第358話 旅行に行こう
夏休み。
この単語を聞いて想像する物は人によりけり。
しかし統計を取れば、恐らく上位に位置するであろう事柄は想像がつく。
夏祭りや花火大会、バーベキュー。
そして
「「うー!! みー!!」」
陸翔と蕾華が揃って大声を張り上げる。
目の前に建物の奥に存在するのは砂浜、綺麗に透き通った海水、つまるところ海。
頭上には雲一つない青空が広がり、太陽がその存在を主張している。
とはいえこの辺りの沿岸は水深が深く海底の冷たい水が海水面まで上がり風が冷やされる為に、普段過ごしている所よりは気温が低く風も吹いているので遥かに過ごしやすい、いわゆる避暑地に分類される。
「うーん! 本当に綺麗!」
「そうね! 想像以上に素敵な所ね!」
美玖と葉月の二人も車から降りて、目の前に広がる風景に目を輝かせる。
「んーっ!」
車から降りた怜が両手を上に挙げて伸びをする。
長い間車の中にいたので少しばかり体が固まっている。
そして車の中に最後までいた人物、桜彩がゆっくりと車から降りてくる。
着ているのは白いワンピース。
薄手のそれがそよ風にゆらゆらと揺れておりこれで麦藁帽でも被っていれば、まるでフィクションに出て来る田舎の避暑地に来た令嬢のイメージそのままだろう。
「んーっ、良い所だねーっ!」
車から降りて周囲を見回した桜彩が目を輝かせる。
眼前に広がる海から鼻に届くのは潮の香り。
耳には煌めく波音が静かに押し寄せてくる。
海と逆方向を向けばそこには素敵なコテージ。
白い木の壁は夏の陽射しをやわらかく映し、青い窓枠は空と海の色を映す額縁のよう。
その奥には先ほど陸翔と蕾華が声を上げた海が煌めいている。
コテージの奥が小さな入り江のような形であり、実質的にプライベートビーチとなっている。
ここが本日からの、総勢六名の宿泊場所だ。
一通り周囲を見た桜彩が怜の方を見てニコリと微笑む。
胸元には初デートの時に贈り合った星のネックレスがキラリと光る。
当然怜の胸元にも三日月のネックレスが揺れている。
地元から遠く離れたこの場所ではこうして大っぴらにお揃いのアクセサリーを着用できるのがとても嬉しい。
「ふふっ。旅行、楽しみだね」
「ああ。思い出をたくさん作ろうな」
「うんっ!」
桜彩とニコリと笑い合う。
楽しい思い出が待っているのはもはや決定事項だ。
「ほらほら。こんな暑い所にいつまでもいないで、早く中に入りましょ」
美玖の言葉で、皆で荷物を持ってコテージの中へと入って行く。
何故このような状況になったのかは少し前にさかのぼる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
七月下旬――
ピピピピピピ
夏休み序盤に怜の部屋で開かれる勉強会。
その合間にゲームをしていると、怜のスマホ着信を知らせる。
「ごめん、ちょっと待って」
コントローラーを置きながらスマホへと目を向けると、発信者には見知った名前が表示されていた。
「姉さん?」
スマホに表示された『光瀬 美玖』という文字を見て首を傾げながらも通話を押すと、聞きなれた声が聞こえてくる。
『あ、怜。今大丈夫?』
「姉さん。大丈夫だけど、何かあったの?」
何か問題でも発生したのだろうか。
首を傾げると、それが伝わったのか美玖が話を続けて来る。
『ああ、別にトラブルとかじゃないからそこは心配しないで』
「そう。それなら良いんだけど。それじゃあ何?」
トラブルでないというのなら一安心だ。
であれば用件は何なのだろうか。
『その前に怜、今そこに誰かいる?』
「桜彩と陸翔、蕾華と遊んでたとこ」
『分かったわ。それじゃあ怜、あなた夏休みの予定は決まってるの?』
「具体的には何も。基本的に四人で遊んだりバイトしたり。もちろんちゃんと勉強もするけど」
