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少女飛翔セプテントリオン  作者: 柚月 ぱど
第一篇 Fly High!
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第六話

 遠くの方で物音が聞こえた。その響きはとても久しぶりに聞く音のようで、柔らかな眠りの奥底から瞬時に覚醒する。両目を開くと部屋の中は暗闇に包まれていて、瞬間的にその様相を掴ませてはくれない。だけど僕は慌ててベッドから起き上がって、そのまま寝室を後にする。


 床に落ちていた色々な物品を踏んでしまったが、そんなことには構っていられない。たとえ感覚的に何か模型みたいなものを踏み砕いてしまった感覚があってもだ。急いで寝室のドアを開いてリビングを確認するが、彼女はまだリビングには到達していなかった。僕はそのままリビングを抜けて、玄関の方へ向かう。


 玄関に到達した時には、彼女はもう靴を脱ぎ終えていて、こちらに視線を送っていた。僕は彼女の前に立って、何を言おうか一瞬迷う。しかし続く言葉が出て来なかったので、お互いに無言の時間が流れた。しかしリンドウは呆れたような顔になって、


「とにかく、中に入れてくれる?」


 と溜息混じりにそう告げた。確かにこんな玄関で語らうこともない。そう思って慌ててリンドウの道を開けると、彼女はおかしそうに微笑んだ。


 リンドウがリビングに入って、僕は手持ち無沙汰になってしまった。彼女はそのまま手を洗いに洗面所へ向かってしまって、ようやく自分も手を洗っていないことに気が付く。だけどリンドウのもとへ行く気もあまり起きなかったので、なんとなくリビングのちゃぶ台の前に座った。


 しばらくして、リンドウが手洗いを終えてやって来る。多少の緊張は拭えなかったが、彼女はこちらを見て、小さく口を開いた。


「――ご飯は?」


 一瞬意味が分からず、ポカンとした表情を浮かべてしまう。しかしリンドウの顔を見てようやく晩御飯のことを指していることを悟って、そして寝てしまっていたがために用意できていないことを思い出す。


「あ、あの。――ごめんなさい。眠っていて、作れていないんだよ」


 申し訳ない気持ちのままそう告げると、リンドウは再度呆れたような表情になって、そのままちゃぶ台の上に置いていたショルダーバッグを開いた。一瞬その行為の意味が分からなかったが、ショルダーバッグの中から惣菜が出てきたのを見て、あっと声を上げてしまう。


「きっと作る気力なんてないと思ったから。買って来ておいて正解だったみたいね」


 少ししょうがなさそうな表情を浮かべるリンドウに、僕はいつもの彼女が帰ってきたことを感じ取るのだった。


「ご飯にしましょう。どうせ何も食べてないんでしょう?」


 リンドウの言葉に、何度も頷く。今更だが、昼から何も食べていない。もう空模様的には夜中だし、流石に何か食べておかないと体調を崩してしまう。何度も頷いた僕を見つめて、リンドウは淡く微笑むのだった。


 リンドウが買ってきた惣菜を摘みながら、僕は無言で夕食を摂っていた。ちゃぶ台を挟んで向こう側に座るリンドウも黙々と惣菜を口に運んでいて、食卓には沈黙が訪れている。


 早く今日の一件について切り出さないと――そう思ってはいたのだが、どうしても自分から口を出すことができない。それは今のリンドウはあの優しかったリンドウであって、僕の知らない魔女狩りの彼女ではないからだ。だから今朝のことを聞いてしまうと、今のリンドウが失われてしまいそうな気がして――そんな子どもじみた恐怖心が、僕の行動力を削ぎ落としていた。


 ふと、リンドウが顔をこちらに向ける。そのことは分かっていたが、どうしても顔を上げることができない。きっと、リンドウの視線を一身に受けることの恐怖が、僕の中に生まれているのだ。セレストを捕らえた時のリンドウ。彼女の視線は非常に冷徹で、冷酷なものであった。その視線をこちらに向けて来るのではないかという猜疑が、僕の顔を固定して離さない。


