第324話 寝ぼけたお目覚め、再び
放課後、怜は当然ながら桜彩のことが心配な為に即座に帰宅した。
エントランスの郵便受けのキーロックを解除し中を覗くと、そこには怜の部屋の玄関の鍵とそっくりの鍵が入っていた。
これは怜の部屋の鍵ではなく桜彩の部屋の合鍵だ。
昼休みの桜彩と
『放課後、すぐに帰るから』
『うん、ありがと』
『あ、でも寝てるのを起こすのはまずいか』
『それだったら合鍵を郵便受けのとこに入れとくよ。インターホンとか鳴らさないで入ってきて良いからね』
『良いのか?』
『うん。怜なら構わないよ』
『でも体調悪いのにエントランスまで来るのは辛いだろ?』
『気にしないで。それに体調の方はもうほとんど大丈夫だしさ。なんなら午後から授業に出ても良いしね』
『それは駄目。分かった。それじゃあ入らせてもらうよ』
『うん。遠慮しないで入ってね』
という会話がなされた為だ。
一度自室へと戻り私服に着替えた後、買い置きしてあったスポーツドリンク等々を持って桜彩の部屋へと向かう。
鍵を開けようとしたところで、ふと手に持った合鍵を見てしまう。
桜彩の部屋の合鍵がこの手の中にあることを強く意識してしまう。
(こ、これって……なんだか本当に同棲してるような…………)
とはいえここで固まっているわけにもいかない。
意を決して鍵穴へ鍵を差し込む。
「すー……はー…………。よ、よしっ……!」
深呼吸したのち小さく声を上げて鍵を回すと、当然ながら鍵が開く。
「桜彩、入るよ……」
小さな声で断りながらドアを開ける。
いくら本人が許可したとはいえ、家主の許可なく部屋へと入るのはどうにも緊張してしまう。
それも好きな人の部屋なのだから当然だろう。
(こうして桜彩の部屋に入るのも久しぶりだな……)
普段一緒に過ごしている二人だが、基本的には桜彩が怜の部屋で過ごすことが常であり、その逆は数えるほどしかない。
不審者騒動で初めて桜彩の部屋に入った時と同様に、桜彩の部屋の香りにドキドキとしてしまう。
そのままそろそろと忍び足でリビングの方へと移動してドアを開ける。
「ここにもいないか」
ある意味予想通りというか、リビングにも桜彩の姿はなかった。
ということはおそらく寝室で寝ているのだろう。
寝室に向かう前に持ってきた物を桜彩の部屋の冷蔵庫へと入れる。
やはりというべきか、普段桜彩は怜と共に怜の部屋で食事をしている為、冷蔵庫の中にはほとんど何も入っていなかった。
「桜彩、入るよ?」
寝室の扉をノックして小さな声で確認するが、中から返事は聞こえない。
扉を開けると予想通り桜彩はベッドの中で寝息をたてていた。
昼に本人が言っていたように体調はほぼ回復しているようで、顔色は良く穏やかな表情で寝ている。
(どうやら本当に大丈夫そうだな。良かった)
ひとまず調子が良さそうな桜彩を見て怜も一安心して安堵の表情を浮かべる。
(っていうか、やっぱ桜彩って可愛いんだよな……)
桜彩の寝顔を見て改めてそう思う。
「う……ん……」
すると桜彩が軽く寝返りを打ったので、掛け布団が少しはだけてしまう。
(あっ……)
そこにあったのは怜がプレゼントしたぬいぐるみ、れっくん。
先日桜彩が言っていたように、本当に毎日一緒に寝ているらしい。
(いや、嬉しいんだけど…………)
相手はぬいぐるみ、それも自分がプレゼントしたぬいぐるみ。
それは分かっており、それはそれで嬉しいのだが、とはいえ胸にモヤモヤとしたものを抱えてしまう。
(…………?)
