「私の安穏を脅かす『姫』の猛攻に耐えられない!」
高校二年生でお年頃な二人。
「心の安穏を脅かす『姫』の猛攻に耐えられない!」
走っているリズムに合わせて短い呼吸を繰り返し、必要最低限の腕振りで一連の動きから無駄を省く。
見据える先は真っ直ぐ続く走り慣れなこの道。
早朝ということもあって周りの喧騒はなく、自分が作り出すわずかな足音だけが耳に響いてくる。
ほんのりと汗ばんできたおでこを手で拭い、気持ち良い風を肌に感じていた。
うん、大丈夫。しっかり集中できている。ちゃんと以前の私に戻ってきている。
最近のモヤモヤで自分の生活のペースが乱れていて、全然集中できていなかった。
なので『慣れ親しんだジョギングで心を落ち着かせよう作戦』を決行して、見事バッチリはまったようだ。
早朝だと全然気持ちのリフレッシュ度が違う。
気持ちが落ち着いてきたので、走るスピードをスピードを緩め、ここ最近の自分を振り返ってみた。
ここ最近の私はどうも調子がおかしかった。
得意だった早起きができないどころか大寝坊するし、作った料理の味は薄すぎるか濃すぎるかの両極端だし、ミニテストの試験範囲を大きく間違えて散々な結果だった。さらには部活ではライバルにぼろ負け。
なんでこうなったのだろうと自問自答する。
色々とせわしなくて、ゆっくりと考える余裕がなかったから、今落ち着いて考えてみることにしよう。
……いや正直、原因は分かっている。あの人、七宮君のせいだ。
彼は二週間前くらいに転校してきたクラスメイトだ。
そこから私の心と頭はいつも悩み続けている。
転校してきた二週間前、例の事があった金曜日、手紙をもらい猛攻を受け始めたのが一週間前。
そして彼に翻弄されて色々と上手くいかなくなった現在。
私の変わらない繰り返しの日常を、凪いでいる心の安定を乱した彼のことを考える。
七宮君。七宮朝姫。ななみやあさひ。
ご家族の仕事の都合で初めて新潟の地に来たらしい七宮君。
こっちにきて食べたお米は人生で一番美味しかったとのこと。
温泉も好きでよく家族で入りに行くらしく、初めて行った旅館の温泉が気に入り二十回分の入浴券を購入した話も教えてもらった。
読書が好きで、特に恋愛小説を好んで読んでいて本棚に年々増えて部屋のスペースを圧迫しているのが悩みだそうだ。
クラスは私と同じクラス。部活は私と同じバドミントン部で、ダブルスはあまり好きではないからシングルスだけしかしていないらしい。
勉強することは苦手ではなく、毎日机に向かっていてるのは個人的に尊敬している。
まだ短い付き合いだけど、他人の悪口を言わない点もとても好ましい。
そして、彼の容姿。
相手の容姿をあまり気にしない私でさえも彼の容姿に惹きつけられる。
長く綺麗な黒髪、くりくりっとした丸く優しい瞳、長いまつげ、艶っとした唇。
顔自体もすごく小さく、柔らかそうできめ細かい真っ白い美しい肌。
159cmと小柄な身長も相まって、まごうことなき美少女。いや、性別は男だから美少年。
笑うときは口に手を当てて小さく笑い、何事にも一生懸命取り組んでいる。本当に可愛い。
そんな七宮君とあの事があってからもう一週間もたった。時間が経つのは本当に早い。私の人生では今までなかったことばかりで、驚いて考えているうちに過ぎてしまった。
ちなみに私が七宮君にこんなに詳しいことも、調子がおかしいこともこの一週間前の出来事が発端である。いや、そもそも七宮君が私のクラスに転校してきたことが始まりか。
もう遥か昔の事のような彼の転校直後のことを思い出そうとしていた時には、もう私は走るのをやめ、体の調整を含めてゆっくりとしたウォーキングに変更していた。
***
その日はいつものようにやや曇りで、過ごしやすいよりは少し肌寒いような日だった。
この時期は朝と夜の寒暖差が激しいので、気を抜くと体調を崩しやすいからあまり好きではない。
しっかりと晴れが続くような地域に住みたかったなといつもの愚痴。
こんな感じで月曜日はなにかと理由をつけて学校に行きたくなくなる。そんなささいな抵抗は時間を失うだけだと最近気づけた私は、手早く準備を整えて家を出る。
意外と家を出ればへっちゃらなことは多い。
教室について自席に座る。席が近い小学校からの友達のあーちゃんに朝の挨拶をした。
この朝にあーちゃんへ挨拶することが私の大切なルーティンの一つだ。
ふと、クラスに違和感を感じる。なんだか今日はクラスのみんながそわそわしているように見える。
自分の鞄の片づけを終えた後、あーちゃんに聞いてみた。
「ああ、今日うちのクラスに転校生が来るらしいよ。 知ってた? なんか男子が先生達の立ち話を聞いたらしいよ。 楽しみだね」
あーちゃんは話を続けて私に尋ねる。
「優子ちゃんも気になる? ねぇねぇ、女子が良い? 男子が良い?」
この手の話が大好きなあーちゃん。ちょっと煩わしく感じる時もあるけれど、今は別にミニテスト用の勉強は必要はないし、話に付き合うとする。
まだ見たことのないすぐに会う新たなクラスメイトをイメージしてみる。
女子でも男子でも自分に合う人だと嬉しいし、合わない人であれば良い距離感を持つようにする。
いつも通りそれだけだ。
だから、私は正直にどちらでも良いと伝えたが、あーちゃんは不満そうである。
もちろんどちらかが正解というわけではないが、話が盛り上がるような回答を期待していたのだろう。残念ながらその期待には応えられないので、流れを変えるべくあーちゃんに同じ質問を聞き返す。
「んー、やっぱり私は女子がいいかな。 出来れば同じ趣味とか持ってて一緒に遊べたりしたら嬉しいかも。 絶対にないだろうけど、推しが被ってたら良くない? そん時は、優子ちゃんも一緒にうちらと推そうよ!」
あーちゃんはイケメンアイドルが好きで、新曲のMVが出たり、推しがドラマに出てることが決まったりなにかあるたび私に毎回報告してきてくれる。
