第300話 バスタイムと内緒話
「それじゃあ準備しちゃうね」
自室から入浴セットを一式持ってきた桜彩が浴室へと向かう。
一旦自室へと戻っている間に、既に浴槽にはお湯が張られている。
浴室には初めて入ったのだが、さすが怜というべきか浴室にはカビ一つなくピカピカと輝いている。
シャンプーなどを棚へと置いた後、お気に入りのバスオイルをお湯の中へと投入する。
するとラベンダーの香りがうっすらと浴室内に広がっていく。
(ふふっ。怜、気に入ってくれるかな?)
姉の葉月が選んでくれたお気に入りのバスオイル。
ぜひとも怜にも堪能して欲しいものだ。
一通り準備を終えてリビングへと戻って行く。
「準備出来たよ。それじゃあ怜、入って入って!」
「え? いや、桜彩から入っていいぞ」
驚いたように怜がそう告げてくるが、桜彩は首を横に振る。
「いいって。家主は怜なんだしさ。それに今日は怜の誕生日なんだから」
というのは建前で(一応本音でもあるのだが)せっかくのお気に入りのバスオイルなのだからぜひとも一番最初に怜に堪能してもらいたい。
そう勧めると、怜は観念したように頷く。
「うん、分かった。それじゃあ入らせてもらうな」
そう言って怜は着替えやタオルを用意して浴室へと向かって行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
洗面所で脱衣を終えた怜が浴室へと入ると、いつもとは違うその光景に言葉を失ったまま目を見開く。
普段であれば浴室に湯が張ってあるだけなのだが、今回はそれに桜彩お気に入りのバスオイルが入っておりその香りが鼻に届く。
ラベンダー系の爽やかな香りでなんだか心がリラックスするようだ。
加えて長時間入っても首が疲れないようにバスピローも設置されている。
当然これも桜彩が持ってきた物だ。
それらを感じながら一刻も早く湯船へと入りたい思いを抑え、まずは体を洗っていく。
シャンプーをしようと顔を前に向けると、目に付いたのは桜彩の持ってきたシャンプー、ボディソープ、トリートメント等々。
もう入浴までこちらで済ませるということで、普段から使っているであろう一式が揃っている。
(……これが桜彩の使ってるヤツか)
そう思いながらいつものシャンプーへと手を伸ばしかけたが、先ほど桜彩の言っていたことを思い出す。
『そうだ。怜、シャンプーとか良かったら使ってみて』
怜も適当な物を選んでいるわけではないが、とはいえ桜彩が普段使いしている製品も気になってしまう。
(……まあ、桜彩が使ってって言ってたしな)
自分のシャンプーへと伸ばしかけた手をとめて、桜彩が持ってきたシャンプーを手にとった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(うん。色々と違うよなあ……)
シャンプー以外の物も使用したところ、やはり使用感が違う。
といっても嫌な感じは全く無く、むしろなんだか心地良い。
もちろん普段使いしている物も好きではあるのだが。
ふと腕の匂いを嗅いでみると、うっすらと桜彩と同じ香りがする。
(……今の俺、桜彩と同じ香りがする…………。嬉しいって言うか、恥ずかしいって言うか……)
大好きな人と同じ香り。
それを意識して恥ずかしさから顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
「と、とにかく入るか」
ゆっくりと湯船に体を浸すと、いつものただのお湯とは違って若干の触感の違いを感じる。
加えて先ほど感じたラベンダーの香りがより強く鼻へと届き、よりリラックスしてしまう。
良い気分のままバスピローへと首を預けて今日一日のことを思い返すと、本当に幸せな気持ちで胸がいっぱいになっていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
怜が風呂に入ったことを確認すると、リビングでは残る三人での話が始まる。
「さて。それじゃあサーヤ」
さっそく蕾華が期待するような眼差しを向けて、テンション高く桜彩の方へと身を乗り出していく。
「サーヤがれーくんに対する想いを自覚したってことでさ、これからどうしたいの?」
「え、えっと……、その……、この気持ちを怜に、伝えたい、けど……」
れっくんをかかえたまま恥ずかしそうに顔を赤らめる桜彩。
桜彩の言葉に蕾華と陸翔は笑顔のままうんうんと頷く。
恥ずかしさでいっぱいの桜彩は、れっくんの後頭部へと顔を埋めて隠してしまう。
