第299話 どこのお風呂を使うべきか
ケーキを食べ終えた後は何をするでもなくしばらくまったりとする。
雑談しながら過ごしていると、怜に少しばかり眠気が襲ってきた。
「ふあ……」
「ん……」
隣の桜彩もちょうど眠そうな声を上げて目をこする。
「眠そうだね、二人共」
「まあ今日は一日遊んでたからな」
「うん。ちょっと疲れがね」
「それじゃあ今日はもう終わりにするか? 遊ぶのは明日またってことで」
「そうだな。さすがに寝落ちはしたくないし」
「うん。お風呂にも入りたいしね」
今日はこのまま遊びつくす予定だったのだが、この眠気ではそう長く遊ぶことは無理だろう。
それに今日は汗もかいているのでちゃんと風呂に入って汗を流したい。
怜も桜彩も陸翔の提案に頷く。
「それじゃあ完全に眠くなる前に風呂の準備しちゃうか。お湯沸かしてくるな」
「あ、それじゃあ私も一回戻るね。お風呂入ったらまた来るから」
怜が風呂の準備をしようと席を立つと、桜彩も同じように席を立って一旦自室へと向かおうとする。
とそこで蕾華が桜彩の行動に疑問を持って声を上げる。
「え? 一回戻るってどういうこと?」
「え? どういうことって、自室でお風呂に入ってくるからだけど……」
蕾華の問いの意味が分からずにきょとんとした顔で桜彩が答える。
その問いを聞いて顔を見合わせる蕾華と陸翔。
再び蕾華が桜彩の方を向いて
「別にれーくんの部屋のお風呂使えば良いじゃん」
妙案だとばかりに腕を組んで大きく頷きながら提案する。
「「え……?」」
一方で席を立った怜と桜彩が、蕾華の言葉を着てポカンとした顔で立ち止まる。
「いや、でもなあ……」
「う、うん……」
困った顔で立ち尽くす二人。
確かに怜は普段から桜彩とはもう朝から夜まで一緒に過ごしている。
それこそ学園での生活以外では、入浴と就寝を除いて常に一緒にいると言って差し支えない。
普通の友人とは比べ物にならないくらいに仲が良いし、信頼関係だってある。
とはいえさすがにこれは気後れしてしまう。
それは隣の桜彩もオロオロとした表情から同様であることも分かる。
「え? なんかダメな理由ってある?」
「駄目な理由って……、なあ……?」
「う、うん…………」
何と言って良いか分からない。
もちろん蕾華が言っているのは桜彩が怜の部屋にある風呂を使うというただそれだけのことで、怜と一緒に入るとかそういったことではない。
これまでに怜も桜彩も、ただの友人同士のラインをもう幾度となく越えていることは理解している。
とはいえこれはまた別のラインの向こう側ではないのか。
そんな葛藤をする二人に蕾華は更に言葉を重ねる。
「いや、確かにさ、お風呂を使わせるってことがまあ特別だってことは分かるよ。でもさ、アタシだってれーくんのとこのお風呂入ってるんだし別に良いでしょ?」
「え……?」
その言葉に桜彩が怜の方を向く。
確かに陸翔と蕾華は怜の部屋にもう何度も泊まったことがあるし、その度に風呂も使っている。
しかしそれはあくまでも恋愛感情が一切存在しない親友である蕾華だからこそだ。
これまで怜は桜彩のことを美人だとか素敵な女性だとか思ったことはあるし、たまにドキリとさせられたこともある。
加えて先ほど恋心を自覚してしまったのだからなおさらだ。
(蕾華さん、怜の部屋のお風呂、使ったことあるんだ……。ま、まあ確かに当たり前かもしれないけど……)
一方桜彩の方は蕾華の言葉を聞いてむぅと頬を膨らませる。
蕾華の言ったことは桜彩にも理解出来るのだが、とはいえこの目の前の親友が怜の部屋の風呂を使っているという事実を突きつけられると嫉妬心が湧き上がってくる。
もちろん怜と蕾華双方に恋愛感情が一切存在しないことは、頭の方では理解しているのだが。
「あの、怜……」
気付くと桜彩は考えるよりも先に口を開いていた。
「その、ダメ、かな……?」
「桜彩?」
いきなり考えが変わった桜彩に対し、怜は首を傾げてしまう。
そんな怜に桜彩は更に言葉を続けていく。
「そのね、蕾華さんの言う通り、別に駄目な理由って無いでしょ……?」
「そ、それは、まあ……」
確かに理屈の上で、桜彩が怜の部屋の風呂を使うのが駄目だということは無い。
しかしこれはあくまでも感情としての問題だ。
「あ、その、れ、怜がダメだって言うんなら構わないんだけど……」
何と説明して良いか迷っていると、シュンと肩を落として寂しそうに桜彩が呟く。