そのおかげで、アイドルグループのメンバーの名前を結構覚えてしまった。
いつも思うけれど、その推しに対する熱量が羨ましい。
すぐに色々なものを好きになるあーちゃんは好きになっている間は、間違いなく本気だ。貯めたバイト代を何のためらいもなく使い切ってしまう姿を見て、ああっもったいないと思う反面、そんなに好きなものを見つけられるなんて本当に羨ましいと感じてしまう。
彼女が何かにハマっている時は、好き好きオーラが出てきて周りにいるとはっきりと分かる。
そんなところも女の子っぽくて可愛いし、自分と比べてしまう。
もちろん私も何かを好きになったり、興味を持っていることもある。
ただ、それのために自分の大事な時間を削りたくないし、お金もかけたくない。
好きな時にちょっとだけできて、お金がかからないものこそ一番良いのだと強く思っているし、それが世間一般の常識だと思っている。親もそうだし。
だから何かに本気で熱中している彼女を羨ましいと思う時がある。
そうこうしているうちに、担任が教室に入ってきた。
一通りの挨拶をすました後、改まった表情で切り出した。
「えー、このクラスに新しい生徒が増えます。 もしかして何かを聞いてる人もいるかもしれませんが。 もうすでにこの教室の扉まで来ています」
そこまで言って教室の教壇側の扉に目線を向けた。先生は一呼吸してから続けて、
「名前は七宮朝姫という男子生徒になります。 七宮が入ってきたら、詳しく紹介します。七宮、入ってきて」
みんなの視線が扉に集まる。
静かに扉を開き、一人の生徒が教室に入って来た。ゆっくりと壇上に上がり生徒たち側に顔を向けた。
教室に入ってきた彼を見て、クラスのみんなは一瞬静かになったと思ったら、ざわつきの声を上げた。
それは彼の容姿、だけではなく彼の『服装』も原因で起きていた。
その男子生徒と紹介された転校生は、ものすごく可愛くそして女子用の制服姿で私たちの前に現れたからだ。
生徒達に混乱が広がっている。
事前に先生からは男子生徒が入ってくるということを告げられていたため、男子は若干テンションが下がり、女子は品定めする動きに入っていた。
それなのに、私たちの前に現れた転校生はまごうことなき女の子、それもとても可愛い美少女だった。
当然、そのギャップを脳が上手く処理してくれない。その結果、教室中から上がったのがあのざわつきだったのだ。
その当時、私は可愛い姿に少し見惚れたが驚きはしなかった。
単純に先生が女子生徒を男子生徒と呼んだだけだろう。それにいくら可愛くても男子生徒が女子用の制服を着ることなんてないし。そんなことはありえないだろう、と思っていたから。
七宮君は浅く一呼吸した後に、自己紹介を始めた。
「千葉県から引っ越してきました七宮朝姫といいます」
名前を言うとすぐに黒板側に振り返り、自分の名前とふりがなをチョークで書いた。
すごく綺麗な字。一字一字丁寧に書かれているし、私たちが読みやすいようにふりがなまで書いてくれる所がこの人の人となりが出ているなと好印象を持った。
ただ、続く言葉で私たちは本当に驚かされた。
「先生から紹介があったと思いますが、えっと、この女子の制服を着ていますが、私は男子です」
さすがに今度はみんなから驚きの声が上がった。
かく言う私も小声ではあるが、短く驚嘆の声を上げてしまった。
七宮君は続けて、
「学校には家族含めて相談して、この形で受け入れてもらうことにしました。 みんなには少し混乱させたり嫌な思いをさせてしまうかもしれないけど、これからどうかよろしくお願いします」
挨拶が終わった瞬間、一瞬の沈黙が生まれた。
誰かが何かを発する前に担任から、
「七宮から説明もあったけど、学校側も理解して受け入れているのでみんなこれから仲良くしてください。 では、七宮は窓際の一番後ろに座ってください。 前にも確認したけど、黒板が見えづらい等あれば早めに教えてください」
と簡単なフォローをして、彼を自席へ座るように促した。
あとはいつも通りのホームルームがとり行われた。
そんな解消しきれないもやもやをみんなが抱えたままのホームルーム終了後、担任が教室からいなくなると同時に七宮君の席にクラスメイトのみんなが押し寄せた。
転校生してきた彼に色々な事を聞きたいし、興味を持っている人は多い。なによりも、みんんが疑問に思っていることを何人かが素直に聞いた。
「ね、ねぇ、七宮……君は、本当に男子なの?」
というように、まるで映画の中の地球に隕石が落ちてくることが信じられない人のような聞き方で。
七宮君は、その子の方を向いて、
「うん、そうだよ。 まぁ、あんまりこんな女子の格好をしている人なんていないからビックリさせちゃってごめんね。 色々あって今はこんな格好だけど、今後もよろしくね」
と、優しく人懐っこい笑顔とともに返事をする。
その質問をした子の方が反対に焦る。
「う、うん! 全然、大丈夫! 私はすごくに似合っていると思うし、今は個性を大事にする社会だし。というか、七宮君ってすっごく可愛いよね。 女の私よりもだいぶ可愛いよね」
それに七宮君は少し恥ずかしそうに答える。
「なんだか恥ずかしいけど、ありがとう。 なかなか周りを困惑させてしまう格好だけど、そう言ってもらえると助かるよ。 あっ、ごめんまだ名前を聞いていなかったよね。 もし良かったら、名前を教えてくれない?」
そこからは段々と趣味や前の住んでいたところや引っ越し理由へと話が変わり、七宮君はすぐにクラスメイトと打ち解けていっているようだった。
私は少し離れた席で彼を見ていた。
話の輪に入っていなかったおかげか、彼がとても話をすることが上手だということに気が付いた。
話の聞き方や相づちのタイミングがすごく良い。それだけでなく話の流し方や誘導の仕方も上手だ。
