第308話 髪の手入れ
「あははははははっ! ほらサーヤ、気にしないでって!」
朝食の席で桜彩の隣に座る蕾華が楽しそうに桜彩を慰める。
とはいえ桜彩としては先ほど一部始終を見られた相手にそう言われたところでからかわれている感は否めないだろう。
事実、ずっと顔を赤くしたままだ。
「うぅ……」
「ってか桜彩が今そうなってるのは蕾華と陸翔のせいだからな」
この二人がこっそりとやり取りを聞いたりしていなければこのようなことにはならなかった。
そう思い怜が目の前の元凶たる親友二人に批難の目を向けるが、当の二人はどこ吹く風と言った感じで受け流す。
「いや、別にアタシもりっくんも普通に起きただけだからね」
「そうだぞ怜。そこでおはようって声かけようとしたら、いきなりお前とさやっちが甘い雰囲気出すから声を掛けるに掛けられなかったんだぞ」
「う……」
「うぅ……」
それ自体は怜も桜彩も自覚はしている為、言葉に詰まってしまう。
(……っていうか、甘い雰囲気って)
いや、桜彩とそのような雰囲気になっていたようにも思えるのだが。
「ねえサーヤ」
すると蕾華が隣に座る桜彩にこっそりと耳打ちする。
「ほら、いつも通りに戻ってって。いつまでもれーくんに落ち込んだ顔見られちゃ嫌でしょ?」
「う、うぅ……。そ、そうだけど……」
好きな人には笑顔を向けていたい。
それはそれで桜彩にも分かるのだが、とはいえそう簡単に心を切り替えられるわけもない。
すると今度は陸翔が怜に耳打ちして来る。
「ほら怜。さやっちになんか言ってやれって」
「なんかって何だよ」
「なんでも良いんだよ。とりあえずさやっちが元気になれば。お前だってその方が良いだろ?」
「そ、そりゃそうだけど……」
陸翔の言葉に怜が考え込む。
(まあ、俺も桜彩の笑っている顔が一番好きだしな……)
むろんどのような表情であれ桜彩のことが好きなのは事実だが、そのように落ち込むよりも桜彩には笑っていて欲しい。
それについては陸翔の言う通りだ。
「ほ、ほら。まあとりあえず朝食を食べようって」
「う、うん……」
目の前に置かれた皿には怜の作ったエッグベネディクト。
落ち込んでいるとはいえ食欲はいつも通りあるようで、怜の作ったエッグベネディクトを口へと運び始める。
ちなみに本日の朝のジョギングは諸事情により中止となった。
「あ……美味しい……」
食べ始めた当初、桜彩はまだ落ち込んだままだったのだがそこはさすがに『食うルさん』というべきか。
食べていくうちに徐々にいつも通りの笑顔が戻って来る。
それを見て怜もひとまず胸を撫で下ろした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
食後の片付けは普段怜と桜彩が行っているのだが、今は『せめてこのくらいは』ということで陸翔と蕾華が行っている。
そんなわけで怜も桜彩も手持無沙汰でテレビのニュースを眺めている。
天気予報では今日一日快晴ということで、更に昨日までに比べて気温も上がってくるとのこと。
暦は七月の上旬ということもあり、ここから徐々に夏らしくなっていくのだろう。
昨日の遊園地は比較的過ごしやすい温かさだったのは助かったと言うべきか。
「今日から暑くなるみたいだね」
「そうみたいだな。暑いのはそこまで嫌ってわけじゃないけど、汗がなあ」
「うん。ちょっと出かけただけで汗かくのって嫌だよね」
「通学中とかもな」
怜は夏に運動をすることも多いのだが、とはいえ通学中に汗をかくのは好きではない。
まあそれが好きな人はいないだろうが。
「あ、でもさ、前にも言ったけど桜彩の汗は嫌いじゃないぞ」
「う、うん。私も怜の汗の匂い、嫌いじゃないよ」
先日運動した時のことを思い出す。
バランスを崩して倒れてしまった際に、お互いの汗の匂いを堪能し合ったのは恥ずかしい思い出だ。
