第322話 着替え中のハプニング
朝食の片付けを終えた後、歯を磨いた怜は寝室へと戻っていく。
ジョギングの時間を削った分、いつもよりも時間に余裕が出来ている。
これなら登校時刻までゆっくりと桜彩の話し相手を務めていてもいいかもしれない。
「桜彩、入るぞ?」
「あ、うん」
ノックをしながらそう言葉を掛けると中から桜彩の声が返って来る。
ひょっとして寝ているのかな、と思ったのだが、起きていてくれて何よりだ。
いや、病人としては寝ていて欲しいのだが、それは怜の登校後に桜彩の自室でゆっくりと回復に努めてもらいたい。
「どうしたの?」
「いや、片付けが終わったから桜彩と話そうかなって思って。あ、でも桜彩が辛いなら……」
「ううん、大丈夫だよ。もう朝より調子が良いもん」
軽やかに桜彩がそう答える。
実際に朝食を食べて多少なりとも体力が回復したのだろう。
「何かしてほしいことはあるか?」
「うーん、あ、えっと……」
そこで桜彩は少しばかり恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「どうかしたのか?」
「え、えっとね……歯を磨きたいなって」
「あ、そうか。確かにな。起きられるか?」
「うん、大丈夫だよ」
そう言いながら桜彩はベッドから体を起こす。
とはいえ怜としても心配なのは変わらない為、桜彩を支えるように手を差し出すと、桜彩もにっこりと笑ってその手を取る。
「ふふっ、ありがと」
「どういたしまして」
桜彩の手を持って軽く力を入れて引っ張り上げて桜彩を立たせる。
とはいえ桜彩の体調はそんなに悪いわけではなさそうなので、そこまでする必要はないかもしれないのだが。
しかし桜彩はそんな怜に対して嬉しそうに笑みを浮かべる。
「それじゃあ怜、洗面所までエスコートお願いね」
「ああ。お任せあれ」
「ふふっ」
そう互いに笑みを浮かべながら、桜彩を洗面所までエスコートすることにした。
「あっ、そうだ」
「え?」
桜彩の言葉に怜がそちらの方へ振り向くと、桜彩が繋いでいた手をおもむろに離す。
そして怜の手を取って抱き着くような体勢をとった。
必然的に手を繋いでいる時よりも桜彩の体重が怜へと掛けられる。
「ふふっ。エスコートしてね」
「……ああ、任せろ」
そんな感じで桜彩を受け止めながら、怜は桜彩を洗面所まで用意した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ありがとね」
「ああ」
洗面所まで案内したところで桜彩が怜の手を放し、一人で洗面所の中へと入っていく。
さすがに二人揃って中に入る必要はないだろう。
ちなみに基本的に桜彩の食事はいつも怜の部屋で食べている為に、桜彩専用のコップと歯ブラシもちゃんと洗面所に置かれている。
(……さてと。少し早いけど着替えるかな)
普段、怜が制服へと着替えるのは登校の直前だ。
しかし今日は着替えを置いている寝室を桜彩が使っている為に、今の内に早めに着替えておいた方が良い。
そう判断して踵を返して寝室へと向かう。
「さてと……」
トレーニングウェアを脱いで壁に掛けられている制服を手に取る。
ふとベッドの方へと視線を向けると、少し乱雑にはだけられた掛布団が怜の目に留まる。
(……よく考えたら、今、俺のベッドに桜彩が寝てたんだよな…………)
その事実に気が付いて怜の頬が赤くなる。
ふと考えてみると、部屋の香りもなんだかいつもとは違う気がする。
(……い、いや、気のせいだろ。桜彩がこの部屋に入ったのなんて何度もあるわけだし)
頭を振って馬鹿な考えを追い払おうとする。
実際に怜が体調を崩した時や、紙芝居の作成の際に桜彩は怜の寝室へと入っている。
むしろ入っていた時間だけを考えれば今日よりもそちらの方が長いくらいだ。
(お、一昨日の夜もそうだったし……)
敷布団に掛布団、それに枕。
その全てに桜彩が身を寄せていた。
その事実を意識してしまい、怜の顔が赤くなる。
(俺、今日寝れるかな……?)
先日はそのことを意識しすぎてしまい、寝付くまでに時間が掛かってしまった。
もちろん今日の夜も、怜はこのベッドに横になり眠ることとなるだろう。
それはつまり、前回と同じように桜彩を包んでいた布団に自分が包まれるということで――
(ってバカなこと考えるなって! 今は着替えだ、着替え!)
浮かんだ考えを追い払おうと頭を振ってから着替えを再開する。
しかし、そのような考えをしている最中にも当然時間は進み続けている。
つまりどういうことかというと、無駄に長く考え事をしていたせいで、制服のスラックスを履いている途中に寝室の扉が開いた。
「怜? おまた……せ…………」
「え…………?」
寝室の扉が開き、そこから桜彩が入って来る。
二人の視線が絡み合う。
一瞬ののち、もの凄い勢いで扉がバンッと閉められた。
「ご、ご、ご、ごめんっ!! わ、私、そ、そ、そんな、そんなつもりじゃなくて……!」
閉められた扉の向こう側から桜彩が叫ぶようにして謝ってくる。
「い、いや、別に大丈夫だからさ」
とはいえ怜も顔を真っ赤にしたままそう答える。
「わ、私、な、何も見てない! 見てないから!」
とりあえず制服を着用してから扉を開けると、そこには怜の部屋に背を向けて丸くなって座り込んでいる桜彩が居た。
扉の開く音に反応したのか首を回して怜の方に顔を向ける。
「え、ええっと……本当にゴメンッ! いきなり扉を開けちゃって!」
「い、いや、桜彩は悪くないって。俺が一言も言わずに着替えていたのが悪いんだからさ」
むしろ着替えていることを想定する方が難しいだろう。
「だから本当に悪かった。変なモン見せて」
そう言いながら桜彩へと頭を下げる。
男性の着替えシーン、下着など見ていて気持ちの良い物ではないだろう。
しかし怜の言葉に桜彩は慌てて首を振った。
「あ、う、ううん! へ、変だなんで思ってないから!」
「え? あ、ああ……」
「そ、それにさ……その、私もさっき怜に見せちゃったし……」
「あ…………」
「えっ……あっ…………」
それを聞いて怜の脳内に朝の光景が浮かんでくる。
体温計を使う際に捲られた裾から見えた灰色の布地、つまるところ桜彩の下着。
言った桜彩本人も失言に気付いて顔を赤くしてしまう。
「と、とにかくお相子ってことで忘れよ! ね!?」
「あ、ああ! さ、桜彩がそれで良いなら……」
「う、うん! そ、それじゃあそういう事で……!」
恥ずかしさを隠すように大声を出す二人。
そんな二人を部屋に置かれたぬいぐるみたちはなんだかなあ、というような目で眺めていた。