だから話をする方も気持ち良く喋れて、話題で詰まることがない。そして、話をしてほしくはないことや明確にしたくないことには上手くかわしている。
これは冒険者を迷宮だ。どこからでも誰でも入れる迷宮なのに、奥底にある真の宝には決してたどり着けない。いや、たどり着かせない迷路の番人なのかもしれない。
ふと、彼を見てそんなことを思ってしまった。
……恐らく昨日読んだライトなミステリー小説の影響だろう。
そもそも私はそういう人を分析出来るほど賢くはないし、今日転校してばかりで頑張っている彼に対してそれっぽい考察をしている私はとても痛い。
心の中で彼に謝っていると、あーちゃんが話しかけてきた。
「ね、七宮君めっちゃ可愛いよね! 全然男子に見えないよね。 最初は男子だけど女子の制服着ててびっくりしちゃったけど、似合いすぎててぜんぜんありだよね。 やっぱ、今どきはそういうのも全然OKかな」
確かにもう少なくともうちのクラスでは、七宮君のキャラクターもあって受け入れているようだ。
「ただ、あんまりアイドルとかは興味ない感じだったから、それは残念だったな。 ま、しょうがいないよね」
そして、あーちゃんもブレていなかった。
それから数日が経ち、他のクラスにも七宮君の噂が広がり、学年問わず多くの生徒が彼を見に来たり直接話をしたりしていた。
七宮君は本当に見事にいろいろな相手に柔軟に対応して、相手に受け入れてもらっていた。
そして、その週の金曜日には、少なくとも容姿や制服のことで彼に質問する人はいなくなった。
むしろ、もっと彼の誕生日、学力、部活や恋人有無情報といった個人の話へフォーカスされているようだった。
すでに仲良さそうな友人からは名前を呼び捨てにされる関係もできているのを見かけた。
七宮君の呼び方について、比較的珍しい苗字でもあるので、『ななちゃん』や『ななみゃん』と呼ばれているのも聞いた。
しかし、圧倒的に呼ばれているのはこれ。
その可憐な容姿と下の名前をもじっていて、みんなが納得のあだ名。
『アサヒメ』、『ヒメ』、『姫』
多くのクラスメイトは彼をその名前で呼ぶ。
そのたびに彼はせっかくなら普通に名前を呼んでよと恥ずかしがっているような照れているような苦笑いを浮かべていた。
この女の子より可愛い転校生『ヒメ』の名は、この狭い学校中にすぐに広がり浸透し、七宮君はこの数日のうちに自分のポジションを手に入れていた。
そのぐらいこのあだ名は彼ことを表すのに適し過ぎていた。
ただ、私はそんな彼のことに関して、少しではない違和感を覚えている。
別に彼に対して嫉妬や恨みなんてものは一切ない。ただ、どうしてだろうと疑問が湧いてくる。みんな気にならないのか。もしかして私以外はそれを知っているのかなとも思った。
しかし、どうにもこの違和感は厄介で、日を重ねるごとにその思いは私の体の中で大きく膨れ上がって、今にも口から出てきそうで抑え込むのに必死であった。なんとか抑えて、爆発だけはさすまいと。
そんな変な葛藤も関係があったのか、それともへそ曲がりな神様の暇つぶしか、奇跡的にそして努力虚しくその時を迎えてしまった。
それはその金曜日のこと。いつもと同じ学校からの帰り道で、私は七宮君を見つけた。
普段の私であれば、軽くお辞儀をしてそのまま帰路につくだけ。
ただその日のそのタイミングは最悪だった。
溜まりに溜まっていた重たくドロッとしたモヤモヤのカタマリがあふれ出す寸前の状態だった。
人間というものは不思議である。
何かを許可されるとやる気を失い、禁止されると破りたくなる。
カリギュラ効果だったであろうか。
一人で道の先を歩いている七宮君。
私は逡巡した後、少し上ずった声で彼の名前を呼ぶ。
足を止め、振り返る彼。
私は大股一歩で届きそうな距離まで彼に近づいた。
声をかけ近づいてから、私はハッと気が付いた。
同じクラスとはいえ、私のことを知らないのではないのだろうか。
というか、今まで直接話をしたことはない。
どうしよう、まずは経緯の説明が必要か、いや自己紹介が先か、でも何て言えばいいのか、と混乱している私に七宮君は、
「同じクラスの人だよね。 七宮朝姫です。 たぶんだけど、初めて話すよね」
あのみんなに向けている人懐っこい暖かい笑顔で話しかけてきてくれた。
その瞬間、私は今まで感じたことのない不思議な衝撃を胸に感じて言葉を失う。
一瞬心臓が止まったような、息をすることさえできない感じ。
わずかな時間であるはずだが、だいぶ長い時間ぼーっとして気がした。
なんだろう、これ。この気持ち。
ふと、近くで車が通る音がした。
意識が戻ってくる。
あっ、なにをしていたんだ、私は。
言いたいこを忘れかけたが、なんとか辛うじて手放さずにすんだ。
七宮君を正面に見据え、まずは一呼吸して、同じクラスであることと自分の名前をつげ告げた。
出来れば当たり障りのない雑談から徐々に私のモヤモヤに話をつなげたかったが、さっきの胸への衝撃のようなもので飛んでしまわないようにしなければならない。
というか、そんな気の利いた話の運び方などわからないから率直に聞くしかない。
私はずっと私の中で巣食っていたたった一つの質問を彼に尋ねた。
『なぜ男子の七宮君が女子の制服を着ているのか』
尋ねた瞬間、彼の目が一瞬驚いたように見開かれたたが、すぐに通常通りに戻った。
そうしてすごく申し訳なさそうに、こう返答してきた。
「あ、ごめんね。 そうだよね、男子が女子の制服着るのなんて変で、嫌な思いをさせてしまってたよね。 一応学校にもちゃんと許可は取れているんだけど、瀬戸さんみたいにあまりいい気分じゃない人もいるよね。
できるだけ迷惑をかけないようにするからこれからクラスメイトとして少しずつでも仲良くなれたらうれしいな。 どうかな」
