第307話 同じベッドで迎える朝② ~また一緒に寝たいな~
「れい……」
「桜彩……」
「れい……」
「桜彩……」
桜彩としばらく名前を呼び合う。
こうして桜彩に『れい』と呼ばれるだけで胸が幸せで溢れていく。
「んふふ……れーい……」
ごろん、と。
これまで横から怜を抱きしめるようにしていた桜彩が、前触れもなくいきなり怜の上にうつぶせに体を乗せて来た。
「え…………」
いきなりのことに怜はどう反応して良いか分からない。
しかしまだ寝ぼけたままの桜彩は、その状態で更に顔をこすりつけるように密着して来る。
当然ながら先ほどよりも更にダイレクトに桜彩の感触が怜の体へと伝わってくる。
(……正直これはマズイ!)
ただでさえ拷問じみた幸せがもう限界突破してしまう。
しかし時間が経つにつれ、当然桜彩も怜同様に徐々に頭が覚醒して来る。
「れーい…………あれ…………?」
とろんとした目をこすりながら、徐々に桜彩の瞳が大きく見開かれていく。
と同時に桜彩も今のこの状況を徐々に理解し始める。
「え……あれ、なんで、怜が……?」
「え、えっと……昨日のこと、覚えてない……?」
「昨日……? えっと…………」
「……………………」
「……………………」
しばしの間、二人共無言で見つめ合う。
怜の言葉により半覚醒の桜彩の頭が徐々に昨晩のことを思い出していく。
「あ……。そ、そうだ……。私、昨日怜と同じベッドで……」
蕾華の勢いに押されて同じベッドで寝ることになった。
そして今のこの状況。
怜の上にうつ伏せで向き合って乗っている。
加えて先ほどまでの自分の行動をおぼろげながらに思い出していく。
と同時に桜彩の顔が羞恥で赤く染まっていく。
(わ……私、今、なんか凄いことしてた…………!)
怜を抱きしめて頭を胸にこすりつけ、何度も何度も名前を呼んでくれるように要求し、あまつさえ怜に乗りかかるように――
それを理解した瞬間、ものすごい勢いで桜彩が怜の体の上から降りた。
そして掛布団を勢いよく被ってベッドの上で丸くなる。
まるで亀の甲羅のように自分の全身を掛け布団で隠してしまう。
「ご……ごめ……ごめんっ! わ、私……怜に……」
顔、というか全身を隠したまま桜彩が謝ってくる。
もちろん怜としても、布団の中の桜彩の顔が羞恥で真っ赤になっていることは想像に難しくない。
「そ、その……私、怜に色々と変な事……」
怜としてもさすがにこのままベッドに横になっているわけにもいかないので、ゆっくりと体を起こしてベッドの上に正座で座り(布団で隠れた状態の)桜彩と向き合う。
「い、いや……変な事っていうか……」
「ほ、本当にごめんっ……! 私、寝ぼけてて……」
「だ、だから大丈夫だって……! そ、そんなに変な事は言ってなかったし……」
「で、でも……猫みたいに怜の胸に顔を押し付けたり……」
「そ、それも猫みたいで可愛かったから……」
「え、か、可愛い……?」
そう怜が言葉を掛けると、目の前の布団の塊がビクッと揺れる。
「ほ、本当に……?」
「ほ、本当に……。俺も、桜彩にそうされるの、嫌じゃなかったし……」
「そ、そうなんだ……」
先ほどの慌てた声が、普段の落ち着いた声色へと変わってくる。
「だ、だからさ、ほら、布団から出て来いって」
「あ、で、でも……。その、恥ずかしすぎて…………」
正直そんな桜彩も可愛らしいのだが。
これが惚れた弱みという物なのか、などと考えてしまう。
(いや、好きって自覚する前から、桜彩のこういうところは可愛いって思ってたか)
そもそも慌てた桜彩は結構素の部分が多く出ていた。
そんな言動を可愛らしいと思ったことも一度や二度ではない。
「いや、でもさ、俺達、まだ朝の挨拶もしてないだろ?」
「そ、それは……」
怜の言葉に桜彩が逡巡する。
『おはよう』と『おやすみ』の挨拶。
一日の最初に言葉を交わす相手と一日の最後に言葉を交わす相手。
それがお互いであることを二人共幸せに思っている。
何日かの例外を除けば、それが二人の大切な日課だ。
「ほら、今はさ、陸翔も蕾華も横にいるし」
「あ……う、うん……」
このままでは直に二人も起きるかもしれない。
その場合、今日初めて『おはよう』の言葉を交わす相手はその二人になるだろう。
もちろん二人のことも大好きであることは間違いないのだが、それとこれとは話が別だ。
「だからさ、桜彩。出て来てくれよ」
