第303話 風呂上がりのケアを怜の手で
桜彩へと冷えたルイボスティーを差し出すと、桜彩が嬉しそうにそれを受け取って一気に飲み干す。
「う~んっ。お風呂上がりに冷たいお茶って美味しいよね」
お茶を飲んだ桜彩が一息ついたのを見計らって、怜はヘアブラシを手に取る。
先ほどの蕾華の提案通り、これから桜彩の髪の手入れの始まりだ。
「それじゃあやっていくぞ」
「う、うん。お願い」
いつもの柔らかな笑みよりも少し緊張した様子で椅子に座った桜彩が首を回して振り向く。
そんな桜彩の髪を手に取って、ゆっくりとブラシをかけていく。
(やっぱ桜彩の髪って綺麗だよな)
分かってはいたことだがこうして手に取ってみるとそれをより一層実感する。
一方で桜彩の方も正面を向いたまま顔を真っ赤にして怜の手に身をゆだねる。
(わわっ……。怜が私の髪を…………)
大好きな人が髪の手入れをしてくれている。
今までは母や姉にしかしてもらったことがないのだが、こうして怜に触られているだけで何とも言えない心地好さを感じてしまう。
一通りブラシをかけ終えると絡まっている髪がほどけたので次はアウトバストリートリートメントだ。
怜は桜彩がいつも使っている物を手に取って、桜彩の髪へと馴染ませていく。
これが適当だとドライヤーの温風で桜彩の綺麗な髪の毛を痛めることになってしまうので、丁寧に丁寧に馴染ませていく。
一通り馴染ませたらいよいよドライヤーの登場だ。
「それじゃあ乾かしていくからな」
「うん。お願い」
椅子に座る桜彩の後ろに回って、ドライヤーのスイッチをオンにする。
温風が出てきたことを確認して、桜彩の頭へとドライヤーを近づけていく。
「ふぁ……」
「どうした? 熱かったか?」
「ううん。気持ち良いよ」
本当に気持ち良さそうなとろんとした目で桜彩が返事を返してくれる。
これならこのまま続けてもよさそうで一安心だ。
「そっか。それじゃあ続けるな」
「うん」
そのままドライヤーを当てていくと、徐々に桜彩の髪が渇いていくのが分かる。
こうして触っているとやはりサラサラで、普段から丁寧に手入れされているのが良く分かる。
「本当に桜彩の髪って綺麗だよな」
「う、うん……。ありがと…………」
怜に褒められ照れたように顔を赤くする桜彩。
(ふふっ。怜の手、気持ち良いなあ。それに私の髪のこと、また綺麗だって言ってくれたっ)
怜のことが好きだと自覚したからか、褒められるとこれまで以上に嬉しく感じてしまう。
そんな桜彩の葛藤を知らず、怜は桜彩の髪を乾かしていく。
「どう? もっとこうして欲しいとかリクエストある?」
「ううん。もう最高だよ。自分でするのよりも気持ち良いかも。もう毎日して欲しいくらい」
「それならもう毎日れーくんがしてあげたら良いんじゃない?」
「「え?」」
その声を聞いて、この場にいたもう一人、蕾華のことを思い出す。
そもそも怜が桜彩の髪を乾かすことになった発端は蕾華なのだがすっかりと頭から抜け落ちていた。
「だってさ、これからサーヤはれーくんの部屋でお風呂入るんでしょ? だったられーくんに乾かしてもらえるじゃん」
「あ、それはまあ確かにな」
蕾華の言葉に同意する怜。
「え? でも良いの? 面倒じゃない?」
「別に面倒なんかじゃないって。こうして桜彩の髪を触ってるだけでもなんだか楽しいし」
「え……。そ、そうなんだ…………」
「あ…………」
この心地好い雰囲気に当てられたのか、つい思ったことが怜の口から出てしまった。
とはいえそれが嘘というわけではない。
やはり桜彩の、大好きな人の髪をこうして触っているのはなにか楽しい。
「そ、そっか。それじゃあ怜、これからもお願いしても良い?」
「ああ。任された。むしろ本当に俺で良いのか?」
「うん。怜にして欲しいな」
その一言で怜の胸が熱くなる。
こうして桜彩に頼りにされることが本当に嬉しいし誇らしい。
「でも怜って本当に髪の手入れ上手だよね」
「ん、まあな。多少なりとも慣れてるところはあるし」
「え…………?」
そう答えると、なぜか桜彩の雰囲気が変わる。
つい今までの楽しげな雰囲気とは打って変わって、何やら不満げなオーラが全開だ。
「怜、誰かの髪を乾かし慣れてるの……?」
首を回して後ろを向いた桜彩がジトっとした目を向け、口を窄ませて問いかけて来る。
「まあ、昔姉さんの髪を整えるのを手伝った、っていうか手伝わされたことがあったからな…………」
「あ、そ、そういうこと……」
それならばと桜彩も納得する。
相手が怜の実姉である美玖ならば納得だ。
とはいえ多少なりとも嫉妬心は湧き上がるのだが。
「姉さんが守ちゃんと付き合ってない時にさ、守ちゃんと一緒に出掛ける時には毎度のように付き合わされたよ」