それが嫉妬だとは気が付いていないが。
(でも、桜彩と猫のぬいぐるみってのはそれはそれで似合ってるんだよな)
そんなことを考えていると、桜彩がれっくんをぎゅっと抱きしめる。
(むぅ……)
それを見て再び怜の心に嫉妬心が湧き上がったのだが、とりあえずそれには気が付かなかったことにする。
「ま、まあとにかく布団を直すか」
はだけられた掛布団。
夏とはいえ部屋の中はエアコンの除湿運転により快適な温度が保たれている。
故に体調不良がぶり返さないようにはだけられた布団を桜彩へと掛け直す。
「これで良し、と」
「ふぅ……」
桜彩の首下まで掛布団を掛け直したところ、怜の手が桜彩の口の手前に来る。
瞬間、桜彩の口から漏れた吐息が怜の手に当たった。
「あ…………」
その感触に怜の手がびくっと止まる。
心地好いというかこそばゆいというか、何とも表現しがたい。
(……少しくらいなら)
引こうと思っていた手を止めて、桜彩の頭へと伸ばして優しく撫でる。
風呂上がりのケアの時も思ったのだが、サラサラの髪の毛の感触が気持ち良い。
「ん…………」
頭を撫でると桜彩が安心したような声を漏らす。
先ほどよりも更に嬉しそうな表情で無意識に怜の手を受け入れてくれる。
それを見た怜もふっ、と柔らかな表情を浮かべ、桜彩の頭を撫で続ける。
「こうしてみると、全然クールって感じじゃないんだよなあ」
学園内では二人の関係を隠している為に、基本的にクール系美人として通っている桜彩。
まあ最近は蕾華のおかげかその化けの皮も若干剥がれかかっている気がしないでもないが。
「やっぱり可愛いんだよな」
頭を撫でる手を一度離して、人差し指で桜彩の頬をぷにっと押してみる。
「んんっ…………」
一瞬驚いたような表情を浮かべるが、すぐに先ほどと同じように嬉しそうな表情に戻る。
(桜彩のほっぺた、柔らかいな。癖になりそう)
ぷにぷにと連続で頬を押すと、その度に桜彩の表情が変わり、そしてすぐに戻る。
「ん……ふ…………」
するといきなり桜彩が頬を押す手を掴んで来た。
驚いて手を離そうとするが、桜彩は怜の手を離すことなく、自分の頬へと押し付けるようにする。
(ま、良いか……。役得ってことで……)
桜彩の方からそうするのならしょうがない。
それを免罪符にして、怜はそっと桜彩の頬を撫でる。
「ふふ…………」
気持ち良さそうに声を上げる桜彩。
そんな桜彩を見て、怜も表情を緩めてその頬を撫でていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふぅ…………」
しばらく頬を撫でていると、その感触の為か徐々に桜彩が覚醒していく。
目が開いたり閉じたりを繰り返し、半覚醒した瞳が怜を捉える。
「れい……?」
「ああ。おはよう、桜彩」
「ん……。おはよう、怜……」
半覚醒の状態で怜を認識した桜彩が寝ぼけながらも挨拶を返してくれる。
「えへへ……れいだ……」
にへらっと嬉しそうに笑みを浮かべる桜彩。
そして再び怜の手を自分の頬へと押し付けて来る。
「れい……もっと撫でて…………」
先日、一緒のベッドで起きた時のように甘えて来る。
(可愛すぎるだろ、これ……!)
寝ている時も可愛かったのだが、寝ぼけながらの甘え方はもう破壊力の桁が違う。
心臓のドキドキが収まらない。
「れい……、撫でてくれないの……?」
桜彩の可愛さに慌てていると、桜彩の表情が悲しげなものに変わる。
「あ、いや、すぐに撫でるから……」
「うん……。えへへ~っ……」
桜彩のリクエストに頬を撫でる手を動かすと、すぐに嬉しそうな表情に戻る。
「えへへ……。やっぱり怜に撫でられるの好きだなあ……」
「ッ!!」
その『好き』という単語に再び動揺してしまう。
(だ、だから落ち着けって! 桜彩の『好き』ってのは頬を撫でられることであってだな……!)
勘違いしないように(勘違いでもないのだが)心をしっかりと保とうと努力する。
しばらく撫でていると、徐々に桜彩も本当に覚醒してくる。
「んん……。ふぅ……。気持ち良いよぅ…………。ん……あれ……? 怜……?」
「あ、ああ。おはよう。目は覚めたか?」
「え、えっと、私…………」
しばらく無言で固まりながら怜の顔を見つめてくる。
すると現状を理解したのかその顔が一気に真っ青に染まった。
「あ、桜彩……?」
「ご、ごめんっ!!」
瞬間、先日と同様に桜彩が掛け布団を思い切り引っ張って顔を隠す。
「ほ、本当にごめんっ! わ、私、また怜に……」
「い、いや、大丈夫だって」
「わ、私、私…………」
その後、桜彩の部屋へと親友二人が尋ねて来るまで、桜彩は顔を覆った掛布団を離すことは無かった。
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