第四話
掲載準備が出来ましたので、続きを投稿したいと思います。
明日も八時に更新します。三週間前後で一旦完結する(予定)です。
更衣室で服を着替えて、すぐに担当の小型機の整備に入る。僕が任された小型機――と言っても数人で対応するのだが――は、あのホワイト・ホエールズが実際に運用している小型戦闘機だった。この機体は数年前にリンドウと一緒に戦っていた戦友のものであり、整備にはかなりの神経が費やされる。そもそもホワイト・ホエールズは、このホワイト・ホエール・ワークス社が抱えるチームであり、同企業の宣伝も兼ねて運用されているドッグファイト・プロジェクトだ。そもそもホワイト・ホエール・ワークス社はホワイト・ホエールズの活躍によって台頭してきた企業であり、ドッグファイトという競技なしでは語れないという背景がある。僕だってリンドウがホワイト・ホエールズに所属していたから、このWWW社のメカニックとして働こうと思ったのだ。まぁ実際は僕がこの会社のメカニックに就職したのとほぼ同時に、リンドウはドッグファイトを止めてしまったため、ちょっとした夢であった彼女の機体を整備するという仕事は出来なくなってしまったのだが。しかし仕事をしている以上、私情で勝手に辞めるわけにはいかない。幸運なことに、ここでの仕事はやりがいがあって、低賃金とは言えど同僚も大人が多くて優しく、むしろ恵まれていると思えた。だから今日もこうやって心躍るドッグファイトを繰り広げる機体――ファイターの整備を行っているのだ。
機体のエンジン部の点検を行っていると、誰かがひょっこりとこちらへ顔を出してくる。その動作で一体誰が覗き込んできたのかわかってしまったので、僕は彼女に顔を向けることなく、そのまま作業に没頭した。
「やほー、リセ! 今日も張り切っているねぇ」
作業音が響く格納庫でそんな暢気な声を上げたのは、僕より二歳年上の先輩であるセレストだ。彼女もまたこのホワイト・ホエール・ワークス社専属のメカニックであり、僕同様かなり若いことから、同僚の仲間たちに目を掛けられていた。彼女はどこか捻くれたところがあり、多少軽薄だが傷付きやすいというよくわからない性格をしている。だが僕はそんな彼女に安易な憧憬を覚えていた。それは思春期がもたらす年上への安い憧れが引き起こすものなのか僕にはわからなかったが、それでも彼女を目で追ってしまう自分がいるのは事実である。
「おはようございます。作業の方はどうですか?」
敢えて彼女に顔を向けずに、多少ぶっきらぼうにそう答える。先輩に対して少し粗雑な対応にも思えるが、僕の思いがセレストに勘付かれてしまう方が恐ろしかった。彼女は面倒臭がりだが、ちょっとだけ鋭いという感性も持ち合わせている。だから下手に顔を見せてしまうと、なんとなく淡い好意を悟られてしまう可能性があったのだ。
僕のあしらった返事を聞いて、セレストは溜息を漏らし、こちらが整備していた小型機に手をついた。
「つれないねぇ。毎日おんなじような作業ばっかりだからさ、こうやって同年代の子と話して気を紛らわせようってことじゃない。そんなに仕事ばっかりやってると、いろんなものを見失っちゃうよ?」
セレストの最後の一言に、僕は鼻から細く息を吐いた。そしてそのまま、整備中の機体の向こう側に貼られているポスターを視界に収める。
そのポスターはホワイト・ホエールズのファイターが試合中に空を飛んでいるところを写真に収めたものだ。白塗りの小型戦闘機が綺麗に映っていて、世の中の少年はこれを見てドッグファイトを志すということを思い出す。僕も昔はドッグファイトに憧れていて、夢の舞台で戦っているリンドウとても羨ましく、そして誇らしかった。だけど彼女は何故かドッグファイトの道を閉ざして、別の仕事に就いてしまう。未だにどうしてリンドウがドッグファイトを諦めたのかわからなかったが、それでも僕の中でドッグファイト、いやセプテントリオンは神格化されていて、心の中に幸せと葛藤を生み出す。きっとリンドウを尊敬していた同時に、やはり彼女の隣に並びたいという気持ちがあったのだ。それほどまでに僕の行動原理の中心に存在するのはリンドウで、それは変えようと思っても、そう容易く変えられるものではなかった。
