2 ようこそ、猫のでんきやさんへ
「ようこそ、猫のでんきやさんへ。あなたは特別に入店を許可されました」
「ひょえっ!?」
わたしはびっくりしすぎて、変な声をあげてしまいました。
(え、今の何? なんかもごもごして、AIのおしゃべりみたいだったけど)
わたしは辺りを見回しました。
あの猫です。あの猫が、緑色のペンキを塗った木のベンチの上にうずくまってこちらを見ていました。やっぱり、青白いもやのようなものに包まれていて、横っ腹には、まだ、わたしの電車のポーチがくっついていました。
「ねこの、でんきやさん?」
わたしはおうむ返しにつぶやいてしまいました。だれがしゃべっているのでしょう。スピーカーも、わたしのすがたを捉えていそうな防犯カメラも見当たらないのに、なぜ、わたしに話しかけるみたいに話せるのでしょう。
「わがはいが、店主の猫です。名前はまだありません」
不思議な声は、猫の方からきこえるのでした。
「あ、それ、知ってる! なつめそうせき!」
この前、塾の国語の授業で、あらすじと、最初の一文だけ教えてもらった小説のことを思い出して、わたしは叫びました。
「ぴんぽーん。せいかい」
猫は、前足でつるんと顔をなでました。
「でんきやさん、って、なんなの?」
わたしが尋ねると、猫は首を傾げて、にゃあ、と可愛らしく鳴きました。
「当店のメニューは、<店主のきまぐれ>のみです。まずはここに座ってください」
三人掛けのベンチの、自分のとなりを、しっぽでちょいちょいと示します。
「それから、わがはいを、なでなで、もふもふ、するのです」
「なんだかあやしいなあ」
わたしは腕を組んで猫を眺めました。
「このパターンも知ってる気がする。なんだっけ」
「なんのことでしょう」
猫はすっとぼけて、あさってのほうを眺めます。
「あ、あれだ。思い出したよ。宮沢賢治の『注文の多い料理店』。看板を見て、メニューが多いお店だろうと思って、お客さんがふしぎなお店に入ると、お店からあれこれ注文をつけられるの」
ちょっぴり怖いお話だったその先を、わたしはわざと言いませんでした。
「ここは料理店ではありませんから。でんきやさんですから」
「でんきやさんって、何を売るの?」
辺りは、きれいな庭園です。でんきやさんにありそうな、テレビも、冷蔵庫も、エアコンも、洗濯機もみあたりません。
「わがはいが、でんきを買うのです」
「えっ」
驚いてしまいました。でもそういえば、と思い出しました。
「あ、このまえ、総合学習の授業でやった。SDGsだよね。ソーラー発電とかでためた電気を電力会社に買い取ってもらうの」
「最近の小学生はむずかしい」
猫は、目の上のぴんとながいひげを、しょんぼりとたらしました。
「そーらー、猫にはわからん話です。『そんな』のS、『どうしよう』のD、『がっかりだけど』のG、『しらんよ』のs、です」
「だじゃれじゃん」
「だじゃれ、いいじゃないですか。みんなが笑えて、だれも悲しくならない」
猫は胸を張ります。こんなしょうもないだじゃれで、どや顔をしないでいただきたいものです。
「はるかちゃん」
猫はわたしの名前を呼びました。え、どうして知ってるの。思わず言いかけた言葉を、わたしはぐぐっと吞み込みます。
怪しい相手に、自分の名前を教えてはいけないのです。本当はおしゃべりするのもだめで、手をつかまれたりしないうちに、走って逃げないといけないのですが、それは『怪しい人』への対応でした。『怪しい猫』にはどうしたらいいのでしょう。少なくとも、手をつかまれる心配はなさそうですが、家の鍵をこのままにして逃げるのも困ります。
「あなたは選ばれたお客様です。当店の、特別なプログラムに参加できる権利を得たのです」
「お父さんが言ってたよ。そういうメールやメッセージは、絶対に返事を送ったり、リンクを踏んだりしたらだめだって。フィッシング詐欺だよって」
「ふぃっしゅ。大好きです」
猫の目がきらんと光りました。
「魚じゃないからね」
「なんだ、ざんねん。ところで、はるかちゃんのすることは簡単です」
猫は口の周りのひげをぺろりとなめました。
「ここに座って、わがはいを、なでなでもふもふ、するのです」
「うーん。そうしたら、ポーチ、返してくれる?」
わたしは口をとがらせました。
「もちろんです。わがはいはでんきやさんですから。はるかちゃんがなでなでもふもふして、でんきを送ってくれたら、それは、お返しします」
「売るんでも買うんでも、お店やさんは、お客さんのポーチを人質にとってまで、お店のサービスをうけさせようとはしないものだよ」
わたしが言うと、猫はしょんぼりしました。
「最近の小学生は、りくつっぽい」
「最近とか関係ない。むりやり言うことを聞かせるのは、昔も今もダメだと思う」
猫はとうとう、前足の間に顔を埋めてしまいました。
なんだかかわいそうになって、わたしは猫の隣に腰掛けました。
「でんきやさんとか言わないで、ふつうに、もふもふなでなでしてください、って言えばいいじゃん」
わたしはそっと手を伸ばして、猫をなでました。
背中に触るとき、すこしだけ、びりびりっとしましたが、猫は逃げませんでした。
