震えが呼んで
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
……おお? 誰だケータイ鳴らしてんのは!
マナーモードになっていても、バイブがでかいヤツもある。ちゃんと設定しておけ。
――なに、取り上げないのか?
家族から緊急の用事があるかもしれんだろ。今回「かぎり」は見逃してやる。
だが、次から鳴らしたら問答無用で取り上げて、お預かりの刑だからな。あらかじめ、ここの規則に書いてあることだしな。
今のご時世、ケータイを手にしたことないヤツはほとんどいないだろう。先生より、みんなの方が、扱いがうまい点もあるかもしれないな。
それだけに、慣れたみんなこそ警戒しておいた方がいいこともあるかもしれない。
先生の友達から聞いたことなんだがな。
先生の友達は、先生たちの周りの中でも、すこ〜しケータイに触れるのが早かった。
おすすめ、新発売、期間限定……購買意欲をそそるものには、機を見るに敏といったところでね。人よりそれを先んじて手にすることに、情熱を注いでいた。
情報をつかんだ商品は、すみやかに購入する。売り切れてしまってから、あるいは広まってしまってから買っても、遅いのだと。
いつでもどこでも、スーパーのタイムセールといった感じでね。いち早く手に入れた新しいケータイの機能を、ああだこうだとひけらかしてきたもんだ。
そんな彼の帰り際のこと。
当時、一人暮らししていたアパート近くまでくると、ケータイのバイブの音が聞こえてくるじゃないか。
自分と同じものだから、とっさにポケットの中をまさぐってしまったが、ケータイに着信の気配なし。注意してみると、音もまだ小さいものだ。
誰かが鳴らしっぱなしにしているのか……と、気を取り直してアパート2階の自分の部屋へ向かう友達。
ゆうに十数秒が経つのに、バイブはおさまる気配がない。
持ち主が取れない状態にあるかもしれないが、鳴らす相手もなかなか頑固なものだ。
足を進めながらも、友達は気になることがある。
自分の進む方向へ歩いていくほど、心なしかボリュームが増しているんだ。階段を上っていくと、多少の音のくもりはあれど、その存在感はますます耳を通して脳に訴えかけてくる。
――ある。確かにこの階。それもかなりの近場に……。
関係ないとは思っても、こうも鳴りやむことがないと、意識に障る。
じり、じりと歩みまで慎重なものになってしまい、友達は耳を傾けていく。
自分の部屋は階段より見ての3つ目、3号室。バイブはというと、そのお隣の2号室の中から聞こえてきているだけだった。
な〜んだ、やっぱり隣の人がケータイをおきっぱにしているだけじゃないか……などと、気は抜けない。
ドアポストには、もういつの頃からになるか分からないほど郵便物がたまり、通路側へあふれ出ているんだ。
友達はドアポストがまともに機能するほど空っぽだった数年前から、ここに住まっている。その間、ここの部屋の主らしき人を見たことがなく、またドアが開くところはおろか、気配すら感じ取ったことがなかった。
そのあかずの部屋から鳴り続けるケータイのバイブ……。
――なに、事情を知っている大家さんが維持のための業者とか呼んで、その業者が持っていたケータイを落として気づかないでいる、という線だろ、きっと。うん。
だったら、この生活や活動の必需品たる道具などすぐに回収に動いてもおかしくないのではないか。
納得と疑惑の間で揺れ続ける、自分の思考を振り払って自分の部屋の鍵を開けようとした友達。
ひときわ大きい、新たなバイブ。
それはジーンズの生地越しに大いに太ももを揺らして、つい声をあげてしまうほどの不意打ちだった。
今度こそ、友達のケータイのバイブだ。そして長続きはせずに、すぐ止まる。
取り出す。サブディスプレイに写るのは、ネットを通じたニュースの話題。正直、「脅かすなや」と胸をなでおろす。
部屋に入るや、ケータイをいつも通りに放り出したものの、少し考えていったんバイブもなくなるサイレントモードに切り替えておいた。
隣室からのバイブも、気づいたら止まっている。代わりに窓の外からは、すでに終わりかけている夏の中、必死につがいを求めようとするセミの鳴き声が飛び込んできていたとか。
それから、友達は布団へ横になるまでケータイにさわらなかった。
いつもは目覚まし代わりにアラームをセットして、枕のそばまで置いておくけれど、その夜はそれをしなかったという。
やはり帰り際のバイブが気になっていたと思うと、友達は語る。半ば夢見心地だったから、今なお確信が持てずにいるのだとか。
見た夢も、いま一つ印象に残らないような寝苦しい夜の間。その意識の中で、ケータイのバイブの音を聞いた気がしたらしい。
すぐ近くじゃなかった。それこそ、壁一枚を隔てた音の小ささ、こもり具合。
おそらく隣室からのものだろう。
バイブはまた長く続く。夜中に連絡があるとなれば、それなりの大事の恐れも考えられた。
