第321話 病人食と『あーん』②
「ふーっ。あーん」
「あーん」
何度か桜彩の口へと雑炊を運んでいくと、さすがの桜彩も食べるスピードが遅くなっていく。
それでもさすがは『食うルさん』だけあって食欲は充分にあるようだが。
ということで、桜彩が口を動かしている間に怜も自分の分の雑炊を食べることにした。
もう一つ持ってきた器にお玉で雑炊を移して、そこから新しいスプーンで自分の口へと運んでいく。
「ふーっ、パクッ。うん、美味しい」
当然、桜彩に食べさせる前に味見もしているので美味しいことは分かっているのだが、こうして再度食べてみてもやはり美味しい。
そんな怜を見て桜彩の方も嬉しそうに口を開く。
「ふふっ。本当に美味しいよね、これ」
「ああ。桜彩はまだ食べるか?」
「うん、もっちろん! ほら怜、早く食べさせて。あーん」
そう言いながら、怜が差し出すよりも早く口を開けて準備を整える桜彩。
まさに餌をもらう雛鳥という表現がぴったりだろう。
その可愛らしい唇に視線を吸い寄せられそうになるが、慌てて正気を取り戻して手元の器から右手に持ったスプーンで雑炊を掬う。
「ふーっ、はい、あーん」
「あーん。うんうん、美味し~い」
先程と同様に美味しそうに雑炊を頬張る桜彩。
そんな桜彩の姿を見ながら自分も二口目を食べようと器へとスプーンを伸ばそうとしたところでそれに気が付く。
「あっ……」
「え? どうかしたの?」
戸惑う怜に桜彩が首を傾げて聞いてくる。
「いや、今普通の俺の食器から食べさせちゃったなって」
「あ、ああ、そういうこと……」
桜彩の唇に意識が向いていたせいか、つい食器を変えずに桜彩へと食べさせてしまった。
しかし桜彩は嫌な顔をするでもなく怜ににっこりと笑いかける。
「でもさ、別に私は気にしないよ。怜だってそうでしょ? これまでに何度もやってるしさ」
「ん、まあな」
初デートの時にお弁当を同じ箸で食べさせ合った。
それから二人は何度も同じ箸やフォークを使って相手にあーんをやっている。
もはや数えきれないくらいに。
ある意味今更ということだ。
「まあ確かに気にする必要はないよな。っていうかさ、それだったら器もスプーンも最初から一つで良かったかも」
「ふふっ。洗い物が増えちゃったね」
「あはは、確かにそうだな」
そう笑い合って、怜はスプーンを自分の口へと運ぶ。
「ふふっ。それじゃあ怜、今度は私にも」
「ああ、分かった。あーん」
「あーん。ふふっ、美味しい」
そんな感じで怜はスプーンを持ち替えることなく自分と桜彩の口へと交互に雑炊を運んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ごちそうさまーっ!」
雑炊の入っていた土鍋を二人で空にすると、桜彩が満足そうな笑みを浮かべる。
たんのうしてくれたようで何よりだ。
「はい、食後のハニージンジャーミルク」
「ん、ありがと」
雑炊と一緒に持ってきたお揃いのカップを桜彩へと手渡す。
その中にはいい感じにぬるくなったハニージンジャーミルクが入っている。
普段これを作るのは桜彩なのだが、今回は怜のお手製だ。
「これも作ってくれたんだね」
「ああ。雑炊にショウガを入れるからついでにな」
「ありがとね。――んーっ、美味し~い」
幸せそうな顔をしてミルクを飲む桜彩。
そんな桜彩を見て、怜も自分のカップへと口を付ける。
一口飲むと甘辛いミルクの味が口中に広がる。
これもこれで美味しいのだが、やはり何かが物足りない。
「ん、美味しいな。……でもやっぱり俺は桜彩の作ってくれた物の方が好きだな」
「そう言ってくれるのは嬉しんだけどね。でも私はこれも充分好きだよ」
苦笑しながら桜彩が答える。
