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少女飛翔セプテントリオン  作者: 柚月 ぱど
第一篇 Fly High!
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第二話

 朝の支度を適当に済ませて、そろそろ仕事場へ向かおうというところ。僕は着替えのために今一度寝室へ戻って、ハンガーに掛けてあった白いMA-1ジャケットを掴んだ。ジャケットをハンガーから下ろした瞬間、アウターにしては非常にずっしりとした重みが両腕にかかる。それもそのはず。この白いジャケットはその辺で売っているものではなく、僕の所持品の中では一番の宝物なんだから。


 このジャケットはドッグファイトのプロチーム、それもこの国、メルヴェル連邦の旗艦ビッグ・ブルーをホームとするホワイト・ホエールズの正式ユニフォーム――それも正真正銘本物なのだ。チームカラーであるホワイトを基調にしたMA-1ジャケットには、勝利した試合のロゴワッペンが多く刺繍されていて、特に目を惹くのは、背中側に刻まれた永久欠番のエースナンバー、二十七の印字だった。僕はこの数字が世界一好きだ。それはそのエースナンバーを背負ってドッグファイトで戦っていたのが、僕の実姉であるリンドウだからだ。


 リンドウは数年前まで、ドッグファイトのプロチーム、ホワイト・ホエールズのエースとして戦っていた。現役中のチームでは唯一の女性操縦士パイロットであり、容姿がかなり整っていたことも相まって、絶大な人気を誇っていたのだ。チームの中核として戦っていたリンドウはホワイト・ホエールズの歴史の中でもかなり優れた選手であったが、しかし彼女は人気絶頂期というところで、突然現役を引退してしまう。当時その報道はブレイキング・ニュースとしてメルヴェル中に流れて、ドッグファイト愛好家を衝撃の渦に叩き込んだ。今となっても、どうしてリンドウがドッグファイトを引退したのかはわかっていない。確かに僕は彼女に一番近しい存在ではあったが、逆に近すぎる関係だからか直接的に辞めた理由を聞くことはできてなかった。きっとこれまでもこれからも、彼女に事の真相を尋ねる勇気は湧かないのだろうと、そんな風に思える。


 若干唇を噛みながら実際にリンドウが羽織っていた白いジャケットを着込んで、机の上に無造作に置かれていた茶色い帽子を、つばを後ろにして被る。それと同時に小型飛行機の操縦用に手袋とゴーグルを引っ掴んで、そのまま寝室を出た。


 リビングに戻った瞬間に、タイミング良くトースターがパンを吐き出した。片手でそれを掴んで口に放り込み、そのまま玄関へ向かう。


 玄関でこれまた茶色いパイロットブーツを乱雑に履きながら扉を開く。すると朝らしい清涼な風が吹き込んできて、その勢いで加えたパンを落とすところだった。特に忘れ物――別に身一つで殆ど問題ないのだが――がないことを確認して、自宅を出る。


 家を出ると、すぐに突風が出迎えた。その勢いで帽子が飛ばされないように注意しながら、家の先を見やる。僕の家は居住艦の端の方に位置していて、家を出るだけで目の前は雲海が広がっている。かなり眺めが良い場所なので立地的には好条件だが、高所恐怖症の人間にとってはかなり辛いらしい。僕はむしろ高いところが好きなので、ここでの暮らしは悪いものではないが。


 ようやくこんがりと焼けた食パンを飲み込むことに成功して、身体の鈍りを取り除くように深呼吸を行った。この辺りは住宅地だから、工業地帯のような煙臭さはない。だから新鮮な空気を吸い込むことができて、脳を少しだけ明瞭にさせた。軽く息を吐いて、まずはとにかく発着場に向かうことにする。


 メルヴェルのみならず、居住艦での生活は基本的に小型飛行機に頼り切ることになる。だから小型飛行機、通称フライヤーの運転免許は早ければ十二歳で取得することができた。僕も一応免許を持っているが、ゴールド免許まではまだ先が長く、ちょっと面倒な気分だ。まぁ小型飛行機に乗ること自体がかなり面白いので飽きることはないが、身近に天才的な操縦技術を持つ親族がいるので、少し乗るには恥ずかしい思いもする。リンドウに操縦技術を教わりたい気分でもあったが、彼女はなんとなく空を飛ぶことを避けている気がして。その理由はやはりわからなかったが、無理強いして教わろうというのも気が引ける。引退の件もあって、僕とリンドウの関係はどこか歪なものになっている気がするのだ。気のせいだと思いたいが、やはり僕と彼女の間にはどこか見えない障壁があるようで、なんとなくリンドウは僕を視界に入れないようにしている節があった。


 そうして、自分がまたリンドウのことで思い悩んでいることを知覚する。彼女自身が僕にとって唯一の近親者だからか、必要以上に意識してしまうようだった。とそこまで考えて、本当にリンドウを意識してしまう理由がそれだけなのかと、もう一人の自分が囁く。だけどそのよくわからない懐疑な思いを断ち切って、そのまま発着場に向けて走り出した。