気がつくと、僕は軽く唇を噛み締めながらそのホワイト・ホエールズのポスターを睨んでいた。そうしてこちらの様子をセレストが不思議そうに眺めていることに気付いて、慌ててポスターから視線を外そうと思った時。突如格納庫が騒がしくなって、僕とセレストは視線を格納庫の搬入口の方へ落とした。
その瞬間、鼓動が大きく揺らいだ。それは格納庫の出入り口に白塗りの外套を着込んだ一団が詰めかけていたからで、その集団が“魔女狩り(ハンター)”であることを理解して、本能的に身体を屈めてしまう。
魔女狩り。亜人保護組織(HUNT)から派遣されてきた連中。僕は彼らと視線を交錯させないように注意しながら、思考を巡らせた。どうして魔女狩り(ハンター)がWWW社に――? とそこまで考えて、その答えが一つしかないことに気がつく。魔女だ。間違いなくWWW社に魔女が関係しているのだ。その答えに辿り着いて、ようやく僕はこの格納庫の中に、魔女がいるかもしれないという可能性に気がつく。ありえない話ではない。魔女狩りが本社ではなく格納庫を訪れたということは、既に確保対象がこの場に存在しているということだ。その事実に気が付いて、背筋が凍るように冷たくなるのを感じる。この場で誰かが“連行”されることになるとしたら。それはきっと僕にとって初めて近場で見る魔女狩りになってしまうだろうし、ある意味トラウマ級の出来事になるだろう。場合によってはこの場が戦場になる可能性があった。
なるべく魔女狩りと視線を合わせないよう努めていると、隣にいたセレストの顔色が優れないことに気が付く。まぁ魔女狩りが来ているのだから無理もないが、放っておくのも心配だ。
「あの、セレスト先輩。大丈夫ですか?」
取り敢えずそのように尋ねてみたものの、セレストが反応を返すことはなかった。どうやらかなり驚いているようだ。もしかしたら過去に魔女狩りの場面を間近で見てしまったことがあるのかもしれない。そう思って少し悩んで、ようやくちょっとした勇気を振り絞ることを決意する。そうして僕はセレストに手を伸ばして、背中をさすって安心させようと思って、
白い外套に身を包んだ魔女狩りが、小銃を引き抜いてこちらに向かってくるのが見えてしまった。
心臓が早鐘を打つ。どうして魔女狩りがこっちへやってくる。他の同僚たちは皆ことの成り行きを傍観しているようで、まるで自分が当事者ではないような立ち振る舞いをしていた。どうしてこちらへ来る? まさか、僕の付近に魔女がいるのか――とそこまで思考を巡らせて、そもそも僕の傍にはセレストしかいないことに気が付く。
脳裏を最悪の想定が駆け巡って、視線はそのまま疑惑の当事者であるセレストへ向けられる。機体の傍にいるのは僕とセレスト二人で、前提として僕は自分が魔女ではないことをよく知っていた。そうなると可能性として考えられるのは――
セレストがこちらの視線に気が付いて、お互いに視線を交じらせる。僕は最悪の想定をしていたものの、それを彼女が否定してくれることを心のどこかで望んでいた。しかしセレストは懇願するかのような視線を受けて、歪に口角を持ち上げる。その瞬間、僕は自分の日常が崩壊してしまったことをようやく悟った。
「ごめんねリセ。迷惑はかけないから……そこから絶対に動かないで」
セレストは悲哀の視線をこちらに寄越して、そのまま顔を魔女狩りへと向ける。僕はセレストの姿を呆然と眺めていたが、不意に彼女はその双眸を閉じて、まもなくゆっくりと開いた。すると彼女の虹彩の色が焦茶色から美しい空色を導き出す。セレストは瞳の色を変化させた後、指先を魔女狩りに向けて伸ばして、そして手を握りしめた。
