第316話 寝癖を付けたいクールさん
『それじゃあ上手くいったんだ』
「うんっ。とっても幸せだったなあ。ありがとね、蕾華さん」
怜が風呂に入っている間、桜彩は蕾華と通話をしている。
内容はもちろん先ほどの耳かきについて。
怜と陸翔がお茶の準備をしている間、もっと怜とスキンシップをとりたくて考えた作戦。
罰ゲームの名を借りたそれは、本当に幸せな時間だった。
思い出すだけで先ほどの幸せが胸に溢れてくるようだ。
「でも、耳にふーっ、てやるのは緊張したよ。それに怜にやってもらう時はもっと緊張したし……」
先ほどの行為を思い出す。
怜の顔が密着するかのごとき至近距離へと迫って来た時は、何をされるのかと本当にドキドキした。
『あははっ。れーくんにふーってやってもらう時、キスされると思っちゃった?』
「う……や、やっぱり分かってたんだね? も、もう……心臓が止まるかと思っちゃったよ……」
もちろん蕾華もそれは分かっていた。
蕾華は陸翔と共に耳かきをした経験がある。
その時に同じような思いをしたものだ。
いや、それは少し語弊があるか。
耳かきをした時は既に陸翔と付き合っている状態だったのでそのまま流れで本当にキスをしたのだが、それは桜彩へと伝える必要は無い。
『でも、嬉しかったでしょ?』
「う、嬉しかったって言うか、恥ずかしかったって言うか……」
まあ嬉しかったことは否定しないが。
それによくよく考えてみれば、看病の時やプラネタリウムなど怜の顔が超至近距離に来たことは何度かある。
しかし、昨日倒れそうになった自分を支えてもらった時や今回の件からキスを想像してしまったのは、やはり恋心によるものなのか。
(怜の唇…………)
先ほど目を奪われたそれを思い返してみる。
ぽうっ、と桜彩の顔が真っ赤に染まり、ぶんぶんと頭を振る。
今ここには自分しか居なくて本当に良かった。
『サーヤ、どうかした?』
「う、ううん、なんでもないよ!」
慌てて蕾華に返事を返す。
『なになに? れーくんの唇でも思い返してたの?』
からかうような蕾華の口調。
しかしまさに自分の行動を言い当てられてしまった桜彩は、つい口ごもってしまう。
『あはは。気持ちは分かるよ』
「うぅ…………」
否定することも出来ずソファーの上で体育座りをし、真っ赤になった顔を太ももにくっつけて隠してしまう。
とはいえ隠す相手は今ここには誰もいないのだが。
『でもさ、サーヤって間接キスはもう何度もれーくんとしてるじゃん』
「そ、それは……そう、だけど……」
それこそ蕾華に怜との関係がバレた日も、プリンを食べるスプーンで間接キスをしていた。
その後も故意に同じ箸で食べさせ合ったり、同じストローを使ったりと間接キスは何度もしている。
「で、でも……本当のキスは、全く別って言うか……」
『まあそれはそうだけどね』
それは経験者でもある蕾華としても完全に同意だ。
『あっ、そうだ! ねえサーヤ、またれーくんに耳かきしてあげるんでしょ?』
「えっ、それはもちろんそうだけど」
『だったらさ、れーくんの耳にふーってやるふりしてれーくんの耳を軽く唇で挟んじゃうってのは?』
「え……ええっ!?」
電話口の向こうからのまさかの提案に驚いてしまう。
『ほらほら。それならイタズラで済みそうじゃん』
「そ、それは……そう、なのかな…………?」
そのようなイタズラが成り立つ関係を恋人というのであろうが、蕾華としてはそれをあえて言うことはしない。
きっと怜だって嫌だと思うことは無い、むしろ喜ぶだろう。
親友としてそのくらいの事は蕾華にも分かる。
『ねっ! 今度やってあげなって! そしたられーくんからもお返ししてもらえるよ』
「う、うん……! が、頑張るね!」
『うんうん! その意気その意気!』
「わ、分かった! ありがとう、蕾華さん!」