なぜだろう。
七宮君にそういわれるだけで私は心から嬉しくなって、こちらこそどうぞよろしくお願いしますと深々としたお辞儀でお礼したくなったが心の中だけで踏みとどまった。
どうした私。
そんな自身の慌てている内面は見せたくなく、表面上は何もなかったように、嫌な思いなんかしていないことを告げた。
ただ、私が聞きたかったことが聞けなかったから、もう一度同じ質問をした。
その女子用の制服を着ている理由を聞いている旨をちゃんと付け加えて。
七宮君はさっき以上に大きく目を見開いて、私の方を見た。
「すごいよね、瀬戸さんは。 普通こういう伝え方をしたら、聞きづらいと思って質問をやめるか、勝手に何かの解釈を当てはめて好き勝手に納得すると思うよ」
七宮君は何かを感じたのか、
「あ、いや、嫌味を言いたいわけじゃなくて、純粋にすごいなと思って。 今まで私があってきた人とは全然違うタイプだな。 もしかして周りからもそう言われたりしない?」
全然違うタイプ。
私自身は人とはズレている感覚はない。
ごく平凡な過程で育ち、ごく平凡な女子高生である。
そんな私はこの世の中にいる多くの人とだいたい同じだと思っている。
つまり、私は普通である。
そんな私を指して、『全然違うタイプ』と言われるとなんだか不思議な感じだ。
おそらく七宮君の周りには面白い人で溢れかえっていたのだろう。
七宮君は質問に答える前に私に問いかけてきた。
「ねぇ、なんでそんなことが気になるの? 変わっている人がいるなとかで済まさなかったの?」
私は七宮君の目を見て、その理由を言った。
と同時に、なんでそう思ったかという情景が脳内に浮かんだ。
七宮君が転校してきてから、なぜだか私は彼を目で追うことがあった。
なぜだか、それは日に日に回数が増えていった。
……なぜ追っていたかという話はおいておくとしよう。
その中で、彼とクラスメイトがしている会話が耳に入ってきた時があった。
本当に何気ない会話だったのだろう。
ふいに、そのクラスメイトからどういう風な制服が好きと聞かれた彼は、
「学ラン、あー、いや、黒系のが好きかな」
私の頭の中でノイズが走る。
違和感があった。
どこかで感じた違和感。
転校当日の最初の挨拶。
自分自身に関する話。
話の受け流し方。
学生服の会話。
私が見たこと。
私が聞いたこと。
私が感じたこと。
ゆっくりと混じりあう。
コーヒーとミルクのように。
黒と白。
男の子と女の子。
好きと嫌い。
……つながった。
私は七宮君本人が女子制服のことを好きといったことを聞いたことはない。
転校初日の挨拶も。友達との普段の雑談も。
七宮君は私の理由を聞いて、なんだか力が抜けたように見える。
「本当にすごいや。 良く気が付いたね。 私が別に女子の制服が好きでもないことを」
それから最初はゆっくりと、そして段々早口で七宮君は語り始めた。
「うん、瀬戸さんが思っていたように、私は女子の制服なんて興味ないよ。 こんな見た目で生まれてきたけれど、体は男で、心も男。 初恋の相手は女子だし、男に惚れたことなんてない。 美容にも本当は興味は無いし、少年向けの雑誌が大好きだ。 バトル漫画が好きだよ。
じゃあなんで女子の制服を着ているかって? それは罪滅ぼしだよ。
理解できないかもしれないけど、本人の意思なんて関係なく、理由がわからなくても望まれることをしないといけないことがあるんだよ。
それを望む人が自分の愛するの親であればなおさら。
私に選択肢なんてないんだ。
あ、でも勘違いしないで欲しいんだけど、お父さんとお母さんにはこうやってちゃんと育ててもらっているし、私のことを本当に心から愛してくれているよ。
それにお父さんとお母さん達自身もお互いのことをすごく大切にしていたし、愛している素敵な人達なんだよ。
だから、私はその親に対して罪滅ぼしをしないといけないんだ。
……私が小さい頃からお母さんが何回も言っていたんだけど、
『お父さんって昔はすごく貧乏な生活だったんだって。 それでも人の命を救うお仕事をしたいって言って、だいぶ無茶して目当ての大学に入学したみたい。
そして、最後はちゃんと目指していた人の命を救うお仕事につけたのよ。 それだけでも私が持っていない強い芯がある人で私の尊敬する人なのよね。
で、実は私たちが出会ったのもその病院で、不器用だけど一生懸命誰かのために必死で頑張るお父さんを見ていたら、すごく応援したくなったの。 そうして応援していくたびに、お父さんの良いところをもっと見つけちゃった。 で、気がついたら好きになって、一緒にずっといたいなって思っていたら、お父さんも同じ気持ちだったみたいで結婚しちゃったの。
これは私の数少ない自慢の一つなの』
って。
親の惚気なんて子どもは聞きたくないよね。
それで、実はさ、昔、私は体が結構弱くてよく入院してたんだ。
その時にお父さんもお母さんも私と一緒にいてくれる時間を作るために、大好きだった仕事を辞めたんだ。私の病院にできるだけ長く入れるようにと何かあればにすぐに駆け付けられるように家まで変えてさ、寄り添ってくれたんだよ。
こんな私のために二人の大事なものとか誇りにしていたものとか色々なものを捨てさせてしまって、私のせいで振り回してしまって、でも私は何もできなくて。
本当に大変な時期は、二人とも結構瘦せたりしちゃってさ、私からみたらその二人の方が重症だったよ。
私に心配をかけないように元気そうに振舞っているけど、だんだん会話も少なくなってさ。
でもなんとか無事乗り越えて、見ての通り私は元気になって今みたいに普通の暮らしができている。
すごく感謝しているし、こんないい人達は世界に他にいないと思っている」
すごく誇らしげに語る七宮君。
しかし急に顔に影を落とす。
「でも、そんな環境だった私の気持ちわかる?