「う、うん……」
そう怜が説得すると布団がまくられて、そこからまだ赤い顔のままの桜彩がゆっくりと顔を見せてくれる。
そしてお互い恥ずかしさに負けずにお互いの顔を見て
「……おはよう、桜彩」
「うん、おはよう、怜」
恥ずかしいながらもにっこりと笑ってそう言葉を交わす。
それだけで心が温かくなって、恥ずかしさも薄れてくる気がする。
「こうしておはようって言うの、初めてだよね」
「そうだな。でも、たまにはこういうのも良いかもな」
「うん、そうだね。…………あっ!」
「桜彩? どうした?」
いきなり大声を上げた桜彩に不思議そうに問いかける。
すると桜彩は再び恥ずかしそうな表情に戻っておずおずと口を開く。
「あ、あのね、、たまにはこういうのも良いって……その……」
「え……? …………あっ!」
桜彩の言葉で怜もそれを理解する。
こうした挨拶もたまには良い。
桜彩と一緒に寝て、一緒に起きて、そして挨拶をするということ。
つまりはまた桜彩と一緒に寝るのも良いかもという意味に――
「あっ、そ、その、ち、ちが、違う……っ! た、たまにはこういった、いつもと違う挨拶も良いなって……」
「う、うん……! そ、そうだよねっ!」
「あっ……。だ、だけどさ、桜彩と一緒に寝るのが嫌ってわけじゃなくてな……」
「えっ……? う、うん……。その、私も怜と一緒に寝るのは嫌じゃないっていうか、むしろまた一緒に寝たいっていうか……。って私、何言ってるんだろ!」
ふと自分が無意識に言った言葉の意味を理解して、再び桜彩が布団を被ってしまう。
そんな桜彩に対して怜も自分の心の内を桜彩へと聞かせる。
「いや、その、お、俺も桜彩と一緒のベッドで寝るのは嫌じゃないし……。そ、それに、なんていうか、充実っていうか……、心が温まるって言うか……」
「え……? う、うん……」
「だ、だからさ、その、俺も桜彩と一緒に寝たいっていう思いはあるし……」
「え……? そ、そうなんだ……」
布団の中から桜彩の嬉しそうな声が聞こえてくる。
そして先ほどと同様におずおずと布団が取り払われて桜彩の姿が露わになる。
「ま、まあ……さすがに普段から一緒に寝るってのは、その、色々と良くないと思うし……」
「う、うん……。そ、そうだよね。あ、もちろん私は怜のことは信用してるけど、でも、さすがにね……」
昨晩も怜が桜彩に不埒なことをするなど一切なかった。
むしろしてしまったのは桜彩の方ともいえるだろう。
(……ていうか、好きな人と一緒のベッドで寝るってこんなに素敵な事だったんだな…………)
(……別に私は毎日一緒に寝ても構わないんだけどな…………)
向かい合った二人がそんなことを思っていると
ゴッ
ベッドの下の方から音が聞こえてきた。
慌てて音の方へと視線を向けると、そこにあった親友二人の顔がサッと隠れた。
どう見てもたった今起きたという感じではない。
「ちょ、ちょっとりっくん! 音立てちゃダメだって!」
「しょうがねえだろ! よく聞こえなかったんだから!」
小声でそんなことを言い合っているのが怜と桜彩の耳に届く。
ということはつまり、今のやり取りを完全に聞かれていたということで。
それを理解した怜と桜彩の頬が、先ほどとは別の意味で真っ赤に染まった。
「ちょっ、二人共起きてたのか!?」
慌ててツッコミを入れる怜。
しかしよくよく考えてみれば当然だろう。
この二人は怜と同様に朝起きた後二人でランニングしているし、前に二人が怜の部屋に泊まった時も朝から三人でランニングに出掛けた。
つまり怜と同様に朝起きるのは早いということ。
「ぐーっ」
「すやすや」
もはや隠すつもりのない狸寝入りが聞こえてくる。
「おい、いつから起きてた! どこから聞いてた!」
「ふ、二人共、い、今……!」
それを聞いて二人が観念したのか姿を現す。
いや、そもそもごまかすつもりもなかったのだろうが。
「どこっていうか、サーヤがれーくんの名前を読んだあたりから?」
「具体的には五時半くらいに起きてたな」
五時半くらいということは、怜と同じ時間に目が覚めていたということ。
つまりは
「最初からじゃねえか!」
寝室に怜の叫び声が響き渡る。
この二人は今のやり取りの一部始終を鑑賞していたということで。
「う……ううぅ…………」
それを理解した桜彩がまたも布団をかぶり、本日三度目の亀モードへと移行した。