『ああ、勉強に関しては疑ってないから大丈夫。それじゃあ予定はないってことで良いのね』
「うん」
『そう、それなら良いの。一応聞いておくけど桜彩ちゃんや陸翔君、蕾華ちゃんは何か大きな予定ある?』
「ちょっと待って」
一度スマホから耳を離し三人に確認を取ると、三人共特に決まっていないとのこと。
「三人共予定ないって」
『良かった。あ、そうだ。怜、スピーカーモードにして皆に聞こえるようにしてもらえる?』
「ん、りょーかい……はい、オッケー。スピーカーモードになったよ」
言われた通りにスマホをスピーカーモードに設定し、会話が三人にも聞こえるようにする。
『ありがと。それじゃあみんな、八月前半の予定を空けておいてもらえる?』
「え? 何で? いや、俺は別に構わないんだけど……みんなもオッケーだって」
三人の方を見ると、皆大丈夫だと頷いてくれた。
とはいえいきなり予定を空けておいてとはいったいどういうことか。
また美玖がこちらに戻って来て、その時に何か話でもあるのだろうか。
そんなことを考えていた怜だが、その耳に飛び込んで来た次の美玖の言葉は予想の遥かに上を行く内容だった。
『旅行に行くわよ!』
「は? え? 旅行?」
予想外の返答に呆気にとられてオウム返しに聞き返してしまう。
『ええ。海と山の近くにあるコテージに泊まりがけでね。あなた、去年やりたかったって言ってたでしょ?』
「まあ言ったけどさ。でも色々と条件があってね」
基本的に未成年である怜の行動は日帰りである。
保護者の許可を貰えば旅館等に泊まることも可能なのだが、それはそれで手続きが面倒だ。
『ほら、あたしはもう二十歳になってるから立場上問題ないの。だからあたし達と一緒に旅行に行くわよ』
「ちょっと待った。あたし『達』って?」
達、と言うことは美玖以外にも参加者がいるということだ。
『決まってるじゃない。葉月よ。葉月はまだ二十歳じゃないけど』
どうやら葉月はまだ誕生日が来てないらしい。
「守ちゃんは?」
保護者枠という観点や美玖の恋人という立場から考えても守仁も一緒に来るのが普通だろう。
桜彩も陸翔も蕾華も守仁とは知り合いだし、信頼度は高い。
そう問いかけると電話の向こうで美玖が残念そうな表情を浮かべる。
『守仁は大学の方の用事があって残念ながら不参加。ってなわけで詳しいことはまた今度話すから。あ、そうだ。ちゃんと水着用意しなさいよ。それじゃあまたね』
それだけ伝えられて通話が切れた。
既に繋がっていないスマホを見て呆然と固まってしまう。
「…………ってわけなんだけど」
たっぷり十秒以上呆気にとられた後、三人の方を向いて確認する。
「えっ、やった! 泊まりがけで旅行ってことだよね!?」
目を輝かせた蕾華が身を乗り出してくる。
「美玖の姐さんに葉月さんか。気心知れてるし楽しくなりそうだよな」
陸翔も蕾華と同様に、既にこの状況を受け入れている。
二人共順応するのが早すぎではないだろうか。
「桜彩は?」
「あ、うん。私も構わないよ」
ということは後は怜だけ。
もちろん怜としても問題ない、むしろ楽しみではある。
「分かった。それじゃあ姉さんから連絡来たらまた話すよ」
「私も葉月と話してみるね」
何はともあれ八月に六名でコテージに泊まりがけの旅行ということが決定事項だ。
ならば充分に楽しむとしよう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ひとまず上手くいったな」
「うん。あとは向こうでだね」
喜ぶ怜と桜彩の陰で、陸翔と蕾華はそう頷き合う。
この件に関しては既に美玖や葉月からあらかじめ話が通されていた。
もちろん怜と桜彩をくっつける為の作戦である。




