八十分間異世界半周③
夜明けが近いのか、空が白み始めている。
砂漠を発ってからは、どこにも停まることなく休みなしでの飛行だった。
このまま飛び続けると、夜を追い抜き、朝に到達するのではないかと思われたそのときだった。
ゆるやかにカーブを描く海岸線が遥か向こうに見えた。
「アテンションプリーズ。間もなく当竜は西の果て、ナハテの海に着陸します」
もう終点か。
思っていたよりも早かった。二時間も経っていない気がする。たしかマコンの丘の停留所を発ったときが四時五十分ごろだったと記憶している。俺は今一度、腕時計に目をやった。現在、時刻は六時九分。差を計算すると、約八十分で異世界を半周したことになる。
ナハテの海の砂浜はもう眼下に見えている。
しかし、竜はなかなか降下しない。
むしろ、高度を上げているような。
俺の体感は正しく、今や竜ははっきりと空の高みを目指していた。
一転、とんぼ返りをした。真っ逆さまに落ちていく。音根の悲鳴が空へ伸びていく中、竜の鼻先が海面へと突っ込んだ。水しぶきが上がるのがスローモーションのように見えたと思ったら、俺たちは海の中にいた。そこには群青色の世界が広がっていた。
俺たちを守ってきたしゃぼん玉のドームは健在で、今は水槽の役目も果たしていた。黄色い小魚の群れが逃げていく。鯨ですら、竜には道をゆずった。海藻があれば食いちぎった。そんな強者の泳ぎを見守るように、クリオネたちが漂っている。
俺と音根は言葉少なに目の前の光景を眺めていた。
もう少ししたら、この世界を出て行かねばならない。名残惜しさに、胸が押しつぶされそうだった。
濡れた竜の足が砂浜を踏んづけた。
まだ夜は明けていないが、水平線がオレンジに色づいていた。
朝焼けだ。
「このたびのご乗竜、ありがとうございました。お降りになる際は、足元にお気をつけください。またのお越しをお待ちしています」
「また来てもいいのか?」
「あんまりよくはないけど、絶対ダメじゃない。二人がもし再びこの世界に来るようなことがあったら、また、私とシックザークがここまで運んであげるよ」
俺と音根は竜を降りた。空の旅が終わった。
さて、出口を探さねばならない。
辺りを見回すと、少し離れたところに砂浜に似つかわしくない物体があった。氷だ。氷の塊が置いてある。サイズは、自動車よりは大きく、トラックよりは小さいといったところか。
まともに日光を受けるだろうに、溶けないのだろうか。
そう訝しんでいると、エルーが説明してくれた。
「あの氷は封印魔法の産物なんだよ」
「まさか」
「ご察知の通り、出口の穴はあの氷の下にあるの」
「音根、ライターとか持ってるか?」
「も、持ってない。どどどどうしよう?」
「大丈夫だよ」
エルーが指を鳴らすと、竜シックザークが一声吠え、口から紫色の炎を噴射した。俺たちは急いでその場から離れた。
竜の炎に氷塊はまたたくまに溶け切ってしまうものだとばかり思っていたが、俺の予想は外れた。
氷塊の体積はほとんど変わっていないように見える。
「かなり上等な封印魔法だね。それなりに時間がかかると思うから、二人は海辺で遊んでたら?」
ここにいても俺たちにできることはなさそうだな。
「すまん。任せた」
海辺で遊ぶと言っても、俺も音根も、はしゃいで海水をかけ合うようなタイプじゃない。白い砂浜の波打ち際を歩いていると、
「あ」
と音根が呟いた。
水平線の彼方から太陽がせりあがってきていた。光が世界を照らし始める瞬間を目の当た
りにして、俺は呆然と立ち尽くした。
そんなとき波が押し寄せてきて、俺も音根も後ろへ下がった。俺たちの足跡は消えてしま
った。
そう、消えたのだ。
瞬間、俺は悟ったのだった。すべては消えてしまうのだと。永遠などないのだと。俺も音根もいつかは死んではしまうのだと。
だから言わなければならない。
死んでからでは遅い。
今、言わなければ。
「音根」
「な、何?」
貝殻を拾う手を止めて俺の方を見る音根。
「俺、お前のことが――」
「二人ともー、氷溶けたよー」
言いながら、エルーが飛んで来た。
俺は笑うしかなかった。仕方ない。タイミングが悪いことだってある。
俺たちは氷塊があった場所に戻った。
「これが出口だよ」
砂浜にフラフープほどの穴が空いていた。中をのぞくと、真っ暗だった。どこまでも続いているように見える。
別れのときが来た。
「お前たちには最後の最後まで世話になった。ありがとう」
「いいって」
竜も鳴いた。
「ああああの、こ、これ」
音根の手には桜色の貝殻が二枚握られていた。
「よ、よかったら」
「わっ。奇跡的にきれいな貝殻だね。ありがと。大切にする」
「ほ、本当にありがとう」
音根は涙目になっていた。
「悲しいの? 音根?」
うなずく音根に、エルーは笑って見せた。
「キシシ。私も、けっこう悲しいや」
それでも笑顔を崩さないエルーを見て、音根は唇を引き締め、それから、笑顔を返した。
「じゃあ、そろそろ行く」
と誰かが言わねばならないことを、俺は言った。
「うん。バイバイ、霧彦、音根」
「じゃあな」
「バ、バイバイ」
俺たちは手をつなぎ、穴へジャンプした。
あとは落ちていくだけだった。




