第三話
小型機にとって数マイルという距離は、ほんの数分で到着してしまう。だからモカ・ディックから発艦して、まもなくビッグ・ブルーを目の前にしていた。
ビッグ・ブルーは全長二十マイルを誇るシロナガス型居住艦であり、我がメルヴェル連邦の旗艦である。連邦の主要組織が多くこのビッグ・ブルーに集約されていて、かの有名なドッグファイトのプロチーム、ホワイト・ホエールズもこのビッグ・ブルーをホームとしていた。大きな買い物をしようとなると基本的にはこのビッグ・ブルーと訪れることになるので、同艦の周りを随伴しているマッコウ型居住艦は一言で表現するとベッド・タウンということになる。かといって必要最小限の施設は僕の住むモカ・ディックや同型艦であるモビィ・ディックでも事足りた。まぁ言うなれば都心と郊外といった具合か。
僕はセプトを下降させながら、ビッグ・ブルーの左側面に向かっていた。ビッグ・ブルーの肚には多くの風穴――カタパルトや滑走路――が空いていて、そのどれもが各企業や組織が保有する小型機の発着場だった。僕がモカ・ディックで使用しているのは民間の発着場であり、いわゆる駐車場のようなものだ。居住艦間の移動には自家用機がベストではあるものの、居住艦内の移動には車も利用する。車の免許も十二歳で取得することができるため僕も一応持ってはいるが、あまり利用することはない。それは居住艦内での移動にも小型機を使用して良いからで、それは地面を二次元的に走るよりかは、空を三次元的に飛行して移動した方が混雑も事故も少ないという考え方からだった。まぁ僕はそもそも小型機に乗るのが好きなので、敢えて車を利用することもないというのが実のところではあるが。
セプトを下降させていると、ビッグ・ブルーの側面が近づいてきて、その外面に多くの広告や看板が設置されているのが確認できた。今の社会では小型機を利用する人が多いので、このように発着場に企業の広報を貼っておくのが宣伝効果としては妥当であるし、他の看板は発着場の名前を表記している。名前を表記しておかないと間違えた場所に着陸してしまうからで、名前の登記は発着場を運営する上での義務であった。
僕は職場の発着場の場所を感覚で覚えていたので、看板を殆ど確認することなく目的の発着場を目指した。するとこちらの接近に気が付いたのか、WWW社の発着場に座っていた誘導員が立ち上がる。僕は機体のライトを点滅させて、着陸の許可を申請した。そうすると待つまでもなく、誘導員が誘導棒を振って、こちらに着陸の許可を出す。一応今の時間帯は発着場が混雑する場合もあったが、今日はそうでもなかったらしい。僕はハンドシグナルで感謝を伝えると、機体を減速させて終末誘導に入った。
セプトは減速を継続して、滑走路に着陸するのに適切な速度に戻った。僕は滑走路に向けて機首を下げるが、タイヤが接地する寸前に機首を上げて、衝撃を吸収させる。軽い振動が機体を叩くも、セプトはビッグ・ブルーの側面にあるホワイト・ホエール・ワークス社の滑走路への着陸に成功するのだった。
スロットルを絞りつつ、誘導員の指示に従って停止位置までセプトを動かす。発着場はいわゆる駐車場のような形状になっていて、停めるのが車か小型機かの違いしかない。すぐに僕はセプトを停止位置まで誘導して、エンジンを停止させた。
ゴーグルと手袋を外しつつ、セプトから下乗する。僕を案内してくれた誘導員に手を振って感謝を伝えると、彼も笑顔で手を振り返してくれた。モカ・ディックの発着場に誘導員はいなかったが、規定的には人員を配置する義務はない。ただ、誘導員がいた方が安全だし確実であるので、企業などは自社に誘導員を配置する傾向にあった。滑走路に戻る誘導員を見つめ終えて、僕はとにかく職場へ急いだ。
発着場を抜けると、そこは既に格納庫になっている。格納庫と言っても、それは僕のセプトを安置しておく場所ではなく、ホワイト・ホエール・ワークス社で建造、修理を行なっている小型戦闘機や小型飛行機の格納場所であった。
もう既に多くの作業員が小型機の周りに集まって、各々修理や部品の交換、メンテナンスを行っている。時間的には間に合っているものの、職場では僕が一番若いので、あまりのんびりしている場合でもない。
「お、リセ! 今日も早いじゃないか」
すると、背後から声がかかった。若干掠れていて、しかし野太い重みを感じさせるこの声は整備長のものだ。僕は振り返って、帽子を外した。
「おはようございます! 皆さん早くていつもながらびっくりです」
そうなるべく声を大きくして返す。ここは作業音が酷くて、大きな声を出さないと聞こえないのだ。僕がこのホワイト・ホエール・ワークス社のメカニックになって最初に怒られたのは、声が小さいことだった。元々あまり主張の激しい性格ではなかったから、大きな声を話すということは慣れなかったが、しばらくして身体が勝手に適応してしまう。やはり人間というのは対応力が悪くなくて、ちょっとした状況に巻き込まれたら、なんだかんだで適応してしまうようだ。今となっては年少者としてメカニックの間でかなり可愛がられている。働いているのだから子ども扱いしないで欲しいが、生きていたら年齢的には僕の両親と同じくらいの歳の同僚も多いので、ある意味仕方ないとも言えた。
僕の返事を受けて、整備長はカラカラと笑う。
「子どもは良く食って良く寝てなんぼさ。俺としては未だに十五のガキがここで働けるってのが信じられねぇ」
肩を竦める整備長に愛想笑いを返して、
「じゃあ僕、着替えてきますね。すぐに仕事に入ります」
そう告げると、整備長は何度も頷いて、
「おお! 元気が良くて結構だ。今日も頼むぞ!」
整備長に頷き返して、作業服に着替えるために更衣室へ向かった。