こんなに素敵な人たちから夢と誇りを奪っちゃったの。
しかも今まで一度も私には夢を捨てたことが辛いとか悔しいとかも言わずに、ただただ心にしまっているの。 文句の一つも言わないんだよ」
言葉とともに、重くしかし壊れそうな想いが伝わってくる。
彼は短く呼吸したあとに、
「ねぇ、どうすれば私はあの二人からもらったものを返せるの?
あの二人の希望や時間や努力や夢を壊してしまった償いはどうすればいいの?
結局ちょっと前まではさ、ずっとそのことを考えていて頭がおかしくなりそうだった。いや、おかしくなっていたかも。
いつも二人にバレないように部屋で泣いていた。自分のせいで愛する人達を苦しめていたことに。
自分が原因なのにね」
彼の瞳には深い悲しみが宿っているように見えた。
辛く痛々しい彼の魂の叫びは続いた。
「そうして私は自暴自棄になったんだ。
変な風に自分で髪を切ったり染めたり、物に当たって壊したり、ずっと部屋に引きこもったりしたり、ピアスを開けたりもした。
その一環で、女装もしてみた。
髪やピアスや引きこもった時は、両親は心配そうな顔をしていたけど、女装の時は違った。
私を可愛いと褒めてくれたんだ、笑顔で。
なんだか不思議な気分だったし、親から褒められることにすごい喜びを感じたんだよね。
久しぶりに親が褒めてくれて、喜んでくれた気がしたんだよね。
ああ、この方法であれば私は罪を償えるんだと。
それから毎日女装をして、メイクとかコスメとかも勉強した。
頑張って努力する私をもっと褒めてくれた両親。
私にたくさんの可愛い服を用意してくれた両親。
私が入院する前の笑顔を取り戻してくれた両親。
前まではこんな女の子のような顔をがとても嫌いだった。
でも大切な人を喜ばせられるなら、それだけでいい。
むしろ感謝したよ。
なぜだか分からないけど両親がこういう格好をして喜ぶのなら、そうして欲しいと望むなら、私はそういう格好をする。
そう決めたんだ。
だからこの格好は罪滅ぼしなんだ。
あ、その時にさ、一人称も変えることにしたんだ。
元々は『俺』っていう風に言っていたんだけど、女装姿では『私』ってした方が合うし、親もきっとそっちの方がいいと思うだろうってさ」
一気に話をした七宮君は、こちらの瞳をその重くつらそうな瞳で見据えた。
最後にといった雰囲気で彼は、
「こっちの学校に転校するときにさ、さすがに学校は女装できないかなと思ったんだよね。
でも、転入前にお父さんとお母さんと三人で学校に挨拶にきた時に、お母さんが、 『この子にはどうして女子制服を着させたいんです!』と校長先生に直談判したんだよね。
先生も驚いていて私も驚いてお父さんの顔をみたんだけど、お父さんも知っていたのかしっかり先生達に頭を下げていた。
なんでそんな事を言っているのか、私には分からなかった。ただ、お母さんが真剣に言っているのだけは分かった。
……うん、本当になんでそんな事を言ったんだろうね」
何か言いたそうで、でも言ってはいけないを秘めているような歯切れの悪いことばで、一旦言葉を切る。
「まぁ、普通であれば、そんな願いは許可されないと思う。
でもその時も私は女の子の服で学校に行ってて、先生達も私の格好と私の顔を見て、お母さんの真剣さを間近で聞いていた。 だいぶざわついたんだけど、深く問われずに女子用の制服を着ても良いとお許しが出た。
昨今は性別や気持ちの問題とかで色々複雑らしく、何かを勝手に察して、私の見た目も影響して大事にしないように許可が下りたみたい。
それで、女子制服を着た男子生徒の出来上がり。
これが私の今までの話」
話しきった七宮君あ少しスッキリしているようだったが、少し怯えているような目でもあった。
最初はなぜそんな目をしているかが分からなかったが、既視感と共になぜか気が付いた。
これは悪いことをした時のうちの犬の目に似ている。
ついつい勢いでいたずらしてしまってお母さんに怒られるのが分かっている時の目だ。
おそらく彼も勢いで言ってしまったのだろう、だから急に怖くなってしまったのだろう。
いきなり気持ちをぶつけて、嫌われたり引かれたり、挙句の果てには他の人にもばらされて噂されることに。
私の経験でしかないけど、そういう経験のある人はある程度人から嫌われることにも慣れる。
でも、その痛みも知っているから、そのケガをすることを恐れる。
そんな感じを彼から受け取った。
私はおもむろに大股一歩の距離を埋めた。
私と七宮君との間にできていた距離を。
そうして、ぎゅっと七宮君を抱きしめた。
一瞬、私の腕の中で小さく跳ねた七宮君。
無言。
何か言ってあげたいけれど、何か良い言葉が浮かんでこない。
この状況で言葉がでない自分の人生経験の少なさを今ほど後悔したことはないと思う。
だから、その代わり、しっかりと私のできる範囲で強く抱きしめた。
私の気持ちを込めて。
あなたの心に直接届くように、強く強く願って。
“ねぇ、聞こえてる、七宮君? つらいよね。 寂しいよね。 苦しいよね。 上手くあなたの気持ちを理解できてはいないけれど、あなたが苦しんでいる姿を見ると私も苦しくなるよ。 たぶんあなたはすごく真面目で優しくて人に嫌われるのがとても嫌いな人。 自分に自信がないから、自分を大切にしてくれる人を疑ってしまう。 怖いんだよね。 人を信じて裏切られるかもしれないって思っちゃうんだよね。 大丈夫だよ、あなたのお父さんとお母さんは本当に心からあなたの幸せを願っているし、愛しているよ。 だからお願い。 一歩あなたから近づいてみて。 あなたが大切に思っている二人のもとへ。 あなたを大切にしている二人のもとへ。 大丈夫、あなたが傷ついて中々足を踏み出せないことを私は知っているよ。 だから、一緒に手をつないでゆっくい歩き出そう。 何があっても私はあなたのそばにいるから”
