第396話 エピローグ① ~旅行から戻って~
その後はコテージを片付けたり土産を買いに行ったりして楽しく過ごした。
そして名残惜しさを感じながら地元へと戻って来る。
陸翔と蕾華を自宅へと送り届けた後、怜と桜彩のアパートへと向かう。
「はい、到着よ」
「じゃあまたね、二人共。旅行、どうだった?」
アパートの前で車が静かに止まると、車内にしんとした静けさが訪れた。
シスターズの声が、ちょっとだけ名残惜しさを含んでいるように感じる。
「……最高だったよ。ありがとう、送ってくれて」
「ありがとうございました美玖さん。それじゃあね、葉月」
お礼を言って後部座席から荷物を抱えて降りる。
隣同士に住む二人の部屋はもう目の前。
エントランスに向けての歩みが、なぜかゆっくりになる。
いや、なぜかではない。
怜も、そしてきっと桜彩も、まだ別れたくない。
最高の思い出にいつまでも浸っていたい。
「おーい、ラブラブさんたち。道のど真ん中で見つめ合ってないで、早く荷物運びなさーい」
葉月がからかうように窓を開けて車内から手を振る。
桜彩は顔を赤らめて、軽く手を振り返す。
「……じゃあ、またね、葉月」
「うん、ちゃんと戸締まりしなさいよ。それと、夜更かしはほどほどにね」
車が去っていくと、あたりはすっかり静けさに包まれていた。
小さな虫の声、かすかに吹き抜ける夏の夜風。
蒸し暑いその風は、つい先ほどまでいた避暑地のものとは比べ物にならない。
隣に立つ二人の影が、オレンジ色の街灯に寄り添って伸びていた。
「……ついに帰ってきちゃったね」
「ああ……。なんだか、夢みたいだったな。ほんとに、全部」
「…………夢なんかじゃないよね? この旅行の出来事全部」」
「…………ああ。夢じゃない。俺と桜彩は、恋人同士だ」
「…………ふふっ、うんっ」
桜彩が荷物を肩に掛け直し、そっと微笑む。
先ほどまでの海、花火、コテージ──そして、告白とキス。
楽しかった記憶の断片が、まるで映画のようにふわりと通り抜けていく。
「桜彩」
そっと桜彩へと右手を差し出す。
それを見て、桜彩もふっ、と笑って左手を差し出してくる。
「……ん。手、繋ごうね」
「ああ」
ためらいがちに、けれど嬉しそうに差し出されたその手を、怜はしっかりと握った。
これまでと同じく、細くて、温かい指先。
しかしその繋ぎ方は、これまでとは違う。
お互いの指と指を絡ませ合う、いわゆる恋人繋ぎ。
そして二人でエントランスへと入っていく。
「この入口も、なんだかちょっとだけ特別に感じるな。前は毎日通ってたのに」
お揃いのキーホルダーの付いた鍵で自動ドアを開けて中へと入りながらぽつりと呟く。
「……だよね。世界が違って見えるって……ほんとなんだ」
繋いだ手にきゅっ、と力が込められる。
「さっきまで、みんなと一緒だったのに、今はもう二人きりだね」
「少し寂しいな」
苦笑しながらそう言うと、桜彩も同じくくすりと笑う。
「ちょっとだけね。でも、怜と二人きりなのも嬉しい」
「ああ。俺も嬉しい。こうして桜彩と一緒に手を繋いで、一緒に部屋に向かうのが」
「えへへーっ」
照れ隠しのように笑いながら前髪を触る桜彩の横顔を見つめながら、これまでのことを思い返す。
第一印象は、隣に住んでいる『クールな女の子』だった。
しかし、すぐに『クールだけど実は寂しがりやな女の子』になって。
ちょっとしたきっかけで『クールに見えて、実は感情豊かな女の子』だと分かって。
一緒に過ごすうちに『ちょっと不器用で、でもとても努力家』で。
料理を教えながら、キッチンで何度もドジを見てきた。