その途端、魔女狩りの一人が握っていた小銃が四方から高圧を加えられたかのごとくひしゃげて、力学的に完成された形である小銃を元の鉄屑へと回帰させた。その小銃を携行していた魔女狩りが驚いたような顔を浮かべたが、それを合図として他の魔女狩りたちがセレストに向かって小銃を構える。
「リセ! 伏せてて!」
セレストの絶叫が響いて、反射的に頭を抱えて機体の台座に伏せた。それと同時に強烈な発砲音が響いて、マズルフラッシュが明滅する。間違えなく魔女狩りが小銃をセレストに向かって放ったのだろう。断続的な発砲音が響いて、空薬莢が地面に落ちて跳ねる音が聞こえた。彼女の言う通り伏せていたが、しかしことの成り行きが気になって――それ以上にセレストの安否が気になって、僕は顔を上げてしまう。
僕は視界に見るにも耐えない惨劇を映してしまう可能性を度外視していたが、一応セレストが小銃弾で蜂の巣にされているといった惨状はなかった。セレストは未だ健在で、手のひらを前に突き出して仁王立ちしている。しかし飛来した小銃弾は何故か空中で静止していて、それらはセレストの手のひらの平行線上で停止していた。
僕は呆然としていたが、脳裏でこれが魔女の力であることを理解する。魔女。人間の中に紛れている亜人。その情報の多くは明らかになってはいないが、人間に敵対するものであり、異能の力を有している。魔女を狩る――保護するのが魔女狩り、亜人保護組織(Humanoid Undertaking Necessity Team)通称ハントだ。この名前が魔女狩り(ハンター)の名の由来になっていることは言うまでもないだろう。僕は今初めて実際に魔女狩りという状況に巻き込まれていて、それがとても現実感のない出来事だということだけは分かった。
魔女狩りたちは小銃を弾倉丸ごと撃ち切ったのか、各々が隠れて再装填の動作に入る。するとセレストは持ち上げていた手のひらを下ろした。それと同時に空中で静止していた小銃弾がパラパラと機体の台座に落ちていって、乾いた衝撃音を立てる。その様子をどこか他人事のように眺めて、自分の同僚が魔女であったことをようやく実感した。
世間一般では魔女狩りと呼ばれてはいるものの、本来亜人保護組織の目的は亜人、魔女の研究だ。だから一般的には魔女を殺さず、保護するのが組織の主任務とされている。しかし手荒な真似をする連中だということは広く知れ渡っていて、普通の人間ならばあまり関わり合いになろうとは思わない。しかし今魔女狩りは明らかにセレストを殺すつもりで――防がれることを想定していたのかもしれないが――攻撃を行なっていた。このような粗雑な仕事を行うから、魔女狩りは敬遠されているのだ。
銃弾を地面に落とした後、セレストはまた指を握り込むような動作に入った。実際にどのような意味が存在しているのかはわからなかったけれど、恐らく先ほどと同様に何かを圧迫して破壊しようというのだろう。ついさっきの小銃が圧壊した様子を思い出して、一人息を飲む。今のところ、セレストは魔女狩りの攻撃を防ぐ専守防衛に努めていたが、身の危険を感じたら魔女狩りを殺すことも考えるかもしれない。もしかしたら魔女狩りの戦闘能力を奪い切って、その内に逃げ出すつもりかもしれないが、このような均衡状態がいつまで続くか予想がつかなかった。
機体の台座に隠れてセレストを見つめていたが、不意に後頭部にチリチリとした痛みを感じる。それは多分物理的な痛みじゃなくて、精神的な要因のもの。こちらに向けられる、刺すような知覚が殺気であることに素早く気が付いた時には、背後の方から発砲音が響いて、飛来した銃弾がセレストの左足を刺し貫いていた。