 しばらくこちらを見つめていたリンドウであったが、不意に小さく口を開いた。


「今日のこと、何も聞かないの?」


 リンドウの言葉は、僕に先の言葉を促しているようだった。やはり彼女の方も、僕が一体何を聞きたがっているのかを察しているらしい。その辺りはやっぱり姉弟だからか、通じ合っているように感じた。リンドウの言葉を受けて、心の中に蔓延っていた迷いが少しだけ薄らぐ。彼女の紡ぐ言葉には僕を安心させる不思議な魔力があるようで、しかしそれでも魔女狩りの件について聞くのを躊躇っている自分がいた。


 総菜を摘まむ箸を止めて、ゆっくりとリンドウに向けて顔を上げる。段々の彼女の端正な顔立ちが目に入っていて、どうしても緊張してしまう。姉弟なんだから畏まる必要などないはずなのだが、僕は姉と話す時、いつも少しだけ慄いてしまうのだった。


 だけど、聞かずに食事を終えると言うのもいただけない。こちらとしても、どうしてホワイト・ホエールズを辞めて魔女狩りなんてやっているのか問い質したいところだ。そう思って、僕はようやく決意を固めた。


「――あの、どうして、魔女狩りなんてやってるんですか」


 次第に声が小さくなっていくのが自分でもわかる。やはりリンドウの手前、若干萎縮してしまうのは避けられないらしい。だけどリンドウはこちらの言葉を真摯に受け止めるように、じっと耳を凝らしてくれていた。魔女狩り、という言葉を選択してしまったが、リンドウはそこのところを今朝のようには訂正しない。どうやら魔女狩りをやっていた時のような厳しさは鳴りを潜めているようだ。そうしてこちらの言葉を聞き終えて、彼女は言葉を選ぶように切り出した。


「そうね……まずきっかけを話すと、私はホワイト・ホエールズで戦っている時から、亜人保護組織ハントにヘッドハンティングされていたのよ。知っているかもしれないけど、ハント――魔女狩りは人材不足でね。特に技能系で優れた人材は常時募集しているわ。魔女の捜索や警邏、その他の作業に小型機を使うことは少なくない。それで小型機のプロフェッショナルであるドッグファイトの選手を誘致することは、珍しい話じゃなかったの」


 確かに、ドッグファイトの現役を退いたプロは、各種操縦技術を生かす仕事に再就職することもままあった。魔女狩りそのものが危険な仕事であり、一般的には忌み嫌われているから人材が不足していることにも頷ける。しかし納得がいかないのは、人気絶頂期というブームの最中、どうして若くしてドッグファイトを引退したのかということだ。リンドウはまだ十分ホワイト・ホエールズで戦える実力を有していたし、もしチームが気に入らないなら別のプロジェクトに参加することだってできた。僕としてはどうしてドッグファイトそのものを諦めてしまったのかということも知りたいのだ。


「でも、姉さんはまだプロチームで戦い続けられるくらい人気も実力もありましたよね。どうして途中でホエールズを辞めちゃったんですか?」


 核心を突く発言を行って、僕はリンドウの表情を窺った。何か理由があるにしろ、今まで通り言ってくれる可能性は低い。だから彼女の表情から、できる限り何かサインを拾い上げようと思ったのだ。


 しかしリンドウは少しだけ顔を伏せて、辛そうな表情を浮かべた。その顔を見て、僕もちょっとだけ悲しい気分になる。この様子だと、やはり何か彼女の中で引っかかるものがあったのだろう。それについて追及したい気分ではあったが、心の中でそれはやめておけと冷静な声が上がる。何度尋ねても教えてくれなかったことなのだ。無理矢理聞き出そうとしても答えてくれない可能性があったし、彼女にとって思い出したくないことを無暗に思い出させてしまうのは、やはりどうかと思えた。僕はリンドウがどうしてドッグファイトを辞めたのか聞きたいと思っていながら、どこか遠慮してしまっている自分がいることに気が付く。


 そうなれば、逆にどうして魔女狩りをやっているのかを聞いた方が良いかもしれない。ホエールズを辞めること自体に正当な理由があったとしても、魔女狩りをやるのは危険だし、僕の同意もなく始めたことに関しては彼女自身にも非があるはずだ。