でも、誰もケータイを止める者はいない。いや、そもそも隣に人がいるかも分からない。
これも夢のことだろうと、友達は身を横たえ続ける。
音が止むのが先だったか、翌朝まで意識が飛ぶのが先だったかは、よく覚えていないのだとか。
そしてその朝。また遠くでセミの声をかすかに聞く早い時間。
ケータイへ手を伸ばした友達は、サイレントモードが解除されていることに気づいたんだそうだ。
最初は、自分の記憶違いを疑った。
あの放り出したときに、モードの切り替えをしたと思い込んで、実際はしていなかったのをそのままにしていた、と。
普段はモード切り替えをしないし、その日はおっかなびっくりアパートの行き帰りをしたが、隣室からのバイブはない。次の日も、その次の日も。
――やっぱり、あれは何かのハプニングだったんだよな。きっと音源のケータイも回収されたって。
そう気持ちを落ち着かせるに、十分な間で。
それでも寝る前のサイレントモードのチェックは、しっかり行うようにしていて。
独り身のセミもまた、未練たらたらに鳴いていて。
その晩はやってきてしまったんだ。
またも遠く、バイブが耳へ響いてくる。
このとき、友達の眠りは前回よりも浅かった。目をこすって身を起こしかける友達は、最初それを自分のケータイのものと思って、いつも置く布団の近くへ伸ばしたんだ。
ない。そのままの姿勢で、何度も畳を叩いたが、それらしい感触に触れはしない。
本格的に身体を起こし、それらしい畳に触れていった。でも、ない。
外出する際、かばんに入れることもあるから、その線も考えたがやはりない。
さすがの友達もあせり出した。もはやケータイは、日中における第二の心臓ともいって差し支えないほど、いじり倒している。
確かに、寝る前までは室内にあったブツ。それを外へ出ないまま行方不明にするなぞ、たまったものじゃない。
もっとしっかり探そうと、部屋の明かりをつけかける友達だが、その耳がバイブ以外の音をとらえる。
隣室のドアが開いた音。
すぐそば、詰まった郵便物があげるかすかな紙ずれの気配が、肌に伝わってきた。
「部屋の人が帰ってきていたのか?」と、首をかしげられたのもつかの間。
部屋前の廊下へ出た足音は、動いたと思いきやすぐ止まる。友達の部屋の真ん前で、だ。
じゃらりとキーリングらしき金属音が、ドア一枚外から引き続き伝わるバイブとともに、耳へ突っ込んできたのは、その直後のこと。
危険を悟り、明かりから離れて、いまだ暗い部屋の布団へ友達は横たわり、狸寝入りを始める。
ほどなく、しっかり鍵かけたノブにカギが開錠されてしまい、ドアが音もなく開いていく。泥棒でない限り、こんな芸当ができるのは合鍵を持つ者だけだろう。
勇気を振り絞って、薄眼を開ける友達の視界にぼんやりと見えるのは、ゆうゆうと玄関を上がってくる人影。
薄暗闇、それも暗さに慣れないうちに、またも目の前を閉ざされた瞳ははっきりと正体をつかめない。しばらく会っていない大家さんの体格に近いような気もしたが、確証が持てなかった。
ただ、影がその手に握るのは、まぎれもなく自分のケータイ。いまだバイブを手の中で響かせながら、人影はそれに動じる気配を見せず。
悠々とした足取りで、友達の間近まで来ると、友達がいつも置く定位置にケータイをきっちり戻していく。初見ではまず選ばないだろう、先のカバンのファスナー上に橋のごとく渡す格好だ。
ばれている。間違いなく、この犯人は自分の部屋へ一度ならず入り、把握している。
ひたすら気配を殺す友達を前に、人影は足音を忍ばせたまま、そっと背を向け、そのまま部屋を後にする。ご丁寧に鍵もしっかりかけて。
気配が十分に遠のいたのを待ち、友達はもぞりと起きる。
このケータイ自身も、隣室からのものも、バイブはすでにおとなしくなっていた。
確かめるケータイの中身も、特にいじられている様子はなく。ただバッテリーを相応に消耗しているのみとなった。
翌日。
学校へ向かう前に、友達は自分の部屋の状態を確かめ、隣室も注意した。
戸は閉じっぱなし、ドアポストからはみ出る郵便物もそのまま、中からのバイブもないときた。
けれども階段を降りきり、かの部屋を振り返った時、普段は閉じきっているカーテンが、そのときはほんのわずか開いていたんだそうだ。
誰かが立っていたわけじゃない。これ見よがしな脅しのメッセージが貼り付けられていたわけじゃない。
その横数センチ、縦一メートル近い空間をすき間なく埋め尽くしていたのは、うず高く積みあがったケータイたちだったんだ。
ちょうど友達が使っているのと同じ色、同じ機種のものばかりが、数えきれないほど。
そして今朝もまた、相手にあぶれたセミが鳴く。
自分のケータイをとっていった主は、あれらに引き合わせたかったのか。
それとも相手惜しげにバイブを鳴らす彼らが、自分のケータイに出会おうとしたのか。
すでにあそこを離れた友達には、もう知りようがないことらしいがな。