抱きしめていた七宮君の目からは涙がポロリポロリとこぼれて落ちててきている。
「なんだかわからないけど、すごく暖かい暖かい」
ぎゅっと七宮君からも抱きしめ返された。
彼からの抱きしめる力はそんなに強くないのに、絶対に話さないという強い意志を感じた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
二人とも同じタイミングで、ゆっくりと離れた。
無言。
しかし、今度の無言は先ほどとは全く違っていた。
照れくさくムズムズとして雰囲気である。
……というか、だいぶ恥ずかしい。
私は何やっていたんだ。
急に声をかけて、話を聞いていたと思ったら、無言で抱きしめる。
不審者か私は。
あー、なんだろう。なにやってしまったんだろう。
青春してしまった。
七宮君の方を見てみる。
彼も彼でなんか恥ずかしがっている。
いや、それはそうか。
親しくもないクラスメイトに我慢していた本心を話しちゃって、泣いて、私に抱き着いてしまったのだ、何とも言えない恥ずかしさはあるだろう。
大丈夫、安心して欲しい。私はクラスの他の人には言わないから。
七宮君は軽く頭を掻きながら、
「いや、なんか色々と恥ずかしい事いっちゃった。 あー、なんというか、ごめんね。 いや、ありがとう。 なんだかすっきりしたよ。 それじゃ、また来週学校で」
彼は少し赤くなった顔を隠すように私に背を向けた。
……いや、待って。
いい雰囲気ではあるけど、まだ話は終わっていない。
というか、勝手に終わらせないで欲しい。
私はまた彼を呼び止めた。
振り返り、さすがに少しびっくりしたようで私の顔を見た。
七宮君の話を聞いていた中で、私は一つ決めたことがある。
それを絶対に成し遂げたいから、彼を呼び止めた。
私の決意を七宮君に話す。
その時に見た彼の顔は今日一番のビックリ顔だった。
彼は驚きと怪訝な顔で私に問いかけた。
「えっと、瀬戸さん、本気で言っているの? 『うちの両親と話がしたい』って?」
彼は困惑しながらも続けた。
「確かに、色々と話してしまったけど、私と瀬戸さんって正直今日話したばかりだよね。 心配してくれるのは嬉しいけど、さすがにそれはちょっとお節介じゃない? なんでそんなに私にこだわるの?」
このお願いをする直前に私も同じ事を考えていた。
なぜこんなにも七宮君の事が気になるのか。どうして彼のプライベートまで踏み入りたいのか。胸の中で熱く強く膨れ上がる思いはなんなのか。
私は七宮君を抱きしめた時に気が付いた。
これは私の人生を賭けた使命なんだ。
なぜ七宮君なのか。なぜこのタイミングなのか。なぜ使命と分かるのか。
自分自身にも全然わからない事ばかりだけど、一つはっきりと確信していることがある。
私は、今、この瞬間に、彼を助けるために生まれた事を。
だから私は止まらない。止まれない。
このやり方が正しいのか分からないし、上手くいかない可能性の方が高そう。けれど、この気持ちだけは真剣で本気である。
私は自分のすべてを伝えた。
したいことも。なぜか分からないことも。でも止まらないことも。
説明も理路整然となんかしていないし、途中気持ちが高まって少し涙が出てしまったけど、全部伝えた。
話を全部聞いてくれた七宮君は目を閉じて腕を組み何かを考えていた。
そして、ゆっくりと目と組んでいた腕をを開いて、
「うん、良く分からないことだらけだし、瀬戸さんの言っている使命っていうのも正直全く理解できないし、まだ瀬戸さん自身のことも私はよく分からない。 本当によく分からない。
でも、今の話をしている時の瀬戸さんは本心で言ってくれているようだった。
瀬戸さん自身も自分の事を分からないって言っていることも本当だと思う。
それに私のことを知ってもここまで踏み込んできた人なんていなかった。
私から避けられるかもしれないのに、気にせず直球でぶつかってきて。
やっぱり、瀬戸さんみたいな人は今まで会ったことないや」
七宮君は小さく優しく笑った。
「うん、いいよ。 うちの両親に会っていいよ。 どうなるのかとか、どうしたいのか分からないけど、瀬戸さんにお願いしたくなった。
……いや、違うな。
ごめん、ちゃんと瀬戸さんを信じてお願いする」
彼は深呼吸をして、こちらの目をしっかりと見て、
「どうか私を助けてください。私はすごく苦しいし、困っています。
情けないし恥ずかしいけど、私は助けて欲しいし、瀬戸さんに助けて欲しいです。
瀬戸さんを選んだのは私です。
どうか私のことを助けてください」
その瞬間、かちりと私の中の何かがはまったになった。
それは、パズルのラストピースのような、外れていた核となる歯車のような。
意識をしていなかったが、もしかすると今までの私は不完全なものだったのかも。
いや、今この世界に生まれてきたのかも。
燃えるように熱い。
体がいくらでもどんなようにでも動けるような気がして、じっとなんてしていられない。
高揚感が溢れて、七宮君のためにならなんでもできるという気持ちがおさまらない。
あぁ、すごく嬉しい。
善は急げ。
鉄は熱いうちに打て。
私は七宮君の手を取って走り出した。
朝のジョギングをずっと続けてきて良かった。七宮君の手をしっかり掴んで連れていける体があって良かった。今日、声をかけて良かった。
今日、家に帰ったらお母さんとお父さんに健康に生んでくれて育ててくれたことに感謝しよう。
大きな鼻息一つ、気合を入れなおした。
よしっ、大丈夫、私に任せて。
今の私は無敵で最強だ。
私は一陣の風になる。
「……って、瀬戸さん! 私の家は反対方向!逆!逆!」
急に手を取られ、走りだした私に引っ張られている七宮君の叫びが町中に響き渡った。
彼の家に突撃した私は夕ご飯を作っていた彼のお母さん、幸子さんに真っ向からぶつかっていった。
もちろん面識の無い私の突撃で、幸子さんは状況が掴めず目を白黒させていた。