そんな仕草も可愛らしく思う親友二人。
「うん、そうだよね! アタシ達も応援するよ!」
「ああ! 当然蕾華だけじゃなくてオレもな!」
「あ、ありがとう、二人共……」
ちょこん、とれっくんの頭に顎を載せたまま顔を上げて小さな声で桜彩が答える。
「そっか。でもさやっち、やっとそれを自覚したかあ」
感慨深げに陸翔が呟く。
性格には桜彩『も』自覚したわけなのだがさすがにそれは話せない。
「良かったじゃん。自分の気持ちを自覚出来て」
「う、うん……。この気持ちが今日よりもずっと前からなのはもう間違いないと思うけど……。でも一度気付いちゃうと、もう胸の中がずっと怜のことでいっぱいって言うか……。あ、いや今までだってそうだったけど、そうじゃなくて……」
再びれっくんで顔を隠してしまう。
「……ねえ、何この可愛い生物」
「まあこれが本来のさやっちだろ」
恋心を自覚した桜彩の反応が一々可愛くて、蕾華と陸翔の二人まで心が温かくなってくる。
「それでそれで? どうやってれーくんに伝えるの? 何かアイデアある?」
観覧車の後、桜彩は怜に気持ちを伝えたいと言っていた。
であれば蕾華と陸翔としても早く伝えてぜひとも恋人同士にになって欲しい。
「う、ううん……。そ、その、確かにこの気持ちを怜には伝えたいって思ってるけど……。でも、それ以前にこの気持ちを伝えたところで怜が受け入れてくれるかどうか……」
不安から語尾が小さくなってしまう。
桜彩から見てもあの二人はとても素敵な女性であり、その二人と自分を比較したところで自分が上回っている自信は無い。
((受け入れるって……))
親友二人の心がハモる。
何しろ間違いなく両想いなのだ。
桜彩の気持ちを怜が受け入れないわけが無い。
とはいえそれを伝えることが出来ないのがとてつもなくもどかしい。
「でもさ、れーくんに一番近い女子ってアタシとサーヤじゃん。まあアタシについては論外だしさ、つまるところサーヤが一番でしょ?」
「う、うん。それは自覚あるけど……」
桜彩とて美都や奏といった他の女性陣よりも怜に近い所にいる自覚はあるが、それを怜が恋心として受け入れてくれるかはまた別の問題だ。
「それに、私は怜に頼りっぱなしだし……」
出会った時から怜にはずっと助けられてきた。
飛ばされた絵を掴んでくれて、ナンパから助けてくれて、生活能力のない自分にそれらを教えてくれて。
そして、トラウマにより描けなくなっていた絵を再び描かせてくれた。
「そんな怜に甘えっぱなしの私が、怜に気持ちを伝えるのは……痛っ……!」
パアンッ、と。
蕾華が桜彩の頭を軽くはたいた。
涙目になった桜彩が蕾華の方を見ると、ムッとした表情で蕾華が睨んでくる。
「サーヤ。そんなのサーヤらしくないでしょ?」
「私、らしく……?」
「サーヤはさ、れーくんのことが好…………その、そういう気持ちを持ってるんでしょ?」
「そ、それは、うん…………」
怜のことが好き。
その気持ちに偽りはないし、恋人になりたいと思っている。
恋人としてデートもしたい。
これまで以上に一緒にいたい。
これからの人生を怜と一緒に新しい形で歩んで行きたい。
無意識の内にキーホルダーとネックレスに手を当てる。
「うん! サーヤの良いところはさ、れーくんに対して遠慮なんてしないところなんだから! いいじゃん、れーくんに甘えても! それをれーくんが嫌がってるって思ってるの!?」
「え……? い、いや、そんなことはない、と思う、けど……」
さすがに怜が嫌がっているかどうか位は分かる、とは思う。
「でしょ!? むしろサーヤが遠慮する方がれーくんが悲しむよ! うん! それはアタシ達が保証する!」
「ああ。怜はさやっちに遠慮されて喜ぶような奴じゃない」
「う、うん……。確かに怜はそういう人じゃない、よね」
この二人の言う通り、自分が好きになった人は、自分が下手に遠慮するよりも思ったことを全てぶつけられる方を好んでいる。
それが不快にならず、むしろ心地好い関係だからこそ、自分と怜はこうした関係を続けてこれたのだ。
「うん。ありがとう、二人共」
「ううん。ごめんね、叩いちゃって」
「それこそ私の方こそごめんなさいだよ。変な事言っちゃって」
本当にこの二人には頭が下がる。
優しくて、厳しくて、でも厳しさの中には確かな優しさがあって。
この二人と親友になれて本当に良かった。
その幸せを噛みしめながら、桜彩は親友二人とこれからについて話していった。
次回投稿は月曜日を予定しています