肉を抉って骨にひびを入れる歪な音が響いて、目の前にいたセレストは左足を破壊されて機体の台座に崩れ落ちる。どさりと全身をしこたま打ち付けた彼女は苦しそうに呻いていたが、僕がそれに気が付いて手を伸ばそうとした頃には、僕の隣に純白の制服を纏った魔女狩りが佇んでいた。
「――動くな。それ以上戦っても、怪我を増やすだけだ」
ふと、その声にどこか聞き覚えがあることに気が付く。いや、聞き覚えなんてものじゃない。僕はその女性の声にハッとして、手をついて伏せていた体勢を解除して顔を上げる。僕の隣にやって来た魔女狩りは女性であり、そしてよく見知った顔立ちをしていた。
「――姉さん――?」
か細い声に、リンドウが言葉を返すことはなかった。不意に足音が響いて、機体をロックしてある台座の上に、先ほど戦闘を行っていた魔女狩りたちが上って来る。彼らは未だセレストに対して警戒を解かないまま油断なく見据えていたが、もう抵抗の意思がないと震える両腕を上げたことを確認して、彼女の拘束に入った。
魔女狩りたちによって手錠をかけられ、目隠しをされ、足を縛られるセレスト。僕はその様子を俯瞰するように眺めていて、その渦中に実の姉がいることを再認識する。リンドウはセレストに対して施される拘束を監督していて、どうやら組織内での立場は隊長級のようであった。しかし、今はそんなことどうだっていい。僕にとって大事なのは、どうしてリンドウが魔女狩りなんてやっているのかということだ。
「――姉さん!」
気が付くと僕は勢いよく立ち上がっていて、姉さんを思いっきりねめつけていた。すると流石に無視できなくなったのか、リンドウがちらりとこちらの様子に視線を向けてくれる。
WWW社の格納庫で、僕たちは視線を交錯させていた。もう交わるはずのなかった場所で、僕らは相対してしまっている。それもかなり悲劇的な形で。僕は怒りがこみ上げそうになるのを必死に堪えながら、ゆっくりと口を開いた。
「どうして、魔女狩りなんてやっているんですか」
こちらの質問に、リンドウはスッと目を細めた。その姿にはどこか凄みがあって少しだけうろたえてしまうが、それでも両足をしっかり持たせて、彼女の視線を受け止める。
「――私は“魔女狩り(ハンター)”ではありません。亜人保護組織ハントの執行員です」
リンドウの返答を聞いて、少しだけ拍子抜けしてしまう。僕が聞きたいことがそんなことではないということは、姉さんだってわかっているはずだ。そこでようやく僕は質問がはぐらかされたことを悟って、遂に頭に血が上ってしまう。
「――姉さん! 僕が聞きたいことはそんなことじゃありません! あなただってわかっているでしょう?! どうしてあなたは! ホワイト・ホエールズを辞めて、そんな仕事をしているんですか?!」
絶叫が響いて、そして静寂が格納庫を包んだ。リンドウだけでなく他の魔女狩りたちもこちらを見つめていたが、何か言葉を発することはない。しかしそこでリンドウがようやく身体をこちらに向けてくれて、静かに口を開いた。
「――これ以上作業を妨害するのなら、職務執行妨害で拘束することになります。それでも構いませんか?」
ぴしゃりと言い放たれた言葉に、僕は数歩後ずさってしまう。彼女の言葉が心を抉ってしまったのは言うまでもない。今目の前で魔女狩りをやっているのは、僕の知っているリンドウではない。今目の前に佇んでいるのは、ホワイト・ホエールズのエースで、ぶっきらぼうだけど不器用な優しさがあった彼女ではなかった。その事実が胸を深く貫いて、続く言葉を選ばせてはくれない。
そんな風に打ちのめされていると、セレストの拘束が終わったのか魔女狩りたちが彼女を連れて機体の台座から降り始める。するとリンドウも白い外套をたなびかせて台から下乗していった。最後に彼女はこちらを少しだけ見据えて、そして視線を外す。僕は胸が詰まされたような感覚に陥って、リンドウの様子をただ眺めることしかできなかった。