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夏の香りが残る秋、僕は夢をみた。
狭い部屋。
床に散らばる積み木、クレヨン、ミニカーの玩具。
そして、その中心には自分自身。
それを僕は斜め上から見下ろす。
夢の中の僕は何かを探していた。
それが何なのかは分からない。
しかし、探しものはみつからないことを分かっていた。
見下ろす僕は、それでも僕自身が探すことを望み続けた。
無駄だと分かっていても、僕は探し続けている。
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人生で二度目の葬式に出席することになったのは、中間テストが始まる一週間前だった。いつものように余裕をもって試験範囲の勉強を終え、年明けに迫る大学受験のための勉強を再開した矢先であった。
いつも上品な加藤の母親が取り乱した様子で電話をかけてきた。携帯電話からの着信だったので、てっきり加藤かと思いきや泣き声の女性が叫びながら受話器の向こうでわめいているので何がなんだか分からなくなった。よくよく聴けば、達也はどこにいるか知らないか?私鉄に轢かれた男子高校生が達也かもしれないと警察から連絡があった。達也はそこにいないか?と言っている。
僕は達也が家に来ていないことを正直に告げた。と、同時に私鉄で轢かれたという男子高校生はきっと加藤だということを彼の母親に告げてしまったような気がした。加藤の母親はわああんと泣き喚き、急に電話を切った。ツー、ツー、という機械音は僕を我に返らせた。そしてふと、加藤に会ったのはほんの三時間前だったことを思い出した。
加藤の家は高級住宅街にあり、その中でもかなり大きな家だ。三階建てで広い庭がある。葬式場を借りなくても来訪者を収容できるだろう。敷地の全てが制服と喪服で一杯になったのが皮肉に思える。参列者はほとんどが学生であり、その数は生前の加藤の人望を物語っている。加藤は学校で目立つ存在だった。背が高く顔が格好よく、勉強ができるという定番な人気要素を含んだ上、生徒会活動も行っていた。気さくで誰とでもすぐに打ち解けられ、彼を嫌う人間なんておらず、みんな彼と仲良くなりたいと思っていたに違いない。
そんなヒーローが突然死んでしまったことはもちろん学校中を震撼させた。葬式に参列したいという生徒は何人もいたらしい。しかし加藤のいた三年二組のクラスが代表で弔問することを学校は提案した。それにもかかわらず、見たことがない生徒がクラスの人数以上に参列している。死してもなお加藤はヒーローだ。僕は加藤の家を埋める一つの点になり、小さく、静かに正座をした。和室であろう部屋は襖が外され、葬儀の飾り付けが一面に施されていた。白い菊の花が豪華に咲き乱れ、中央の写真の少年はくっきりとした目鼻立ちをしており、白いリボンをつけられて笑っている。いつ撮ったものかは分からないが、そう昔のものではないはずだ。学校行事のスナップ写真のほとんどに加藤が写っていたため、遺影を選ぶのは楽だっただろう。きっと僕なら今よりもずっと昔に遡らなければならない。クラスで目立つやつは死んでも得だなあと加藤を見つめながら思った。
加藤の記事は『S市内男子高校生、私鉄に轢かれ死亡』と、小さな見出しで新聞に載せられていた。昨日のことだ。どこかの会社が食品原材料の産地を偽装していたことや、何時代のなんとかという国宝である壁画の修復作業中に、作業員が誤って傷をつけた記事のほうが断然大きい。加藤の死は地域のニュースでしか取り上げられないほどのものだ。
この記事の大きさは事件性のないただの事故死ということを表しているのだろうか。加藤が学校内でいじめられていたり、家庭に問題があったりしたのなら多くのメディアは取り上げたであろう。加藤の死が、世間に興味が注がれないことが不幸な気がして仕方がない。もしかしたら、加藤がクラスでいじめを受けていたか、あるいは家庭内で暴力を振るう父や白昼堂々と浮気男を連れ込むような母がいて、それらを苦にして自殺をするほうが幸せだったのかもしれない。そうすればどこかの週刊誌の記者が彼の死を曲がりなりにも多くの人へ伝えただろう。しかし現実は、大企業の社長の秘書をしている父に、料理教室を趣味でひらき休日はホームパーティーをする母親がいる。同情を集められない事件にはめっぽう喰い付きが悪い。
よくよく記事を読むと、私鉄沿いのビルの屋上から誤って転落、原因は老朽化した金網にもたれかかったことでそのまま落下ということだった。その上、走っていた私鉄にはねられたらしい。この事故で乗客9千人に影響、と締めくくられていた。
