関の鍵を開けて中に入る。
(ほ、本当に怜はズルすぎるよぅ…………)
七月七日、七夕ということで七夕関係の短編でも書こうかな、と思ったのですが、既に第332~334話で書いていました……。
ということは置いておいて、ここから第八章になります。
ついに恋人同士となったことで、恋人としてのスキンシップを書いていければな、と思います。
恋人同士となったことで、これまでの日常が変わっていく予定です。
とはいえ、恋人同士になる前から手を繋いだりとかあーんとか、色々とやっていたので、それにより甘さを加えることができるように頑張っていきます。
まだほとんどノープロットですが、書きたい内容はいくつかあり、それを組み立てながら書いていく予定です。
そして、この話のエンディングについては昔から頭の中にありますので、第八章以降はそこに向けての内容も書いていく予定です。
大まかに言うと、恋人となったことで、その先の未来を目指して進んで行く予定です。
第八章でも宜しくお願い致します。