「なら姉さん。もう一度聞きますけど、どうして魔女狩りなんてやってるんですか。ヘッドハンティングされたって理由だけだったら、普通断りますよ。あんな危険な仕事、僕にも断りなく始めるだなんて……」


 僕は姉が魔女狩りを遂行する様子を思い出しながらそう呟く。セレストを捕らえた時の戦闘。正面から魔女狩りたちの攻撃で気を引いて、側面から不意打ちのように一撃を食らわせて仕留めた。セレストが正面切って魔女狩りに対して危害を加えていなかったから良いものの、魔女は基本的に超常的な能力を持つ。あの場であれば、セレストは人を圧殺することも可能だったはずだ。今回はセレストが相手だったから良かったが、もっと危険な相手と戦闘に陥った場合、すぐにでも殺されてしまう場合だって考えられた。そんな危険な仕事に、どうしてヘッドハンティングされたからといって参加したのか。


 リンドウの表情を窺う。すると彼女はまた少しだけ苦い表情を浮かべていて、しかし何かこちらに返事をすることはなかった。僕は彼女の表情を見て、少しだけ苛立ちが募る。魔女狩りをやっているリンドウを見て、どれだけ心配したと思っている。彼女は家族に内緒で魔女狩りに入って、一人危険な任務を行っていた。僕が知らないうちに戦って、そして死んでしまうかもしれないのに。そういった思いが胸を駆け巡って、僕の怒りのボルテージを上昇させていった。


「姉さん! なんで答えてくれないんですか? あなたを心配して言っているんですよ! 魔女狩りなんて危険な仕事をやって、もし死んだりしたらどうするんですか! 急に姉さんがいなくなって、残される僕の気持ちを考えたことがあるんですか?!」


 気が付くと僕の腕をちゃぶ台を叩いていて、リンドウの方に身を乗り出していた。ハッと気づいた時には呆然として、僕は怒りの矛を収める。その間リンドウはずっと無言であったが、こちらが姿勢を元に戻したことを確認して唇を開いた。


「……リセに仕事のことを報告していなかったことは、こちらに非があります。謝るわ。だけどね、私たちは親がいなくて、とにかく稼ぎを得る必要があった。ホエールズを辞めた以上、リセを養うには給料の悪くない職場で働かなきゃならない。そういった条件の上で、魔女狩りという仕事はベストだったのよ」


 その言葉を聞いて、僕はまた少しだけ苛ついてしまう。僕のためだと? 何を言っているんだ。僕は高校へ行かず働いていて、それは姉に近づきたいということもあったが、それ以上に僕のことでリンドウに心配をかけたくなかったからだ。だから中卒で働き始めたのに、それじゃあ意味がないじゃないか――怒りが憤怒に変わり、少しずつ身体中をアドレナリンのように巡り巡っていく。そうして全身が怒張された感情で満たされた時には、その思いが口をついて叫んでいた。


「僕は自分で働いています。それは自分自身を養うためです。姉さんに養ってもらおうなんて、そういう考えが甘ったれているから、働き始めたんですよ! どうしてそんなこともわかってくれないんですか! 姉さんに心配をかけたくなくて働いているのに、どうしてそんなにも盲目なんですか、あなたは!」


 ちゃぶ台に叩きつけて、胸に溜まった思いを吐き出す。こんなことをしたって、なんの解決にもならないとわかっていながら。そうして胸を焦がす感情の渦を体外へ放出して、そのままリビングを後にする。背後からリンドウの諫める声が聞こえていたが、それを無視して寝室へ戻り、帽子や手袋、ゴーグルを持ち寄って玄関へ向かった。パイロットブーツを履いていると後ろからリンドウが声をかけてきたが、何も答えることなく無視して、玄関から飛び出していく。


 こんなことがしたかったわけじゃないのに。久しぶりに姉さんと語らえるからって、楽しみの気持ちもあったのに。それを全ておじゃんにしながら、僕は闇に覆われた空の街へ逃げ出していった。

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