 目的地であるビッグ・ブルーの肚には、小型飛行機を使って向かうことになる。僕が住んでいるマッコウ型居住艦、通称モカ・ディックから数マイル離れた位置を航行しているビッグ・ブルーへ向かうための最短の手段は自家用機の利用だ。一応公共の飛行機なども存在はしていたが、職場に直接つけてくれるわけではないし、利用者自体が少なくないので混雑している。だから僕は自家用機を使って職場に向かうことが日常であった。


 小走りのまま、機体が停めてある発着場を目指す。発着場自体はそこまで離れていないので、少し走っただけですぐに到着できる。数多くの小型機を格納している地下発着場はモカ・ディックの背中を削るように建造されていて、背筋の体積を占めてしまわないように配慮されていた。発着場の出入り口から内部に入って、自分の機体が停めてある地下二階を目指した。


 発着場には多彩な小型機が安置されていて、小型機という一単語で括られるマシンながらも、その種類の多様性を示している。軽く二つに小型機を分類すれば、トップ・ヘビー型とボトム・ヘビー型に分けられるだろう。読んで字の如く、主翼が前方に配置されているのがトップ・ヘビー型、後方に設置されているのがボトム・ヘビー型だ。トップ・ヘビー型は安定した飛行を実現した機体で、一般的に普及しているのはこのタイプが多い。逆にボトム・ヘビー型はスポーツ系に多く、ドッグファイトで利用されることが多かった。ちなみに僕の機体はある意味特別製なので、あまり普及していないボトム・ヘビー型、昔ながらの戦闘機型と言うのだろうか。他にも電子機器を搭載したデジタル・タイプと、搭載していないアナログ・タイプが存在している。デジタル・タイプは非常に高価で、市場に殆ど出回っていないのが現状だった。基本的に普及しているのはアナログ・タイプだと思って差し支えない。ドッグファイトで使われるものもアナログが多いので、デジタル製の高級さが垣間見える。


 そんなことを考えながら地下二階まで降りて、ようやく自分の機体の目の前までやってくる。屋内だから雨風は防げるものの、この機体はあまりにも目立ちすぎるので布のカバーを被せていた。そのまま機体の端によって、焦茶色のカバーを外す。すると洗練された白いフォルムが顔を出して、その全貌を発着場に晒した。


 白をメインとした配色の小型機。しかし一般ではスポーツタイプとされるボトム・ヘビー型の形状。所々に水色をあしらった美しいフォルムは、見る人を圧倒する魔力を秘めているようだ。機体の脇には機体のネームが刻まれていて、『Septentorion』という印字がなされていた。


 僕はまたこの機体――セプテントリオンの魅力に圧倒されて、そして軽く唇を噛んだ。遠目から見ても飛び抜けて美しいこの機体は、そもそも僕のものではなかった。これはドッグファイトというスポーツでホワイト・ホエールズを支え続けた、僕の姉リンドウのマシンだったのだ。


 僕はセプテントリオン――セプトに近寄って、その風除けを撫でる。かなり手入れが行き届いたガラスカバーは塵の一つも許さず、てかてかした手触りを感じさせた。


 リンドウがドッグファイトを辞めた後。彼女と共に戦ったこのセプテントリオンをどうするかが一時的に問題となった。ホワイト・ホエールズに寄贈するなり、別の選手に乗ってもらうなりあったが、リンドウはそのどちらも取らず、ただ機体を戦闘機から小型機に換装して、そのまま自分で引き取ったのだ。ドッグファイトの選手が自分の機体を引き取ることはままあったが、それは基本的に自家用機に転用するためだ。しかしリンドウはセプトを引き取ったはいいものの、一切機体に乗ろうとはしなかった。その上整備まで一切行わず、セプトはこの発着場で埃を被ることになる。僕はそのことを憂慮して、どうしてもセプトが朽ちてゆくのをただ傍観することは出来なかったのだ。だからリンドウに断ることなく、勝手にセプトの整備を始める。幸いセプトは作動機関に支障をきたすこともなく元の姿を取り戻して、その美しい姿を僕に見せてくれた。その後僕は逐一セプトの整備を行うようになって、そしていつの間にかセプトに――彼に乗るようになったのだ。


 最初、確かにホワイト・ホエールズのエース機であったセプトに乗ることは躊躇われた。だけどリンドウに取り敢えずダメ元で聞いたところ、好きに使っていいとのことだったので、セプトは正式に僕の小型機になったのだ。


 少しだけ頬を緩ませて、そのまま機体の外面を上り、操縦席の中へ入った。小型機は基本的に全長十フィートほどであり、取り回しがしやすい飛行機だ。ある程度部品の公差も大きく取られていて、故障すること自体が少ない。その上HOTASが採用されていて、操縦に必要なスイッチの類は基本的に操縦桿かスロットルレバーに配置されている。だからまだ成人さえもしていない子どもでも、場合によっては操縦の免許を取ることができるのだ。


