第388話 日焼け止めとお礼と開かれた扉
「それじゃあ次は私の番だね」
桜彩へと塗り終えたところで役割を交代。
にこやかに笑いながらそう告げた桜彩に、怜は照れ笑いを浮かべながら背を向けてうつ伏せになる。
「頼むよ」
「うんっ」
言葉の裏にあるのは単なるお願い以上の、特別な時間を共有する喜び。
「それじゃあ塗るね」
背中に桜彩の指先がそっと触れる。
日焼け止めの冷たい感触を感じ、怜の肩がぴくりと震える。
「冷たっ」
「あ、ごめん。でも我慢してね」
「驚いただけだから大丈夫だって」
背中をゆっくりと桜彩の指が滑っていく。
肩甲骨から背中の中心、そして左右へと丁寧に日焼け止めが広げられていく。
先ほど桜彩の背中へと塗った時と同様に、こうして桜彩に塗られている感触も昨日とはなんだか違っているように感じる。
(これが恋人同士のスキンシップってことなのか)
背中に桜彩を感じながら、そのようなことを思う。
「ねえ、怜」
「ん? どうかしたのか?」
「こうやってさ、肌に触れるだけで、なんだか不思議な気持ちになるよね。そりゃあ昨日までだってこうして触れ合うことはあったけどさ」
「そうだな。昨日までも緊張したけど、やっぱりこれまでとは違って感じるよ」
「ふふっ。怜もなんだ」
お互いに同じことを思っているのが嬉しい。
その事実に頬が赤らんでしまうのが自分でも分かる。
「ひゃっ! くすぐったいっ!」
「あっ、ゴメンね。でももう少しだけ。ちょっと塗り残ってるから」
「ん……。うぅ……」
手のひら全体で、脇腹をなぞるように日焼け止めを伸ばしてくれる。
その感触に、くすぐりに弱い怜の肩がすくんでしまう。
「ふふっ。これで大丈夫だよ」
「ありがと。本当に桜彩って丁寧だよな」
「怜も丁寧だけどね。それにさ、大好きな人に、ちゃんと塗ってあげたいから」
「ああ。俺もだ」
恋人になったという事実をお互いに何度も確かめるように会話する。
新たな空気がしっかりと二人を繋いでくれているのが分かる。
「次は腕だね」
桜彩は怜の右腕をそっと持ち上げて、内側からゆっくりと塗り始める。
「ぬりぬり……ぬりぬり……」
塗り残しのないように日焼け止めを塗ってくれる。
その目には、わずかな塗りの腰も見逃さない真剣さが宿っている。
「桜彩」
「え?」
「そんなに真剣な顔されると、やっぱ照れるな」
「そ、そうかな……?」
慌てて桜彩は表情を緩める。
「まあ、今みたいな笑顔でも照れるけど」
「うん。確かにね」
結局のところ、照れてしまうことに変わりはない。
そう言って桜彩は左腕も同じように日焼け止めを塗り広げていく。
そして背面を塗り終えたところで一段落。
「そ……それじゃあ、前も、塗る、ね……?」
羞恥で顔を真っ赤にしながら、桜彩がボトルへと手を伸ばす。
やはりというか、桜彩のお腹に塗った時点でそれは想像できてはいたが。
「あ、ああ……。お願い……」
「う、うん……。それじゃあ……」
怜も顔を真っ赤にして頷き仰向けになると、桜彩はそっと日焼け止めを垂らしてくる。
「昨日、ここ少し赤くなってたよね。今日はちゃんと塗っておかないと」
「んん……ふ…………」
桜彩の指がこそばゆくなって体が動いてしまう。
「こら、怜! じっとしてて! 上手に塗れないでしょ!」
「じ、じっとしててって……。く、くすぐったくて、身体が勝手に……」
「ほら! しっかり塗らないと意味ないから!」
「って言われても、自分じゃどうしようもないんだって!」
悶えながらも桜彩の手の感触に耐えていると、徐々にその手が下がっていく。
胸を塗り終えて、今度は脇腹からおへその辺りへ。
「ふふっ。怜のおへそだ」
「いや、あんまり見られると恥ずかしいし……」
「む……。さっき私のを見たじゃない! それにくすぐったりして。あっ、そうだ!」