昔のことを思い出しながら感慨深げに呟く。
まだ美玖が守仁と付き合っていなかった時、自分一人でやるよりも手が回るということで、ほぼ毎回のように半強制的に付き合わされたものだ。
「そっかそっか。そういうことか」
「ああ。まあこうして桜彩の髪の手入れを出来るってなると、姉さんに付き合わされたのも結果的には良かったな」
それがあるからこそこうして桜彩の綺麗な髪に触れることが出来る。
ある意味でこれも美玖からのプレゼントということかもしれない。
そんなことを思いながらドライヤーの温風を冷風へと切り替えて、開いたキューティクルを閉じるように風を当てていく。
「あっ、それじゃあさ。れーくん、サーヤの髪を結ってあげたら?」
「えっ、髪を?」
蕾華の提案に驚く桜彩をよそに、怜は少し考えこむ。
確かに怜は美玖の要望により、様々な髪型を作るのを手伝わされた経験がある。
「そうだな。それに桜彩の髪は長いから色々な髪型が出来そうだ」
「えっ、良いの?」
怜の言葉に桜彩が後ろを向いて、期待を込めた目で見つめて来る。
「そりゃあもちろん。それに俺だって色々な髪型の桜彩を見てみたいしな」
「そ、そうなんだ……。でも今日はもう寝るだけだから、明日お願いして良いかな?」
「ああ。任せてくれ」
「うん」
そう言って再び正面を向き、両手で赤くなった頬を抑える桜彩。
いったいどのような髪型になるのか今から楽しみだ。
そうこうしている内に冷風も当て終わり、髪のケアが終了する。
「桜彩、終わったよ」
「あ、うん。ありがとね」
「どういたしまして。……ん?」
ドライヤーの電源をオフにした怜が桜彩を見ると、桜彩の頬が赤くなっているのに気が付く。
「桜彩、顔が赤いぞ」
「え? そ、そう……?」
桜彩とて自分の顔が赤くなっていることは良く分かっている。
そもそもこうなっているのは目の前の怜が原因なのだが。
一方でそれに気付いていない怜は不思議そうな顔をして
「大丈夫か? もしかしてドライヤーの熱に当たっちゃったか?」
と言って、桜彩の額に手を当てて様子を見る。
「あ、やっぱちょっと温かい」
「う、ううん。これは怜のせいじゃなく、私のせいだから……」
「え? 桜彩のせいって……?」
「い、いいから…………!」
首を傾げたままの怜と、恥ずかしさで顔を真っ赤にしたままあわあわと慌てる桜彩。
「お待たせ―。風呂上がったぞ……って何だこの状況?」
「あっ、りっくん」
リビングに現れた陸翔が二人の様子を見てきょとんとした顔で蕾華へと問いかける。
それに蕾華は苦笑しながら口を開いて簡潔に状況を説明する。
「まあ、ある意味いつもの二人、みたいな?」
「なんとなく分かった」
これで分かるのも親友ならではだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、少し話してから当初の予定通りに寝ることにする。
だがここで一つ問題が起きる。
「え? サーヤもこっちで寝ようよ!」
桜彩は自室で寝ようとしたのだが、せっかくだからと蕾華が怜の部屋で寝るようにと誘った。
「え? で、でも……」
「いや、サーヤの言いたいことはまあ分かるよ。でもさ、アタシだって女だけどれーくんの部屋で寝るわけだしさ。たまにだったら問題ないでしょ?」
「あ、そ、そうだね。怜、良いかな……?」
「ん。別に構わないぞ」
これまで看病を除けばお互いの部屋に泊まることは無かった。
しかし蕾華の言う通り、この四人であれば問題はないだろう。
「やった! サーヤと一緒!」
嬉しそうにはしゃぐ蕾華。
初めてのお泊まりが嬉しいのか、桜彩も笑みを浮かべている。
「だけどさ、そうすると部屋割りはどうする? 俺の寝室に布団追加で三組も敷けないぞ」
これまで陸翔と蕾華が怜の部屋に泊まりに来た時は、怜の寝室に来客用(家族用)の布団を二組敷いて三人で寝ていた(怜は自分のベッド)。
とはいえさすがにもう一組を敷くスペースは無い。
四人でリビングに寝るか、と考えたところで蕾華が口を開く。
「え? 三組も用意必要なんて無いでしょ。だってれーくんのベッドってダブルサイズじゃん。だったらサーヤも一緒に入れるでしょ?」
「「え………………………?」」
蕾華の言う通り、怜のベッドはダブルサイズであり二人で寝るのに大きさは問題ない。
大きさに関しては。
そして、蕾華の言葉をそのまま捉えるのであれば、怜と桜彩が同じベッドに入るということで――
その言葉の意味を理解した怜と桜彩の顔が一瞬で赤くなり、そして
「「お……同じベッドでええええええええぇぇ……………………!?」」
二人の声がリビングへと響き渡った。