それを徐々に克服していって、今ではもう普通に料理もできるようになって。
そんな女の子が今ではこうして並んで歩いていて、隣にいるだけで心が弾む『恋人』になった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
エレベーターが到着して、二人の部屋はもう目と鼻の先。
既に玄関の扉も見えている。
「……なんか、不思議だな。玄関はもうすぐそこなのに、足が遅くなってる気がする」
「私も。怜と一緒のこの時間が終わっちゃうのが寂しくて……。もうちょっとだけ、歩きたい」
「じゃあ、どこか行くか?」
「ううん。そうしたいのはやまやまだけど、荷物もあるし、歩き疲れてるし……」
「そっか。じゃあ、名残惜しいけど……」
「うん……」
ゆっくりと歩を進め、やがて怜の部屋の玄関の前へと辿り着く。
「なあ、桜彩。俺達、ちゃんと『戻って来た』んだよな」
「うん……。ねえ、怜。私、自分の部屋に入る前に、先に怜の部屋に入っても良い……?」
どこか寂し気に桜彩が問いかけてくる。
「やっと戻って来たって思うと、なんだか『ただいま』って、言いたくて」
「もちろん。それじゃあ一度、俺の部屋に帰るか」
「うん」
恋人繋ぎをしたまま、空いている方の手でポケットからお揃いのキーホルダーの付いた鍵を取り出し、鍵を開ける。
玄関のドアを開いて桜彩と見つめ合う。
「一緒に入るか?」
「うん」
怜の提案にクスリと笑みを浮かべて頷く桜彩。
そして桜彩と共に玄関を越える。
「桜彩」
「怜」
お互いに向き合って、そして顔に笑みを浮かべる。
「「ただいま」」
声が重なって、玄関にふわりと広がった。
そして、次の言葉が自然と重なる。
「「……おかえり」」
笑みを浮かべながらお互いの目を見つめ合っていると、繋いだ手が少しだけ汗ばんでいるのに気づく。
それがなんだか、胸をきゅんと締めつけた。
見慣れたの玄関でありいつもの場所。
ようやく長かった旅行が終わり、日常に戻っていく。
「ねえ、怜……」
「ん?」
「その……旅行の終わりにさ。思い出に、もう一回……」
「……俺も、同じこと考えてた」
二人の足が止まる。
重なる視線。
荷物の入ったボストンバッグや土産の入った袋を廊下へと置き、一度繋いだ手を離して、今度は正面からそれぞれ両手を搦め合う。
「桜彩……」
「うん……。優しくしてね」
小さく笑い合ったその瞬間、唇をふわりと重ねる。
「ちゅ…………ん…………」
「……んっ」
ほんの少し、触れ合うだけのキス。
だけど、それは確かなぬくもりを持っていて、心の奥にじんわりと広がっていく。
長くはなかった、だが優しさと名残惜しさが混じった甘いキス。
「ありがとう、怜」
「こっちこそ、ありがとう。最後まで、最高の思い出にしてくれて」
「うん。でも最後なのは旅行だけだからね。これからはずっと、明日も、明後日も……」
微笑みながらそう言った桜彩の言葉に怜の胸がぎゅっと締めつけられる。
手をそっと離す。
桜彩が荷物を持ち直して、自室の玄関へと向かう。
ポケットからお揃いのキーホルダーの付いた鍵を取り出して玄関を開けると、怜も自分のキーホルダーを桜彩へと見せて、二人で笑い合う。
「……じゃあ、今日はおやすみ、だな」
「うん。おやすみ、怜」
二人で同時に玄関の扉をぱたりと閉める。
だが、心はまだ繋がっているような気がするのは気のせいではないだろう。
第七章のエピローグはまだ続きます。
すみません。私用により明日は更新できません。
明後日には更新できるように頑張ります。