桜彩の目に怪しい光が宿る。
それを見た怜の背中に冷や汗が滲む。
「怜、さっきはよくもやってくれたよね」
「あ、あの、桜彩?」
その問いに桜彩は答えずに、怜のおへその辺りを指でくすぐる。
「こちょこちょこちょこちょ」
「ひゃあっ! ちょ待っ! やめっ! わあっ!」
「悪い子にはお仕置きが必要だよね」
「お、お仕置きって! ふわっ!」
先ほどおへそをくすぐられたのを根に持っているのか、桜彩がどんどんとくすぐってくる。
「ほらほら! ごめんなさいは?」
「ご、ごめんっ!」
「ふふっ。よろしい」
すぐに謝ると、桜彩はふっと笑みを浮かべて手を止めてくれる。
本格的にやり返されなかったことに安堵する。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
日焼け止めを塗り終えた後、桜彩は手を止めて怜と向き合う。
「桜彩、ありがとな」
「うん。あの、それで、その、ね……」
何かを期待するような上目遣い。
これが何を意味しているのかは怜にも分かる。
「そ、それじゃあ日焼け止めを塗ってくれた恋人に、その、お礼、しないと……な……」
「っ! う、うん……。お礼、してもらえる……?」
くいっ、とわずかながらに顎の角度を変えて、お礼をしやすいように調整してくれる。
「それじゃあ、お礼、するぞ」
「うん……。ん…………」
「ん…………」
自分の唇を、桜彩の唇へと触れ合わせる。
数秒間触れ合わせた後、ゆっくりと離れて桜彩と向き合う。
「ありがと。とっても素敵なお礼だったよ」
「……どういたしまして」
二人揃って照れくさそうに笑みを浮かべる。
その目には穏やかで、でもどこか芯の強い想いが宿っていて。
「それじゃあ、桜彩。もう一回、お礼、しても良いか?」
「……うんっ。お礼、欲しいな」
恋人同士になって初めての『お礼』は、コテージに響く微かな波音と陽光の中に静かに溶けていって――
ガチャ
「れーくん! サーヤ! そろそろ準備できたー!?」
「そろそろ行こーぜ!」
コテージに響く微かな波音と陽光と、『扉の開く音』と『親友の声』の中に溶けていって――
お礼をしている最中に、突然開かれた扉。
お礼、つまりキスをしたまま、二人の視線が扉の方へと向けられる。
そこにあったのは親友の顔。
一刻も早く遊びたいと二人をせかしにきたであろう蕾華と陸翔の顔に浮かんでいた満面の笑みが、一瞬にして驚愕に変わる。
四人全員で固まってしまう。
その中でいち早く復帰した蕾華と陸翔が、ニマニマとした笑みを浮かべる。
「それじゃあごゆっくりー」
「アタシ達先に行くからねー」
バタン
怜と桜彩が何かを言うより先に、部屋の扉が閉められた。
「あら、あの二人はどうしたの?」
「まだ時間かかるみたいっすよー」
「アタシ達先に行っちゃいましょー。すぐ来ると思いますよー。一時間くらいしたら」
葉月の声に見当違いの返答をする親友の声が扉の外から聞こえてくる。
「ってまて! 誤解だあっ!」
怜は慌てて扉を開けて、親友二人の後を追う。
「え? 何が誤解なの? れーくんとサーヤ、キスしてたよね」
「えっ!? キス!?」
「ちょっと、それ本当なの!?」
蕾華の言葉を聞いたシスターズが大急ぎでリビングから二階へと駆けてくる。
「あ……う……」
「う……うううううう~っ……」
扉を開けたまま固まってしまう怜と、部屋の中で真っ赤な顔を覆ってしまった桜彩。
当然ながら、今しがたの出来事を話すまで解放されることはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――恋人になったという事実が、こうしてどんどん現実になっていく。
ちょっと恥ずかしくて、でも嬉しくて。
夏の朝の眩しさの中で、二人で小さな幸せを噛みしめて。