「その、別に怜を困らせたいって思ってるわけじゃないし……、嫌だって言うんなら……」
「嫌だってわけじゃないけど……。たださ、その、蕾華は別としてさ、やっぱり男女としては、その、な……。これでも俺も男だし……」
「え、あ、うん……。そ、それは分かってるけどね……」
なにしろつい先ほど初恋を自覚したのだ。
怜が男だということくらい桜彩も充分すぎるほど良く分かっている。
「でもね、私は怜がそういう人じゃないって信じてるから。怜がどれだけ誠実な人かってことは、私はもう充分すぎるほど分かってるから」
顔を真っ赤にしながら、それでも怜から視線を外さずに桜彩が告げてくる。
胸の前で両手を握って、そして一度深呼吸をしてにっこりと微笑む。
「だからね、怜……。それは気にしないで」
「ん……。分かった」
そこまで言われては仕方がない。
むろん怜だって桜彩に何かしようという意図は一切ない。
とても魅力的な異性ではある、しかしそれ以上に特別な相手。
そう言った意味では蕾華(や瑠華)と同様に、最大級の信頼関係を気付けている相手。
自分のことをここまで信頼してくれている相手に、それ以上断るのはかえって失礼だろう。
「それじゃあ、うん。ウチの風呂、使うか?」
「うんっ!」
そう告げると桜彩は嬉しそうににっこりと微笑む。
「ふふっ。怜の部屋のお風呂、楽しみだな」
「いや、桜彩の所と大して変わりは無いと思うぞ」
何しろ同じアパートの隣室なのだ。
違いなどほとんどないだろう。
「ふふっ。そっか。これからはもう毎日お風呂も同じ所を使うんだよね。もう就寝以外はずっと一緒に過ごしてるみたい」
「……え? 毎日?」
てっきり桜彩がこちらの風呂場を使うのは今日だけだと思っていた。
驚いた怜を見て、桜彩の方も自分が勘違いしていたことに気が付く。
「あっ……。そ、そっか。きょ、きょうだけ、だよね……!」
慌てて手をバタバタと振りながら頭を下げてくる。
「え? 別に毎日でも良いだろ?」
「うん。別に今日だけじゃなきゃいけない理由なんてないよね?」
すると桜彩の言葉に親友二人がのってくる。
「ま、まあ、な……。うん。別に、明日からでも構わないか……」
その怜の言葉に桜彩の顔がぱあっとほころぶ。
「ふふっ。ありがとね」
「いや、お礼を言われることじゃないって。それこそ桜彩もこっちの風呂を使うんなら、掃除の手間も減るかもだしな」
恥ずかしさを隠すようにそのような事を口にする。
まあ実際のところ、怜も桜彩も自室の浴室は自分で掃除していたのだが、桜彩も怜の部屋の風呂を使うとなれば単純に手間が半分に減る。
「それじゃあ私のお風呂のセットとか取ってくるね」
「ああ。それじゃあ俺は風呂の準備をしとくよ」
「うん。あっ、怜ってバスオイルとか使ってる?」
「いや、使ってないぞ。たまに貰った入浴剤とかは入れるけどな」
「だったらさ、私が使ってるバスオイル、使っても良いかな?」
目を輝かせながら桜彩がそう告げて来る。
そこまでお勧めするのであれば、怜としてもぜひとも使ってみたい。
「それじゃあ俺も桜彩のバスオイル、堪能させてもらおうかな」
「うんっ、待っててね。すぐに取ってくるから!」
そう言って楽しそうに顔を綻ばせた桜彩は足取り軽く、一度自室へと戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「うん! 作戦成功!」
「まあ欲を言えば、二人一緒に入ってもらいたかったんだけどな」
怜の部屋の風呂はそこそこ広く、二人程度なら無理なく一緒に入ることが出来る。
陸翔と蕾華としてはその位の関係まで進んで欲しいとは思っているものの、さすがにペースが早すぎるだろう。
「まあそれはこれからってことだね。まずはサーヤにれーくん家のお風呂を使わせることは出来たわけだし」
もちろん桜彩が怜の部屋の風呂を使ったから、だからなんだというわけでもない。
しかしこれで二人の間の心の壁を少しばかり壊すことが出来たのも事実だ。
これで二人共よりお互いに対して男女としての距離を縮めることは出来ただろう。
そうなればお互いが気持ちを伝えるのも早くなるはずだ。
「このままもっと意識させていこっか」
「そうだな。早く告白してもらおうぜ」
怜と桜彩、両方がお互いに片想いしているということを知っている親友二人は、それが早く両想いになることを願って力強く頷いた。




