第90話 殺人鬼は窮地に陥る
義体の姿が霞む。
気が付くと目の前に立っていた。
そう認識すると同時に激痛が走る。
槍が僕の腹を貫通していた。
今の一瞬で義体が接近して刺してきたのだ。
掲げられた斧は、今にも振り下ろされようとしている。
(このままだと不味い)
僕は片脚のリミッターを外すと、前蹴りを義体に繰り出した。
直撃した義体は斧を空振りして後方へ吹き飛ぶ。
何度かバウンドした末に倒れるも、平然と起き上がった。
腹部の装甲が大きく陥没している。
そこから透明の液体が漏れ出していた。
動作面に支障はないようだが、明らかな損傷だろう。
筋肉のリミッターを外した攻撃は、マザーAIの義体にも通用するようだ。
(しかし、こちらも傷は大きい)
僕は己の身体を見下ろす。
刺された腹は斜めに避けていた。
槍を握った義体をそのまま蹴り飛ばしたせいで傷が抉れたのだ。
腸がはみ出しそうな感覚が気持ち悪い。
リミッターを外した片脚も折れていた。
体重をかけると転倒しそうなので、無事な脚を軸にして立つ。
僕はその場で吐血した。
苦痛を意識から切り離して、構え直す義体に意識を向ける。
細く深い呼吸を繰り返すことで戦闘に没入していった。
腹も脚もどうせすぐに再生するのだ。
たとえ毒が塗られていたとしても関係ない。
僕の身には吸血鬼の因子が流れている。
限界以上に集中する。
間もなく知覚の向上によって、周囲が疑似的なスローモーション状態に陥った。
その中で義体はごく普通の速度で動き出す。
いや、先ほどまでは認識でないスピードだった。
十分に遅くなっているのだろう。
槍と斧による連撃に、僕は飛び退きながらの回避を選ぶ。
或いはナイフで受け流した。
たまに拳銃で反撃するも、義体の装甲に小さな傷を付けるだけだ。
とても効いているようには見えない。
(決定的な一撃が必要だ)
そう考えた時、義体の槍が右の太腿を捉えた。
床に縫い止められて動けない。
そこに斧が容赦なく叩き込まれる。
僕は拳銃を持つ手を掲げた。
斧は僕の前腕を切断すると、肩から胸にまでめり込む。
「……ッ」
僕は再び吐血した。
意識の外から苦痛がぶち返して、足腰から力が抜けそうになる。
遠くでロンや伯爵の声が聞こえた気がするが、その内容は分からなかった。
意識が朦朧として、命が消えかかっていた。