「でもさ、だからといって無駄に外に出るのは嫌だけどね」
「それは俺だって」
そんなことを言いながらテレビを見ていると、不意に怜がそれに気付く。
「あっ」
「怜、どうかしたの?」
自分の方を見て声を上げた怜に首を傾げる桜彩。
「いや、ちょっとな……」
そう言って怜は桜彩の髪へと手を伸ばす。
桜彩も少し驚いたものの、すぐにそれを受け入れる。
「ほら。ここのとこ、少し寝癖が……」
「えっ……!? 嘘っ!?」
桜彩が驚きながら怜の指し示す場所へと手を伸ばす。
「あれ、どこ?」
とはいえ頭の後ろの方なので桜彩としては場所がよく分からない。
その為怜はそんな桜彩の手を優しく取ってその場所へとそっと導く。
「あ……」
「どう、分かる?」
「う、うん……」
恥ずかし気に頷く桜彩。
(こ、こうして怜に手を取ってもらうのってやっぱり嬉しいな……)
果たしてその恥ずかしさは寝癖に対してなのか、それとも怜に手を取られたことに対してなのか。
一方で怜の方も
(こ、こうして手を取るって、改めて考えるとなんだか照れるな……)
初デート以降は何度も手を握り合っていたのだが、それでもこうして初恋を自覚して以降は恥ずかしさがぶり返してくる。
「え、えっと、それじゃあちょっと直してくるね」
恥ずかしさを隠すように桜彩が立ち上がって洗面所へと向かおうとする。
それを見て怜は昨日の会話を思い出す。
「あ、ちょっと待った。それなら俺がやるよ」
「えっ?」
「ほら、昨日言ったろ? 色々な髪型の桜彩を見てみたいって」
「あ、そ、そうだね。そ、それじゃあお願いして良いかな?」
「ああ。任せてくれ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一通りセットの道具を用意して、二人でソファーの方へと移動する。
怜はソファーへと座った桜彩の後ろに回って桜彩の髪を手に取る。
(やっぱ桜彩の髪って綺麗だよな)
何とも言えないサラサラな手触り。
ふと髪を持った時に桜彩のうなじが見え、それが更に怜をドキッとさせる。
「怜? どうかした?」
髪を持たれたまま固まった怜に桜彩が問いかけて来る。
「い、いや、何でもないって。それよりもどんな髪型が良いとかあるか? まあ言われたところで出来るかは分からないけどさ」
怜としても姉の髪のセットを手伝わされただけであり、それ以上のことが出来るとは思えない。
しかし怜の言葉に桜彩は笑って
「あ、それだったら怜にお任せしても良いかな?」
「え、俺に? 良いのか?」
「うん」
自分のセンスに任せてくれても良いのかと確認するが、桜彩は楽しそうに肯定して来る。
「私、髪のセットとか良く分からないからさ。だから怜が見たいなって思ってくれるようにしたいなって。怜が私の為に考えてくれた髪形をしてみたいなって」
「あ、ああ……。ほ、本当に良いんだな?」
「うん。怜が私に似合うって思ってくれた髪形、私も見てみたいからさ」
それはつまり髪型とはいえ桜彩を自分好みにして良い、むしろ自分好みにして欲しいと願ってくれているというわけで。
「わ、分かった。責任重大だな」
「ふふっ。気負わなくても良いって。それじゃあお願いね」
そう笑って桜彩は前を向く。
そんな桜彩に対して怜は覚悟を決めて、桜彩の髪へと手を加えていく。
時折怜の手が桜彩の頬や首筋に触れて
「ん……怜の手、気持ち良い……」
とか
「ふふっ……。くすぐったいな……でもなんだか幸せぇ……」
とか
「あ……あぁ……んんっ……ふっ……」
などという艶のある声が耳に届き、その度に集中力が削られそうになるのを必死になって耐える羽目になったのだが。
その後、じっくりと手間をかけて桜彩の髪のセットは完成した。
せっかくなのでサイドから後ろまで丁寧に編み込みまでしたところ、鏡で自分の姿を見た桜彩はとても満足そうだった。
次回投稿は月曜日を予定しています




