第378話 浴衣に着替えて
昼食後も海で遊び、夕暮れにはまだ早いタイミングで六人はコテージへと戻る。
バーベキューの後もボール遊び等様々なイベントをこなしていった。
とはいえ怜や陸翔、蕾華といった体力自慢の三人はともかく桜彩もまだまだ元気いっぱいだ。
その表情に疲労は感じられない。
なにしろ本日、この後には大きなイベントが待っている。
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バーベキュースペースでスペアリブの炭火焼きとバーニャカウダーで早めの夕食を楽しんだ後は、風呂で汚れを落とす。
怜と陸翔が簡単にシャワーを浴びた後、女性陣と入れ替わり陸翔と蕾華に割り当てられた部屋へと向かう。
「さて。それじゃあ怜、この後は花火大会だな」
「ああ。ってかこっちの部屋に何があるんだ?」
リビングで女性陣を待つつもりだったのだが、陸翔にこの部屋へと誘われた理由が分からない。
「まあちょっと待ってろって」
「……?」
怜の問いに答えずに陸翔は自分の持ってきた荷物の中を漁り始める。
数秒後、中から何かを取り出して怜の前へと広げて見せた。
それを見た怜の目が点になる。
「……なんだ、これ?」
「なんだって、浴衣を知らねえのか?」
「いや、知ってるけどな……」
陸翔が広げて見せているのは一着の浴衣。
橙と白のコントラストが涼し気で、どこか落ち着いた雰囲気が感じられる。
「ってなわけで怜、着替えだ着替え」
「え?」
「え? じゃねえよ。これ、オレが着る為じゃなく、お前が着る為に持ってきたんだからな」
「…………そういうことか」
つまりはサプライズということだろう。
「ほら、早く着替えろって! お前なら確実に似合うに決まってんだから!」
「あ、ああ……。ありがとな」
もちろん怜としてもそれを断る理由などない。
「つか、よく浴衣何て用意したな。そもそも花火を観に行くって決めてなかったのに」
人混みが苦手な怜(と桜彩)は、花火を観に行くかどうか悩んでいた。
観に行くと決めたのは、昨日神社で隠れスポットを教えて貰ったからだ。
「まあ悩んでるようなら適当に理由付けるかさやっちを煽って連れ出すつもりだったし」
「そういうこと……」
陸翔の返事に苦笑してしまう。
とはいえ結果としては有難い。
親友の心遣いに苦笑しながらも浴衣を手に取り着替えていく。
当然ながらサイズは怜にピッタリと合う。
まあ怜と陸翔は体格も似ているのでその辺りは全く問題なかったのだろう。
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「え……?」
シャワーを浴びた桜彩は脱衣所で戸惑ってしまう。
ケアを終えて服を着ようとしたところ、蕾華にその腕を掴まれてしまった。
「えっと、蕾華さん……?」
下着姿のまま蕾華へと問いかける。
このままでは着替えができない、一刻も早く怜の元へと行きたいのに。
そんな思いもあって戸惑う桜彩に、蕾華はにっこりと笑みを浮かべる。
「サーヤ。着替えるのはそっちじゃなくてあっち」
そう言って蕾華は葉月の方を指差す。
そちらでは葉月も蕾華と同じように笑みを浮かべながら、一着の浴衣を掲げていた。
「え……? 葉月、これって…………」
「サプライズよ。花火を観に行くんでしょ? だったらこれを着て行きなさい」
手渡されたのは薄桜色に水色の朝顔模様があしらわれた浴衣。
目を見張るほどに上品で可愛らしい。
「ほらほら、サーヤ! 早く着てって!」
戸惑う桜彩の背中を蕾華が押してくる。
おそるおそる葉月から浴衣を受け取り、葉月の手を借りながら浴衣を着る。
「わあっ! サーヤ、凄い!」
「素敵よ、桜彩!」
「ええ! 本当に綺麗ね」
その場にいる女性陣三人からの称賛の言葉。
脱衣所の鏡を確認すると、いつもとは違った雰囲気の自分の姿が映っている。