…加藤が古い金網に気づかないなんてあるのだろうか。
焼香の順番が廻ってくると、一応、それらしい形をとる。祭壇の前で加藤の両親に礼をする。母親は泣きつかれて、呆然と座っていた。初めて見る父親は、母親に寄り添うように支えており僕に丁寧に頭を下げた。加藤に似た顔立ちはしわが刻み込まれ、将来の加藤の姿だったことを思わせた。
祭壇の前で数珠を手にかけ一礼をして合掌をする。親指と人差し指と中指で香をつまんだ。ふわふわとしたつまみ応えのない香は僕を急に不安にさせた。
それと同時に、どうして自分がこんなところにいて、こんな行動をとっているのか不思議に思えた。目の前の棺の中に加藤がどのように納められているのか、本当に加藤が中にいるのか、加藤は本当にこの世から消えてしまったのだろうか。
雑に香を放り込むと、ぱん、ぱん、と手を叩いて拝みたい衝動に駆られた。棺をひっくり返して豪華な祭壇の飾りをめちゃくちゃに壊したかった。加藤の遺影を真っ二つに折って、白い菊を根こそぎ抜き取ってしまいたかった。泣いているクラスの連中を全員殴りたかった。とにかく、この状況の何もかもが理解不能だ。僕は何とか焼香を無事に済ませ、元の場所に戻った。今にも、棺の中から加藤が出てきそうな気がしてならなかった。しかし、棺から加藤が出るはずもなく、葬儀は淡々と行われた。
「渡邊さあ、俺、なんて言うか、すごくしらけた」
霊柩車が加藤の家から出発するとき、三隅がぽつりとつぶやいた。
「クラスの連中や、加藤の友だちってやつらが泣いてるのを見ていたらさ、こいつら、どうして悲しんでいるんだろうって気になってさ、そう思ったら泣くに泣けなくて、ずっとぼんやりしていたよ」
大勢が見守る中、車はゆっくりと火葬場へ向かった。僕と三隅は遠巻きに出来事を見ていた。
三隅の気持ちが分かるような気がした。彼も少なからず、あの場所に違和感があったようだ。三隅は僕のように、暴れだしたい衝動に駆られたりはしなかったのだろうか。見送りを終えた人は一人二人と帰って行く。僕らはどちらともなく歩き出した。
三隅と僕はクラスでも少しはみ出た存在である。しかし、目立たない僕とは違い、三隅は目立ちすぎるが故に避けられている。傷だらけの体に強面、親戚にヤクザがいるという噂、挙句の果てに大麻栽培疑惑浮上、遅刻と早退の数々は彼を確実にクラスから浮き上がらせた。しかし実際のところ、体格や顔つきは父親譲りで、親戚も風体はやはりごついが伝統ある料亭を経営していて生粋の堅気である。三隅はその料亭を継ぐために毎日修行に精を出している。それが遅刻と早退の原因だ。大麻栽培に関しては、どこからか沸いて出たのだか。
三隅は噂を否定しなかった。この話は全て三隅との会話の中で拾い集めたものだ。クラス中が三隅を不良だとか将来ニートなどささやかれているが、よっぽど地に足が着いた生活を送っている。
三隅は噂に対して、俺も有名になったもんだ、と一笑し、気にも留めない様子だ。
僕は、そんな三隅のことが好きだ。
そして、加藤も同じくらい。
「やっぱさ、加藤の記事おかしかったよな。」
三隅は落ち着いた声でつぶやいた。
「もしかして、金網に寄りかかって落ちたところ?」
「あいつはそんなにどんくさくはねえ。それに俺たちはあそこの屋上に行ったよな」
「ど、どこのビル?」
「ほら、あの昂進学園が入ってるビルだよ。あそこの屋上を警察が調べていたんだ」
思い出した。
この屋上は三人で行ったことがある。
加藤が通う塾の屋上だから、何度かそこに潜り込んで加藤の授業が終わるのを待っていた。加藤は、よくここで星を見るんだ、と輝いた瞳をして話していた。
「俺は、納得いかねえ。かと言って、自殺の可能性なんてそれこそ考えられねえよ」
「じゃあ…誰かに…」
「あいつは誰かに恨まれるようなやつじゃない」
三隅は僕の声をさえぎり、再び押し黙った。
僕も心にもやもやしたものを抱えながら黙る。何か、いろんなものが引っかかる。でも、今の状態では思い出せない。
僕と三隅は肩を並べて歩いていた。どこに行くのか、帰るのか、そうじゃないのか、何も示し合わさないでただ歩いていた。
夕日に伸びる影は、僕の影と頭一つ分背の高い三隅の影が長く揺らいでいる。つい一週間前までは、僕の影の隣に細長い加藤の影があった。加藤と三隅に挟まれながらこの道を何度も下校したことを思い出す。隣から三隅のうめき声が聞こえる。
僕はどうしても泣けなかった。
もう僕の隣に加藤が並ぶことは一生ないのだと分かっていても。