まあ実際に二人以外の者に怜と桜彩がそれぞれ作ったハニージンジャーミルクを飲ませても、味の違いなどは分からないだろう。
怜としても二人の作った物のどこが違うのかといわれればはっきりとは答えられない。
これはあくまでも気持ちの問題だ。
「まあ俺としてはやっぱり桜彩に作ってもらいたいからさ」
「ふふっ。それじゃあ早く体調を治して、また怜に作ってあげるね」
「ああ。楽しみに待ってるよ」
「うんっ!」
にっこりと笑う桜彩。
そんな桜彩に怜も笑い返し、そのまましばらく二人で共に笑い合った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ご飯を食べて調子はどう?」
「んー、少しは良くなったかも」
「そっか。でも無理はするなよ」
「うん。分かってるって」
「さっきの桜彩の行動を考えるとあんまり信用出来ないな」
「むぅ……ま、まあそれはそうかもだけどさ」
朝に無理をしようとしたことを蒸し返されて桜彩が慌ててしまう。
とはいえもう無理をするような感じではないし、別に怜も怒っているわけではない。
あくまでも軽口の範囲内だ。
「それじゃあ薬は飲めるか?」
「うん、大丈夫」
「分かった。それじゃあ持ってくるから少し待ってて」
そう言って食器を持って再度怜が部屋から出ていく。
それを見送った後、桜彩はクスッと笑って掛布団を顔に当てて大きく息を吸う。
先ほどと同様に怜の香りが胸いっぱいに溜まっていく。
「ふふっ。美味しかったなあ」
先ほど怜が作ってくれた雑炊はとても美味しかった。
ある意味怪我の功名と言えるかもしれない。
「でも本当に優しく看病してくれるよね」
怜が体調を崩した時、おそらく自分が体調を崩したとしても優しく看病をしてくれるとは思った。
しかしこうして実際にそうなってみると、その優しさがとてつもなく嬉しい。
「ふふっ。体調を崩して良かったかも……あっ、でも怜に迷惑をかけるのはダメだよね」
優しくされるのが嬉しいとはいえもちろん怜に迷惑をかけることは本意ではない。
それは例え怜が迷惑だと思っていなくても同様だ。
そんなことを考えていると、水の入ったグラスと薬を持った怜が再び寝室へと入って来る。
「薬と水を持ってきたから。飲めるか?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
怜から貰った薬を口に入れ、グラスの中の水を飲み干す。
先ほどの温かい雑炊やミルクと違い、ぬるめの水が喉をさっぱりとしてくれる気がしてくる。
「それで、体調の方はどうだ? 病院の必要は?」
「うーん、多分大丈夫だと思うよ。あ、別に強がってるわけじゃないからね」
「そっか。それじゃあ今日は一応様子見か」
「うん。もしそれで悪くなるようなら明日病院かな」
「分かった。それじゃあもう少しこの部屋で休んでるか?」
「え? 良いの?」
怜の問いに桜彩が首を傾げて、それでいて少しばかり嬉しそうにそう問い返す。
この部屋は桜彩の部屋ではなく怜の部屋だ。
つまり、怜が学園に居る間は桜彩は自室へと戻らなければならない。
いや、怜としては桜彩のことは充分すぎる程信用しているのだが、この部屋は正確には怜の両親が怜のために借りてくれている部屋である。
その為、両親の許可なく他人を長時間一人で入れておくことは出来ない。
だからこそ合い鍵も蕾華ではなく竜崎家へと預けられているのであり、陸翔ですら怜の部屋の合い鍵は持っていない。
それにもし万一、ありえないだろうが両親がこのタイミングで戻ってきたら絶対に面倒なことになるだろう。
「ありがとね。それじゃあもう少しここに居させてね」
「ああ。ゆっくりと休んでくれよ」
そして怜は桜彩が再び布団へと体を倒すのを見届けた後、キッチンへと向かい朝食の後片付けを始めた。