 操縦席に座ってキーを差し込み、エンジンに火を入れた。すると肚を震わせるような低周波の振動が身体を据えて、脳内にアドレナリンの分泌を促す。僕はそのまま少しエンジンが温まるのを待って、左手のスロットルをゆっくりと開けていく。すると段々とエンジンの出力が上がっていって、取り敢えず移動が出来るまで回転数が上昇する。僕はそのまま目の前の操縦桿を握りつつ、右手側にあるフットペダルを静かに押し込んだ。アクセルを踏むと同時に機体がゆったりと前進を開始して、僕を射出台まで運び始めた。ここは地下二階だが、発着場自体がモカ・ディックの側面に配置されていることもあって、艦の横側から発進することができる。モカ・ディックを側面から眺めると、発着場のところが空気口のように空いているように見えるだろう。操縦桿を軽く右に切りながら、セプトを射出台、つまりカタパルトに誘導する。まもなくカタパルトの発進位置まで到着して、すぐに手袋とゴーグルを装着した。一応これは操縦の際に必須とされていて、手袋やゴーグル、パイロットブーツなどは小型機を操作する際に必要不可欠である。居住艦が赤道付近を通過する際は暑いし、極地を航行する際は寒いので何とも言えないが、ルールなので仕方ない。


 装備品を取り敢えず装着して、カタパルトの先を見つめる。普通は射出方向に障害物が存在することはないが、これも安全確認の一種で、射出時に必要なシークエンスだった。ニュースなどでは小型機の発進時に衝突が起きたという報道もなされているので、注意するに越したことはない。


 射出先に障害物がないことを確認して、左側に存在するフットペダル、つまりブレーキを踏み込んだ。それと同時に機体が前進を停止させ、カタパルト内で静止する。完全に期機体が止まったことを体感して、左手に握ったスロットルを少しずつ開けていく。今までは地表での移動に必要な回転数しか回していなかったので、今度は飛行する際に必要な回転数まで上昇させる。すると心地いいタービンの回転音が両側から聞こえて、僕の中に青い炎を宿した。僕のセプトは通常の小型機とは異なり、左右で一対のターボジェットエンジンを積んでいる。一般にはエンジンは一機体一つなので、セプトのエンジン出力は大きく他の機体を凌駕するものとなっていた。それ故に普通の機体とはフィーリングが異なり、操作性がピーキーなのが玉に瑕だが、もし片方のエンジンが故障した際にも片側のエンジンで航行することが可能なので、むしろ安全性は高いとも言える。まぁ子ども心にエンジンが二つあるのはロマンを感じさせて悪くないというのが本音ではあるが。


 回転数が離陸に必要な二千rpmを超えたことに頷いて、アクセルのフットペダルを思いっきり踏み込みながら、左足のブレーキを外した。すると強烈なGが全身を叩いて、機体が急発進する。そのままセプトは二百フィートある滑走路を一瞬で通過して、そのまま居住艦の外へ飛び立った。


 セプトがモカ・ディックの身体から飛び立った瞬間、視界を蒼と白が埋めた。見渡す限りほとんどがディープ・ブルーに覆われていて、視界を下へ落とすと、そこには白と灰で構成された雲々が蔓延っている。操縦桿の前面に配置されている風除けで防ぎきれなった涼やかな風圧がゴーグルを軽く叩いて、火照った頬を優しく撫でて過ぎ去っていく。ジェットエンジンが回転する駆動音と風を切って進む心地よい音だけが響いて、僕はまた空に帰ってきたことを痛感して、溜まらず笑顔を浮かべた。


 蒼穹の空を小型機で駆ける。その楽しさは他に形容の仕方がない。十二歳で小型機の免許を取ったが、教習で初めて単独飛行を行った時の感覚は今になっても鮮明に思い出せる。全身の血流が蜂起して、心臓が太鼓のように脈打つあの感覚。あれが本当の意味で胸が躍ると言うのだろう。このように空に戻って来るたびに初めて単独飛行を行った時のような感覚に戻って、一人感嘆するのだ。小型機での飛行を趣味にしている人は少なくないが、それでも自分がずば抜けて操縦、いや空を飛ぶことが好きだということは自覚していた。姉の影響なのか、どうしても空への憧れを抑えられないらしい。こうやって空を駆け抜けていると、自分の考えや悩みがどうしたって仔細なことに思えてしまって。日々のストレスを解消するという狭義の意味でも、僕はこうやって空を飛ぶのが大好きなのだ。


 しばらく自由飛行を行って、機首をビッグ・ブルーの方へ切った。僕の職場はシロナガス型居住艦、メルヴェル連邦の旗艦であるビッグ・ブルーにある。数マイルという距離しか離れていないから、そこまで長い時間飛行し続けられはしないのだが、小型機による通勤は仕事の行き帰りの楽しみでもあった。


 両の主翼が空を切って、僕をビッグ・ブルーの方へ向けてくれる。このまましばらく飛んでいたい気分を抑え込みながら、僕は職場があるビッグ・ブルーの肚へ進行を続けた。

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