ちなみに、この時の話は何年経っても伝説の鉄板ネタとして語り継がれることになる。ニヤニヤする幸子さんによって。
若気の至り、あぁ恐ろしや。
私は直接幸子さんと対面し、端的に七宮君が女性の格好をすることは好きではない事を伝えた。
その事を伝えることに脳を100%使用していた私は、自身の自己紹介をするような気配りなんてものは無かった。
幸子さんは、突然訪ねてきた初対面の私への疑問なども多くあっただろうが、まずは七宮君に尋ねた。
「朝姫は、その、本当に女の子の格好をするのは好きではないの?」
七宮君は喉をゴクリと鳴らし、少し震えているがはっきりと、
「うん、私は女子の格好をすることが好きではないよ」
幸子さんは声には出さなかったが、目を見開いて驚いていた。
私は、驚いた時の目の動きが本当に似ていてやっぱり親子なんだなと別の事に一瞬意識を持っていかれた。
少し無言の時間が出来た。
幸子さんがゆっくりと切り出す。
「……そう、だったのね。 私まったく気づいていなかったわ。 ごめんなさい」
少しくぐもった声で、涙を堪えているような表情で続けた。
「そうなのね、私、私とお父さんは勘違いしていたのね。 覚えてる? 朝姫が段々部屋から出なくなった時に、あなた、その、髪型とか色々変えていたじゃない」
何かを打ち明けるように、心の中にしまっていたものを徐々に吐露していく幸子さん。
「実はあの時のことなんだけ、最初はあなたがグレてしまったか、心が疲れているんだと思って、お父さんと相談して、まずはあなたの自由にしてもらおうって決めていたの。 でも、髪型以外にもあなたが変わってきたから、もう何度もずっと二人で考えて、それだけじゃ分からなくて精神科の先生にも相談してみたの。
そうしたら先生に、『子供にちゃんと向き合って、受け入れてあげることも大切』と言われたの。
すごく、その時ハッとしたの。
私たちが歩みよるのをやめるなんて親として失格だった。
私たちの自慢の子供なんだから、まずは信じてみなきゃいけなかったの。
本当にごめんなさい。
だからその日に、お父さんと話をして、次に朝姫がどんなものでも、あなたが表現したものであれば絶対に受け入れようって。
そう、それで、その時にあなたが表現したものが、女の子の格好だったの。
内心、だいぶほっとしたわ。
もし表現したいものがあなたの心と体を直接的に傷つけるものだったらどうしようと思ってたの。
そんなこともあって、女の子の姿だった時は本当に安心したし、あとは素直に受け入れようと思ったの。
その時に、心の性や服装の考え方を一生懸命勉強してみたの。
私たちってそういう事とかあまり分からない世代じゃない、だからまずは色々と調べてみたの。
自分たちとは違う考え方もたくさんあるんだったびっくりしたわ。
そういう風にあなたのことだけを考えて気が付いたの。
どんなことがあってもどんな違いがあっても、私たちの大切なあなたであることでは変わらないってことに改めて気が付いたの」
幸子さんから涙が溢れている。
その純粋な気持ちを映したかのような綺麗な涙が。
「それで最後に、あとは直接的には言わずにあなたをあなたが選んだ道を応援しようって決めたの。
ほら、お父さんって結構頑固じゃない。
だからやっぱり最初は結構悩んでいたみたいだけど、朝姫のためならって」
七宮君は震える口からかすれるような声で、
「じゃ、じゃあ、編入手続きの時に、先生に言ったのは?」
幸子さんは本当に申し訳なさそうに、
「ごめんなさいね。 あなたの本当の気持ちに気が付いていなかったから、苦しい思いをさせてしまったわよね。
勝手にあなたは女の子の制服がいいのかなと思っちゃってたの。
それで、学校にあなたから言うのは辛いからというのもあるだろうと思ったし、私たち両親がきちんと決めていることだと伝えたかったから私から言ったの。
本当にごめんなさい。
あなたの気持ちをちゃんと確認していなくて。
ううん、今までちゃんとあなたと話をしていなくて。
あなたのことをちゃんと理解してあげていなくて。
本当にごめんなさい」
幸子さんは深く深く謝った。
七宮君はまだ混乱しているように見えて、
「それじゃ、私がこんな格好をするのを止めなかったり、応援してくれていたのは、私の見た目が女の子みたいだからじゃなくて、私のしたい事だと思ったから何も言わずに認めていてくれていたの?
息子じゃなくて娘が欲しかったとかじゃなくて?
私の取り柄がこの見た目ぐらいだけだからじゃなくて?」
早次の質問。
何かに縋るように自分の母親を見ていた。
「当たり前じゃない。
もしあなたが女の子みたいな容姿じゃなくても、あなたの性別が男女どちらであろうとも、あなたが本当にしたいなら私たちは応援したわよ。
そうやって色々な経験をしていって、ちゃんと大人になっていくあなたの成長を見守ることが私たちのたった一つの願いなんだから。
他と違おうが、周りに何か言われようが、他人や学校の先生なんかに負けたりしないわ。
私たちの自慢と誇りを馬鹿にしないでちょうだいって。
つまりね、世界に一人だけなのよ。
朝姫、あなただけなの。
私たちにとって大切なのは。
……って、あなたの本当の気持ちに気がつかなかった私たちにそんなことを言う資格はないのかもしれないわね」
七宮君の全身はもうわなわなと震えている。
もう我慢ができないのだろう。
彼はもう涙を、気持ちを我慢せずに自分の心からの叫びを母親にぶつけた。
「なんで、そんな風に思っていてくれてたんだよ!
私は、私は、そんなにお母さんたちに誇ってもらうような子供じゃない!
だって、私の入院のせいでお父さんとお母さんはあんなに大好きだった仕事変えなければいけなくなったじゃん!
小さい頃からずっと聞かされてたから、わかる。
しかも私はお母さんとお父さんがそんな事思っているなんて、全然知らなかった!
