深入霧彦の憂鬱④
家に帰り、インターネットの波に乗ってサーフィンしていると、すぐ時間になった。制服のまま行くことにした。「何この子、私服くそださい」と思われたくなかった。
父の車に乗り、再婚相手が住んでいるマンションへ向かった。
「あそこだから」
移動中、父が車窓を下げて、遠方に見えるタワーマンションをあごで示した。
「家賃高い奴じゃね、あれ」
「けっこうするな」
「キャリアウーマン?」
「弁護士だ」
ウチは協議離婚だったから、裁判にはならなかった。だから俺は、弁護士に会ったことがない。
「性格は?」
「会えば分かる」
「美人?」
「会えば分かる」
着いた。十八時八分前だ。数分後、エントランスの自動ドアが開き、大人の女性と制服を着た女の子が現れた。相田音根だった。あの長い前髪、鬱々としたまなざし、病人のように白い肌。間違いない。相田音根だ。
俺が絶句していると、いつの間にか車を降りていた父が外から言った。
「何してる? お前もいったん出ろ」
「え? は? なんで?」
「食事に行く前に簡単にでいいから、あいさつしとけ」
ああ。やはりそうなんだ。父の再婚相手と言うのは、相田音根の母親なんだ。
「つつつつ連れ子がいるなんて聞いてない」
「言ってないからな。早く出ろ」
出た。
相田音根の目が見開かれた。そしてそのまま動かなくなった。
「あなたが霧彦君ね。はじめまして。相田水葉です」
相田音根の母親、水葉さんはパリッとした人だった。目に力がある。髪は肩の上で切りそろえられている。着ているスーツに皺は一つもない。
差し出された手を握りながら俺は、苦笑するしかなかった。
「ん? どうかした?」
「いえ。なんでもありません。父がいつもお世話になってます。今日はよろしくお願いします」
「あら。しっかりしてるのね」
はい。しっかりしているので、今日も授業中にラノベを読んでました。
俺と水葉さんがあいさつを交わしているその横で、父も音根とコミュニケーションを取ろうとしていた。
「霧彦と同じクラスなんだよね。ウチのバカが迷惑かけてない?」
首を振る音根。
「学校は楽しい?」
一瞬、間があった。けれど、音根は力なくうなずいた。
「ご趣味は?」
「おい」
俺は父のネクタイを引っ張った。
「腹が空いた。さっさとうまい飯屋に連れていけ」
「あれ? なんか怒ってないか?」
「当たり前だ。なぜ言わなかった?」
「何を?」
このっ、間抜けが。全部説明しないと分からないのか。俺が眉毛を吊り上げていると、横から声が差し込まれた。
「ごめんなさい。私の発案だったの。秘密にしておいた方がサプライズになると思って。どお? 音根も霧彦くんもびっくりした?」
このくそあま。
俺は薄っぺらい笑みを浮かべたまま、拳を握りしめていた。音根はうつむいている。頬が少し赤い。
誰かのお腹の音が鳴った。
「お腹が空いたわ。ねえ、広彦さん、さっさとおいしいお店に連れてって」
第一ラウンド終了。
第二ラウンドは、食事をしながらの対戦になる。
俺は、なんとしてでもこの再婚を阻止しなければならない。なぜなら、相田音根と同じ屋根の下で暮らすなんてごめんだからだ。気まずすぎる。だって、俺は、学校で、吃音症のせいで馬鹿にされているこいつをかばってやったことがない。家畜の餌にでもなった方がましな連中が、こいつの吃音を馬鹿にする。そして少数のさかしらな臆病者たちは、見て見ぬふりをするか、俺のように見て、ただ、見捨てる。
何だよ、俺。
全然しっかりしてないじゃん。