猫のお腹にくっついたポーチを取ろうと、手を掛けてみましたが、貼りついてしまったように動きません。髪の毛にガムテープがついてしまったときみたいで、無理にはがすと痛そうで、わたしは途方にくれてしまいました。
「これ、どうやったらいいのかな」
「ごめんなさい。わがはいも、わざとではなかったのです。くっついてしまったら、でんきがたまりきるまで、はがせません。すこし、時間がかかるのです」
猫は、わたしのとなりで、面目なさそうに、ごろごろとノドの奥を鳴らしました。そうやっていると、まるで普通の猫です。
「かわいいね」
そう言うと、猫は得意そうに、また、ごろごろ言いました。
(すぐ、調子に乗るタイプの猫だ)
そんな様子を見ていたら、わたしは、ついつい、言ってしまいました。
「猫ちゃん、いいなあ。塾行かなくてよくて」
猫の毛並みはとても気持ちよくて、なでる手がとまりません。
「勉強は嫌いってわけじゃないけどさ、毎日朝ごはんがドーナツだったら、飽きちゃうじゃん。むっずかしい問題が、毎週毎週出てくると、お腹一杯になっちゃうんだよね」
猫はまだ、ごろごろ言っています。毛並みはほんのちょっとだけ、びりびり、ぱちぱちします。
「それにさ、塾のとなりの席のヨシノリくん、いっつもミニテストの前に、何時間勉強した? って聞いてくるんだ。わたしが答えると、次の週、それよりちょっとだけ多い時間勉強したって言ってくるの。そんなの、競争することじゃなくない? テストの点数も、いつも見せろって言ってきてさ。わたしのほうが悪ければ、別にいいんだけど、勝っちゃうとすごく機嫌が悪いんだよね。でも、わたしだって、手を抜くのはいやじゃん」
猫をなでる手に、少しだけ、力が入ってしまいました。指先を毛並みに突っ込んで、ごしごしこするようになでてやると、気持ちよさそうに目を細めています。猫の周りの、うすく青白いもやのようなものは、次第にその色が濃くなってきているように見えました。かすかに、びりびり、ぱちぱち、音を立てています。毛の先で、時折、青白い火花もはじけました。
「家に帰ったら、弟が熱出してるから、お母さんは忙しいしさ、こんな大したことない話、したら悪いし」
「にゃあ」
猫はまるであいづちを打ってくれているかのように、また、鳴きました。
「別に、塾は嫌いじゃないけどね。先生、面白いし」
「にゃあ」
「猫は、学校もないのかあ。やっぱ、いいなあ」
わしゃわしゃ、もふもふとなでると、猫の周りの青白いもやのようなものがまたひときわ、ぱあっと光って見えました。
「学校も、いいんだけどね。でも、クラスのみんな、すごく声が大きいんだよね。元気なのはいいことかもしれないけど、いっせいにわーってしゃべられると、わたし、耳がパンクしたみたいになって、頭が真っ白になっちゃうときがあるんだ。一生懸命考えて、後からついていくんだけどね」
わたしは思い出して、ちょっぴりため息をつきました。わたしは声が小さくて、皆がしゃべっているときに黙っているせいで、大人しい子だと思われています。『仲良くなる前は無口で引っ込み思案な感じだと思っていたのに、ツッコミ入れたりして元気なところもあるんだね』って、びっくりされることも。ただ、音が苦手なだけなのです。
「給食の準備の時とか、お皿やおぼんがかちゃかちゃなったり、うちのクラスも隣のクラスもおしゃべりの声が大きくなったりすると、目の前がくらくらして、お腹のあたりがむかむかしてきちゃう。でも、給食のお皿、落とすと割れちゃうやつに変わったから。集中してないといけないんだ」
でも、お皿が変わったばかりの去年は、一学期に一枚くらいは、お皿が割れる事件が起こりました。そのたびにみんな、大騒ぎになるので、それも大変でした。食器かごごと落として全滅した時には、職員室に残っていた先生が全員で破片のそうじに来てくれて、かごを落としてしまった給食係さんがしょんぼりして、最後には泣いちゃって、気の毒でした。
「でもね、給食はおいしいんだよ」
わたしは猫ののどの下をさすってやりました。猫はごろごろ、小さな小さなかみなり雲のように、のどを鳴らしています。
「とん汁が特においしいの。かつお節のいいにおいがするんだ。野菜も、すごくたくさんの種類が入ってるし。ああでも、白ご飯は、家のほうがおいしいかな」
おじいちゃんが送ってくれるお米は、特別おいしいのです。どんな立派なご飯屋さんにいっても、おじいちゃんのごはんよりおいしいお米は、食べたことがありません。
「学校もね。前ね、うつりやすい病気が流行って、学校閉鎖ってやつになっちゃって、しばらく行けない日があったんだ。普通の日なのに、学校に行かないのはすごく変な感じ。でも、やっぱり家で勉強はしなくちゃいけないし、ゲームも本も、目の前にあるのに我慢しなきゃいけないし、弟はまだ小学校に行っていないから遊びまくってるしさ。最初の日は、なんか特別な感じがして面白かったけど、次の日にはもう飽きちゃったな。だから、行きたくないってわけじゃないんだけどね」
「にゃあ」
「変だね、わたし。学校も塾も、嫌なのか嫌じゃないのか、わかんないね」