私の勝手なワガママで辛い思いをしていたのに、ちゃんと私のことを理解しようと頑張っていてくれて。
……私が女の子の格好をして褒めてくれたりしたのは、娘が欲しかったのかなとか、私の見た目が女の子っぽくて可愛かっただけなのかなって思ってた。
だから、その期待に応えられないと捨てられちゃうと思ってた。
それに私が始めちゃったことなのに、途中で辞めちゃったらまた迷惑をかけちゃうかと思って」
ずっと七宮君のことを見つめていた幸子さん。
その目はすごく優しく。
その表情はすごく柔らかく、そして頼もしそうに。
「本当に馬鹿ね。
そんなの全部関係ないわよ、私たちはあなたがただいてくれるだけでいいの。
それが最高に幸せなのよ。
それに、子どもが親に迷惑をかけるなんてのは当たり前なのよ。
あなたが生まれてきた時から、ううん、その前の私のおなかの中にいた時からずっとワンパクだったんだから。
予定日通りになんて生まれてこないし、出産時のなかなか出てこないから、助産師さんもみんなでヘトヘトになりながらあなたが生まれてくるのを待っていたんだから。
夜泣きもひどかったし、アトピーも酷くてよく病院にも行ってたし。
おねしょ癖も治らなかったし、イヤイヤ期なんて手もつけられなかったのよ。
だから、今更その程度の迷惑なんて気にしないわよ。
むしろ親としての楽しみを奪わないでちょうだい。
あなたはきっといつの日かこの家を出ていくんだから、それまでは私に楽しみと思い出をたくさん作らせてよ。
子どもなんてそれでいいんだから。
あなたはあなたの正直な気持ちでまずは人生を生きてみなさい。
それで私たちは満足なのよ」
幸子さんはゆっくりと七宮君に近寄り、強く抱きしめた。
七宮君も抱きしめ返し、「ありがとう」を繰り返している。
ふと気が付くと、私の視界はいつの間にかよく見えなくなっていた。
涙できちんと見えなくなっていた。
今日はまずは家に帰ったら、私も親と話そう。
何を言いたいかは全然分からないけれど、普段言えていない感謝もきちんと言おう。
ただ、素直に感謝の気持ちをちゃんと親に伝えたいと思った。
早く家に帰りたい。
それにこの二人を邪魔するのも悪いと思い、手短に帰りの挨拶を告げて帰る。
玄関を出た時に声をかけられた気がするが、もう大丈夫だろうと思ったので気にせず帰る。
帰り道。
私がしたことはそもそも要らなかったのかもしれないなと思う。
恐らく私じゃなくても、何かのきっかけがあれば七宮君一家はちゃんと歩み寄れたんだろうと偉そうながらそう思った。
これで私の使命は果たされた。
あんなに大切にしてくれる家族がいるのであれば、私は不要だろう。
あれだけ燃えるように熱かった魂はいつも通りに戻っている。
心に残ったのは優しい家族の愛情。ほっこりと暖かいそれは、私を満たしてくれた。
今は何よりも家に帰って親に会いたい。それだけだ。
そして、週末を迎え、月曜日になった。
いつもと変わらない登校、朝のHR、午前の授業、昼食、午後の授業、今週も部活はないから素直に帰宅。
帰宅途中、少し離れた所から声をかけられた。
「おーい、瀬戸さん!」
七宮君だった。
小走りで私の元にくる彼。
私は彼の姿を見て、質問をした。
それに対して彼は、
「あ、うん。制服はとりあえずは女子用のを使うことにしたんだ。
うちの両親からはすぐに変えるかって言われたんだけど、もう両親の気持ちを聞けたからどちらでも気にならなくなったし、買ったばかりだからしばらくはこっちを着ようかなって。
値段も安くないしね」
一瞬の間があって、七宮君が切り出した。
「それでさ、この前の金曜日のことなんだけど、あの後、お父さんも交えて家族三人で全て話をしたんだ。
それでだいぶスッキリした。
話してしまえば、案外単純なことだったんだって後から気が付いたよ。
一歩踏み出すことでこんなにも世界が変われるんだよね。
……なんか恥ずかしい事言ったわ、忘れて」
照れる彼。
そして、
「あの時ちゃんと言えなかったんだけど、一歩踏み出す勇気をくれてありがとうございました」
深々と頭を下げた七宮君。
「瀬戸さんが私の手を引いて家まで来てくれて、お母さんに言ってくれて本当に嬉しかったです。
瀬戸さんがいなかったら、私は一歩踏み出せなかったし、今日笑顔で学校に来られなかった、それは絶対。
言葉でなんだか上手く伝えられないけれど、心から感謝しています。
ありがとうございました」
一度下げた頭を上げ、こちらの目を見て言う。
そして、持っていたカバンから何かを取り出し私に手渡しながら彼は言った。
「色々な気持ちがあって、言いたいことまとめられなかったから手紙にしてみたから、どうか受け取ってください。
あっ、あと、返事はいつでもいいから」
そうして彼はあっという間に帰ってしまった。
なんだろう。この手紙は何かしら返事をしないといけないものなのか。
私は早速その場で封筒を開けてみる。
内容は七宮君と彼の両親の関係がお互いに話せて理解し合えたことについてと、私のおかげで一歩踏み出せたことに関する感謝、そしてぜひとも彼の両親に挨拶したいから今度暇な時に遊びに来て欲しい旨も。
加えて、これから色々と私と学校内や学校外で遊びに行きたいことも。
そうして最後に、
『まだ知り合って間もないけど、私は瀬戸さんのことをもっと知りたいです。
それに瀬戸さんにも俺の事を知って欲しいです。
私は、瀬戸さんの事が大好きです。
どうか私と付き合ってください。
七宮朝姫』
私はその場で、固まってしまった。
思考が停止した。
私は人生で初めてラブレターをもらってしまった。
学校の『姫』から。
そうして、それ以降は学校や週末で彼の猛攻を受けることになる。
***
私は公園のお気に入りの木の近くで歩いてたどり着き、ストレッチをしている。
そう、もう一週間も経っている。
だから、私もちゃんと向き合わないと。
心はもういつもの私に戻っている。
だから今思うことは、本当に自分の気持ち。
それを今日伝えにいく。
返事を待たせてしまった分は、私のすべての思いを告げることで許してもらえるように願う。
よし、行こう!
七宮君の元に!
END
Thanks so much for your reading!