1 青白く光る猫
霜月透子様・鈴木りん様主催、ひだまり童話館企画『びりびりな話』参加作品です。
わたし、関口晴香がその猫に出会ったのは、小学五年生の頃、塾の帰り道のことでした。
いつもなら、送迎バスの乗り降りポイントのところまでお母さんが迎えに来てくれるのだけれど、その日は、弟が熱を出して病院に連れて行かなければいけなくなったので、わたしは一人で家に向かっている途中でした。
弟は熱を出しやすいタイプなので、ときどきこういうことが起こります。
塾のバスの乗り降りポイントは、家から見てわたしが通っている小学校とは反対方向の、日の出公園の横です。
日の出公園は大きな公園で、小さな子が好きなジャングルジムやシーソーのある広場もあれば、大人が予約すると借りられるテニスコートや、誰でも自由に使えるバスケットボールのゴール、自転車やスケートボードの練習が出来る舗装の広場もあったり、『ポンプ場』というレンガ造りの大きな建物があったりします。春は桜、夏は噴水や人工の小川、秋はモミジやススキが楽しめ、冬は池に水鳥が来たりして、いつもにぎやかな公園です。公園の目の前の家までがわたしたちの小学校の学区で、公園そのものは隣の小学校の学区だということになっていました。
小学校の決まりで、放課後、子どもたちだけで、校区外の公園で遊んではいけないことになっています。
塾のバスは、日の出公園の向こう側に止まるので、わたしが家に帰るためには公園をぐるっと回り道しなければなりません。普段はお母さんが迎えに来てくれるので、公園の中をお散歩しながら帰るのですが、子どもだけなので、それは禁止です。
でも、その日、わたしはとても疲れていました。
(遊んでいくんじゃなければ、いいよね?)
そんなささやきが、こころの片隅に聞こえたんです。
(公園の中を通ったほうが、五分は早く帰れるもん。公園の外を通る道は、歩道がないから危ないし)
それに、もう夕方ですから、「あー、第二小の子が子どもだけで公園に来ている! いけないんだ!」なんてうるさく騒ぎ立てる、第一小の子にも会わないでしょう。通りすがりの大人は、どの子がどの小学校に通っているかなんてわからないはずです。
それで、わたしは、公園の中の道を帰ることにしたのでした。
ちょっとだけ、いけないことをしている。
そういう気持ちはもちろんわたしにもありました。
今日だけは、特別。自分にそう言い聞かせても、後ろめたい気持ちは消えませんでした。
それに、お母さんと毎週ここを通るときにはおしゃべりに夢中で気が付かなかったけれど、この時間の公園は、とても静かなのでした。日曜日、お父さんと一緒に来るときには、たくさんの人が行きかってとてもにぎやかなのに、今は、時折犬の散歩をする人や、ジョギングウェアの人とすれ違うくらいです。
足元の影も長く伸びて薄くなって、なんだか怖いくらい。
心臓がのどのあたりまでどきどきして、自然と早足になりました。
(公園さえ出れば、いつもの道だ。よく遊びに来る、ゆみちゃんの家の近くのはず)
その時でした。
目の前のツツジのやぶから、何か、青白く光るものが飛び出してきたのです。足元を横切ったそれにびっくりして、わたしはあわててとびのきました。
「いたた……」
ものの見事にバランスを崩したわたしは、石畳の遊歩道で膝をすりむいてしまいました。気づくと、塾の教科書やノートを入れて肩に掛けていたバッグが転がって、地面に中身が散らばっています。
慌てて、落としたものを拾おうとしたとき、わたしは、遊歩道の端にじっと立ってこちらを見ている青白いものに気が付きました。
不思議な色にぼうっと光る、猫でした。青白いけれど、もともとの色は黒でしょうか。ぴんと長く伸びたひげの辺りで小さな稲妻のような光がびりびり、ぱちっと小さく光りました。
その横っ腹のあたりに、見慣れた白と黒のかたまりを見つけて、わたしはおもわず大声を上げました。
「あ、わたしのポーチ!」
家の鍵が一つ入っているだけの、薄くて小さなポーチです。白、黒、濃いグレーのフェルトで大阪を走る特急電車の顔をデザインしたもので、鍵をわたしに預けるときにお母さんが作ってくれたのでした。
ポーチは、まるで黒板にくっつく磁石みたいに、猫のわき腹にくっついてしまっていました。転んだ拍子に、バッグから飛び出してしまったのでしょうか。
「それ、返して」
猫はわたしをちらりと見ると、ポーチをお腹にくっつけたまま、たたっと数歩、走りました。そこでまた立ち止まって、わたしを振り返ります。
「ねえ、猫さん」
わたしは慌てて追いかけました。猫はまた、たたっと走ります。それから、立ち止まって、じっとわたしを見つめました。上り始めの満月のような、澄んだ黄色の瞳でした。
「ないと困るの」
わたしの言葉が聞こえないように、猫は、すたすたと歩いて行ってしまいます。不思議なことに、白と黒のポーチは、猫のお腹にぴたっとくっついたままでした。歩いても、走っても落ちないのです。
猫を追いかけているうちに、わたしは、ポンプ場のレンガの建物の裏まで来てしまいました。本当なら、立ち入り禁止のところです。この近くの家々に、水道の水を送るための機械が入っている建物だと、三年生の時に社会の授業で習いました。遊ぶ場所ではないので、普通の人は入れないのです。
猫は、建物の裏の階段をさっと駆け上がり始めました。
お母さんは病院に行ってしまっています。弟がいつも行く病院は、夕方にはすごく混むので、きっと、なかなか帰ってこないでしょう。あの鍵がないと、わたしは家に入れません。
それに、鍵を失くしてしまったら、悪い人に使われるといけないから、お父さんとお母さんの鍵も捨てて、まるごと、玄関の錠を新品に取り替えなくちゃいけなくなるんだよ、と、鍵をわたしに渡す前に、真剣な顔をしてお父さんが言っていたのも思い出しました。
「猫さんってば」
このままでは見失ってしまいます。わたしはあわてて、猫を追いかけて、その階段を上り始めました。
◇
階段を登りきったところは、石畳の公園のようになっていました。ベンチや街灯がところどころに置かれて、その間を曲がりくねるように遊歩道がめぐらされています。花壇には、ばらや、ローズマリー、ゼラニウム、それに名前も知らない花がたくさん植えられていました。屋上なのに、大きな鉢植えの庭木もあります。ハナミズキが満開で、ジャスミンが咲き始めていました。
(こんなところがあったんだ)
わたしは、鍵のことも一瞬忘れて、うっとりしてしまいました。
そのときです。不思議な声が響きました。
「ようこそ、猫のでんきやさんへ。あなたは特別に入店を許可されました」