いつも通り蕾華に煽られて乗せられてしまう桜彩。
すると風呂場の方から音が聞こえてきた。
どうやらそろそろ怜が風呂から上がるのだろう。
「あ、もう怜がお風呂から上がるみたい。それじゃあそろそろ切るね」
『頑張ってね、サーヤ!』
「うん! ありがとね」
怜が上がったら自分の番だ。
そこでふと桜彩は今朝の出来事を思い出してみる。
少し寝癖が出来ていたのを怜が見つけてくれて、それを直してくれた。
「ふふっ……」
嬉しさからつい無意識の内に声が出てしまった。
『サーヤ、どうかしたの?』
通話を終えようとしたタイミングで聞こえて来た桜彩の声に蕾華が反応して問いかけて来る。
「あ、ううん。今朝、怜に寝癖を直してもらった時のことを思い出して。怜に髪を触ってもらうの、幸せだったなあって」
『ああ、そういうことね』
「うん。あっ、そうだ! 明日の朝、寝癖を付けて怜と会えば、また直してくれるかな?」
名案を思い付いたとばかりにそう提案してみる。
それに対し電話口の向こうで蕾華は微妙な表情を浮かべていたのだが、桜彩にそれは分からない。
『えっ……? 寝癖が付いたままでれーくんと?』
「うんっ! 蕾華さん、寝癖を付ける為の方法って何かないかなあ?」
『う、うーんと……。髪を濡らしたまま寝るとか?』
「あ、なるほど。でも、多分今日お風呂から上がったら、昨日と同じように怜が乾かしてくれると思う。ふふっ。それも楽しみ~っ!」
『……………………』
もはやどうツッコんでいいか分からずに蕾華が固まってしまう。
電話口の向こうで呆れている蕾華に気付かずに、桜彩はウキウキとした様子で蕾華へと相談を続ける。
「ってなると、怜に乾かしてもらった後、自分の部屋に戻ってもう一回髪を濡らすとか……。蕾華さん、どう思う?」
『……とりあえずそれはやめなさいって。髪が痛むし変な臭いしちゃうよ。せっかく綺麗な髪だってれーくんにも褒めてもらったんだからさ……』
「あっ、そ、そうだよね……。うーん……」
『まあ寝癖を付けるのは諦めなって。髪は風呂上がりにいっぱい触ってもらえばいいじゃん。今のとこはそれで満足しなって』
「う、うん、そうだね! そうするよ! ありがとね、蕾華さん」
『うん。それじゃおやすみー』
「おやすみなさい」
そして電話が切れるとともに、怜が風呂から戻って来た。
「お風呂上がったよ。ってあれ、誰かと電話してた?」
「うん。蕾華さんと。でも今終わったから。それじゃあ怜、髪の毛乾かしてあげるね」
そう言ってまずは怜をソファーへと座らせて、ゆっくりとドライヤーを当てていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「まったく……。どういうことなの…………?」
通話の切れたスマホを眺めながら、自室で独り呟く蕾華。
普通の感性であれば、想い人に寝癖などみっともない所を見られるのは嫌がるだろうに。
それをあえて寝癖を付けたいなどと相談されるとは思いもしなかった。
「まあ、それほど二人が近いってことだろうけどさ」
みっともないところ、だらしない所を見られたとしても、それを含めてお互いに受け入れ合っている。
二人ともこれまでに『家族のような関係』と表現していたが、こういった所の結びつきは本人達の言うように恋人よりもむしろ家族に近いかもしれない。
「ま、将来は家族になるんだろうけどさ」
蕾華も、そしてここにいない陸翔もその未来は全く疑ってはいない。
「ふう……。その為にも、まずは二人をくっつけないとね」
その未来に少しでも早く近づけるように、二人の想いを相手に届かせる。
それが今の自分がやるべきことだと蕾華は決意を新たにした。
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