「ほらほらサーヤ! これで終わりじゃないんだからさ!」
「え? 終わりじゃないって……」
「ほら! 髪飾りも着けよっ!」
「え? えっと……」
戸惑う桜彩をよそに、蕾華はヘアピンで髪をアップにまとめていく。
「うんっ! やっぱり髪飾りも似合うよね!」
「あ、ありがと……」
「はい。お財布とか必要な物はこれにまとめておいたからね」
そう言いながら葉月が巾着を差し出してくる。
これも雰囲気に合わせてということだろう。
「サーヤ! 頑張ってね!」
「ええ。頑張りなさいよ」
「自信もって良いわよ。桜彩ちゃん、とっても魅力的なんだから」
「あ、ありがとうございます……」
まさかここまで用意してくれているとは思わなかった。
この心遣いが本当に嬉しい。
「あ、向こうも準備できたって!」
同じく浴衣に着替えた蕾華がスマホを操作して声を上げる。
おそらく陸翔に確認をしたのだろう。
「それじゃあサーヤ! さっそくれーくんにその姿を見せてあげよっ!」
「えっ……!? ちょ、ちょっと待って! ま、まだ心の用意が……!」
「もう! どうせすぐに見せることになるんだから!」
そう言って蕾華はそれ以上桜彩の言い訳を聞かずに脱衣所の扉を開けてしまう。
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「おっ! 向こうも用意出できたってよ」
同じく浴衣に着替えた陸翔がスマホを操作して声を上げる。
おそらく蕾華からメッセージが来たのだろう。
「ちょ、ちょっと待て! 心の準備ってのが……」
「んなもんどうでもいいだろ」
そう言って陸翔は部屋のドアを開ける。
とはいえこの姿を桜彩に見せる決心はまだついてはいない。
「いや、だから……」
「あーもううるせえ! とにかく行け!」
「ちょ……」
陸翔に強引に手を取られ、部屋の外へと押し出される。
流れのまま怜の階下へと向いた怜の目に映ったのは、同じように蕾華に手を引かれて来た桜彩の姿だった。
「「あ…………」」
目が合う。
思考が止まる。
とても綺麗な美少女が、同じくとても綺麗な浴衣を着てそこに居た。
よく考えれば陸翔達が怜にだけ浴衣を用意するわけはなかった。
これ以上ない不意打ちに目を奪われてしまう。
水着のような露出があるわけではない。
しかしそれでいて、水着と同等に魅力的な衣装を纏った大好きな相手。
「ほら! 早く降りようぜ!」
「あ、ああ……」
陸翔と共に階段を降りて、桜彩の元へと歩いて行く。
「怜……。お、お待たせ……。なんか、変じゃない、よね?」
「全然変なんかじゃないって。……凄く、似合ってる」
「ほ、ホントに……?」
「ほ、本当に……」
「そ、そっか……。嬉しいな……」
そう言って桜彩が頬を赤らめる。
そんな表情もまた可愛い。
こればかりは何度見ても慣れることはないだろう。
「その、ね……。怜も恰好良いよ……」
「お、おう……。あ、ありがとな……」
「うん…………」
お互いに顔を真っ赤にして照れて、でも嬉しくて。
パシャッ
そんな二人を陸翔と蕾華は写真に収めていく。
「ほらほら! 本来の目的は浴衣じゃなくこれからの花火なんだから!」
「そうそう! ほら、行こうぜ!」
陸翔と蕾華が手を繋いで玄関へと歩いて行く。
「桜彩」
「うん」
そっと差し出した怜の手に桜彩の手が重ねられる。
手を繋いでお互いに見つめ合う。
冷房が効いた部屋の中、少し熱を帯びた空気。
「俺達も行こうか」
「うん。そうだね」
クスリと笑い合って親友二人の背中を追ってコテージを出る。
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何度も口にした『言葉では定義できない自分達だけの特別な関係』、今の怜と桜彩の関係。
まだ名付けられていない恋が、静かに動き出そうとしている。
なんとなく、そんなように感じた。




